<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725</id><updated>2011-12-16T16:27:13.198+09:00</updated><category term='ペルー　日系ペルー人'/><title type='text'>記事の墓場（過去記事集）</title><subtitle type='html'>ライター・太田宏人が過去に雑誌・新聞等に書いた記事類。記事だけ。ジャンル・時系列混在。不定期更新。随時更新(2003年12月～)。

葬儀関係の記事は、基本的に、掲載しません。</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://huaquero.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>93</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-2179371944364425948</id><published>2011-12-16T16:20:00.000+09:00</published><updated>2011-12-16T16:27:13.229+09:00</updated><title type='text'>(墓93) 消し飛んだ「葬儀不要論」</title><content type='html'>「連日、何件もの葬儀をしています」&lt;br /&gt;　石巻で被災した知人僧侶は語った。&lt;br /&gt;　震災からまもなく６ヶ月。だが、犠牲者の葬送はなおも続いている。&lt;br /&gt;　夏を迎え、各地で仮埋葬した棺の掘り起こしが開始されたことが大きい。掘り起こしの現場は強烈な腐臭が漂い、棺は朽ちている。作業員たちは手作業で棺を掘り起こし、棺から遺体を取り出し、ていねいに洗浄してから新しい棺に納め、火葬場へ運ぶ。&lt;br /&gt;　火葬後、葬儀を行うのだ。&lt;br /&gt;　これまでは踏ん切りがつかずにいた遺族たちが、肉親の死を受け入れ、葬儀を依頼しているケースもある。&lt;br /&gt;　通常の葬儀とは違って通夜はなく、葬儀だけというパターンが多い。葬儀後、通常なら納骨となるわけだが、墓地が被災していれば納骨は不可能だ。そこで、遺骨は寺に預けられる。&lt;br /&gt;　昨日（９月１日）、石巻のある被災寺院の墓地で瓦礫撤去の作業を手伝った。その時見たのだが、骨箱を胸に抱いた喪服姿の人々が何組か、寺を訪れていた。&lt;br /&gt;　その寺院の本堂は１階の高さまで津波に襲われたが、躯体は残った。一方、墓地は絶望的な被害を受けた。&lt;br /&gt;　４月の情景は壮絶だった。近くの製紙工場から流出したパルプが水を含んでぐちゃぐちゃになり、汚泥と混ざり合って、地面やなぎ倒された墓石に堆積。その上に、材木や家財道具、自転車や生活用品が散乱し、仰向けの自動車や魚が転がっていた。&lt;br /&gt;　数多くの人々がボランティアでの作業を続けた結果、現在では見違えるようにきれいになった。だが、墓石は倒れたまま。いまだ納骨はできない。火葬を済ませた檀家たちは、寺に遺骨を預けている。&lt;br /&gt;　骨箱を寺に預けて寺から出てきた人たちは、安堵の表情だった。&lt;br /&gt;　被災地で、何度もこの表情を見てきた。「どんな形でもいいからせめて葬儀を出してあげたい」と語った人もいた。その人の家族は行方不明だった。&lt;br /&gt;　３月や４月は、棺や野位牌などの葬具も不足していた。棺を自作した葬儀社もあった。遺族のなかには着の身着のままの服で葬儀に参列した人もいた。&lt;br /&gt;　それでも、葬儀をやめようとか葬儀は不要など、誰も言い出さなかった。&lt;br /&gt;「そういう声を聞いたことがありません」。石巻葬儀社の太田かおり専務は語る。太田さんは、津波で父を亡くした。&lt;br /&gt;　父の葬儀はまだしていない。「地域の方々の葬儀が先です」。それが父の遺志と思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;消し飛んだ「葬儀不要論」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　震災前に「葬儀不要論」なる暴論がまかり通っていた。&lt;br /&gt;　だが、いまや被災地からそのような声は消し飛んだようだ。平時の戯言でしかないことを、震災が教えてくれた。&lt;br /&gt;　葬儀だけではない。墓や位牌、仏壇といったものを媒介にした先祖供養も同様だ。先祖供養などしても、生存は保障されない。しかし震災後、墓を見に行った人は多い。先述の太田さんも自転車と徒歩で墓の安否を確認しに行った。&lt;br /&gt;　３月17日、決死の地上放水が福島第１原発で開始された。この日、自主避難によってゴーストタウンのようになっていたいわき市内を取材していたのだが、ある寺院に立ち寄ると、地震によって多くの墓石が倒壊していた。そこに、何人かの人がやって来た。「墓が心配なので」という。&lt;br /&gt;　当時、放射能の恐怖は未知数だった。食料も水もガスもない状態で、それでも墓を心配する被災者がいた。「墓不要論」も、もはや存在しないようだ。&lt;br /&gt;　４月、石巻の別の寺院で、ある家族が寺を訪ねてきた場に居合わせた。「寺に預けた位牌が心配で見に来た」。そしてその無事が確認されると、彼らは安堵の表情を浮かべて避難先へ帰っていった。&lt;br /&gt;　死者への祈りが、生者の明日へのエネルギーになっている。そう、確信した。&lt;br /&gt;　同じような光景は、別の場所で何度も目にした。&lt;br /&gt;　「葬儀回帰」「供養回帰」の動きは、他の地域へも波及している。都内のある業者は、「震災後、葬儀に対する遺族の思いが以前と違う。葬儀をあげることへの真摯さを感じる」と語っていた。&lt;br /&gt;　葬送の現場に立ち会う者は、葬儀不要論などは「死ぬゆく自分」のことだけを考えた極論であると知っている。いや、葬儀不要論に踊らされた人々のいったい何人が、真剣に「死」を考えたのかも怪しい。&lt;br /&gt;　被災地での葬送に接し、死者と生者がどのように関わっているのか、その現場を見れば、納得する。葬儀や先祖供養は、決して死者のためだけに行われるわけではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（2011年秋・某誌に指定された文字数で書いたら、直前に大幅に削られて、今読み返してもおかしな記事になっていた。そこで、削られる前のものを掲載する）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-2179371944364425948?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2179371944364425948'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2179371944364425948'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2011/12/93.html' title='(墓93) 消し飛んだ「葬儀不要論」'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-832264815112858213</id><published>2011-04-09T11:34:00.002+09:00</published><updated>2011-04-09T11:44:41.938+09:00</updated><title type='text'>(墓92) 広島ペルー協会／ペルー慈恩寺で記念法要</title><content type='html'>&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-EMxG2XSIMKk/TZ_H_tVsrdI/AAAAAAAAAFA/EiIObGxP-b0/s1600/ps%2B020.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 220px;" src="http://4.bp.blogspot.com/-EMxG2XSIMKk/TZ_H_tVsrdI/AAAAAAAAAFA/EiIObGxP-b0/s320/ps%2B020.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5593409159533735378" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;日系校児童ら、先祖供養に感銘&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　民間の国際交流団体である広島ペルー協会（小林正典会長）では設立20周年を記念し、２月後半にペルーを訪問した。訪問団の参加者は11人だった。&lt;br /&gt;　19日（現地時間）には、南米最古の仏教寺院・泰平山慈恩寺（曹洞宗／リマ県カニエテ郡、無住）において、協会が施主となってペルー日系先没移民追悼法要が厳修された。導師は岩垣正道師（曹洞宗／岡山県真庭市毎来寺住職）、脇導師は清涼晃輝師（曹洞宗／同県津山市少林寺住職）が勤めた。&lt;br /&gt;　岩垣師は広島ペルー協会と縁があり、平成11年にも協会の訪問団とともにペルーを訪れ、慈恩寺で法要を営んでいる。&lt;br /&gt;　今回は、リマ市の瑞鳳寺（ペルー曹洞禅グループ）の僧侶らは不参加だったが、広島ペルー協会がチャーターしたバスにリマ市のペルー広島県人会（フェルナンド・カワグチ会長）、ペルー岡山クラブ（エレナ・ニシイ会長）の会員多数が乗り込み、随喜した。また、リマ市の日系校であるヒデヨ・ノグチ校（フアナ・ミヤシロ校長）の初等部、中等部（日本の中学、高校に相当）の児童生徒のほか教員、リマ市に在住する日本人有志はじめ、地元カニエテの日系人も参加。慰霊の心と温かい雰囲気に満ちた法要となった。&lt;br /&gt;　法要はヒデヨ・ノグチ校の児童生徒による内陣への献灯式から始まった。続いて導師・脇導師の入堂、追悼文、散華の後に般若心経の誦経があった。日本語が読めない参加者のためにローマ字の振り仮名がついた経文が配られた。参加者は、たどたどしい口調ながらも僧侶の読経に声を合わせた。&lt;br /&gt;　焼香ののち、岩垣師は「先駆者が築いた慈恩寺を皆さんは護ってきた。先駆者たちが残した『先祖を敬う』という種を皆さんが咲かせているのは素晴らしいこと。これからも、慈恩寺を護ってください」と法話を述べた。&lt;br /&gt;　各県人会の参加者からは「散華の意味は？」「なぜ焼香をするの？」などの質問が相次いだ。ヒデヨ・ノグチ校の生徒は、「日本人は、死後も子孫と交流するということを実感しました」と興味深そうだった。ミヤシロ校長によると、その後数日、慈恩寺法要の話題で子供たちは盛り上がっていたという。&lt;br /&gt;　法要に先立ち、同郡内のカサ・ブランカ日本人墓地およびサン・ヴィセンテ公営墓地内の日本人慰霊塔で岩垣師を導師とする法要が営まれた。南米の灼熱の日差しの下、先駆者を弔う経文が朗朗と読上げられ、参列者の焼香の列が続いた。&lt;br /&gt;　慈恩寺が位置するカニエテは、首都のリマ市から南へ約１５０キロの距離にある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;開山堂が完成&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　平成22年８月22日、本堂に隣接する事務所を改装し、開山および歴住を祀る開山堂が完成した。費用は曹洞宗宗務庁が負担した。&lt;br /&gt;　堂内には開山の上野泰庵師（在籍１９０７～１７帰国）、第二世・斎藤仙峰師（１９１７～１９遷化）、第三世・押尾道雄師（１９１９～２７帰国）、第四世・佐藤賢隆師（１９２６～３５遷化）、第五世・新開至賾師（１９５１～５３遷化）、第六世・清広亮光師（１９６１～９２遷化）の遺影および位牌のほか、第四世の佐藤師の後任として赴任するも、カニエテを去ってリマ市に宗門公認の中央寺を開いた中尾證道師（在任１９３５～４１帰国）の位牌も祀られている。遺影は、２００７年の慈恩寺創立１００周年に際し、慈恩寺有志の会が寄贈したものである。【報告＝太田宏人】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;写真説明&lt;br /&gt;法要後の記念撮影（慈恩寺本堂）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-832264815112858213?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/832264815112858213'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/832264815112858213'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2011/04/92.html' title='(墓92) 広島ペルー協会／ペルー慈恩寺で記念法要'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/-EMxG2XSIMKk/TZ_H_tVsrdI/AAAAAAAAAFA/EiIObGxP-b0/s72-c/ps%2B020.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-2211663924074546860</id><published>2011-04-09T09:43:00.006+09:00</published><updated>2011-04-09T09:51:28.240+09:00</updated><title type='text'>(墓91) 風評被害でｺﾞｰｽﾄﾀｳﾝ化　いわき市、弔いを必死で守った葬儀社社員</title><content type='html'>&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-1osvZwrBxpc/TZ-s8ZT_N9I/AAAAAAAAAE4/LKO3Xm9sHQE/s1600/%25E3%2581%2584%25E3%2582%258F%25E3%2581%258D%25E5%25B8%2582%25E5%2586%2585%2B%25286%2529.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 239px;" src="http://2.bp.blogspot.com/-1osvZwrBxpc/TZ-s8ZT_N9I/AAAAAAAAAE4/LKO3Xm9sHQE/s320/%25E3%2581%2584%25E3%2582%258F%25E3%2581%258D%25E5%25B8%2582%25E5%2586%2585%2B%25286%2529.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5593379415804295122" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-dTlnA8sI2wY/TZ-sl9fUT9I/AAAAAAAAAEw/y041hQDOTJ0/s1600/%25E8%2596%2584%25E7%25A3%25AF_%25E8%25B1%258A%25E9%2596%2593%2B%252817%2529.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://1.bp.blogspot.com/-dTlnA8sI2wY/TZ-sl9fUT9I/AAAAAAAAAEw/y041hQDOTJ0/s320/%25E8%2596%2584%25E7%25A3%25AF_%25E8%25B1%258A%25E9%2596%2593%2B%252817%2529.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5593379030378500050" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-Eg0JYw928m0/TZ-slrQC0mI/AAAAAAAAAEo/kR3D4l2wp-k/s1600/%25E8%2596%2584%25E7%25A3%25AF_%25E8%25B1%258A%25E9%2596%2593%2B%25282%2529.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 239px;" src="http://2.bp.blogspot.com/-Eg0JYw928m0/TZ-slrQC0mI/AAAAAAAAAEo/kR3D4l2wp-k/s320/%25E8%2596%2584%25E7%25A3%25AF_%25E8%25B1%258A%25E9%2596%2593%2B%25282%2529.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5593379025482601058" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-PX1GONV9kJI/TZ-slQ6_V3I/AAAAAAAAAEg/zD3MngbPmyk/s1600/%25E3%2581%2584%25E3%2582%258F%25E3%2581%258D%25E5%25B8%2582%25E5%2586%2585%2B%25289%2529.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 239px;" src="http://2.bp.blogspot.com/-PX1GONV9kJI/TZ-slQ6_V3I/AAAAAAAAAEg/zD3MngbPmyk/s320/%25E3%2581%2584%25E3%2582%258F%25E3%2581%258D%25E5%25B8%2582%25E5%2586%2585%2B%25289%2529.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5593379018414970738" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　17日、福島県いわき市を取材した。&lt;br /&gt;　薄磯・豊間地区がとくに甚大な津波被害を受けた。いわき市の市街地から両地区へ向かう道の応急処理は終わっていたが、ところどころに亀裂や陥没があった。大型トラックが道路の路面ごと陥没しているなど、地震の爪あとはいたるところで目にした。&lt;br /&gt;　記者は東京からガソリン持参で、原付バイクで向かった。ガソリンの購入が難しいことは分かっていたので、消費量の少ない方法を選んだ。&lt;br /&gt;　薄磯北街などの集落は壊滅していた。津波の破壊力は、海沿いの人々の生活と人生を根こそぎ潰してしまった。そのほかの集落も、建物や車が流され、道路の両側にも瓦礫が積み上げられていた。&lt;br /&gt;　同市の市民で現在までに分かっている死者は約１５０人。このほかにもまだ行方不明者が多数いる。しかし、遺体の収容作業は進まない。作業に当たる自衛隊や警察の人員不足が原因だ。ライフラインの復旧の目処が立たず、余震も続いて建物の倒壊の危険もある（市内の各所の地価にはかつての炭鉱の行動が無数に走っており、地盤がもろい）。宿泊施設はなく、放射能による風評によって食料とガソリン、日用品や医薬品などの供給が止まってしまった。これではボランティアは受け入れられない。いわきはまだ、復興期ではなかった。&lt;br /&gt;　市の中心部は完全にもぬけの殻である。沿岸部以外の中心部等では市民が地震後も住んでいた。ところが市内の一部が屋内退避対象地域に指定されたために風評が発生。物流業者がいわき市を嫌って、物資が来なくなった。店は軒並み閉店した。「東京電力が撤退した。自衛隊が冷却作業をやっている。これはもうだめなのではないか」という噂が市内を駆け巡った。&lt;br /&gt;　極端に食料とガソリンが不足し、病院や行政の機能も止まり、32万人の市民のうち、大半が脱出した。&lt;br /&gt;　ワゴンタクシーに布団や衣類などを詰めて市外へ逃げる家族がいた。「お金などいくらかかってもいいから、いわきから出たい。ガソリンがないので車は出せない」という。&lt;br /&gt;　人のいないガソリンスタンドの前には数キロの車列があった。「明日、ローリーが来ることを信じて待つ」という。来ないかもしれない。営業しているスタンドには、もっと長い順番待ちの車列があった。最後の人まで買える保障はなさそうであった。&lt;br /&gt;　沿岸部で発見された遺体を、市内３か所の遺体安置所へ運ぶのは警察の仕事だが、警察車両でさえガソリンが尽きていた。ある警察官は、「もう限界です。遺体を運べません」ともらした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;遺体をどうすることもできない&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　市内の大手葬儀社に勤務するＡ氏は、震災発生後からボランティアで遺体の発掘や運搬に全身全霊をかけてきた。だが風評被害で燃料がなくなった。社長の判断で、勤務は志願制になった。最後まで残った４人のうち、Ａ氏はリーダーだった。&lt;br /&gt;　この葬儀社では一時期、身元が分かった遺体を30数人預かっていた。火葬の順番待ちである。このほか、自宅に安置した故人が何人かいる。&lt;br /&gt;　しかしもう燃料がない。自衛隊も遺体の捜索を一時中止すると聞いた。警察も根を上げている。火葬場の稼動も止まるという。&lt;br /&gt;「放射能で避難命令が出たら、うちで預かっているご遺体をそのままにして逃げることはできません」。実際、いわき市の一部が屋内退避に指定されたときも、突然だった。市にも事前通告はなかった。&lt;br /&gt;　Ａ氏たちは、預かっている遺体をとにかく火葬にし、遺骨を遺族に渡すことだけを目標にしてきた。しかし、火葬の数が多すぎてなかなか順番は回ってこなかった。Ａ氏は毎日毎食、家族が炊き出してくれたおにぎりだけを食べてきた。&lt;br /&gt;　Ａ氏たちは18日、最後の７人の火葬を終えた。&lt;br /&gt;　この遺体のうち、二人は祖母と嫁だった。祖父と孫は、まだ行方不明だ。残りの二人を見つけ、火葬にしてあげたかった。それができないことで、Ａ氏は自分を責めていた。&lt;br /&gt;　水が充分にないので、遺体を洗うこともできなかった。ほとんどの遺体が損傷し、顔には泥や砂、血糊がついていた。それでもできるだけ綺麗にして納棺した。僧侶は逃げたか被災しているので、読経がない。非常事態なので葬儀は後日に厳修することになるとしても、「せめて読経だけは…」と、僧籍のあるＡ氏はすべての火葬で、経を唱えた。&lt;br /&gt;　Ａ氏は疲弊しきっていた。絶望感と後悔がこちらにも伝わった。&lt;br /&gt;　18日で、この葬儀社もすべての業務を終え、一時徹底する。「食料もなく、放射能が怖いからです。今残っている我々の家族は市内に住んでいます。子供たちを被爆させたくない。…人間ですから、自分もまだ死にたくないです。しかし、こんな中途半端にやめるのなら、はじめからやらなければよかった」と、Ａ氏は悲痛な声を上げた。&lt;br /&gt;　写真は断固拒否。「こんな私には、新聞に載る資格はないのです」。しかし、彼を非難できる人間などいるのだろうか。&lt;br /&gt;　自身も放射能の恐怖と戦いながら、制約された条件下で、必死に人々の弔いを守り続けた人間が、ここにいる。&lt;br /&gt;　後日、彼からメールが届いた。「私はいわきに残ります。この街が復興することを信じています」。&lt;br /&gt;【いわき市より報告：太田宏人】&lt;br /&gt;週刊「仏教タイムス」３月24日、31日合併号掲載&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;写真：薄磯地区の惨状／葬儀社には故人の名のない花輪が並んでいた／18日の火葬を待つ遺体（いずれもいわき市内で）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-2211663924074546860?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2211663924074546860'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2211663924074546860'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2011/04/91.html' title='(墓91) 風評被害でｺﾞｰｽﾄﾀｳﾝ化　いわき市、弔いを必死で守った葬儀社社員'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/-1osvZwrBxpc/TZ-s8ZT_N9I/AAAAAAAAAE4/LKO3Xm9sHQE/s72-c/%25E3%2581%2584%25E3%2582%258F%25E3%2581%258D%25E5%25B8%2582%25E5%2586%2585%2B%25286%2529.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7831605790609413048</id><published>2010-11-06T00:31:00.004+09:00</published><updated>2010-11-06T00:47:37.408+09:00</updated><title type='text'>(墓90) ワラ人形の話</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/TNQlmjPsQvI/AAAAAAAAAEM/2A8yoTTV9Kg/s1600/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%B0%8F~1.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 187px; height: 250px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/TNQlmjPsQvI/AAAAAAAAAEM/2A8yoTTV9Kg/s320/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%B0%8F~1.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5536091186171495154" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ワラ人形の話&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「ワラ人形」と聞いて思い起こされるのは、午前二時の丑三つ時。場所は神社の境内。白装束を着けた人が五寸釘を手に…、　という「呪いのワラ人形」ではないでしょうか？&lt;br /&gt;　でも、呪いだけがワラ人形の役割ではありません。&lt;br /&gt;　たとえば、この写真のワラ人形。これは、同じ家から同じ年のうちに二人の葬儀を出すことになった時、二人目の柩の中に一緒に納めるものです（この人形は葬儀社の社員のお手製。こういうものも作っているのですね、葬儀社では）。&lt;br /&gt;　地域によってはコケシを入れたり、ぬいぐるみで代用する場合もあります。&lt;br /&gt;　なぜこういう習慣があるのかというと、その背景には、同じ家から一年のうちに二人の葬儀を出すと、三人目も「呼ばれる」という民間信仰があるからです。ワラ人形は、三人目の身代わりなのです。&lt;br /&gt;　この風習は昔からあり、明治時代の日本人の生活を記録した小泉八雲ことラフカディオ・ハーンも「人形の墓」（『仏の畑の落穂』所収）という作品で同様の習俗を報告しています。&lt;br /&gt;　この作品は、三人目の死者を出さないために、人形を納める墓を作る…、という話になっています。&lt;br /&gt;　火葬が一般的でなかった時代の、貴重な記録といえると思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　民間信仰というのは、現在の私たちには忘れられてしまっていても、身近なところに残っているようです。たとえば、何気なく行っている葬儀も同様。私たちの民族が昔から受け継いできた素朴な信仰に基づいている部分が、葬儀という営みのなかに息づいています。&lt;br /&gt;By Hirohito OTA&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※某葬儀社の企業ブログに投稿したもの。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-7831605790609413048?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7831605790609413048'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7831605790609413048'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2010/11/90.html' title='(墓90) ワラ人形の話'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/TNQlmjPsQvI/AAAAAAAAAEM/2A8yoTTV9Kg/s72-c/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%B0%8F~1.JPG' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-5819554146422317029</id><published>2010-10-07T23:44:00.001+09:00</published><updated>2010-10-07T23:48:45.884+09:00</updated><title type='text'>(墓89) 大日本帝国　幻のコイン「陶貨」</title><content type='html'>大日本帝国　幻のコイン「陶貨」&lt;br /&gt;文・太田宏人&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　靖国の英霊には申し訳ないが、太平洋戦争は無謀だった。日本には資源もないのに、戦線を拡大し続けた軍上層部は阿呆だったとしか思えない。資源の不足は戦力の不足に直結した。長期の消耗戦で必要なのは精神力よりも物資だった。&lt;br /&gt;　戦争を続けるため、一般家庭からも金属が供用された。貨幣用のアルミもなくなり、代用資材の錫も消えた。昭和19年10月、造幣局では苦肉の策として「せともの」で貨幣を作ることにした。これが陶貨だ。&lt;br /&gt;　造幣局には陶器の技術はない。そこで製陶業の盛んな各地（瀬戸、有田、京都）に命じて、数千枚とも数千万枚とも言われる陶貨が生産された。額面は10銭、５銭、１銭の３種類。組成は粘土７割に石とアルミ等の金属を混入した。&lt;br /&gt;　こうして着々と準備が進められていた陶貨だが、流通に必要な枚数が完成する前に敗戦。陶貨は粉砕処分となった。ゆえに、「大日本帝国最後の幻のコイン」と称される。ただし、終戦時の混乱のなか何枚かが流出したため、現在も遺されているというわけだ。&lt;br /&gt;　現物の１銭陶貨は、京都の義歯メーカーである株式会社松風（しょうふう）の本社展示室で見ることができる（事前予約が必要）。松風は陶貨の製造工場のひとつであった。なぜ義歯の会社が陶貨を作っていたのかというと、昔、義歯は陶製だったためだ。&lt;br /&gt;　編集部がオークションで５０００円で落札したという１銭陶貨を見せてもらった。色は赤銅色で、直径はリップクリームのフタ程度。意外に小さい。厚さは一円玉を２枚重ねたくらいである。&lt;br /&gt;　表面には雲のたなびく富士山と「壹」の文字。ネットなどでは、「材質の関係で複雑な図柄は避けられた」と書かれているが、「壹」の文字は小さく、しかも非常に精巧。技術の高さに驚く。裏面は桜の花に「大日本」の文字。床に落とすと陶器の乾いた音のなかに、なんとなく金属的な音も混じっていた。&lt;br /&gt;　陶貨を指先に載せてみる。陶貨は軽いが、そこに凝縮された歴史は、重かった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;(ミリオン出版の雑誌に2010年2月くらいに書いた)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-5819554146422317029?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5819554146422317029'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5819554146422317029'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2010/10/89.html' title='(墓89) 大日本帝国　幻のコイン「陶貨」'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7541432691871099682</id><published>2010-04-19T17:26:00.007+09:00</published><updated>2010-04-20T01:04:04.387+09:00</updated><title type='text'>(墓88)尊敬される「皇室らしさ」は消えていくのか？</title><content type='html'>------------------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;尊敬される「皇室らしさ」は消えていくのか？&lt;br /&gt;───南米日系人社会から考える愛子内親王「いじめ」報道&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;------------------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;消滅した学習院のコーポレート・アイデンティティ&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　愛子内親王殿下の「登校拒否報道」や眞子内親王殿下のICU（国際キリスト教大学）入学などについて考えてみたい。&lt;br /&gt;　この問題では、葦津泰國氏がメルマガ「斎藤吉久の『誤解だらけの天皇・皇室』」vol.122（３月１５日号）に「日本の皇室が『私なき』存在であるという日本人の伝統的な信頼感が大きく傷つけられることになった」と書いている。&lt;br /&gt;http://www.melma.com/backnumber_170937_4792107/&lt;br /&gt;　同感だ。&lt;br /&gt;　登校拒否報道の問題点は端的に言って、（１）皇室の信頼感へのダメージ、（２）学習院側の対応への不信感、（３）皇室による子弟教育そのものへの懐疑――である。これらの負のイメージが、国民の間に惹起（じゃっき）してしまった。&lt;br /&gt;　戦後、学習院は皇族子弟の教育機関ではなくなったことは、同メールマガジンvol.133にも詳しい。&lt;br /&gt;http://www.melma.com/backnumber_170937_4820450/&lt;br /&gt;　しかしながら、法的根拠が消滅したとはいえ、皇族、そして国民の側にも「学習院」という固有名詞に内包される「格別な何か」はあったはずである。昨今のビジネス用語でいえば、CI（コーポレート・アイデンティティ）というものだ。しかし、事態は変わった。学習院のCIは消滅したようだ。&lt;br /&gt;　かたや、少子化を受けて今やどの教育機関も存続の危機に瀕しているといっても過言ではない。旧帝大や早慶などの有名校には、確かに子供は集まるけれども、その子供たちの質といえば、これらの大学の学生が引き起こした各種の事件報道（強姦、麻薬使用、麻薬栽培など枚挙にいとまがない）や、彼らの実態をあげつらうまでもなく、情けない限りである。&lt;br /&gt;　それはともかく、まさに憚りなく言えば、学習院もこのような在野の教育機関に成り下がったわけだ。皇族方の意識が学習院から離れ、皇位継承第２位にある悠仁（ひさひと）親王殿下の姉君であり、国民からの崇敬も高いと聞く眞子（まこ）内親王殿下までが、日本の国家像とは根本的に相容れないキリスト教を教育の柱とするICUに進まれる。まさに、学習院の失墜である。学習院は、法人としてのイメージ戦略に失敗したか、戦後も続いた「学習院は特別だから」という学外・学内の意識に安住して、何もしなかったかのどちらかではないか。&lt;br /&gt;　一方、学校の「ブランド力」によって学生は集まるものの、学生の質の低下に悩む各校では、他校との差別化を図るためにも、今後は「皇族獲得」に躍起になり、ひとたびご入学を果たされれば、厚遇で迎えるだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;皇室不要論を助長させかねない&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　皇室の祭祀は神道であり、天皇陛下はじめ皇族方が親しく祭りを執り行うことこそ、皇室祭祀の真髄なのである。ところが、将来、天皇陛下になる可能性の高い悠仁様の姉君がキリスト教を建学の精神とするICUに御入学するという。この事態には、「国家の危機」という危険性さえはらんでいるといっても、過言ではあるまい（私はキリスト教を否定しているつもりはない。私は神職を養成する大学の出身者だが、妻も娘二人もカトリックである。結婚式も正式な手続きを踏んで、当時住んでいたペルーのカトリック教会で挙げた。ここで指摘しているのは、眞子様のICU御入学である）。&lt;br /&gt;　とはいえ、ヨーロッパへの留学の多い皇族方にとって、キリスト教文化・英語への意識的な垣根は、それほど高くないのかもしれない。仄聞するところによると、一部の皇族方は欧州御留学中に羽目を外しすぎたそうだ。&lt;br /&gt;　学習院の失墜は学習院の失策だろうが、皇室にとっては必ずしも最上とは言えそうにない他の教育機関を選ばれたり、某カルト教団の影響やらがあるとか、留学中の恥ずかしい御振る舞いがある等という報道に接すると、どうも、いまの皇室もしくはその周辺には「私」というか、妙な個人主義が跋扈しているのではないかと危惧してしまうのは、私だけだろうか。&lt;br /&gt;　しかしこれでは、醜聞まみれの各国王族と何ら変わりがない。日本の皇族方も、そのような方向性へ進むことは決定的なのであろうか。&lt;br /&gt;　反権力に酩酊（めいてい）し、対案もなく、国家の方向性を議論することもせず、いたずらに権威に反抗することが良いことであるかのように（まるで子供のように）浅慮する、多くの「言論人・知識人」が盛んに喧伝するように、「皇室などいらない」というプロパガンダを助長させるだけである。&lt;br /&gt;　学習院の失墜に見え隠れする問題は、ひとり学習院の危機ではない。古来、皇室を戴いてきた「日本」のありようを左右しかねないほど深刻な問題であると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;海外で皇室に敬意を抱くのは日系人だけではない&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　天皇・皇室の存在を否定したがる日本の「言論人・知識人」に見て欲しいのは、外国、とくに南米で皇族方が受ける憧憬、尊敬の眼差しである。彼ら「言論人・知識人」は、日本の歴史と伝統を体現する皇族方が熱烈に歓迎を受けるその現場においても、「皇室はいらない」などと叫ぶ自信はあるのだろうか？&lt;br /&gt;　ここで南米を例に挙げるのは、私の体験に基づく。ほかの欧米文化圏でも、一部の者が皇族方の歴訪に際して抗議運動を起こしたこともあるようだが、それは、まさに、皇族が日本の象徴、いや、日本の代表であると認めたうえでの蛮行であろう。皇室制度を批判したものではない。&lt;br /&gt;　南米にはブラジルやペルーをはじめ、各国で日系移民が奮闘した歴史がある。そして、移住国での日系人の評価は高い。&lt;br /&gt;　日本に住む日本人は、日系人を自分たちの同胞とは見なさない傾向があるようだが、しかし国外においては、日系人への評価は日本人の評価へと直結する。北米でも同じことがいえるのだが、日系人を日本人と明確に区別する意識は、一般的ではないのだ。&lt;br /&gt;　戦後、日本製品が海外で受け入れられたのは、無論、製品それ自体の品質の良さもあるだろうが、各国の日系人への高い信頼を抜きには語れない。また、とくに南北アメリカ大陸では日本製品の販路拡大に日系人がどれだけ貢献したかを、日本の日本人はもっと知るべきだろう。&lt;br /&gt;　近年、南米の各移住先では、日系移民の記念祭が相次いでいる。ペルーおよびペルーからの転住があったボリビアでは平成１１（１９９９）年、ブラジルでは平成２０（２００８）年にそれぞれ日本人移住１００周年を祝った。&lt;br /&gt;　ペルーでの１００周年の際には、筆者は「ペルー新報」の記者として同国で生活していた。そのとき、ペルーを御訪問された紀宮清子内親王殿下（当時）を迎える日系人はいうに及ばず、ペルー国民の畏敬の念と熱狂を目の当たりにした。&lt;br /&gt;　１００周年式典では、フジモリ大統領（当時）やファースト・レディーである娘のケイコさんらといっしょに、会場となったラ・ウニオン運動場（日系人が作った同国１、２を争う運動場）のグランドを一周された。&lt;br /&gt;　筆者は、記者席ではなく、あえて一般席で取材をしていた。その方が、一般の人々の息吹が感じられるからである。&lt;br /&gt;　フジモリ氏らにとっては失礼だが、紀宮様の放つ神々しさや清浄としか表現しようのないオーラのようなものは、まさに「別次元」であった。いつもは、権威に屈しないことを信条とするペルーのマスコミも、このときばかりは非常に好意的な報道をしていた記憶がある。&lt;br /&gt;　伝え聞いたところによると、紀宮様は両国へのご出発前に、両国のこと、移民のことをかなり真剣に学んでいたという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;「日本のプリンシペ（王子）は心がきれいだ！」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ブラジルの１００周年の際には、皇太子殿下が御訪問された。&lt;br /&gt;　私は、記念式典が行われたパラナ州のホーランジャ市に、その直後、（別件の）取材で訪れている。どこへ行っても、記念式典と皇太子殿下を熱く語るブラジル国民に接することしきりであった。&lt;br /&gt;　ある写真館に寄ったときのことである。店主は日系人ではなかったが、開口一番、「日本のプリンシペ（王子）は凄い！」と語る。&lt;br /&gt;　何が凄いのかという点を、話好きなブラジル人らしく、彼が熱く語ったところによると、記念式典でスピーチした州統領は、予定時間を過ぎても長々としゃべっていた。しかも、どうも自己宣伝が臭う話しぶりであったのに対して、プリンシペは簡潔に、移住者を受け入れたブラジルに感謝し、両国の友好を願い、移住者をねぎらうだけであった、という。&lt;br /&gt;　これに、ブラジル人は感動したというのだ。「清々しい（心がきれいだ）」。&lt;br /&gt;　投票で選ばれる政治家は、大なり小なり自己を宣伝しなくてはいけない。だが、皇族方にはそれはない。まさに、皇太子殿下の「無私」の精神が、ブラジル国民に感動を与え、日系人を感涙させたのだろう。&lt;br /&gt;　付け加えるなら、皇族方が体現する「歴史の重み」というものは、世界にも例がないものである。それだけで、畏怖の対象になるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;慰霊塔に刻まれた「日本臣民ここに眠る」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　再度、憚（はばか）りながら申し上げるが、紀宮様と皇太子殿下の御訪問に際して、日本政府から関係国に対しての経済援助などがあったわけではない。美辞麗句もなく、バラマキＯＤＡもなく、日本を象徴する皇族方が、その存在のみで、かくも盛大な尊敬の念を抱かれたのである。このことを我々は深く考えねばならない。&lt;br /&gt;　日本が大国として世界に貢献できるとしたら、それは経済面だけではない。礼節や相互宥和（ゆうわ）、多宗教を認め合うといった「人間が人間であるために必要な部分」を示す、文化大国としての役割だ。これを体現しているのが、皇室外交なのかもしれない。&lt;br /&gt;　「天皇に私なし」といわれるが、近年の日本では「滅私」はとかく評判が悪い。しかし、この美徳は海外にも通じるものだ。無論、南北米州大陸においては、日系人が血で築いた信頼がベースにあるからこそなのだが、いまだに南米各国では（ほかの国でもそうかもしれないが）、天皇陛下が国を統治していると思われている。&lt;br /&gt;　たとえば、ペルー北部のランバイェケ県トゥマン日本人慰霊塔を探訪したときに驚いたのだが、「日本臣民ここに眠る」とスペイン語で書かれていたのだ。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/S8wXQi-U_bI/AAAAAAAAAD8/TZntDrOohEY/s1600/File0006.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 220px; height: 320px;" src="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/S8wXQi-U_bI/AAAAAAAAAD8/TZntDrOohEY/s320/File0006.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5461766021127142834" /&gt;&lt;/a&gt;　草も生えない荒涼とした砂丘のうえに、ひとり立つその十字架状の慰霊塔の台座に刻まれた「SUBDITOS（臣民たち）」というスペイン語を見たとき、自己を強烈に再認識した。いつか機会があれば、これからの世代の皇族方にも見ていただきたい慰霊塔である。&lt;br /&gt;　愛子内親王殿下の「登校拒否」問題など、最近の皇室に関する「ニュース」は、諸外国でもかなりの頻度で報道されていると聞く。しかし、その「ニュース」の文脈に現れるのは、個人主義的な「思い」ばかりである。個人主義的な私心の示すベクトルは、南米で皇族方が受けた尊敬の念とは真逆を指している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;太田宏人（おおた・ひろひと）&lt;/strong&gt;　昭和４５（１９７０）年生まれ。國學院大學Ⅱ部文学部神道学科卒。ペルーの日系紙「ペルー新報」元日本語編集長などを経て、現在はフリー。隔月刊誌「SOGI」などに寄稿中。著書・編著書に『１１０年のアルバム:日本人ペルー移住１１０周年記念誌』（現代史料出版）、『知られざる日本人:世界を舞台に活躍した日本人列伝、南北アメリカ大陸編』（オークラ出版）など。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※上記記事は&lt;br /&gt;メルマガ　斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」&lt;br /&gt;http://www.melma.com/backnumber_170937/&lt;br /&gt;Vol.134の掲載原稿に一部加筆したものです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-7541432691871099682?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7541432691871099682'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7541432691871099682'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2010/04/88.html' title='(墓88)尊敬される「皇室らしさ」は消えていくのか？'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/S8wXQi-U_bI/AAAAAAAAAD8/TZntDrOohEY/s72-c/File0006.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-3006834373861361959</id><published>2010-03-08T13:57:00.000+09:00</published><updated>2010-03-08T13:58:39.381+09:00</updated><title type='text'>(墓87)海外布教史の再構築に一言</title><content type='html'>【曹洞宗】海外布教史の再構築に一言&lt;br /&gt;太田宏人&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　一〇月二七・二八の両日、曹洞宗檀信徒会館で同宗総合研究センターの第一一回学術大会があった。その二日目、同センター講師の小笠原隆元氏（長野県廣澤寺住職）が「曹洞宗国際伝道史の再構築」という題目で発表を行った。&lt;br /&gt;　発表の要旨は、同宗宗務庁が昭和五五年に発行するも、その一〇年後の平成四年に同庁による回収図書（いわゆる発禁本）の指定を受けた『曹洞宗海外開教傳道史』についての概略、発禁本指定の経緯、その再構築に関する提案であった。&lt;br /&gt;　自身も同書の編纂委員の一人であった小笠原氏は、発禁本となった理由について「一五ページから一二三ページ等に今日の人権意識に照らして、その意識の欠如、差別的な文言や表現があった」と説明した。小笠原氏は反人権・差別への一定の理解を示したうえで、「海外布教師（現・国際布教師）の長年の苦労が時代の流れによって消え行くのは残念至極」と述懐した。&lt;br /&gt;　同書の発行後、各国に曹洞禅を標榜する禅グループが多数誕生していることにも触れ、これらの新情報を加味しつつ、同書に再考・再検討したうえで「宗門海外布教史の再構築を」と気勢を上げた。&lt;br /&gt;　参加した宗務庁関係者は「学術的な内容ではない。宗門全体の総意でも何でもない、単なる個人的な意見表明だ」と一蹴していた。その是非はともかく、小笠原氏の主張そのものは正鵠を射ている。同宗の海外布教史を網羅的に記した書物は、同書が回収されている現状では皆無である。&lt;br /&gt;　たしかに同書は貴重である。とくに戦前の海外布教に殉じた先人たちの血涙のにじむ記録が刻印されているばかりか、当時の各布教地からの報告書（現在では所在不明なものが多い）等も採録されていて、史料としての価値が高い。&lt;br /&gt;　しかし、『曹洞宗海外開教傳道史』の再構築は慎重に行わなければならない。先述の人権を侵害する文言や差別記述をはじめ、南米最古の仏教寺院を開創した同宗の上野泰庵を他宗の僧と断言してしまっているなど、致命的な間違いが散見されるのも事実だからだ。また、自宗への愛着ゆえの結果か、他宗の開教事情との関連性への配慮に欠如した記述も見られる。海外布教史を再構築するならば、これらの問題点を再検証するとともに、戦前の大政翼賛体制へ組み込まれた宗門の動向を真摯にトレースする必要もあろう。&lt;br /&gt;　とはいえ、当時の布教師たちが夢に見、身命を賭して行った海外布教の歴史を記した唯一の書を、いくつかの難点があったというだけで発禁本に指定し、そのままお蔵入りという処分は先人に対して礼を失するものであろう。さらに言えば、歴史に学ぶという姿勢の放棄ともいえる。記述上の問題点は再校訂を加えればよいのだ。それとも、曹洞宗は戦前の海外布教そのものをなかったものにしたいのであろうか。&lt;br /&gt;　仮に一部の国や地域に対して宗門が加害者の立場にあったとしても、すべての国際布教がそうであったわけではないこともまた事実である。&lt;br /&gt;　欧州や南米に曹洞禅がさらなる浸透を見せる今、同書の問題をいかに超克するかということは、同宗の今後の国際布教の方向性にもかかわってくる重要事項と思われる。&lt;br /&gt;（「仏教タイムス」2009年11月12日号掲載）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-3006834373861361959?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3006834373861361959'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3006834373861361959'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2010/03/87.html' title='(墓87)海外布教史の再構築に一言'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-8201980403118448344</id><published>2009-11-18T06:19:00.001+09:00</published><updated>2009-11-18T06:21:02.746+09:00</updated><title type='text'>(墓86)政権交代と我々のコミュニティーについて</title><content type='html'>&lt;strong&gt;●与党・民主党は外国人の味方なのか●&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;2009年８月の衆議院議員選挙の結果、民主党の鳩山由紀夫代表を首相とする現政権が発足した。政府が変わり、日本も大きく変わろうとしている（民主党は日本を変えることを選挙公約にしていた）。「中道左派」もしくは社会主義的とも称される民主党の政策を歓迎する人たちも多いが、否定する日本人も多い。民主党を嫌う人たちによると、民主党は「愛国心が薄い」「伝統的な価値観を軽視する」という。とくに、民主党の外国人参政権への容認姿勢は議論を呼んでいる。ただし、民主党の想定する「在日外国人」は、在日韓国・朝鮮人が主体である。とはいえ、与党・民主党の外国人政策は否応なく我々をも巻き込み、滞日外国人への日本人の視線は、今後も鋭敏化するだろう。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●我々は「かわいそう」なのか●&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;20年前、いや10年前を思い出してほしい。日本に住む外国人労働者とその家族に対する日本社会からの視線を。外国人を取り巻く様々な社会的な問題を。たとえば子供の教育問題を。これらの問題の解決のために関ってくれた日本人やＮＰＯが少なかったことを。しかし今では、行政が主導し、これらの問題の解決にあたるということは決して珍しくはない。先日、ある県のある市が主催した「デカセギ児童の就学率を上げるためのセミナー」に出席したが、参加者（教員、役人、教育委員、大学の研究者）らの熱意と好意に満ちた議論に驚き、感謝の気持ちを持った。しかし同時に、強い違和感を抱いてしまった。なぜならパネラーの多くが、「デカセギの子供たちはかわいそうだ」「日本のデカセぎは、他の国での移民と比べると悲惨な状況にある」と発言していたからだ。たしかに、異文化の中での生活は大変だし、タフさも要求される。ときにはいわれのない差別を受けることもあるのだが、我々は「かわいそう」な存在なのか。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●生活保護はすべての納税者の当然の権利●&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;昨今の不況で職を失い、失業保険手当をもらったり、生活保護手当を受けている外国人もいるだろう。だが、私はあえて、外国人自身が必要以上に「かわいそうな外国人」を強調することに疑問を呈したい。日本人の多くが外国人を受け入れ、友愛に満ちた隣人となってくれるわけではないのだ。むろん、失業保険にしろ生活保護にしろ、そのための財源（税金）を日本人と等しく負担していれば、これらの社会保障の恩恵に浴する権利は外国人にもある。憲法も、外国人の基本的な人権を認める。しかし今、多くの日本人が「外国人には生活保護を受ける権利はない」と叫んでいるのだ。言うまでもなく、我々に関して言えば、彼らの主張は間違っているのだが。ただし、この国でもっとも多い外国人である在日韓国・朝鮮人に関しては別の論点から考える必要がある。彼らは歴史的にも特殊な事情を抱えているため、数々の特権が認められてきた。たとえば、たとえ金持ちであっても不当に住民税が減額されていたことが知られている。故意に働かずに生活保護を受ける者もいる。一方、我々には彼らのような特権などないし、まじめに働いている。しかし、外国人を嫌う日本人にとっては「外国人は皆一緒」らしい。このような状況で、我々自らが殊更に「私たちはかわいそうです。ご支援ください」と強調すれば、さらに多くの日本人に間違った観念を植え付けることになるのではないだろうか。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●我々は日本に貢献する存在である●&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;ダイバーシティ（多様性）の重要性が注目されている。生物（自然）の多様性だけではなく、エスニシティの多様性や、職場内の就労者の多様性（年令、性別、人生経験）を大事にしよう、という考え方だ。ダイバーシティと深く関係するのが、サステナビリティ（持続可能性）。環境や人間生活、雇用などを論じる際にサステナビリティは欠かせない用語である。そして、サステナビリティの要【かなめ】はダイバーシティである。当然、日本という国、社会の持続可能性を考える際にも、多様性は重要なポイントといえる。そして、我々のコミュニティーの持つ「タフさ」「柔軟さ」「国際感覚」「移住経験」は日本に多様性をもたらすことを強調したい。労働力の寄与は言うまでもないが、我々が日本に住むことは、日本にとってのメリットなのだ。「かわいそうな外国人」という主張をやめろとまでは言わないが、我々の存在価値が政治の世界に伝われば、我々に対する政府の政策も変わってくるだろう。これまで与党だった自民党の戦略は、橋や道路、ダムを造る代わりに「自民党に票をください」というものだった。だからこそ、選挙権のない外国人には何もしてくれなかったわけだ。だが現与党である民主党は、自民党の政治スタイルから脱却し、「国家のために」という観点から政策を決めるという。ならば、我々の声も政府へ届くはずだ。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●先人の教訓に学ぼう●&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;ここで思い出すべきことは、我々には先人が残した教訓があるということだ。そのうちの一つが、日本人移民と政治との接近である。100年以上前にペルーに渡った日本人たちにも選挙権などはなかったが、ペルー政府の要人との関係を深め、日本人のペルー社会での地位向上に努力している。ラテン・コミュニティーが日本で誕生してから20年。もはや一時的な出稼ぎ労働者ではなく、我々はこの国で生活を続ける定住者である。そろそろ我々の声を政治の中央へ届ける時期ではないか。&lt;br /&gt;Convenio Kyodai 2009年10月会報掲載&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-8201980403118448344?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8201980403118448344'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8201980403118448344'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2009/11/86.html' title='(墓86)政権交代と我々のコミュニティーについて'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-813618558735677347</id><published>2009-09-01T11:23:00.002+09:00</published><updated>2009-09-01T11:42:57.388+09:00</updated><title type='text'>(墓85)樋口一葉という深い森</title><content type='html'>あとがきにかえて&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　樋口一葉をちゃんと読んだことはなかった。&lt;br /&gt;　雅俗折衷、文語と口語、古語と（一葉が存命中の）現代語が混在し、王朝文学ばりの流麗さと自然主義の硬質な叙情が織りなす文体は一種独特でとっつきにくい。大きな辞書に載っていない言葉も少なくないうえ、明治時代の風俗風習、ローカルな地名も山盛り。会話には「」が使われないから、いま誰が喋っているのか心の中の独白なのか、一葉さん個人のコメントなのかも不明だ（彼女は時々、登場人物の台詞にツッコミを入れる）。一葉の表現を借りるなら《ことばうやむやしりめつれつ》詞有哉無哉支離滅裂｜である。&lt;br /&gt;　だからこそ、現代語訳が刊行されているのだろう。しかし、原文の芳醇な香りは薄らぎ、異質なものに変貌する危険はないだろうか。やはり、原文で味わいたいものだ。&lt;br /&gt;　しかし、原文をすらすら読むことは学者でもない我々には難しい。そこで本書では脚注をつけたほか、句読点や注釈記号の配置を工夫し、会話部分を読みやすくした。歴史的仮名遣い（旧仮名）については音便変化を採用。「ょ」「っ」等を小書きにしている。つまり、「読みやすい原文」に再編集したわけだ。いまだ試行錯誤な部分もあるが、樋口一葉という豊かな森――有名ではあるが、いつの間にか人跡まれになっていた――を散策するには、こういう道の辿り方があってもいい。&lt;br /&gt;……◎……◎……&lt;br /&gt;　樋口一葉は今から百年以上も前の明治二九年、数え年二十五歳という若さで死んだ。肺結核だった。今で言ったら、女子大生が卒業するとかしないとか、そんな年齢だ。時代背景が違うにしろ、早すぎる。&lt;br /&gt;　本書には、森鴎外らの絶賛を浴びた代表作「たけくらべ」はじめ、いわゆる一葉晩年の「奇跡の十四か月」の作品群を中心に、十一編の小説を収めた。ただし、多くの物語がハッピーエンドを迎えない。ここに、一葉の抱える闇もしくは、大人の女の情念を感じた。&lt;br /&gt;　子どものころに読んだことがある人もこれが初めてという人も、彼女の情念の森に、いまだからこそ迷い込んでみてはどうか。この森の深部には、大人にしかたどり着けない秘密の場所が、あるのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（編集担当・太田宏人）&lt;br /&gt;『原文で一度は読みたい樋口一葉』 (OAK MOOK 212)オークラ出版 (2008/5/23)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-813618558735677347?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/813618558735677347'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/813618558735677347'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2009/09/85.html' title='(墓85)樋口一葉という深い森'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7817182738850336360</id><published>2009-09-01T11:15:00.001+09:00</published><updated>2009-09-01T11:16:35.507+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ペルー　日系ペルー人'/><title type='text'>(墓84)互恵という精神の素晴らしさ～日系ペルー人の場合～</title><content type='html'>&lt;strong&gt;互恵という精神の素晴らしさ～日系ペルー人の場合～&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;太田宏人（ライター）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　わたしは以前、ペルーで暮らしていました。&lt;br /&gt;　当時は、現地の日系社会の日刊紙（日本語とスペイン語のバイリンガル新聞）で記者をしていたのですが、日系社会には、日本に住む日本人がすでに失ったり、失いつつある、さまざまな習慣や言葉、心根、精神が、いまも息づいていることを知りました。&lt;br /&gt;　もっとも、ペルーを含めた南米、ハワイや北米、中米への日本人の移住は、１００年以上の歴史を有しますし、各国ではすでに日系５世や６世が誕生しているので、戦後の移住者を除けば、日本語を話す人々は少なくなっています。しかし、彼らが話す言葉が英語やスペイン語、ポルトガル語といった現地のものに変化しても、彼らの習慣や行動の「本質的なところ」は、やはり日本人的なものなのかもしれません。&lt;br /&gt;　たとえば、ペルーの日系社会において現在も普通に行われている「ソブレ」という習慣。&lt;br /&gt;　ソブレというのは、スペイン語で「封筒」という意味です。&lt;br /&gt;　日本人やその子孫たちは昔から、同朋（どうほう）の結婚式や葬儀に際して、参列者が金一封を出し、経済的な面で支えあってきました。いってみれば、日本の祝儀袋や香典袋です。しかし、日本製のこうした慶弔封筒が手に入りにくいペルーでは、市販の封筒（ソブレ）に現金を入れて、新郎新婦や喪主（喪家）に渡したのです。そうしていつしか慶弔封筒はソブレと呼ばれ、この行為そのものもソブレと呼ばれるようになり、今日に至ったのです。&lt;br /&gt;　ソブレなどという代物（しろもの）は、（日系ではない）ペルー人にとって、非常に奇異なもののようです。彼らの冠婚葬祭では絶対に登場しません。だいいち、日系人の冠婚葬祭に出席する（日系ではない）ペルー人は、ソブレを出すことを嫌がります。&lt;br /&gt;「なんでお金など出さなければならないのだ？」&lt;br /&gt;　という思いを抱くそうです。ペルーの人々に「支えあう気持ち」がないわけではないでしょうが、そういう気持ちが、金銭的なことに結びつかないのかもしれません。&lt;br /&gt;　つまり、ソブレという行為の背景にある互恵（ごけい）の精神、もしくは互助の精神は、日系人特有なのでしょう。実際、ソブレの恩恵があれば、どんなに貧しい家庭でも葬儀を出すことができるのです。これは非常に重要なことでした。海外に暮らす日本人は、日本に住む日本人以上に、葬儀を大切にしてきました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;■見返りを求めない互恵の心■&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　現在のソブレの額は、日本円にして数千円から１万円程度ですが、日本との経済格差を考えると、日本で言われているような香典の「相場」よりは若干、高額であると思います。しかし、日本の「香典」ともっとも異なるのは、香典返しのようなものがない、という点です。&lt;br /&gt;　結婚式の「お返し」は、多少手の込んだものが最近は見受けられますが、葬儀に際しては、故人の小さな写真をはめ込んだり、生没年月日や氏名を書き込んだ小さな置物や、参列への謝辞を書いたカードを会葬者に配ることが多いようです。しかし、これらは、さほど高額なものではありません。&lt;br /&gt;　ということは、ソブレは「もらいっぱなし」「あげっぱなし」になる可能性があるのです。それでも、同朋（この言葉は、１世たちが好んで使いました）のためなら、ソブレを出すのです。見返りを求めない、素晴らしい互恵の精神だと思います。&lt;br /&gt;　ソブレという相互扶助のシステムが今でも生きているのは、やはり、日系人が葬儀を大切にしているからだと思います。相互扶助は、金額だけの問題ではありません。ソブレは、連帯意識を形に表したものでもあります。「亡くなられた人を、みなで弔う」という気持ちを、ソブレという行為に託しているのだと思います。&lt;br /&gt;　香典とは本来、見返りなど求めない互恵の精神に基づく行為なのかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;おおた・ひろひと／「ペルー新報」元編集長。現在、雑誌「SOGI」等に執筆中&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（2009年、埼玉県内の某葬儀社の会報に掲載）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-7817182738850336360?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7817182738850336360'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7817182738850336360'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2009/09/84.html' title='(墓84)互恵という精神の素晴らしさ～日系ペルー人の場合～'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-3184146441260649301</id><published>2008-12-03T08:56:00.000+09:00</published><updated>2008-12-03T08:58:38.790+09:00</updated><title type='text'>(墓83)「涼恵コンサートin Brasil」大成功</title><content type='html'>　新渡戸稲造の後裔で、シンガーソングライター・涼恵さん（神戸市／小野八幡神社権禰宜）の里帰りコンサートがこのほど、ブラジルで行われた。&lt;br /&gt;　涼恵さんはサンパウロで生まれ、2歳まで同地で育った。「里帰り」は10年ぶり。今回は、今年が日本人ブラジル移住100周年にあたるため、それを記念したコンサート・ツアーとなった。&lt;br /&gt;　11月5日のブラジル日本文化福祉協会・記念講堂（サンパウロ市東洋人街）のコンサートは、日本学生海外移住連盟の発足50周年を記念した日本映画の上映会とセットで行われた。300人を超える聴衆は、涼恵さんの独特の歌唱力と雰囲気に息を呑んで耳を傾けていた。涼恵さんは「生まれた地で、初めて行うコンサートに感無量です」と感激しきりだった。&lt;br /&gt;　曲目は、「この道」「涙そうそう」「故郷」のほか、「さくら道」「豊葦原の瑞穂の国」「水の惑星」のオリジナル曲。&lt;br /&gt;　その後涼恵さんは、マナウス等でのコンサートを二回行い、各地の日系人に盛大な歓迎を受けたもよう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;写真は、ブラジル日本文化福祉協会・記念講堂で熱唱する涼恵さん&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以下は、当地の日本語新聞の記事&lt;br /&gt;http://www.spshimbun.com.br/content.cfm?DO_N_ID=26277&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-3184146441260649301?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3184146441260649301'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3184146441260649301'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2008/12/83in-brasil.html' title='(墓83)「涼恵コンサートin Brasil」大成功'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-2602484924842498350</id><published>2008-10-08T00:40:00.014+09:00</published><updated>2008-10-08T00:54:02.709+09:00</updated><title type='text'>(墓82)大分「置地蔵事件」／鉄道で地蔵を粉砕</title><content type='html'>&lt;strong&gt;大分で「置石」ならぬ「置地蔵」事件が勃発&lt;br /&gt;自殺供養の石地蔵を線路で粉砕&lt;br /&gt;徹底的な現場検証で浮かび上がった犯人像&lt;br /&gt;警察も知らない目撃情報をキャッチ&lt;br /&gt;取材・写真・文／太田宏人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　2006年。大分市内の某神社で、境内で暮らしていた多数の野良猫がボーガンか何かで惨殺される事件が起きた。地元の人々は、「若いものの犯行」「若い奴等は」などとウサワをしていたそうだが、この惨劇は、なにか、その後の事件のエピローグを飾るようでもあった。&lt;br /&gt;　そして今年（2007年）の７月25日。多くの人が顔をしかめるものの、新聞の第一面を飾るほどでもなく、被害者がいるわけではないが強いて言えば「死者」が被害者になるという、すこし奇妙な事件が、大分市の郊外で発生した。&lt;br /&gt;　事件発生は午前６時12分ごろ。大分市元町のJR九大線・古国府（ふるごう）トンネル入り口で、この日の一番列車である大分発日田行き上り普通列車（２両編成）が、大きな石のようなものに衝突し、緊急停車した。&lt;br /&gt;　乗員乗客にけがはなかったが、車輌前部が破損した。運転士が調べたところ、現場付近には多数の石片が散乱していたという。&lt;br /&gt;　置石である。だが、置石にしては衝突の衝撃が大きく、石の破片も多い。&lt;br /&gt;　運転士からの通報を受けた警察が調べると、これは、現場近くに祭られていた石仏の地蔵尊であることが分かった。重量は約20キロだった。&lt;br /&gt;　地元民によると、約20年前、受験に失敗した地元の高校卒業生がトンネルの上部から列車に飛び込み自殺をした。地蔵像は、悲嘆にくれる遺族を見かねた地元の婦人達が、自殺者の供養の意味もこめて、トンネルの眼前に建立した「見守り地蔵」だったである。&lt;br /&gt;　同じ場所では過去に数度、自殺があった。地元では幽霊トンネルとも囁かれた場所。霊能者によると、トンネルのなかに「いる」そうだ。&lt;br /&gt;　置石ならぬ「置き地蔵」の舞台となった場所は、まさに複数の自死が発生したポイントであり、住民は「いたずらにしては限度を超えている」「祟りがあるのでは？」「自殺者が浮かばれない」と、一様に怒りと驚きを隠せない模様である。&lt;br /&gt;　大分県警大分中央署は列車往来危険容疑で捜査中だ。署内での正式名称は「線路内における置石（地蔵様）事案」。警察用語では「置石」だが、置石に分類することに躊躇があったのかもしれない。地蔵に「様」をつけるあたり、人情を感じる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;事件の背後に見え隠れする犯人像&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　周辺では、石仏などに対するいたずらが頻発していた。&lt;br /&gt;　現場付近は石仏の多い場所だ。大分市の観光案内版の脇にも石仏が配されているのだが、数年前には古国府トンネル付近の案内板の石仏が蹴り倒されていた。だが、住民たちを驚かせたのは、見守り地蔵から数百メートルも離れていない「岩屋寺石仏」に対するいたずらだった。岩屋寺石仏は平安初期の作といわれる磨崖仏（まがいぶつ）群で国指定の史跡。&lt;br /&gt;　事件は昨年12月に発生した。岩屋寺石仏に設置された８躯の石仏と標識に、青色のスプレーペンキがべったりと塗られていたのだ。&lt;br /&gt;　被害にあった石仏は、幸いにも磨崖仏ではなかった。付近の寺院が、境内から移設したものだった。&lt;br /&gt;　付近の寺の住職らが作業をして、青色のペンキはどうにか落とすことに成功したが、騒動は続いた。今年１月には、近くの県立大分上野丘高校の庭のブロンズ像に金色のスプレーが、７月には、同じく付近の県立芸術短期大学の敷地に隣接する六地蔵にも、青のスプレーがかけられた。同じペンキだったという。&lt;br /&gt;　元町の見守り地蔵に対するいたずらも、じつは今回が初めてではない。今年７月上旬、「消えていた」。ある日こつ然と、姿を消していたのだ。&lt;br /&gt;　住民が探すと、線路脇の草むらのなかに倒されているのが、７月17日に発見された。地元の人々は地蔵像を元の場所に戻し、先ほどの寺の住職に供養してもらったのだが、25日には、何者かによってついに線路に置かれ、粉砕という結末を迎えたのだった。&lt;br /&gt;　石仏等に対する執拗な手口を考えると、同一人物の犯行と推測される。地元では「少年か若い者の仕業だろう」という声が多い。&lt;br /&gt;　大分の地元紙「大分合同新聞」も置地蔵事件に触れ、７月28日の朝刊コラムで若者のゲーム感覚での犯行や「祟り」をほのめかしている。&lt;br /&gt;　しかし、である。&lt;br /&gt;　散歩をしていた人たちの証言によると、芸術短大隣接の六地蔵は、犯行のあった日の午前７時、元町の見守り地蔵は同６時には無事な姿が目撃されている。六地蔵は８時前までにはペンキを塗られ、トンネルでは６時12分ごろには列車が衝突している。&lt;br /&gt;　それぞれ、早朝のわずかな時間での犯行ということが分かる。一帯には田畑が多いとはいうものの、住宅街である。朝に散歩をする高齢者も多い。農作業の人たちもいる。&lt;br /&gt;　とくに、見守り地蔵のあった場所は、国道10号線から良く見える場所であり、国道の「岩屋寺入口」信号からも遠くない場所。停車中の車内からは、はっきりと見えると思われる。&lt;br /&gt;　自殺の「名所」なので（というよりも、近年は変態親父が出没するとかで）、夜は気味悪がって人通りが少ないものの、地蔵の脇を通る細道は、国道の抜け道になっていて、日中は人通りが、けっこうある。朝方は高齢者の散歩も多い。&lt;br /&gt;　高校のブロンズ像の一件は、岩屋寺石仏の事件に刺激された若者によるいたずらかもしれない。高校の件は、夜に行なわれた可能性が高いという。上野丘高校では近年、卒業生を装った男が卒業生の家に電話をかけ、個人情報を聞き出すといった事件も発生しているが、これは別件のようだ。&lt;br /&gt;　一方、六地蔵や見守り地蔵そして、そのほかの石仏の事件に共通して言えることは、犯行時刻が朝ということ。そんな時間に若者が何かをしていれば目立つだろう。&lt;br /&gt;　また、散歩などの地元の人の流れを把握していなければ、犯行は不可能だ。そして、若者特有の「落書き」ではない。岩屋寺の石仏の顔を青で塗りたくった手口は、じつに粘着的だ。&lt;br /&gt;　愉快犯にしては、犯行が粘着質すぎる。しかも、逆に言えばこの程度の「いたずら」で愉快になれるものだろうか。&lt;br /&gt;　そして、ターゲットは明らかに「石像」だ。愉快犯の対象になるのだろうか。&lt;br /&gt;　以上のことを総合すると、犯人は通行人に目撃されても怪しまれない人物、つまり地元の人間でかつ、ある程度信用された者ではないのだろうか。先に紹介した寺院とトラブルを起こしている、またはその寺院に対して嫌がらせをしたい理由のある中年の仕業かもしれない。&lt;br /&gt;　実際、聞き込みを続けていると「事件の当日、犬を連れた中年男性が、線路に入ってしきりに何かを探していた」と語る婦人がいた。この男は、何を捜していたのだろうか。&lt;br /&gt;　事件の朝、現場周辺では警察が地蔵の破片を拾うなどの現場検証を行った。その騒ぎが落ちついてからの時刻だ。何か、捜すものはあるのだろうか。ふいに胸をよぎった言葉は「犯人は現場に戻る」、それだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;このいたずらの「罪」の重さ&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ＪＲ九州によると、同社では車輌前部のパーツ交換を行なった。損害額は約５万７０００円。自然災害ではないので、犯人が捕まれば損害賠償を行なうことになるという。乗用車を壁にぶつけて、前部のバンパーを交換するより安い損害額だが、問題は刑事罰のほうだ。&lt;br /&gt;　この地蔵様には持ち主らしい持ち主がいないので器物損壊罪が問われるかどうかは不明。一方、線路上に（石仏を含めて）置石をした場合、刑法の「往来を妨害する罪」第１２５条「往来危険」の罪に問われる。「鉄道もしくはその標識を損壊し、又はその他の方法により、汽車又は電車の往来の危険を生じさせた者は、２年以上の有期刑または20万円以下の罰金」。未遂であっても処罰対象になる。いわゆる未必の故意である。&lt;br /&gt;　けが人が出た場合は「傷害罪」が適応され、10年以下の懲役。死人が出ると、罪はもっと重い。同１２６条「汽車転覆等及び同致死」の第２項目は「死刑または無期懲役」と規定する。&lt;br /&gt;　上記は、人の世の裁きだ。だが、この世ならぬ領域の「罪」は、だれが裁くのだろうか。&lt;br /&gt;　事件後、検証のために警察が石片を持っていったが、一定期間が過ぎたため、地元住民に返還された。その石片を受け取った地主は、「頭部は原型を留めていた」という理由で、もともと地蔵が立っていた台座に、頭部をじかに接着してしまった。これが、犯人の望んだ結末なのだろうか？&lt;br /&gt;　取材するために大分へ行ったとき（８月８日）、現場にはこの「頭部だけの地蔵」が無残にも佇んでいた。その「地蔵」を見たとき、強烈にギョッとした。&lt;br /&gt;　自分には霊感などはまったくないが、その場所に漂う怒りのような殺気を、たしかに感じた。&lt;br /&gt;　首だけという異様な形相に、吐き気さえ催し、そして、この原稿を書いているいま、ついに吐いてしまった。&lt;br /&gt;　犯人の動機はいまいちよく分からない。単なる変質者かもしれない。犯人のやったことは許す余地などまったくないが、この人の身の安全を、かえって心配してしまった。&lt;br /&gt;　取材で得られた情報を総合すると、犯人は地元もしくは近辺の者だ。そして現場を再訪しているはずだ。首だけ地蔵と対峙し、どんな表情をしていたのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;(ミリオン出版「不思議ナックルズ」掲載)&lt;font color=blue&gt;[写真]事件後、警察から戻された石片のうち、頭部を地元の人が、もともとの台座にじかに接着した。台座に首だけが載っているのは異様な光景だ&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/SOuEeqZ5J3I/AAAAAAAAADo/Z_GLLNhrDng/s1600-h/oita.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/SOuEeqZ5J3I/AAAAAAAAADo/Z_GLLNhrDng/s320/oita.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5254439052571649906" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-2602484924842498350?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2602484924842498350'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2602484924842498350'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2008/10/82.html' title='(墓82)大分「置地蔵事件」／鉄道で地蔵を粉砕'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail 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【長崎発・太田宏人】日伯司牧協会（青木ファン代表=バチス勲・神父）では、ブラジル初のカトリック布教使として邦人に尽くし、「生ける聖者」とあがめられた中村ドミンゴス・長八神父を、尊者もしくはその上位の福者に列叙するようローマ法王庁に働きかけている。&lt;br /&gt;　同協会ではその運動の一環として、中村神父の出身地である長崎県五島を目指す巡礼の旅を続けている。青木神父やブラスヴィア旅行社（聖市）の石井久順社長らをはじめとする巡礼団は、豊臣秀吉によって処刑された「日本二十六聖人」が歩かされた京都から長崎への道を中心にたどりながら、このほど長崎入りした。&lt;br /&gt;　長崎では原爆投下に関するさまざまな施設を訪問。かつては「東洋一の大聖堂」と称えられたものの原爆で全壊した浦上天主堂（戦後再建）などで祈りをささげた。&lt;br /&gt;　青木神父は「移住百周年を機に中村神父が列福されることには大変な意義があると思います」と熱く語った。&lt;br /&gt;　中村神父は、隠れキリシタンの子孫。教皇庁からブラジルへの布教辞令を受け、一九二三年、五八歳で海を渡った。&lt;br /&gt;　2008年4月8日「サンパウロ新聞」掲載&lt;br /&gt;　（写真：長崎市永井隆記念館前で日伯司牧協会の巡礼団）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-758754328170068874?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/758754328170068874'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/758754328170068874'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2008/04/81.html' title='(墓81)日伯司牧協会の日本巡礼団'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/SAYdrMyWz7I/AAAAAAAAACE/TUYwsr81b8g/s72-c/%E6%97%A5%E4%BC%AF%E5%8F%B8%E7%89%A7%E5%8D%94%E4%BC%9A.JPG' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-3836176853414289245</id><published>2007-12-22T09:29:00.000+09:00</published><updated>2007-12-22T09:35:13.395+09:00</updated><title type='text'>(墓80)神々の混沌、人々の葛藤、弥栄への祈りを歌ふ涼恵さん</title><content type='html'>&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/R2xbcXml6UI/AAAAAAAAAB8/ejGSuWjhHyU/s1600-h/suzuesan+(4).JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/R2xbcXml6UI/AAAAAAAAAB8/ejGSuWjhHyU/s200/suzuesan+(4).JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5146589017107982658" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;神々の混沌、人々の葛藤、弥栄への祈りを歌ふ涼恵さん&lt;br /&gt;ライヴハウスには言霊が満ちてゐた&lt;/strong&gt;太田宏人・記&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　彼女が唄ひ出すと、その場の空気が一変した。低音と高音を駆使する伸びやかな唄声に、聴衆は瞬時に魅了されてしまったやうだ。&lt;br /&gt;　声質が良く、歌唱の技巧に優れただけの歌手ならいくらでもゐる。だが、圧倒的な存在感、魂を揺さ振るメロディーと歌詞、ときに明るくときに暗く、聴く者の存在を抱き止めるやうな唄ひ手は珍しい。歌唱の姿が祈るがごとき印象を与へる歌手は稀有だ。&lt;br /&gt;　「言霊に祝福された唄ひ手」&lt;br /&gt;　これが、涼恵さんのステージを拝見した時の第一印象であった。彼女のライヴは言霊のシャワーであった。&lt;br /&gt;　　◎　　　◎&lt;br /&gt;　十一月二十五日（日）、四谷天窓．ｃｏｍｆｏｒｔ（東京都新宿区高田馬場）で行はれたスタヂオ言霊の特別公演「時代（とき）の風」を観た。脚本・構成は松田光輝さん。歌唱は神戸市の小野八幡神社権禰宜でもある涼恵さん。すべての曲が彼女の作詞作曲だった。&lt;br /&gt;　菊池智子さんのピアノ、松田さんの一人芝居（朗読）と涼恵さんの唄が絡み合ひながら、ストーリーが進行した。&lt;br /&gt;　以下、涼恵さんの唄について書かう。彼女の音楽世界は豊かな二律背反を奏でる。たとへるならば神と人、自然と人為、和魂と荒魂、優しさと厳しさ、光と闇。これらが同居し、混沌を極めるのだが、時として闇の側面が勝るやうだ。これは彼女の内なる闇なのかもしれない。だがその闇のなかに、希望や救済、人の世の弥栄への祈りを感じたのは筆者だけではあるまい。&lt;br /&gt;【この世には良いことも悪いこともたくさんある。幸運に見放されてゐるやうな時もあるだらう。だが、生きてきたこと、生きてゐること、生きてゆくことは、当たり前のやうに素晴らしい】&lt;br /&gt;　彼女の闇は、我々にエールを送る温かい闇だった。&lt;br /&gt;　　◎　　◎&lt;br /&gt;　芝居と歌唱、ピアノの生演奏といったそれぞれのパーツの練度は悪くはなかったと思ふ。ただ、演出として狙ったのか、各者がそれぞれの情熱と才能を無計画にぶつけ合った結果なのかは不明だが、三者の放つ存在感は凸凹であった。その不揃ひさの妙味は有名歌手や役者の公演では得られまい。インディーズの醍醐味であらう。今後は、三者が同じステージに立つことで生まれる相乗効果のさらなる輝きに期待したい。&lt;br /&gt;（おほた・ひろひと＝フリーライター）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「神社新報」平成19年12月17日掲載&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-3836176853414289245?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3836176853414289245'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3836176853414289245'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/12/80.html' title='(墓80)神々の混沌、人々の葛藤、弥栄への祈りを歌ふ涼恵さん'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/R2xbcXml6UI/AAAAAAAAAB8/ejGSuWjhHyU/s72-c/suzuesan+(4).JPG' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7421750554381079140</id><published>2007-12-20T00:18:00.000+09:00</published><updated>2007-12-20T00:29:27.932+09:00</updated><title type='text'>(墓79)ペルー慈恩寺の100周年記念式典／麻生太郎氏が祝辞</title><content type='html'>&lt;strong&gt;ペルー慈恩寺の100周年記念式典&lt;br /&gt;麻生元外相が祝辞寄せる&lt;br /&gt;報告と未来への課題&lt;br /&gt;太田宏人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（サンパウロ新聞：2007年11月22日掲載）&lt;br /&gt;　南米最古の仏教寺院である泰平山慈恩寺（ペルー共和国リマ県カニエテ郡／無住）で11月３日（現地時間）、同寺の創立１００周年を記念する式典が行われた。主催は慈恩寺有志の会。&lt;br /&gt;　式ではまず寺誌プレートの除幕式があり、南米とゆかりの深い麻生太郎元外務大臣から寄せられた祝辞が読み上げられた。元外相はペルーの日系人および慈恩寺の歴史を振り返りつつ、「日系の皆様が今後とも力と心を合わせ、この移民の聖地の中心である慈恩寺を永久に護持されんことを冀う」と結んだ。&lt;br /&gt;　祝辞の代読は地元ペルーでも屈指の金融機関であるＫＹＯＤＡＩグループのハビエル・クズマ代表が行った。同グループは今回、寺誌プレートおよび歴住の写真額を新調する費用を負担した。&lt;br /&gt;　除幕式後、仏式法要が厳修された。法要には読経師と呼ばれる在野の宗教家の徳田義太郎（ロベルト）師のほか、ペルー人で初めて僧侶になったカスティーヤ仙玄師らが参加し、曹洞宗の法式だった。&lt;br /&gt;　慈恩寺１００周年への参加を目的に日本からやってきたというある日本人は「慈恩寺内は空気が違う。堂外は南米だが、堂内は日本。しかも、独特の神聖さがある」と前置きし、「式典参加者は約30名で小規模なものだったが、慰霊の心がこもり温かい式だった」と感想を述べていた。&lt;br /&gt;　法要後、地元の互恵組織であり、慈恩寺の維持管理を行うカニエテ日系協会のミゲル・グスクマ会長があいさつ。参加者への謝意を表し、「これからも各方面と連携し、微力ながらもお寺を守っていきたい」と語った。&lt;br /&gt;　その後、参加者に食事が振る舞われ、慈恩寺有志の会が用意したおにぎりや太巻きなどの手料理を食べながら楽しい一時を過ごした。式にはリマ市の日系学校「ヒデヨ・ノグチ校」の中学生４人と教師１人が招待された。生徒の一人は「おにぎり食べるのは久しぶり。とてもおいしい」と満足げだった。&lt;br /&gt;　慈恩寺は、明治40年に同郡サンタ・バルバラ耕地内に建てられた。二度の移転を経て現在に至る。現在の建物の落成は１９７７年。１９９２年以降は無住である。ペルー日系人協会および、その支援を受けるカニエテ日系協会が維持管理に当たっている。&lt;br /&gt;　慈恩寺有志の会はペルーと日本にメンバーがいる在家のグループであり、超宗教で超宗派。慈恩寺は曹洞宗の寺籍と言われるが、実質的に曹洞宗と慈恩寺の関係は切れている。その証拠に、盆と彼岸の法要は、日系人協会に後押しされた浄土真宗本願寺派が、曹洞宗と交代で行うという異常事態になっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;■大使館は不参加&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;  慈恩寺有志の会では式典開催にあたり、リマの総領事館（大使館と併設）に大使もしくは公使等の参加を呼びかけたが、門前払いにあった。メールの返信文は「ご案内いただきました慈恩寺創立１００周年祈念行事に関しまして、ご趣旨は理解申し上げますが、総領事館または総領事館館員として今回のプログラムに参加することは差し控えたく存じますのでご理解願います」（原文ママ）。&lt;br /&gt;  無論、これまでの慈恩寺の行事には大使館もしくは総領事館の参加はあった。現在の慈恩寺に移転した際は、小関領事（当時）が改築の音頭を取ったうえ、慈恩寺の看板は木本大使（同）の揮毫というふうに、慈恩寺と日本の在外公館の結びつきは強い。&lt;br /&gt;  式典前日、大使館に電話かけると「そんな話は聞いていない」と驚いた様子で、数時間後、領事館から電話がかかってきた。電話の主が門前払いをした人物だった。「じつは、赴任して数ヶ月。慈恩寺のことは良く知らなかった」という。&lt;br /&gt;  リマの日系人や在留邦人の社会では大使館・総領事館の批判は最大のタブーといわれる。サンパウロでは想像もできないことだが、リマはこのような出鱈目がまかり通る世界である。&lt;br /&gt;  ペルー日系人協会も参加に及び腰であった。これは、同協会と曹洞宗の関係が悪いことに原因がある。今回、主催した慈恩寺有志の会は超宗派で超宗教である。慈恩寺は近年、浄土真宗本願寺派と曹洞宗が「同居」する状態。その原因は日系人協会が介入したことによる政治的な要素が強い。また、信者団体や僧侶がいないことも影響している。&lt;br /&gt;  そこで慈恩寺有志の会では両宗派に呼びかけて合同での式典を提唱したが、浄土真宗本願寺派は８月に独自に百周年の法要をやってしまった（寺の歴史さえ知らずに）。曹洞宗は教団としては不参加であったが、有志の僧侶が参加することとなった。&lt;br /&gt;  この僧侶は、「有志の会」の制止を聞かずに曹洞宗をアピールしすぎた結果、日系人協会は「曹洞宗の行事」と誤解してしまったらしい。協会の関係者によると、式典の当日に曹洞宗の名前でリマの日秘文化会館のホールが借りられていたという。むろん、主催者である「有志の会」はそのようなことは誰も知らなかった。&lt;br /&gt;  それでも、協会の何人かの幹部は参加を希望していたのだ。が、「領事館も行かないのでは」と、最後は辞退してしまった。&lt;br /&gt;  領事館の人間は、不参加の理由を「日系人協会が参加しないのであれば」「日系人協会が公認しない行事であれば」などといっていたが、本末転倒・責任転嫁もはなはだしい限りであろう。だいいち、近年の慈恩寺をめぐる騒動は、信徒団体でもない日系人協会が、自らの規約に反して宗教に絡みすぎた結果である。協会が正しいとは限らない。協会が道を踏み外した場合でも、公館は、協会公認の行事であれば出席するのだろうか。&lt;br /&gt;  僧侶といい協会といい在外公館といい、慈恩寺のことを真剣に考えることは今後もないのだろうか。先人の霊が泣いている。&lt;br /&gt;［写真：法要で読経する徳田師（中央）とカスティーヤ師（左）］&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/R2k35nml6TI/AAAAAAAAAB0/s3_yDJ8pCT8/s1600-h/IMG_0330.JPG"&gt;&lt;img style="float:right; margin:0 0 10px 10px;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/R2k35nml6TI/AAAAAAAAAB0/s3_yDJ8pCT8/s400/IMG_0330.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5145705512270424370" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;麻生元外相による慈恩寺100周年への祝辞（全文）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　明治32年、つまり1899年、南米へ向けた初の移民団が日本からペルーに到着し、今年ですでに108年の歳月が流れました。ペルーの日系社会は、南米の日系社会のパイオニアであり、これまでの歴史は苦難の連続であったことを思うと、こんにち、皆様が築かれた社会的地位の高さは驚異というほかはなく、同じ血を持つ同胞として、非常に誇りに思う次第です。&lt;br /&gt;　日系の世代交代は進みましたが、皆様がいまでも日本の心を失っていないことを、私は嬉しく思います。現在でも、日系のご家庭には仏壇が祀られるばかりか、泰平山慈恩寺という立派なお寺が大切に護られ、毎年欠かさず先没者の慰霊法要が続けられてきたという事実に、身の震えるような深い感銘を覚えます。これはひとえに、皆様の先人への感謝の念の表れではないかと思います。日本に住む日本人が失ってしまった大切な気持ちを、皆様がお持ちになっていると言っても過言ではないでしょう。&lt;br /&gt;　近年、慈恩寺の歴史が克明に調べられるにおよび、このお寺が南米大陸で最古の仏教寺院であることが判明しました。歴史を紐解けば、いまをさかのぼる100年前に、上野泰庵という禅宗の僧侶の指導のもと、当時は決して裕福とはいえなかった移民の方々がわずかずつ浄財をあつめ、サンタ・バルバラにお寺を建立したのが明治40年、西暦では1907年でした。創建当初から、お寺は宗教宗派に関係なく、多くの日本人が集まったそうです。&lt;br /&gt;　お寺では、志半ばで病に倒れた同胞の霊を慰めるほか、お寺の隣には、これまた南米最古となる日本人小学校が建てられ、歴代のお坊さんが教壇に立ちました。&lt;br /&gt;　古い写真を見ますと、慈恩寺の建築は純和風で、日本庭園も備えていたようです。遠く遥かな異国にあって、この場所は移民の方たちにとっての心のふるさとだったのでしょう。カサ・ブランカ耕地には立派な慰霊塔の建つ日本人墓地もあります。また、慈恩寺にはペルー全国の日本人墓地から集められた土が合祀されています。かつて「カニエテは移民の聖地」と呼ばれていたそうですが、まさにその聖地の中心が慈恩寺でしょう。&lt;br /&gt;　お寺は二度の移転を経て、現在の場所にあります。今回、慈恩寺の略史を刻んだプレートを設置するに当たり、パドリーノの栄誉を賜りましたことに、心より御礼申し上げます。あいにく公務のため、プレートの除幕式には欠席しますが、これを機に南米の日系の皆様との絆をさらに深めることができますことに鳴謝申し上げます。&lt;br /&gt;　最後になりましたが、皆様が今後とも力と心を合わせ、この移民の聖地の中心である慈恩寺を永久に護持されんことを、冀うものであります。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;平成19年11月3日&lt;br /&gt;日本国　衆議院議員　麻生太郎&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href="http://www.geocities.jp/tontocamata/"&gt;記事の墓場WEBサイト&lt;/a&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;http://www.geocities.jp/tontocamata/&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-7421750554381079140?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7421750554381079140'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7421750554381079140'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/12/79100.html' title='(墓79)ペルー慈恩寺の100周年記念式典／麻生太郎氏が祝辞'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/R2k35nml6TI/AAAAAAAAAB0/s3_yDJ8pCT8/s72-c/IMG_0330.JPG' height='72' 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/&gt;　シャーマン的な能力を駆使して治療を行なうという彼らは、ペルーでは市民権を得ている。&lt;br /&gt;　私は数年、ペルーに住んでいたのだが、長女の夜泣きがひどいときに、妻（日系人）がクランデーロのところに長女を連れて行った。すると、「邪眼に見られたからだ」と診断したという。そして邪眼よけのミサンガを渡し、生卵に邪眼の霊障を乗り移らせる方法を教えてくれた。&lt;br /&gt;　それは、生卵を赤ちゃんの顔の上で十字に動かすというものだった。&lt;br /&gt;　生卵は遠慮したが、ミサンガはつけさせた。ちなみに、行きつけの小児科の先生は、「泣いたらお風呂よ」と言っていた。&lt;br /&gt;　ミサンガの効果かお風呂の効果か分からないが、多少は夜泣きは改善したのを覚えている。&lt;br /&gt;　それはさておき、南米にはアフリカ系の土俗宗教が大なり小なり入りこみ、スペイン征服以前の宗教と混淆しているというわけだ。&lt;br /&gt;　ペルーでもナンバー１、２というクランデーロが仮名・O氏だ。一見、ただのおっさんだが、彼は警察の捜査にも協力し、フジモリ元大統領側近の家の「かくし部屋」を透視したことでも知られる。警察官からの信頼は厚く、「強盗との銃撃戦で弾が外れるように」というお祓いの申し込みが殺到しているとか。&lt;br /&gt;　今回、O氏を取材した。日本のメディアは初めてだ。彼の家は、リマ市郊外にあった。&lt;br /&gt;　体験取材である。そこで、ペルーに住む日本人の女性３人と一緒に行った。彼女たちはペルー人と結婚している人たち。むろん、O氏には彼女たちの事情を一切教えていないのだが、タロット占いで、彼女たちと、それぞれのダンナやダンナの家族との関係、日本にいる家族のことまで言い当ててしまった。ただし、人名を的中できるのはペルー国籍者に限るようだった。&lt;br /&gt;　霊視はほとんどあたっていた。私も、過去に関係を持った女性や裏切った女性の風貌、人種・国籍まで全部当てられて、冷や汗が出た。そのときに聞いた予言も、だいたい外れていなかった。&lt;br /&gt;　この霊障相談を撮影した。しかし多くの写真が真黒く感光していた。他の取材ではこんなことは、後にも先にもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;悪霊落としとハト除霊&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　次は悪霊落としである。これは私が体験した。担当はO氏の息子とお仲間２名。真っ暗で薬草臭くて湿気がむんむんする部屋に通され、目隠しをされる。そして、いきなり流される大音量の音楽。３人の男たちが金属の棒で、やはり鉄か何かを叩きつけながら、私の周囲を狂ったように踊り始める。そして「出ていけ、この糞野郎！」とかなんとか叫びながら、私の頭のすぐ近くで鉄を叩きく。そして、口に含んだ薬草のエキス（？）をブーッと、部屋中に噴出するのだ。要するに、私の体内にいる「なにか」を体外へ追い出すということらしい。&lt;br /&gt;　悲しいかな、文明に毒された身。ただの苦痛な１時間でしかなかった。が、精神が健康なペルー人だと、トランス状態になるのかもしれない。&lt;br /&gt;　そして次に、ハトを使った霊障除去が始まった。これも私が体験。なにかの呪文を唱えた息子氏はいきなり、生きた野鳩の胸を裂き、その裂け目を私の頭にこすり付けたのだ。&lt;br /&gt;　べちゃ。&lt;br /&gt;　内臓物が、凄まじく臭う。それより、あふれる血もしくは内臓液、またはその両方が、顔面や首筋に垂れてくるのだが、それが温かいのだ。変な意味で「いのち」を実感する。&lt;br /&gt;  次第にシャツやズボンにも垂れてくる。何より、まだ動いている心臓の鼓動が頭皮に響くのが、なんともいえない感覚だ。&lt;br /&gt;「おまえの惚れっぽさは、憑依している霊が原因だ。こうでもしなければ治らない。悪い霊をハトの体に沁みこませるのだ」と説明しながら、ぐいぐいとハトの体の開口部を私の頭部になすりつける息子氏。惚れっぽさは霊の仕業か？ などと疑念も浮かんだが、切り裂かれた２羽のハトの犠牲に報いるためにも、ここは素直に治療を受けた。&lt;br /&gt;　２羽のハラワタをたっぷり頭皮になすりつけて、治療は完了。&lt;br /&gt;「24時間、飯は食うな。酒も女もタバコも駄目だ。ハトの死体はおまえが川に向かって、後ろ手で投げ捨てろ。さもなくば、呪われるぞ」と、息子氏に命じられた。&lt;br /&gt;　ところが、宿舎に戻る途中、悲しいかな川がなかった。仕方なく海に捨てたのだが…。&lt;br /&gt;　数日後、リマの中心地で突然、私の乗っていたタクシーを挟んで警官と強盗団の銃撃が始まった。窓ガラスはすべて吹き飛び、車体は穴ぼこだらけ。奇跡的にケガはなかったが、これが「呪い」なのだろうか。惚れっぽさも、変化なし。やはり、ハトの死骸を海に捨てたからか。&lt;br /&gt;　かわいそうなのは、巻き添えを食らったタクシーの運ちゃんかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;  ＜写真＞面倒くさそうな表情の呪術師（息子のほう）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;ミリオン出版「ワールドストリートニュース」（2007）掲載&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-6752117018947900398?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6752117018947900398'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6752117018947900398'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/11/78.html' title='(墓78)ペルーの呪術師を取材／呪いで死にかけた！'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/R07fs1uM5BI/AAAAAAAAABs/yjTTyaxwDvk/s72-c/%E5%BF%83%E9%9C%8A%E6%B2%BB%E7%99%827.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-3403919585270826443</id><published>2007-09-07T23:59:00.000+09:00</published><updated>2007-09-08T16:55:23.309+09:00</updated><title type='text'>(墓77)2003年春、SARS流行期。香港へ行った</title><content type='html'>.&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;自殺？  そんなわけがあるはずない&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　五月二二日から二四日まで香港および澳門（マカオ）へ、取材に行った。&lt;br /&gt;　「香港へ行く」ということを、「自殺行為」と捉えた知人も、周囲には何人かいた。滞在期間中の二三日には、世界保健機構（ＷＨＯ）が香港（および広東省）に対する「渡航延期勧告」を解除したが、日本では現在でも「香港へ行く」ことは、危険行為とみなされている。&lt;br /&gt;　だが実際には、香港の人々は日常の生活を送っていた。患者からの飛沫感染対策で、地下鉄内やバスの車内、駅など、混雑もしくは密閉された公共スペースではマスクをつける人が多かった。しかし、つけてない人もいた。なお、日本～香港への往復はノースウエスト航空だったが、乗務員はマスクをしていなかった。&lt;br /&gt;　マスクをつける／つけないという泡沫的議論はともかく、香港は活きていた。通常どおりに子どもは生まれ、老いた者は死んでいった。人々は働き、経済は動いていた。&lt;br /&gt;　夕刻、次のインタビューまでに時間があまり、澳門行きのフェリー埠頭の隅で、船の出入りや釣り糸を垂れる人たちを見ていた。後ろのベンチでは若い二人の中学生の男女がじゃれあっていた。放心したように海を見ている人たちもたくさんいた。本を読んでいるサラリーマンもいた。むろん、感染経路が明瞭に判明され、患者との濃密な接触や飛沫感染を防げば、日常生活には支障はない病気だという認識が香港において広まりつつある時期でもあった。&lt;br /&gt;　たしかに、未知の伝染病は原始的で本能的な恐怖を我々に与えるとはいえ、ＳＡＲＳアウトブレイク（爆発的な感染拡大）の張本人はウイルスそのものではない。マスコミだ。“感染地帯”の人々がマスクを着用した写真が配信されれば、「あそこの人たちは皆、マスク着用か」と思いがちだ。絵になる写真ばかりを報道したマスコミに非がある。「地下鉄からは人が消えた」などの一般的ではない特殊な事例を強調し、いたずらに恐怖を煽ったのは、だれか。そして、それを鵜呑みにしたのは、だれか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;在外公館、ここでも不評？ SARSで露呈、香港総領事館の機能不全&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　重症急性呼吸器症候群（新型肺炎／ＳＡＲＳ）が集団発生した香港で、在住の日本人（在港邦人）たちは、在香港日本国総領事館に対する不信を強めている。&lt;br /&gt;　その原因は、ＳＡＲＳ騒動への総領事館の対応の不味さだ。たとえば四月の上旬、外務省福利厚生室の医務環が香港に臨時で出張し、「個別相談」を行うことになった。が、案内が直前になったうえ、「広報が徹底していなかった」（在港邦人）。しかも当初は、「御相談を希望される方が多い場合は、お断りすることがあります」（在香港総領事館のホームページより）という不誠実なものだった。&lt;br /&gt;　さらに、ＳＡＲＳに関する説明会の開催が四月九日に急遽決定したものの、会場は一〇〇人程度しか収容できない香港日本人倶楽部「松の間」だった（在港邦人は約二万人）。さらに「座席数が限られておりますので、希望者多数の場合には、入場を制限させて頂くこともあります」（同上ホームページ）という、あいかわらずの“切り捨て”姿勢が目立つ。はじめからこんなスタンスなので、当然、広報も行き届いていない。当日集まったのは、領事館のホームページを見た人だけが中心。それでも数百人が集まった。会場に収容できない。そこで、説明会を計四回に増やした。当初は、午前と午后に一回ずつだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　当日の医務官の説明も「推測に基づく発言ばかりで、かえって不安になった」（参加者）というもの。さらに、会場の選択ミスは領事館の責任であるはずなのに、説明会の担当者は、最終回において参加者を前に「私はもう、同じことを三回も喋っている。疲れてます」などと暴言を吐いている。&lt;br /&gt;「総領事館は、これまでも広報が不得手だった。在港邦人全体への連絡体制も確立させていないし、する気もないようだ」と、香港在住一三年目の男性が憤慨する。今回のような“非常時”でも、日曜日は完全休館という下駄の高さ。これでは紛争やテロ、大規模災害などが香港で発生しても、邦人の安否確認など望めない。&lt;br /&gt;　これは、香港だけのケースなのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;（2003年に書いた記事。某誌にて不採用、某誌にて採用）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;追記。&lt;br /&gt;香港の邦系企業の駐在員の家族は、今秋のSARS流行をうけて、&lt;br /&gt;いっせいに日本へ帰国したが、&lt;br /&gt;一時保育などでは、「香港帰り」の子どもの預かりを拒否する&lt;br /&gt;保育園もあった。&lt;br /&gt;実際わたし自身、自分の子どもが通う保育園では、&lt;br /&gt;送り迎えのときに「香港行ってました」とは&lt;br /&gt;言えない雰囲気だった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-3403919585270826443?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3403919585270826443'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3403919585270826443'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/772003sars.html' title='(墓77)2003年春、SARS流行期。香港へ行った'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-1666809819408622755</id><published>2007-09-04T10:48:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T09:46:47.399+09:00</updated><title type='text'>(墓76)鬼木市次郎さん、死去</title><content type='html'>ブラジルに鍼灸マッサージ学校設立の功労者&lt;br /&gt;両親はペルー移民&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　鍼灸マッサージ師で教育家、事業家でもあった鬼木市次郎さんが３月26日、療養先の福岡県柳川市で死去。94歳だった。死因は老衰。密葬を済ませ、葬儀はブラジルで行なわれる予定。&lt;br /&gt;　鬼木さんは両親がペルー移民。父親（伝次郎）の墓はリマ市のエル・アンヘル墓地に、母親（カメ）の墓はリマ市北方のサン・ニコラス墓地にそれぞれある。&lt;br /&gt;　鬼木さんの両親は鬼木さんを残してペルーで働いた。いつかは鬼木さんを呼ぶつもりであったが、果たせずしてペルーで亡くなった。&lt;br /&gt;　鬼木さんは福岡で育ったが、小学生のときに視力が０・０３まで低下。１９３２（昭和７）年、柳川盲学校を卒業。その後、中国大陸で鍼灸マッサージで成功するも、敗戦により、妻子と裸一貫で帰国。鍼灸マッサージの治療院やレジャー施設を経営し、東京に学校法人鬼木医療学園・国際鍼灸専門学校を建設。&lt;br /&gt;　１９７３（昭和48）年には父母の眠るペルーを初めて訪問。感激の墓参を果たしたほか、鍼灸マッサージの無料治療を行い、好評を博した。&lt;br /&gt;　鬼木さんの胸中には次第に「南米の視覚障害者に自活の道を与えたい。それには鍼灸マッサージの学校をつくる」という夢が膨らんでいった。&lt;br /&gt;　１９９０年、ブラジルのサンパウロに鬼木東洋医学専門学校を設立。盲人教育に貢献するとともに、ブラジルでの東洋医学の普及に大きな役割を果たしている。同校には診療所も併設され、地域住民らに好評。&lt;br /&gt;　近年、鬼木さんは体調を崩し、生まれ故郷の柳川に帰国。療養中だった。（太田宏人）&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/oniki.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;【写真】&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;サンパウロ市の鬼木学校・診療所&lt;br /&gt;サンパウロ新聞等に投稿&lt;br /&gt;--------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-1666809819408622755?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1666809819408622755'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1666809819408622755'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/79.html' title='(墓76)鬼木市次郎さん、死去'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-2935187367168985038</id><published>2007-09-04T10:47:00.001+09:00</published><updated>2007-09-06T00:44:37.686+09:00</updated><title type='text'>(墓75)深澤要と鳴子温泉</title><content type='html'>.&lt;br /&gt;.&lt;br /&gt;　戦前の童話作家で詩人・版画家の深澤要（ふかざわ・かなめ１９０４～５７）は、本業よりもむしろ、こけしの研究にのめり込み、その蒐集に没頭した。&lt;br /&gt;　彼は６００余点のこけしコレクションを、のちに鳴子町（宮城県）へ寄贈。これをもとに鳴子温泉の近くに「日本こけし館」が開館した。&lt;br /&gt;　深澤はこけしを求め、兵庫県西宮の住まいをあとに、まるで巡礼者のように東北への旅を続けた。彼の歌には寂しさと貧苦がにじむ。&lt;br /&gt;「空晴れて山さむざむと雪のこり炭焼小屋に煙りは立ちぬ」（昭和15年、福島県・小原温泉）&lt;br /&gt;「みちのくは遥かなれども夢にまでこころの山路こころのこけし」（遺作『奥羽余話』）&lt;br /&gt;　鳴子および遠刈田（宮城県）、土湯（福島県）はこけし発祥の地とされる。だからこそ深澤は、鳴子への寄贈をおこなったのだが、実はこれらの土地は、古くから湯治客で賑わった温泉地である。民俗学の宮本常一はじめ多くの学者によれば、こけしは湯治土産であったらしい。&lt;br /&gt;　深澤要のこけしを求める旅は、同時に温泉を訪れる旅路でもあった。&lt;br /&gt;(あるムック本に書いた原稿)&lt;br /&gt; &lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-2935187367168985038?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2935187367168985038'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2935187367168985038'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/78.html' title='(墓75)深澤要と鳴子温泉'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-6047804963371741937</id><published>2007-09-04T10:42:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:43:51.479+09:00</updated><title type='text'>(墓74)南米最古の神社／東京植民地神宮の夢</title><content type='html'>&lt;b&gt;南米最古の神社／東京植民地神宮の夢&lt;br /&gt;ペルー新報  元日本語編集長・太田宏人（神道学専攻）&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;FONT FACE=HGPｺﾞｼｯｸE SIZE=3&gt;&lt;FONT COLOR=gray&gt;&lt;br /&gt;　ブラジルに東京植民地神宮という神社があった。&lt;br /&gt;　この神社の名前はブラジルの移民史において頻繁に語られることはない。忘れ去られた神社であるが、南米大陸最古の神社である。&lt;br /&gt;　海外神社論の大家として知られる小笠原省三が書いた『海外の神社』（昭和８年）によれば、かつてブラジルにはサンパウロ州内に「ボーグレ神社」と「東京植民地神宮」が鎮座していたという。&lt;br /&gt;　ボーグレは、先住民「ブーグレ」族のことであろう。所在地は第一上塚植民地（プロミッソン）。一方の東京植民地神宮は、その名の通り東京植民地（モツーカ）にあった。&lt;br /&gt;　同書ではボーグレ神社をブラジル最古の社とするが、実際は違う。上塚植民地は大正７（１９１８）年、東京植民地は同４（１９１５）年の建設。同書によれば、二つの神社は、それぞれの植民地が開かれたのと同時期に創設されたというので、東京植民地神宮のほうが早い。南米の他の国に神社は存在しなかったので、同神宮が南米最古であろう。&lt;br /&gt;　小笠原は昭和３（１９２８）年に渡伯し、実際に両社へ参拝している。しかも現役の神主であり神道学者だ。そのため、建物や鳥居の形状等の記述は精確で、信用に値する。&lt;br /&gt;&lt;b&gt;◎……◎……◎&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　本年２月、東京植民地の跡地を訪れた。&lt;br /&gt;　サンパウロ市からアララクアラ市までは長距離バスで約４時間。同市に住む馬場實子（じつこ）さんを訪ねる。東京植民地の指導者だつた馬場直（すなお）の長男で故・馬場謙介氏の夫人だ。謙介さんは東京植民地生まれ。戦前に日本で教育を受けた。日本の敗戦後、日本にいたブラジル出身者を帰伯させるために奔走したことで知られる。また、日本軍兵士として戦場へ赴き、戦死したブラジル二世たちの足跡を追ったほか、自身も朝鮮戦争では従軍記者として活躍した。ブラジル帰国後はサンパウロ新聞アララクアラ通信員として記者魂を感じさせる名文を多く発表したことは、読者のよく知るところだろう。&lt;br /&gt;　謙介さん亡き現在、實子さんは日本語教師をしているとのこと。&lt;br /&gt;　東京植民地神宮について質問すると、&lt;br /&gt;「神社はよく知りません。東京植民地の出身者に訊くと、それらしいものが小学校の校庭の片隅にあったそうです」&lt;br /&gt;　残念ながら、社殿などの写真は持っていないという。しかし、實子さんから東京植民地や指導者であった馬場直について、他では聞くことのできない貴重な話を伺うことができた。&lt;br /&gt;　同地は、「日本人による日本人のための」初の植民地だった。平野植民地よりも早かった。&lt;br /&gt;　馬場直は長崎県南高来郡出身で大正３（１９１４）年に渡航。ブラジル人地主の下でなかば農奴のように扱われる日本人の境遇を憂い、自ら植民地経営に乗り出すことを決意。同志の15家族とともにパウリスタ線モツーカ停車場の近くに土地を求め、「東京植民地」と命名、コーヒー等を生産した。&lt;br /&gt;　馬場の理想は「半永久的な農業王国」の建設だった。植民地の中心に、伊勢の御神霊を祀る大神宮を設置したのも、馬場が永続的な「日本人村」の理念を持っていたためであろう。先に紹介した小笠原の資料によれば、馬場はキリスト教徒だった。だが、戦前のキリスト者は現在と違い、国を愛し、皇室を敬い、寺社を大切にした。馬場が神社を創建しても不思議はない（實子さんによれば、馬場は「一番嫌いなものは神父と僧侶」と公言していたそうだが）。&lt;br /&gt;　一方、その後、ブラジル各地に出現した日本人植民地で社寺が建設されることはなかった。代わりに日本人小学校（兼集会場）の御真影が御神体の機能を果たした。この点、東京植民地神宮は異色だ。&lt;br /&gt;　東京植民地神宮とはどんな神社であったのか。前掲書を引用しよう。&lt;br /&gt;「始め周囲に木柵を巡らした純日本風の小社殿を建築したが、（中略）今では周囲一坪ばかりの煉瓦建の堅固な建物の中に小さな住吉造りの社殿を安置し、鳥居を建て、玉垣を巡らし、玉垣の内には美しい砂利を敷いている。（中略）縄を張った鳥居（中略）、社殿には紫のメリンスの幕が巡らされてあった。年に四回神社の祭典を執行する。神職は小学校長を兼務せる生駒氏、生国の伊勢で二ケ年間神職と小学教員を奉仕せる人」&lt;br /&gt;　植民地建設の当初から、移民はマラリアで斃れた。初年度だけで８名の家長が死んだ。最初の入植戸数の半数である。馬場の娘も死んだ。&lt;br /&gt;　前掲書は、神社創建によってマラリアの猛威が低減したと強調する。しかし実際は、犠牲は続いた。同植民地への入植者数は延べ約１５００人だったが、死亡者は約３００にものぼる。&lt;br /&gt;　それでも同植民地は発展を続けた。歴代の総領事が視察に訪れ、戦前は「模範植民地」と呼ばれた。&lt;br /&gt;　昭和５（１９３０）年前後が同植民地の最盛期だった。それを境に、植民地から人が減っていった。&lt;br /&gt;　焼畑に依存する当時の開拓農法は、30年ほどで地力を奪い尽くした。移民たちは、そうした耕地に見切りをつけ、次なる開拓地へと進出した。こういった植民地に「村の鎮守」が建設されなかったのは、移民の漂泊性が影響しているのだろう。&lt;br /&gt;　東京植民地神宮も終焉の時を迎えようとしていた。同地出身者によれば、６月にはミヤマツリと称する奉納相撲が大々的に行なわれていたが、人が減り、祭典も消滅した。&lt;br /&gt;　終戦時には30家族しか残っていなかった。&lt;br /&gt;　昭和21（１９４６）年、馬場一家は東京植民地からの退去を余儀なくされた。皮肉なことに、日本人による農業王国の建設という理念を燃やして耕地に残留したほとんどの者たちは「勝ち組」だった。一方、理性的な馬場は認識派であった。また、謙介さんの弟の道雄さんの岳父は、勝ち組の凶弾に倒れた野村忠三郎だった。&lt;br /&gt;　馬場家は連日、文字通りの石打ちの被害を蒙り、屋根には穴があいてしまった。&lt;br /&gt;　馬場直はのちにサンパウロに移り、昭和48（１９７３）年に逝去した。遺産はなかった。&lt;br /&gt;&lt;b&gt;◎……◎……◎&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　馬場實子さん、同地出身の外間（オカマ）エレノアさんの案内で、アララクアラ市からタクシーでモツーカへ向かう。&lt;br /&gt;　多くの人に「現在は植民地のよすがを感じさせる物は何もない。行くだけ無駄」と忠告されたが、その土地を自分の足で歩き、その空気を肺に吸い込んでみなければ判らないことの方が多い。&lt;br /&gt;　驟雨のなか、現地に到着。たしかにかつての植民地は、一面のサトウキビ畑に変わり果てていた。神宮はいうに及ばず、小学校も移民の家も、何も残っていない。&lt;br /&gt;　だが、移民たちが死力を尽くして格闘したテーラ・ロッシャは往時のままだ。子供等が泳いだという小川も、昔日の流れを留めていた。&lt;br /&gt;　民家が一軒だけ、見えた。尋ねてみたが、留守のようであった。&lt;br /&gt;　建物を見ていると突然、「あのバルコニーは、昔のままです」とエレノアさんがいう。實子さんによれば、そこはエレノアさんの生家の場所とのこと。&lt;br /&gt;　庭先で柿の樹を発見した。柿は、日本人がこの大陸に広めた。&lt;br /&gt;　ここに、日本人の生活があった。&lt;br /&gt;　この場所で人が生き、そして死んだ。&lt;br /&gt;　その中心に、南米最古の神社があったのだ。（おわり）&lt;br /&gt;&lt;font size=2&gt;&lt;br /&gt;※ 本取材にあたり、ブラジル日本移民史料館の小笠原公衛氏には大変お世話になりました。心より感謝します。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;「サンパウロ新聞」２００７年３月28日、29日掲載&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;…二礼二拍手一礼（忍び手）&lt;/b&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/toukyou.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;【写真】「ミヤマツリ」と称された奉納相撲（撮影年不明）。行司は馬場直か（サンパウロ市・清水ホーザさん提供）&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-6047804963371741937?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6047804963371741937'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6047804963371741937'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/76_04.html' title='(墓74)南米最古の神社／東京植民地神宮の夢'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-5309658834275274603</id><published>2007-09-04T10:37:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:43:12.722+09:00</updated><title type='text'>(墓73)パドレ・マルティネスの葬儀ミサ（個人的な回想）</title><content type='html'>.&lt;br /&gt;.&lt;br /&gt;&lt;i&gt;&lt;b&gt;&lt;font color=green size=4&gt;忠実なよい僕だ&lt;br /&gt;よくやった&lt;br /&gt;主人と一緒に喜んでください&lt;br /&gt;（マタイ25-21）&lt;br /&gt;“Siervo bueno y fiel entra en el gozo de tu Señor”&lt;br /&gt;(Mat.25-21)&lt;/i&gt;&lt;/b&gt;&lt;/font&gt;&lt;font color=gray size=2&gt;&lt;br /&gt;.&lt;br /&gt;.&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　2007年3月10日、JRの四谷駅の階段を上ると、一点の曇りもない快晴だった。&lt;br /&gt;　パドレ・マルティネスに、しばしの別れをするために、聖イグナチオ教会のマリア聖堂へ向かう。この日は、雑誌「SOGI」の取材で訪れた。在日のラテン系コミュニティー関係のスペイン語メディア以外は、彼の葬儀も生涯も取り上げてはくれないだろう。だが、パドレ・マルティネスという存在は、日系ペルー人の歴史を語る上で、欠くことのできないものであると思う。たとえそれが、良きイエズス会司祭の「平凡な」生涯だったとしても。&lt;br /&gt;　そして僕は、書くことでしか、彼に応えられないのだから。&lt;br /&gt;　そういう意味でも、雑誌「SOGI」の存在は、ありがたい（雑誌「SOGI」のライターとして言えば、カトリックの葬儀は、かなり好きだ）。&lt;br /&gt;　施行する葬儀社との約束の時間は、開式の1時間前の午前9時30分だった。&lt;br /&gt;　少し早くついたので、大聖堂の土曜ミサを拝見する。改修が済んだ教会は、全体的に簡素で都会的な造りになっていて、なにかますますプロテスタントの教会ように見えてしまう。&lt;br /&gt;　時間になったので、カメラマンの関戸さんと合流し、マリア聖堂へ。祭壇等の写真撮影を行なう。柩がない。聞けば、目下、火葬中とのこと。つまり、事情があってこの日の朝早くに火葬にしてから、会場に遺骨を運ぶというのだ。&lt;br /&gt;　骨葬にした理由は、宗教的もしくはパドレの出身地の慣習等によるものではなく、早く火葬にしなければならない極めて個別的な理由があったためだ。&lt;br /&gt;　前日、「葬儀ミサは骨葬だよ」と聞いていたが、こういうことかと理解した。&lt;br /&gt;　在東京ペルー総領事館の供花のネームカードがスペイン語だった。施行社の人に「芳名板に日本語で書きたいが、どう書けばいいのですか？」と質問されたので、手伝う。&lt;br /&gt;　式前には、パドレと親しかったエルマーノ（修道士）・エルナンデス(スペイン出身)と、パドレ・マルティネスの僚友で、日本での国際布教の先頭に立つパドレ・マギーナ（ペルー出身）に、パドレ・マルティネスについての質問ができたのは幸いだった。むろん、二人とも日本語は完璧。こちらからは、スペイン語で話しかけた（礼儀だろう）。&lt;br /&gt;　しかし、やはりカトリック教会はすごい。日本の「内なる国際化」にきちんと対応している。デカセギ労働者を排除しない。日本のほとんどの宗教団体（とくに伝統教団）は、未だに「国際布教」は海外へ、という認識しか持っていない。日本国内でいえば、ホワイトカラーのみだ。明らかな偏見。人種差別。&lt;br /&gt;　思えば、伝統教団に憤慨して、よく、パドレ・マルティネスに意見をぶつけたものだ。そういうときのパドレは、巌（いわお）のように動ぜず、しかし、晴れた日の森のように穏やかな笑顔をたたえて、&lt;br /&gt;「カトリックのカミサマは、富士山と一緒ですよ」と、変化球で諭してくれた。&lt;br /&gt;議論が突っ込んだものになると、位牌論・仏教経典論などで盛り上がった。「仏陀の名前を連呼するだけのお経に、どんな意味があるのですか？」&lt;br /&gt;　家庭のことについても、よく話をした。多くの日系ペルー人の家庭同様、うちも結婚式ではパドレにお世話になり、二人の子どもの洗礼もしてもらった（上の子はペルーで。下の子は日本で）。&lt;br /&gt;　忘れえぬ先生だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　開式の少し前に、遺骨が到着した。&lt;br /&gt;　そして、開式。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ヒロヒト。私のね、横顔はあんまり写さないでくださいよ」と冗談交じりにパドレが言っていたことを、なんとなく思い出す。&lt;br /&gt;「上智で教えていたとき、学生が『花王』って言うんですよ」&lt;br /&gt;　アゴが長いから、とのこと。&lt;br /&gt;　目が滲む。&lt;br /&gt;＊　　　　　　＊　　　　　　＊&lt;br /&gt;　式では白い祭服を着用した20人を超えるイエズス会司祭が列席し、「素晴らしい同志を世に送り出してくれた神に感謝を捧げた」…と、カトリック風に書けばこういうことになるのだが、こちらはただ、「悲しい」の一言。&lt;br /&gt;　涙が止まらなくなり、声を押し殺して聖堂の隅で突っ立っていると、葬儀社の方（この方も、立派なキリスト者だった）が、「聖体拝領しなよ！」と誘ってくださる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この葬儀社は、まったく宣伝をしないし、いずれかの神父の紹介でなければ葬儀を受けないという。キリスト者の帰天に心を込めて奉仕したいから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　聖体拝領のために、祭壇に近づく。語りかけるような頬笑みの遺影をあたらめて、…見ようとしたが、焦点が合わない。作法も何もなく、聖体拝領し、せんべいを噛み砕く。しょっぱい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　告別式でロヨラ・ハウスのリベラ館長が挨拶した。&lt;br /&gt;「ルーチョ（ルイス・マルティネスの愛称）の人生は、旅でした。スペイン時代も数多くの土地で仕事をし、日本、ペルー、そして日本と。しかし、その旅は、自分で決めた旅ではありませんでした。でもルーチョは、言われれば、どこへでも喜んで出かけました。&lt;br /&gt;　そして最期にたった一つだけ、自分で決めた旅をしました。それは、帰天です」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　パドレ・マルティネスは昨年12月26日に入院し、その後、一時退院。3月7日に再入院が決まっていたという。その日の朝、自分のベッドで逝去した。再入院を、嫌がっていたという。&lt;br /&gt;＊　　　　　　＊　　　　　　＊&lt;br /&gt;　私は、カトリックの洗礼を受けていないし、カトリック教会にそれほど親しみを感じていない。そんなことは百も承知で接してくださったパドレ・マルティネス。&lt;br /&gt;「日系ペルー人に対するカトリックの布教史を調べて、何かの形で発表しましょう」という二人の約束を、私は決して忘れません。ただし、その布教史の1ページに、あなたの人生を過去形で書かねばらないことが、とても悲しい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ヒロヒト、疲れたときはね、コカ（コーラ）ですよ。びんびんになりますよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ルイス=サンティアゴ・マルティネス=ドゥエニョス先生、&lt;br /&gt;　どうぞ、これからも見守っていてください。&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;--------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/misa1.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;写真:葬儀ミサの風景&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-5309658834275274603?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5309658834275274603'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5309658834275274603'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/75.html' title='(墓73)パドレ・マルティネスの葬儀ミサ（個人的な回想）'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-5066883566615674882</id><published>2007-09-04T10:34:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:42:58.998+09:00</updated><title type='text'>(墓72)パドレ・マルティネス帰天（77歳）</title><content type='html'>.&lt;br /&gt;.&lt;br /&gt;&lt;font size=3 color=gray&gt;　&lt;strong&gt;日系ペルー人に対するカトリック布教に多大な貢献をしたルイス・マルティネス神父（パドレ・マルティネス）が日本時間の3月7日午前5時30分、心不全のため宿泊先のイエズス会・ロヨラ・ハウス（東京都練馬区）で帰天した。77歳、イエズス会生活は60年6か月だった。&lt;br /&gt;　通夜は3月9日（金）午後5時からロヨラ・ハウス、葬儀ミサ・告別式は翌10日（土）午前10時30分から東京四谷の聖イグナチオ教会マリア聖堂で執り行われる。&lt;br /&gt;　連絡先はイエズス会日本管区（電話：03-3262-0282）。&lt;br /&gt;　パドレ・マルティネスはスペイン生まれ。戦後のカトリック教会の日本布教を担うため1953年に日本へ赴任。上智大学で教鞭を執った。その経験から日本語が堪能だった。その語学力（スペイン語・日本語）を評価されて、1964年にペルーへ赴任。セントロのサン・ペドロ教会に執務室を構え、日系人のasesor espiritual（心の助言者）として35年間の長きにわたって活躍した。数多くの結婚式や洗礼を行なったほか、カトリカ大学でも講義を行った。また、パドレ・マルティネスの代表的な著作である日西辞典は、いまも多大な好評を博している。&lt;br /&gt;　「いまや、数万人のペルー人が日本にいる。彼らの役に立ちたい」と、2000年以降は再び日本での布教生活に尽力。群馬県や栃木県など、ペルー人が多く住む場所へ精力的に出かけるほか、電話やe-mailによる相談も受けていた。一時期、パドレ・マルティネスの事務室のあった上智大学や、宿泊先のロヨラ・ハウス（イエズス会修道士の老人施設）には、訪問客が絶えることがなかった。また、ＷＥＢページでの教話も行い、教話をまとめた著作集（スペイン語）も一年に一冊以上のペースで出版した。&lt;br /&gt;　パドレ・マルティネスの御霊に安らぎあれ。&lt;/strong&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;--------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/Ogawa12.jpg target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;写真①パドレ・マルティネス（1968年／左側は旧リマ日校の小川長男先生）&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/padre5.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;写真②晩年のパドレ・マルティネス（2000年／上智大学で）&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-5066883566615674882?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5066883566615674882'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5066883566615674882'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/7377.html' title='(墓72)パドレ・マルティネス帰天（77歳）'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-4352294979878598942</id><published>2007-09-04T10:29:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:49:14.344+09:00</updated><title type='text'>(墓71)「人間性を持たない研究開発が、人間に益することはない」</title><content type='html'>&lt;strong&gt;「人間性を持たない研究開発が、人間に益することはない」&lt;br /&gt;～産総研35億円事件の取材メモ～&lt;br /&gt;ライター・太田宏人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;(2006年)9月22日発売の「週刊金曜日」に、産業技術総合研究所（産総研）のつくばセンター第6事業所を舞台にした35億円事件を告発する記事を書きました。勇気ある内部告発がなければ、この事件は表面化さえしませんでした。事件のあらましと、取材をしながら考えたことを書いてみたいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=red&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;●児戯もしくは悪質な冗談？&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　記事の内容は、①第６事業所で35億円にものぼる公金が無駄遣いされていること。②実験動物の管理が、あまりにもずさんである―という２点です。&lt;br /&gt;　35億円とは、膨大な金額です。いったいどんな無駄遣いかというと、「実験施設（6-13棟）を作ったら、まったく使えないシロモノだったので、産総研ではなく、外部の施設を有料で借りた。外部だと何かと不都合なので、今度は、産総研内の使えない施設を改修して、使えるようにします」という顛末です。35億円のうち、幾ばくかでも私的に流用された証拠があれば刑事告発も可能でしょうが、誰も責任をとらず、このような児戯にも等しい愚行が、現在も続けられているのです。&lt;br /&gt;　②に関しては、産総研の第6事業所におけるカルタヘナ法（＊）違反は、政府も認めています。&lt;br /&gt;　産総研35億事件を告発したのは、第6事業所で実験動物と施設のメンテナンスを行なっていたアニマルサポート社（岩崎啓吾社長）です。同社は2004年にも、東京理科大学の実験棟（千葉県野田市）の実態を内部告発しています。そのさい岩崎啓吾さんに取材し、原稿を書きました。以下、その一部を抜粋します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;b&gt;理科大の実験施設の実態は「驚愕」そのもの。動物はマウスを使っていたが、普通は数匹しか入れてはいけないケージに、雄雌を入れっ放しにするので、勝手に繁殖し、それをさらに放置するため、最終的には何十匹にもなってスシヅメ状態で共食い。こうなると、岩崎さんらが、尻尾を引っ張って頚椎を脱臼させて殺したり、死に至る量の麻酔を投与したり、場合によっては首を鋏で切るなどの「処分」をする。もちろん、こうならないようにするのは研究者の義務だが、彼らはそんなことには関心がない。研究者が少し気をつけていれば、無駄な間引きを防げるはずなのに。&lt;br /&gt;　これが、普通の現場だ。生命倫理的にもおかしいが、もっと変なのは、「実験施設内で勝手に繁殖する」ということ。こうなると、個体を特定できない。遺伝系統は不明になってしまうのだ。そしてそんなマウスが、さも遺伝系統が分かっているかのようなＩＤをつけられて論文に書かれる実態に、岩崎さんたちは憤った。&lt;br /&gt;　さらに「可哀想だから」（可愛いから？）という理由で、若い研究者や学生が、遺伝子改変マウスを自宅に持ち帰ったりしていたそうだ。実験施設の外を徘徊するマウスを、近所の住民が目撃したこともある。バイオハザードという言葉を、この子たちは理解していないのだ。&lt;br /&gt;　「これで『科学』が成立するわけがない。なんのための実験なのか？」と岩崎さん。税金を、外部のチェックも受けずに湯水の如く使えるような環境にいると、感覚が麻痺して、小学生でも分かるような善悪の判断さえできなくなるのだろう。幼稚だ。日本の科学のベースにも「幼児性」がはびこっている。（漫画実話ナックルズ／2005年12月掲載原稿を一部修正）&lt;br /&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;font sidze=4 color=red&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;●市民が検証できない科学行政&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もしもあなたの住んでいる場所の自治体で、1000万円の無駄遣いが発覚したとします。「市役所の倉庫を作った。しかし、雨漏りが激しいので、民間倉庫を借りたものの、やはり不都合があるので、市役所の（使えない）倉庫の屋根を改修する」というようなケースを想定しましょう。1000万円というのは、産総研35億円事件に比較すれば、「わずか」350分の1の金額です。しかし、大問題になります。市長の対応の仕方によっては、リコール請求されることもあるでしょう。&lt;br /&gt;　1000万円といわず100万円でもいいでしょうが、とにかく、自治体ではここまで住民の監視ができます。しかし国が管轄する科学行政の内部は、本当にダークゾーンです。軍隊に対するシビリアン・コントロールという言葉がありますが、この言葉は、いまは自衛隊だけではなく、科学行政にも適応されるべきでしょう。&lt;br /&gt;　よく、「タダ酒（誰かのおごり）は何杯でも飲める」などと言います。自分の懐がダイレクトに痛まない出費に対して、財布の紐は緩みがちになるものでしょうか。産総研事件にも、どうも同じ臭いがします。科学の「先端」を担う学者たちこそ高潔な人間性を有して欲しいものですが、現実は理想とは反しています。&lt;br /&gt;　彼らの人間性の低さについて、岩崎さんもたびたび指摘しています。私も、取材にあたって痛感しました。たとえば取材に対して、やたらと専門用語を並べ立て、しかも回りくどい答え方をすることです。科学者とは思えない理路「不」整然です。公金を使っている以上、自分達の行動について国民に説明する義務が確実にあります。それをせずに「一般人を見下した物言い」（岩崎さん）をするのですから、何かが狂っています。&lt;br /&gt;&lt;font sidze=4 color=red&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;●科学者の危険な人間性&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　産総研35億円事件について、参議院の谷博之氏が国会の質問主意書で取り上げ、国が回答しています（AVA-netの120号参照）。これに基づき、文部科学省が今年9月8日に発表した報道資料があります。要点は、産総研ではカルタヘナ法違反があったが、不適切な措置は是正した、というものです。「不適切な措置」とは、&lt;br /&gt;&lt;font sidze=4 color=red&gt;&lt;b&gt;&lt;br /&gt;① 拡散防止措置をとらずに遺伝子組み換え（TG）マウスを飼育していた（ただし、動物は逃げなかった）。&lt;br /&gt;② TG動物の飼育施設ではカルタヘナ法によって、その旨表示する義務があるが、されていなかった。&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここで大きな問題になるのは、「逃げていない」ことの信憑性の低さです。産総研でも理科大と同じようにずさんな飼育をしているため、まさにネズミ算式にマススが繁殖しています。ケージは小さいので、個体の上に乗ることによって、別の個体が簡単に脱走できます。アニマルサポート社の元スタッフの手記によれば、ケージの給水瓶を入れない研究者がいるため（つまり、マウスは水さえ与えられない）、その穴から脱走していたそうです。しかもアニマルサポート社のスタッフが、脱走したマウスを捕まえて研究者に抗議すると、「お前たちが管理しないからだ」と叱責されるのが常でした。挙句の果てに研究者の私用まで押し付けられる始末。&lt;br /&gt;　文科省のリリースにある「拡散防止措置」とは、実験室のドアの下部に、鉄板を立てることなどを言います。それが設置されていない部屋がいくつもあったわけです。アニマルサポート社がかろうじて捕まえた（つまり、逃げていた）マウスのほかに、建物外に逃げた個体がいても、おかしくはない状況です。「実際には逃げていない」と言いますが、ネズミ算式に増えてアニマルサポート社のスタッフが仕方なく処分していた状態で、逃げていないことを物理的に確認できるのでしょうか。敷地内の野外で白いネズミを見た、という情報もあるほどです。まったくの詭弁です。&lt;br /&gt;　このリリースの中に、驚くべき一文があります。「清掃等を行なう管理業者が遺伝子組換え生物等の使用者であるという認識が（研究者に）なかった」。&lt;br /&gt;　アニマルサポート社の吉村さんは「『掃除屋がそんなことを知る必要はない』という意味でしょう」と解説する。彼らには実験動物の情報を伝えなくてもいいというのが、少なくとも産総研での「常識」のようです。&lt;br /&gt;　今回のリリースでは、琉球大学でも「許可を受けずに遺伝子組換えHIVウイルスを使用した」と報じられています。清掃業者には、やはり教えられていなかったのでしょうか。実験施設や器具の清掃管理、実験の終わった動物の遺骸の処理も、“間引き”も清掃業者の手で行なわれます。しかも産総研の第6事業所では、規定数以上に動物がいるため、糞や床材、死骸が多すぎて、廃棄物が膨大な量になります。すると、冷凍式ゴミ箱に廃棄物が収まりきらず、ゴミ箱の上に、黒のポリ袋が山積みにされていたのです。むろん常温です。&lt;br /&gt;　清掃業者は、必要な情報も与えられず、リスクの高い生物汚染の最前線に立たされています。&lt;br /&gt;　人を人と思わない研究の現場。人間の尊厳さえ認めないこのような場所で動物実験の3R（数削減、苦痛軽減、代替）は期待できません。&lt;br /&gt;　彼らの高尚な研究開発は、本来は人間を幸福にするためのものです。だからこそ公金を使うことが許されるのです。しかし、その実態は公共の利益になど結びついていないのではないでしょうか。逆に、公金を無駄に浪費し、バイオハザードの危険さえ撒き散らしている。何よりも、現場には人間性が欠如しています。このような研究開発が、本当に人間を幸せにできるのでしょうか。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;font size=2&gt;&lt;br /&gt;（＊）カルタヘナ法…遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律。生物多様性の確保を目的とするカルタヘナ議定書の発効にともない、議定書の実施を目的として制定された法律（2004年2月19日施行）。&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/S13.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;【写真］産総研第６事業所&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/gomibako.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;【写真】冷凍ゴミ箱に入りきらず、その辺に置かれている実験動物の死骸その他の廃棄物（ビニール入り）&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/DH000022.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;【写真】ギュウギュウ詰めのマウスたち（産総研＠つくば）&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.ava-net.net/ target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;AVA-net&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;:121号(2006年11月号掲載)&lt;br /&gt;--------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-4352294979878598942?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/4352294979878598942'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/4352294979878598942'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/7135.html' title='(墓71)「人間性を持たない研究開発が、人間に益することはない」'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-5122755112920860584</id><published>2007-09-04T10:27:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:45:32.555+09:00</updated><title type='text'>(墓70)治安が悪いけど安い！ペルーへ行こう!!</title><content type='html'>&lt;font saize=4&gt;治安が悪いけど安い！ペルーへ行こう!!&lt;br /&gt;■人質事件を解決するために沖縄から神がペルーに来た！&lt;br /&gt;ルポ＆写真／土崎英穂（ペルー在住ライター）&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;font size=2 color=green&gt;1997年当時の記事です&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;FONT SIZE=3 COLOR=gray&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今なら、ペルーは、安いよ。&lt;br /&gt;　乗り継ぎなら、往復13万円を切るってさ。&lt;br /&gt;　行くなら、観光客が激減している今に限る。ペルーの観光業のサービスは世界的にも低い部類だけど、今なら笑顔でお出迎え。&lt;br /&gt;　旅行するなら、今だ。&lt;br /&gt;　治安はね、人質事件とは関係なく、悪いよ。&lt;br /&gt;　いつものことだもん、ひったくりに強盗、レイプ、警察官の汚職は当然。あまり、事件の影響はない。でも、観光客が減った分、ペルー人が襲われているって。それと、中心街のゴミ溜めみたいな市場（どろぼう市）の撤去が始まって、道路に寝ていた少年犯罪者集団がまるでクソ暑い夏のスズメバチみたいに気が立っているのは事実。こいつらの強盗だけは、ちょっとひどすぎる。&lt;br /&gt;　公邸の周辺も、警官が多くて、みんな自動小銃持っているからちょっと物々しい。こっちの警官は自動小銃は当たり前で、バズーカも戦車も持っているから、これが日常なのだ。驚くことじゃない。&lt;br /&gt;　先日、イエス・キリストに会ったよ。日本人だった。自分で言うんだもん。「聖書に書かれているキリストは私だ」って。この人質事件を解決するために、沖縄県の宜野湾市から来たって。46歳。去年の暮れあたりからリマにいるらしい。&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「私は、日本の沖縄県宜野湾市大字×××の又吉光雄という者です。去年（1996年）の４月以来、沖縄県において、私が再臨のイエス・キリストであることを表明しています。（中略）再臨の目的は人間の人格そして地球をその破綻・破滅から守るため、うんぬん。再臨の目的のひとつとして、今回の日本大使公邸人質事件を解決するためリマに来た、うんぬん」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　　--あの、神様ですよね？&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「そうです（注＝神とキリストは別物じゃないの？　まあ、いいか）」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　　--全智全能ですよね、トーゼン。&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「言うまでもない」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　　--だったら、今すぐこの事件を、その特殊なちからで解決して見せてくださいよ。&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「それはできない。私がゲリア（注＝テロリスト）とペルー政府の両者を納得させなければならない。そのためには、私の救済プランを保証人委員会（注＝今回の事件での調停役）が採用するしかない。それしか人類が救われる道はないのだ！　私が保証人委員会に入るべきだ!!　時にあなた」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　　--はい？&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「スペイン語が出来ますか？」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　　--ええ、まあ。&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「通訳して頂けないでしょうか？」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　　--……。全知全能なんでしょう？&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「そうです」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　　--いいや、あんたはニセモンだよ。&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「うぬぬ。あなたの目は曇っている。いつか必ず、バチ被るぞ」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　　--ありがとう。&lt;br /&gt;　このカミサマ、日本の大使館やペルーの大統領府にまで足を運んだが門前払いにされた。話を聞いたのは、ボクが勤めるペルー新報（日刊紙）だけだった。他にも、日本のボランティアを職業とする若者が「ボクが、ペルーの貧困をなくすよう、犯人たちに働きかける。だから旅費を送って欲しい」というお願いの手紙がペルー新報に届いた。&lt;br /&gt;　政府はドス黒いけどさ、一応「国家」なわけで、個人がどうのこうの言って事態が変わるわけないだろうに…。&lt;br /&gt;　それから、この事件のどさくさに紛れて、統一教会がペルーの実業界（とくに、日系社会）に触手を伸ばしている。「世界平和女性連合」とかいう名前で日系人の家を回ってるんだけど、大脳新皮質を破壊された、あの神がかった独特の愛らしい眼差し。バレバレだよ。この「眼差し」って、匂うよね。世界のどこにいても。&lt;br /&gt;　だいたい貧困貧困いうけど、餓死者なんていないんだよ、この国には。道路で物乞いしている乞食は、新宿にだっているじゃないか。&lt;br /&gt;　バスに乗り込んで「僕は泥棒していました。娑婆に出ても仕事がありません。パパはアル中です。お兄ちゃんはラリッてます。ママは病気で弟のミルクにも困ってます。お助けを…」というやつがたくさんいて、聞くところによると、一日に70ソーレスくらい稼ぐ奴もいるとか。これを週休２日でやったら、一ヶ月に１４００ソーレス（５万円強）。週休１日であくせく働いている僕の給料の２倍以上あるじゃないか。&lt;br /&gt;　これも、ペルーの「貧困」の現実の一部なんだ。&lt;br /&gt;　ペルーは、食べ物がおいしい。ジャガイモやトウモロコシの原産地。野菜がウマイ。トマト、ピーマン、紫タマネギ、カボチャにレタスなどなど。&lt;br /&gt;　肉も豊富だよん。若鶏（ぽーじょ）の丸焼きには首や脚がついてくるから、ワイルド派には応えられないよ。ジューシィ。うまい。&lt;br /&gt;　シーフード（まりすこす）もいいね。ピリッと辛いマリネ（せびちぇ）なんて、一皿50円ですぜ。もちろん、酒も飲んだら、一食数万円もするディナーだって食べられる。「貧富の差の激しい国」の典型というわけだ。&lt;br /&gt;　ぼったくりと強盗の多い国だけど、人情がある。日本人だけが狙われているわけじゃない。油断していれば、この国の人だって被害にあう。新聞社の同僚（おじいちゃん）なんか、この２年で18回も強盗にやられた。彼、現在も前人未到の記録を更新中だ。&lt;br /&gt;　スラムや泥棒、日本大使公邸の周辺なんて、観光客は行く必要ないよ。マチピチュやナスカ、そのほかのインカの遺跡、地方の村、アマゾンの国立公園、トラックの二台に憲男婚で、三日も四日もかかるアンデス越え、博物館、リマ郊外のリゾート地…。変なとこに行かなければ、いつものペルーを、今なら低料金で満喫できること、請け合いだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font size=2 color=black&gt;1997年、雑誌「ＧＯＮ！」（ミリオン出版）に掲載。一時期、ペンネームなどを偉そうに使っていた・・・。&lt;br /&gt;※あまりにひどい事実誤認のほかは、当時のままです。書いたときは、大使公邸人質事件の解決前だったが、掲載時には終結していた。又吉光雄は、教会の牧師と名乗っていた。「沖縄に戻ったら、宜野湾市長になり、その後、沖縄知事になる」といっていた。当選しなかったが、市長選と知事選に出馬したことは、風の噂で聞いた。ネットでは「又吉イエス」とか言われていたとかなんとか。&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;--------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/Jesus_Matayoshi.jpg target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;【写真】リマに光臨したキリスト（沖縄出身）、又吉光雄。&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;--------------------------------------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-5122755112920860584?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5122755112920860584'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5122755112920860584'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/70.html' title='(墓70)治安が悪いけど安い！ペルーへ行こう!!'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-4458279850045234630</id><published>2007-09-04T10:00:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:48:26.435+09:00</updated><title type='text'>(墓69)スピリチュアルケアを標榜する診療所</title><content type='html'>&lt;strong&gt;--トータルケアとしての在宅医療の実践(静岡市・たんぽぽ診療所)--&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue&gt;●&lt;strong&gt;2006年1月に開院した「たんぽぽ診療所」（静岡市駿河区中吉田）。このクリニックの特徴は「在宅」と「スピリチュアルケア」である。同診療所の取り組みをリポートするとともに、「人をしあわせにする医療」を真剣に追求する遠藤博之院長の在宅診療にかける思いを聞いた。&lt;/strong&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=red&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;スピリチュアルケアとの出会い&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;FONT COLOR=gray&gt;　たんぽぽ診療所・遠藤博之医師（4１）の往診に同行した。&lt;br /&gt;　さまざな理由から、医療機関へ行くことができない患者がいる。「自宅で死を迎えたい」という患者もいる。そして患者同様に、心身の危機に直面する患者の家族がいる。遠藤氏の往診は、こういった人たちに、微笑みという名の優しさを配り歩いているようだった。&lt;br /&gt;　遠藤氏の行動から、cliniclownを想起する人もいるかもしれないが、遠藤氏は芸達者ではないし、あくまでも「微笑」であって、爆笑につながる笑いではない。朴訥とした語り口からも、話術の巧みさは特に感じられない。何か特別な行動で笑いを取ることもない。存在自体が微笑みを誘う。まさに「たんぽぽ」の花のイメージだ。&lt;br /&gt;「どんな人に対しても、陽性の気持ちで接したい。人が死ぬことは仕方がないが、人々をしあわせにする医療に携わりたい」と遠藤氏は語り、日々、それを実践している。&lt;br /&gt;　たんぽぽ診療所を開院する前の遠藤氏は、静岡済生会総合病院（静岡市駿河区小鹿）の緩和診療科科長だった。同病院では15年間、勤務した。&lt;br /&gt;　当初は、同病院の腎臓内科に籍を置いていた。専門は透析。そして、透析を受ける患者との交わりや看取りの経験から、病院内に「緩和ケア研究会」を立ち上げた。同研究会を始めた背景には、「苦しみを持つ医療従事者の助けになりたい」との思いがあった。研究会は月に1回のペース。参加者は有志で、病院内で行った。&lt;br /&gt;　遠藤氏はのちに緩和診療科に移り、緩和ケアチームを育てあげた。&lt;br /&gt;「緩和ケアの対象になるのは、身体的・精神的・社会的、そしてスピリチュアルな痛みです。以前、これらの痛みは並列するものだと思っていましたが、身体的・精神的・社会的な痛みは、スピリチュアルな痛みに内包される存在だという説を聞いて、納得したことがあります」と遠藤氏。「スピリチュアル」という用語が意味する範囲は、実際のところ不確定である。遠藤氏は、窪寺俊之氏（関西学院大学神学部教授）の説を踏まえ、「もう頼るものが何もなく、弱り果てた危機的な状況のなかでも、生きる力や希望を見つけ出そうとする機能」と説明する。それは、人によっては霊的なものであったり、宗教的なものであったり、そうでなかったりする。パーソナリティーが十人十色であるように、スピリチュアリティーも人によって違う現れ方をする。&lt;br /&gt;　遠藤氏が目指したものは、スピリチュアリティー全般に対するトータルケアだった。当然、身体的・精神的・社会的な痛みに対するケアも含まれる。&lt;br /&gt;「日本の緩和ケアというと、がんの終末期の疼痛コントロールを連想することが多いのですが、対象を終末期に限定せず、『人が人として過ごしてゆくこと全般』に寄り添いたいと思いました」と、遠藤氏は語る。&lt;br /&gt;「緩和ケア研究会」も「スピリチュアルケア研究会」へと名称変更となったが、遠藤氏が同病院を退職する直前の2005年11月まで計118回、約10年間も続いた。&lt;br /&gt;　また、ある透析の患者を在宅で看取った経験などを通し、「開業するなら在宅医療を行いたい」と考えたという。在宅での素晴らしいスピリチュアルケアは、これまでも数多く報告されている通りである。&lt;br /&gt;　総合病院での15年間の勤務は、遠藤氏のベクトルを「在宅」と「スピリチュアルケア」へと決定的に方向付けたようだ。&lt;br /&gt;　もともと遠藤氏の医師としての出発点は、他の医師とは少し違っていた。国立山梨医科大学（現・山梨大学医学部）の医学生だった当時、哲学を担当するある教員に、非常にかわいがられたという。&lt;br /&gt;「恩師には、『医学する心』や『人として生きていく心』を教えていただきました」&lt;br /&gt;　1989年に大学を卒業。ホスピスが注目されていた時代背景もあり、静岡県浜松市の聖隷三方原病院・ホスピス病棟でも研修を受けた。このほかにも多くの医療施設と診療科で研修を受けたが、そのなかで腎臓内科に出会った。そこでは、死のリスクに直面しながらも、黙々と病院へ通い、透析を受ける患者たちとの出会いが待っていた。&lt;br /&gt;　研修期間が終了すると、静岡済生会病院の腎臓内科へ入局。&lt;br /&gt;　済生会病院ではチーム医療体制をとっているので、主治医を特定しない。ところがどういうわけか、遠藤氏が当番のときに患者が死を迎えることが多かった。これを、遠藤氏は「縁」と呼ぶ。&lt;br /&gt;　さらに「遠藤先生に看取ってもらいたい」と名指しで希望する患者も少なくなかった。遠藤氏を取り巻く死の影は、陰性ではなく、陽性なのだ。そのことを誰よりも実感していたのは、まさに死にゆく患者たちだったのだろう。&lt;br /&gt;　年齢的なことや、周囲からの奨め、さまざまな「縁」などの要素が重なり、昨年12月に静岡済生会総合病院を退職。今年1月、たんぽぽ診療所を開院した。「たんぽぽ」という名称は、星野富弘氏の詩「花に寄せて」からインスパイアを受けた。&lt;br /&gt;　たんぽぽ診療所の開院後も、週に１回、遠藤氏は静岡済生会総合病院での診察を続けている。看護師の人的交流も続く。実際的な病診連携が展開されているのも、たんぽぽ診療所の特徴のひとつである。&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=red&gt;たんぽぽ診療所の船出&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;FONT COLOR=gray&gt;&lt;br /&gt;　スピリチュアルケアを標榜する在宅医療。そしてその「在宅」は、在宅ホスピスや終末期のペインコントロール等に限定せず、守備範囲はもっと広い。また、患者本人だけではなく、その家族をもケアの対象とする――。これが、開院にあたっての遠藤氏のヴィジョンだった。&lt;br /&gt;「クリニック開院を専門にする会計士に相談したところ、ヴィジョンは100点満点の評価を頂いたのですが、『これでは経営が成り立たない。地域診療を担うクリニックとして、経営基盤を固めるように』とアドバイスを受けました」&lt;br /&gt;　経営方針は変更を余儀なくされたが、遠藤氏のヴィジョンは周囲へ波紋を広げた。たとえば、静岡市で調剤薬局のほか、グループホームやデイサービス施設、居宅介護支援事業所などの介護事業を幅広く手がける有限会社アイドラッグ（石川優子社長）が、たんぽぽ診療所の開院に合わせ、いわゆる門前薬局となる「すずらん薬局中吉田店」を開店。常勤の管理薬剤師は、介護支援専門員（ケアマネージャー）の資格も持つ杉山優香氏を配属した。杉山氏は遠藤氏の往診に毎日同行し、患者や家族の同意を得てから、服薬指導を行う。&lt;br /&gt;「まだ始めたばかりなので、中吉田店については経営的には大変ですが、遠藤先生の在宅医療の方針は正しい。『こんな先生が欲しかった！』という気持ちがあるので、遠藤先生と一緒に頑張っていきたい」（石川社長）。&lt;br /&gt;　また、たんぽぽ診療所の周辺には開業医が少なく、地域にとって「待望のクリニック」でもあった。近所の高齢者は、たんぽぽ診療所の開院を事前に知ると、その喜びを表現するため、診療所にグランドピアノを贈った。足腰の弱い高齢者にとっては、楽に歩いていける診療所は、それほどに嬉しい存在だった。ピアノは現在、待合室横の「たんぽぽルーム」に置かれ、時おり、誰かが弾いている。&lt;br /&gt;　開院を喜んだのは高齢者ばかりではない。同クリニックの診療科目は、内科・緩和ケア・腎臓内科・在宅診療。小児科は標榜科目ではないものの、子どもの患者も自然と訪れるようになった。優しさあふれる遠藤氏は、小児科医に「向いている」のかもしれない。本人も、子どもが好きとのこと。また、遠藤氏の人柄をそのまま体現したような診療所内部の雰囲気は、他の子どもクリニックと比較しても遜色はない。さらに、&lt;br /&gt;「スピリチュアルケアを打ち出しているので、うつ病の患者さんも来ます」（遠藤氏）。まさにオールマイティな診療を行う、開業医の真骨頂といったところか。&lt;br /&gt;「総合病院で働いていたときは、専門分野の文献を一生懸命読んで、最新の医療の提供を心がけていました。ところがいまは、そういうことはしていません。しかしこれはこれで、毎日が楽しい」と遠藤氏。&lt;br /&gt;　総合病院は、イレギュラーなことを排除する。外来受付も、時間が来れば問答無用で終了。待ち時間が長いのは当たり前。検査結果の数値が診療を決定し、服薬も、医師の処方に絶対服従。それを遵守できない患者（家族）にはネガティブな評価が下される。そして「最先端の医療」を提供しない開業医を見下す――。総合病院には、大なり小なり、こういった傾向があるのは否めないだろう。&lt;br /&gt;「でも実際には、患者さんやご家族の都合だとか、治療内容に対する理解度だとか、いろいろなことがあって、完璧にはできないケースもあります。そういった（イレギュラーな）部分に、柔軟に対応するのが開業医です。私自身も、多少はルーズで、人情味があるほうが好きなので」と遠藤氏は語る。さらに、&lt;br /&gt;「当院の看護師は、ある総合病院の出身なのですが、開業医の世界に飛び込んでみて、開業医が地域で果たす役割の大きさに驚いています」という。そして、&lt;br /&gt;「最新の医療が必ずしも人をしあわせにするとは限りません。たとえば、総合病院では高価な新薬を処方しますが、効果がほとんど変わらないのであれば、新薬に比べれば遥かに薬価が低い薬でもいいわけです。国民の医療費を抑えるためにも、こういった選択肢は重要です」と、遠藤氏は考える。&lt;br /&gt;　また、知的障害ではないものの、理解度の低い患者や家族に対しては、間違った服薬をしても大きな問題が出ない処方を心がけているという。&lt;br /&gt;　前出の薬剤師・杉山氏も、「訪問することで、どのように薬を飲んでいるかを把握できます。服薬指導は、『きちんと薬を飲んでいないから、あなたは駄目だ』と批判するためのものではありません」&lt;br /&gt;　相手のテリトリーである家庭に伺い、相手の話をじっくりと聞く。そして、一緒に解決策を考える。杉山氏のスタンスは、遠藤氏のスタンスとズレがない。杉山氏を信頼する患者や家族が多いのも、首肯できる。杉山氏は、迎えられて臨終の場に立ち会うこともある。むろん、保険点数などは付かない行為だ。&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=red&gt;患者の家族もケアする往診&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;FONT COLOR=gray&gt;&lt;br /&gt;　たんぽぽ診療所の診療時間は、月・火・木・金が9：00～12：00／14：30～18：00。現在のところ、水曜日は済生会病院での外来診察のため終日休診。土曜日は9：00～13：00。&lt;br /&gt;　通常の往診は、遠藤氏と杉山氏、看護師の３人でチームを編成する。しかし往診に充てられる時間帯は12：00～14：30のみである。1日の往診軒数は約2～4軒。このほかに、グループホームも1軒往診する。正直なところ、昼食をゆっくり食べる時間はない。&lt;br /&gt;「1軒に対し、平均で1週間に1～2回は往診します。亡くなりそうな患者さんの場合は、日曜日も含め、毎日伺います」と、遠藤氏の往診頻度は高い。&lt;br /&gt;　むろん、ある一線以上はボランティアになる。杉山氏の場合も同様で、在宅での服薬指導は、患者が要介護の場合は介護保険の適用になるが、そうではない場合、介護保険での点数は付かない。&lt;br /&gt;　通常は、たんぽぽ診療所と連絡を取り合って、処方箋は訪問前に書き、必要な薬を携行する。&lt;br /&gt;「でも、実際にお宅へ伺うと『あれがない』とか『間違えて飲みすぎてしまった』など、いろいろなことが起こってるんです」（杉山氏）&lt;br /&gt;　そういう時は処方を追加したりして、その日の夕方、杉山氏かたんぽぽ診療所のスタッフが届けることもある。&lt;br /&gt;　なお遠藤氏は、診察代を払えない人からはお金をもらっていない。&lt;br /&gt;　往診範囲は特に決めていないが、診療所および遠藤氏の自宅から車で数分で行けるところが望ましいという。かなり遠方の患者が往診を依頼したこともあるが、「何かの緊急事態が起こったときには対処できない」と申し添えたところ、依頼は取り下げられた。&lt;br /&gt;　遠藤氏が担当する在宅の患者の疾病別の比率は、腹膜透析の患者が50％、がん終末期の患者が40％、脳卒中等で寝たきりとなった患者が10％。&lt;br /&gt;　記者が同行した日の往診では、3人（2軒）の患者を診察した。&lt;/strong&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=red&gt;【Ａさん】&lt;/font&gt;大正生まれの女性。既往症は糖尿病、慢性腎不全、慢性心不全。2005年冬、心不全が悪化し総合病院へ入院。一時、人工呼吸器を装着。腹膜透析を始めることで危機的状況から脱却し、呼吸器もはずれ、病状の安定を待って自宅療養となった。現在は腹膜透析、インスリンの注射を自宅で継続中。&lt;br /&gt;&lt;font color=red&gt;【往診風景】&lt;/font&gt;いわゆる寝たきりの状態だが、ユーモラスで非常にかくしゃくとしたおばあさんである。遠藤氏との会話も淀みない。診察を受けながら、家族のことや庭のサクラの木のことなどを遠藤氏等と談笑。往診について尋ねると、&lt;br /&gt;「遠藤先生にはとてもよくしてもらっている」と、真顔で答えていた。&lt;br /&gt;　たんぽぽ診療所の往診時に、たまたま訪問看護ステーションの看護師が居合わせ、遠藤氏の診察をサポートする。業種や組織を超えて、自然とそういった協力体制が確立されているようだ。&lt;br /&gt;　往診時間は約30分。&lt;br /&gt;&lt;font color=red&gt;【ＢさんとＣさん】&lt;/font&gt;ともに昭和初期生まれの夫婦。Ｂさん（夫）は脳梗塞にて日常生活が不自由。また前立腺肥大にて排尿困難なため膀胱カテーテル留置中であるが抜管を検討中。総合病院よりの退院にあたり、遠藤氏が往診フォローをしている。往診中にＣさん（夫人）の高血圧も見つかり、これも治療中。Ｃさんは弱視も疑われる。夫婦の服薬管理はＣさんが担当しているが、Ｂさんのケアマネージャーが「飲み間違い」の可能性を指摘。&lt;br /&gt;&lt;font color=red&gt;【往診風景】&lt;/font&gt;二人で合計約30分の往診だった。Ｂさんと同じくらいの時間をかけてＣさんの診察をする。Ｃさんは血圧も高く、体調が悪い。また、前出のケアマネージャーによると、Ｂさんの在宅療養が始まってから、Ｃさんはほとんど外出ができないという。&lt;br /&gt;　遠藤氏は血圧を測りながら、Ｃさんから食事内容などを聞き出し、やんわりとしたアドバイスを送る。ふいにＣさんが冗談をいう（普段は、遠藤氏に冗談など言わない人らしい）。そうやって打ち解けていくのが傍目にもよく分かった。杉山氏は、薬をどうやったら飲めるか、ということについてＣさんとあれこれ打ち合わせた。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;＊   ＊   ＊&lt;FONT COLOR=gray&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　遠藤氏の念頭には「家族のケアを誰がするのか？」という問いが常にある。&lt;br /&gt;「死期が迫っている患者さんの場合、往診で必要とされるエネルギーを100とするなら、50％はご家族のため、残り50％は患者さんのために使う」という。&lt;br /&gt;　また、患者が亡くなってからは、遺族のためのグリーフケアにも携わっている。&lt;br /&gt;「終末期ではない患者さんの場合でも、10～20％のエネルギーは、ご家族のために使いたいのです」&lt;br /&gt;　開院から間がないためか、遠藤氏は精力的に活動している。静岡済生会総合病院で行ってきたスピリチュアルケア研究会も、「たんぽぽの会」という名称で継続中だ。今回は、一般にも門戸を開放し、第1回「たんぽぽの会」は他施設の医療スタッフをはじめ、大勢の参加を得て盛況だった。&lt;br /&gt;　また、居宅療養管理指導実施施設の指定を受けたため、24時間体制である。ところが、医師や看護師を増やすための財政的な余裕がない。&lt;br /&gt;「僕にも突発的な事態が起こる可能性もあるし、家族との時間も大切にしたい。今後は、そのあたりをどうしていくかが課題」と遠藤氏。他の開業医との連携を視野に入れながら、遠藤氏をはじめとする「たんぽぽチーム」は、日々、往診を続けている。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;[Home Care MEDICINE2006年夏号：Frontier Report ]&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/tanpopo.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;診療所の写真はこちら&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;●リンク先&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tanpopoclinic/index.html&gt;たんぽぽ診療所&lt;/a&gt; と &lt;a href=http://www.shizuyaku.or.jp/kyujin/shizuoka/11%200542673511%20suzuran.html target=_blank&gt;すずらん薬局&lt;/a&gt;（別ウィンドウで開きます）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=―トータルケアとしての在宅医療の実践(静岡市・たんぽぽ診療所)&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-4458279850045234630?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/4458279850045234630'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/4458279850045234630'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/69.html' title='(墓69)スピリチュアルケアを標榜する診療所'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-8047509403335555787</id><published>2007-09-04T09:58:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:49:32.970+09:00</updated><title type='text'>(墓68)「裏」外国人葬儀屋の掟</title><content type='html'>　バブル経済の底辺の一角を支えたのは、イラン人やタイ人、バングラデシュ人、中国人などの外国からの労働者だった。だが、日本政府は彼らに正規の労働ヴィザ（入国査証）を与えなかったが、不法滞在は黙認した。&lt;br /&gt;　しかし、バブルが弾けた。&lt;br /&gt;　とたんに、出稼ぎガイジンへの締め付けは強くなった。&lt;br /&gt;　じつは多くのガイジンは、まじめに働いていた。故郷の家族に仕送りをするためだ。&lt;br /&gt;　なかには粗食に耐えながら３重労働に出かける人もいた。過労死もまれではなかった。ここで、大きな問題が発生する。&lt;br /&gt;　たとえば、イスラムは火葬を禁止しているけれど、土葬OKの墓地というのは、田舎に少しあるだけ。だが、そんな墓地に不法滞在のガイジンが埋葬されることはないし、皆、故郷での埋葬を望んだ。&lt;br /&gt;　イスラムの葬儀を一手に引き受ける葬儀屋が誕生した。仮にA氏とする。&lt;br /&gt;　A氏は、日本で死亡した外国人の遺体を本国へ運ぶ熟練のエージェントだった。&lt;br /&gt;　遺体を外国へ運び出すためには、その死人の国の在日公館（大使館や領事館）に遺体移送の許可証を発行してもらい、骨の状態でないならば、遺体は「エンバーミング」と呼ばれる防腐処理をしなければ、飛行機には乗せてもらえない。乗せるといっても、コンテナに入れて空輸するのだ。&lt;br /&gt;　今でこそ、日本人のエンバーマーは何人もいるのだが、当時は、ほとんどいなかった。&lt;br /&gt;　A氏は在日の某国軍隊に特別のコネがあり、基地内などで特別にエンバーミングをやってもらえた、という。&lt;br /&gt;「最も多いときは月に5件のイスラム葬儀を行ったが、最近は少ない」というA氏。&lt;br /&gt;　料金は、一件に付き数百万円だった。この料金に含まれるのは、エンバーミングと本国への遺体移送、在日公館や航空会社に対するコーディネート料。葬儀のセレモニー代は含まれないし、日本で葬儀をあげる人自体が少なかった。&lt;br /&gt;　現在、A氏がどんな仕事をメインにしているかは分からない。ある意味、彼もバブルに踊らされたのだ。そしてA氏によって本国へ送られていった死者たち。彼らを死に追いやったのもまた、バブルだった。&lt;br /&gt;[漫画実話ナックルズ2006年8月号]&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;注&gt;もとは「死の値段」という記事を『ＧＯＫＵＨ』に書いた。その後、『ＳＯＧＩ』誌に関わるようになり、まっとうな葬儀社への取材がメインになった。しかし、Ａ氏のような人物（葬儀社）は、いまもたくさん、存在する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-8047509403335555787?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8047509403335555787'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8047509403335555787'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/68.html' title='(墓68)「裏」外国人葬儀屋の掟'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-5844254538470479346</id><published>2007-09-04T09:56:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:49:47.309+09:00</updated><title type='text'>(墓67)日本を救うテクノロジー、そしてデカセギの未来～日本の製紙業を例に～</title><content type='html'>&lt;strong&gt;●製造業の危機とデカセギの危機&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本で働く少なからぬデカセギが危惧しているように、日本の工場は、次々と閉鎖を余儀なくされている。なぜかというと、製造業における単純工程が、労働力の安い中国やフィリピン、東欧などに大量に流出しているからである。なかでも中国は、外国資本の工場（その多くが先端技術を有する）を受け入れると、最新技術のノウハウを自国に吸収したうえで、用済みとなった外資系企業を追い出す段階にまで来ているといわれる。今後は、彼らが望むとおりの経済的超大国になるのだろうか？ もしそうなれば、デカセギを受け入れる余力は、日本からは失われるだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さらに、入管の取締りが厳しくなったとはいえ、日本国内の不法滞在者が、合法的な外国人デカセギの生活と職を脅かし続けている。不法滞在者は、給料が安くても働くといわれている。ところが、（しばしば家族同伴で）稼ぐことを至上目的として来日するデカセギたちは、安い給料ではとうてい働けない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;瞥見すれば、日本の製造業とデカセギは、ともに危機的状況にあるといえるようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●製造業の反撃&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先日、ある英字新聞の取材で、紙の品質検査機メーカーでは世界でもトップの「Lorentzen ＆ Wettre」社（本社：スウェーデン）の2003年にスタートした日本支社（静岡県富士市）を取材した。富士市といえば、世界有数の製紙メーカーの伝統的な産業集積地（City of Industrial Clusters）。ここでは日本の製紙シェアの13％を生産する。これは、世界全体では5％程度のシェアといわれる。たった5％ではあるが、限定された地域にこれだけの製紙産業が集積するのは珍しい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;紙というと、私達がすぐに想像するのは、わら半紙（もしくは新聞用紙）、コピー用紙、トイレットペーパー、上質紙etcであるが、これらはもはや日本ではほとんど製造していないような気がする。実際、ここ数年で国産のコピー用紙はまったくといっていいほど見かけなくなった。多くは、インドネシア産だ。こういった「単純紙」の国内生産は、年率で2～3割も減産されているそうで、近い将来、リサイクルペーパーなどの一部の例外をのぞき、日本ではまったく作られなくなるだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのような逆境のなか、なぜLorentzen ＆ Wettre社は日本に進出してきたのだろうか？ その背景には、静岡県の外資誘致のための優遇措置もあるだろう。1986年に始まった例のGATT ウルグアイ・ラウンド以降、日本の工業界にはISOの国際工業スタンダード導入が進んだ。紙の品質測定機でも従来のＪＩＳ（日本工業規格）からＩＳＯへの転換が迫られたため、ISOに強い影響力を有するLorentzen ＆ Wettre検査機の日本市場における明るい展望も、彼らの日本進出の要因として挙げられるだろう。しかし、実際には「日本の製紙業界は新技術の開発で絶好調」なのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;単純紙のシェアは、諸外国が独占した。しかし、日本には発展を続ける高い技術力がある。たとえば、携帯電話を軽量化・小型化させた主役も、なんと紙である。具体的な商品名は王子製紙が開発した「アラミドペーパー」だ。これは、高速演算処理を目的とした低誘電率基盤のための新積層板原紙。精密機械内部といえども、これまでの基盤は堅いボードに無数のマイクロチップを埋め込んで半田付けしたものだった。そんな大掛かりな「装置」を一枚の紙で代用することができるのだ。このカミは、機械の内部で折り曲げて収納することもできる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さらに、家庭用のマット紙。家庭の安いインクジェット・プリンターで、紙焼きした写真や業務用のレーザー・プリンターと遜色ない出来栄えの印刷が可能になり、日本ではもはや当たり前になっている。マット紙は、日本の各メーカーが世界のシェアのほとんどを独占している。単純紙では大幅な落ち込みが続くが、付加価値の高い特殊紙ではそれをカバーして余りある高成長を遂げているのが現状である。ここで誰しもが考えることは、「では中国などが積層板原紙やマット紙などの特殊紙で日本の技術に追いついたら？」。しかし、これも多くの人が可能性として考えるのは「その頃には、さらに新しい技術を日本人は考えるはずだ」。少なくとも、メーカーの技術人たちは、日本の技術の終わることのない飛躍を信じているに違いない。個人的には、日本の技術力はそれほど限りない発展を続けるとは思えないのだが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;● デカセギの「苦難」は「転機」か&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今後、生き残っていく日本の工場ではますます技術の高度化が進んでいくということになる。もちろん、産業・業態によっては、高度化が緩慢に進む場合もあるだろうが、比較的単純な作業だけでいい、という工場は、長期的には海外に移転していかざるを得なくなる。そんな未来に対応するためには、デカセギたちは、高度な日本語力を習得するか専門的で特殊な作業経験を積むか、他業種への就職を本気で模索していく時期にそろそろ来ているのではないだろうか。人によっては、在日デカセギにとっての苦境と思うかもしれないが、転機ともいえる。たとえば、ペルーに渡航した初期の一世たちが労働契約を結んだのは、耕地だった。当時は、耕地で生産される砂糖が、ペルーの代表的な輸出産業であり、先端産業だった。日本人の農業移民の都市進出と商業移民化は、砂糖産業の零落と決して無縁ではない。耕地の労働が厳しかったから皆が逃げ出した、というように単純に考えることは、ある部分では妥当ではないと思う（それは後世、半分くらい脚色されたストーリーだ）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;かつてのペルーの耕地を、現在の日本の工場に置き換えて考えてみることはできないだろうか。「日本で商売するのは困難」だと多くのデカセギがいう。たぶん、そのとおりだろう。厳密に言えば、在留資格の規制にも抵触する。さらに、顧客となる日本人のメンタリティは、デカセギからみれば特殊、ということにもなろう。ということは裏を返せば、日本にいるペルー人「だからこそ」活躍できる分野がある、ということになるのである。&lt;br /&gt;【2004年、ペルーの雑誌に寄稿した原稿の日本語の原文】&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-5844254538470479346?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5844254538470479346'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5844254538470479346'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/67.html' title='(墓67)日本を救うテクノロジー、そしてデカセギの未来～日本の製紙業を例に～'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-3186642191025066660</id><published>2007-09-04T09:55:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:50:06.710+09:00</updated><title type='text'>(墓66)余所者の血祭り/アブシバライ</title><content type='html'>見知らぬ集落を自分の足で旅するとき、ふいに恐怖に襲われる。心霊関係じゃない。土地の人だ。この国には、訪問者を神にあがめるマレビト信仰があった反面、余所者をなぶり殺す風習もあった。貧困がそうさせた。ケガレを運ぶ者への忌避もあった。「村人に惨殺された落ち武者」、である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;旧暦４月中旬に行われたアブシバライでも、他郷の者が“犠牲”になっていたのかもしれない。&lt;br /&gt;アブシとは沖縄や奄美、山口などでいう畦（あぜ）のこと。漢字は「畦祓」。祓え神事だ。沖縄ではかつて、この日に村中の男女全員が浜に出、一日遊んで暮らした。本来は害蟲駆除の呪法だった。畦で祓いをするわけだ。ところが後世、「磯遊び」と一体化していく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;磯遊びは、春先に全国で行われていた年中行事。原初は物見遊山ではなく、「家にいるのが危険な日」だったために、食料を持って浜に避難した。家にいるのが危険というのは、この日に神がやってくるから。いい神様だろうが悪い神様だろうが、神が移動するさい、人は息を殺して慎むというのが古来の姿だった。畏れであり、物忌み。信仰心が薄れると、集団で遊ぶ面白さが突出する。明治以前に禁止されたが、京都市左京区大原の産土江文（うぶすなえぶみ）神社で行われた「大原雑魚寝」のような行事になる。これは節分の夜に、村民が拝殿やその付近の暗闇の中で、男女の分かちなく夜を明かす風習で、実態は乱交の極地だったらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アブシバライの凄いところは、害蟲を演じる者がいたことである。村では誰かひとりの男を洞窟などに閉じ込めて一日中、食事はもちろん、一滴の水も与えなかった。害蟲が餓死する様子を「予行」したわけだ。予行や予言、予祝は現実を引き寄せる。大昔は村の掟で誰かを指名したが、のちには金で雇った。通りすがりの旅人に“頼んだ”ことも想像に難くない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;かたや酒宴、かたや餓える男。一方では性、一方では暴力。日本の祭りは正邪が同居する。&lt;br /&gt;〔ミリオン出版『漫画実話ナックルズ』2004年掲載〕&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-3186642191025066660?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3186642191025066660'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3186642191025066660'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/66.html' title='(墓66)余所者の血祭り/アブシバライ'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-6566690528879073259</id><published>2007-09-04T09:53:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:50:30.158+09:00</updated><title type='text'>(墓65)ペルーのアナゴに想いを託す</title><content type='html'>&lt;b&gt;ペルーのアナゴに想いを託す&lt;br /&gt;&lt;font color=blue&gt;&lt;i&gt;日本の食卓を支える名もなき男たち&lt;/i&gt;&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　海洋深層水の湧昇域であり、寒流と暖流が交叉するペルーの豊かな海。カタクチイワシ（アンチョベータ）漁は有名で、ペルーは一時、世界第１位の水揚げを誇った。そのほとんどが飼料・肥料用のフィッシュミールに加工され、日本にも輸出される。&lt;br /&gt;　最近では、ペルー産のイカが日本の食卓に並ぶ。ペルーのマグロやカツオなども輸入されて久しい。そして現在、ペルー産のアナゴがじわじわとシェアを伸ばしているという。実際、スーパーで「ペルーのアナゴ」に出会えることも珍しくない。味も日本産のアナゴに近く、上質である。&lt;br /&gt;　旅客機に乗っても20時間以上を要する遠方の国から、いったいどのような経緯で、日本人の好きな「穴子」が輸入されるまでになったのだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;川田武二+ペルー＝アナゴ対日輸出&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ペルー産アナゴ。対日輸出の先鞭をつけたのは、マルハ系の現地法人SAKANA DEL PERU【サカナ・デル・ペルー】株式会社。川田武二さん（64。&lt;font size=1 COLOR=red&gt;2004年末当時&lt;/font&gt;）は、その責任者だ。&lt;br /&gt;　この人がいなかったら、ペルー産のアナゴが日本へ供給されることもなかったし、そもそもペルーでは、アナゴは「埋もれた」ままだったろう。現地では「気味悪い生き物」として、まったく見向きもされない魚だったのだから。&lt;br /&gt;　川田さんが初めてペルーへ赴任したのは１９６７年、26歳のときだった。国連職員を夢見て、貿易関係の仕事をしていた彼は、たまたま知人から「ペルーの捕鯨基地で働かないか？」という誘いを受け、ペルーへ。魚の専門家でもなかったし、南米に特別な感情を抱いていたわけでもなかった。&lt;br /&gt;　85年に商業捕鯨のモラトリアムが発動。数百人規模のスタッフの解雇や工場の整理に追われた。そして生き残りを賭けて、&lt;br /&gt;「メルルーサやカニ、貝など、いろいろ試したんですが、日本向けの質・量を満足させるものがありませんでした」と、川田さんは振り返る。口にはしないが、その数年間の苦労が表情に浮かぶ。&lt;br /&gt;　そして90年代初頭、ついにアナゴにチャレンジすることになった。&lt;br /&gt;「アナゴがいることは分かっていました。桟橋で釣りをすると、よく掛かるんです。でも、漁民にものすごく嫌われてましたね。グニャグニャしていて。誰も食べませんでしたよ。そんなものが外貨を獲得するなんて、ひとりも思わなかったでしょう」&lt;br /&gt;　スペイン語を公用語とするペルーでは、アナゴはanguila【アンギーラ】と呼ばれる。沿岸には約５種類のアンギーラが棲んでいるという。&lt;br /&gt;「アナゴは多くの国で捕れるのですが、種類が少しずつ違います。骨が多かったり。調べてみると、日本のアナゴ（の食感）に近い種類がペルーにもいることが分かりました。この種が、資源量も一番多いようです」&lt;br /&gt;　まずは、漁師と工場スタッフの教育から着手した。誰も捕ったことがなく、フィレ（三枚）におろすといっても、経験がないからだ。&lt;br /&gt;　漁場は、赤道に近いペルー北部のパイタ周辺。捕鯨基地が、パイタにあったためだ。漁船は20トン級の小型のものを使い、四万十川のウナギ漁で使われる「ころばし」のような筒状の罠を海底に沈める（写真参照）。アナゴは、この筒に入ることはできても、出ることはできない。そして、アナゴを生きたまま罠ごと引き揚げていく。&lt;br /&gt;「アナゴは、フィレにするときまで生きていないと駄目なんです」&lt;br /&gt;　以前はパイタで水揚げをおこない、そのままアナゴを工場に運んだが、現在は漁場がパラチケという場所に移動した。工場のあるパイタまでは車で２時間。そこで、水揚げ後すぐにパラチケの港でフィレに捌き、捌いた身をパイタの工場に運び、冷凍と箱詰め、日本への出荷をおこなっている（パイタから直接、船便で日本へ）。&lt;br /&gt;　スタッフには、骨抜きと血抜きもいちから教えなければならなかった。日本や韓国へスタッフを派遣して、工場を見学したりもした。とくに、捌き方を教えるのに時間がかかったという。しかし、&lt;br /&gt;「ペルーの人は真面目で手先が器用です。いまでは、機械で捌くより速いほど、皆熟練しています」&lt;br /&gt;　10年を超える経験によって、漁師たちも達人の域に近づいたようだ。気候に合わせて、アナゴも居場所を変えるのだが、漁師はそのポイントを的確に探し当てるという。&lt;br /&gt;　当初は年間500トンほどで始めた日本への輸出も、いまでは年間１０００～１２００トンに。日本近海でアナゴの漁獲量が減り始めたことや、回転寿司にアナゴが導入され、需要のすそ野が広がったことも追い風になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;「いまさら、日本へは帰れない」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　SAKANA DEL PERU社の成功を受け、ペルーや韓国資本の企業も、アナゴ漁と輸出を始めた。そこで、アナゴの資源量に懸念を表明する声が、ペルーでも出始めている。&lt;br /&gt;　もし仮に、ペルーの水産当局による資源管理が開始された場合、せっかくここまで市場が広がったペルー産アナゴには逆風となる。だが彼は、コントロールには「賛成」だという。一時的な制限が加わったとしても、&lt;br /&gt;「長い目で見れば、われわれ水産関係者にとっては、資源が持続してくれたほうがありがたい」から。&lt;br /&gt;　川田さんは、アナゴの輸出を軌道に乗せるため奮闘を続けた。そしてそれは、軌道に乗った。工場では約300人が働き、自社船は４隻。このほか、10隻の船からの買い付けもおこなう。つまり、雑魚同然だったアンギーラという「眠れる鉱脈」を発掘したのだ。そして、良質のたんぱく質の供給源を、日本人に確保した功績も大きいといえる。安定した雇用を創出した点も、ペルーにおいては高く評価される。だが、&lt;br /&gt;「長い間こっちで暮らしているうちに、私は、日本では通用しなくなった」&lt;br /&gt;　日本の会社文化から遠ざかって、ペルーで会社を切り盛りしているあいだに、日本での“人とのつながり”は、いつしか消えていた。&lt;br /&gt;　初めて赴任したときは、「汚ねえところ」としか感じられなかったペルーだったが、それからすでに約40年の歳月が流れた。&lt;br /&gt;「毎年、業務の相談やらで日本へ行きますが、ペルーに帰ってくると、ほっとするんですよ」&lt;br /&gt;　57歳で定年退職した。その後は単年契約を繰り返し、“健康が許す限り”働くつもりだ。同社の社員14人のうち、日本人は川田さんだけ。後任の日本人社員は、なかなか来ない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;安全かつ美味しいペルーの「穴子」&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ペルー人は魚を常食してきた。煮付けにもするが、多くの家庭ではフライがもっとも普通の調理法だ。生食もする。その料理の名は、ペルー風マリネ&lt;b&gt;&lt;em&gt;「セビチェ」&lt;/em&gt;&lt;/b&gt;。タイやヒラメなどの切り身とレッドオニオンをレモンの絞り汁で合え、ニンニクと辛子、香草、岩塩で味を調える。ペルーを代表する名物料理のひとつだ。&lt;br /&gt;　ペルーでは白身の魚が好まれるため、アナゴの需要もありそうだが、&lt;br /&gt;「ペルー人は鱗のない魚を食べません」というのは、リマ市内の日本食レストラン「ICHIBAN」のオーナーであり、料理人でもある中川博康さん。&lt;br /&gt;　日本食レストランのペルー人客や、川田さんの会社のスタッフなどがアナゴを食べる「通な人たち」だ。川田さんは、中川さんの要請を受けて、ICHIBANにアナゴを卸している。&lt;br /&gt;　川田さんと一緒にICHIBANへ行った。&lt;br /&gt;　穴子柳川もうまかったが、川田さん絶賛の穴子唐揚げは、日本の料亭にもひけを取らない。深い味わいである。&lt;br /&gt;　江戸前が尊重されてきたアナゴ。ペルー産が日本で流通する最大の理由は安さにあるようだが、日本近海の海底に沈殿するダイオキシンによる汚染が心配される現在、清浄な深層水と外洋の海水に育まれたペルー産アナゴは、味と安全性の面からも、もっと評価されていいだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/sakanadelperu.jpg target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;写真&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;＝工場でアナゴをさばく同社のスタッフ。&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.rfc.or.jp/book/fro_f.html&gt;&lt;font color=blue&gt;&lt;b&gt;水の文化情報誌『FRONT』&lt;/b&gt;&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;2004年12月号掲載&lt;br /&gt;----------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-6566690528879073259?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6566690528879073259'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6566690528879073259'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/65.html' title='(墓65)ペルーのアナゴに想いを託す'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-8610042259070245205</id><published>2007-09-04T09:51:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:50:46.395+09:00</updated><title type='text'>(墓64)日本の発酵技術が世界を救う</title><content type='html'>&lt;b&gt;●発酵産業が支えるバイオテクノロジー&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　ヨーグルトや納豆、味噌、酒造りに欠かせない発酵技術は、いまやさまざまな産業に応用され、その市場規模は数十兆円にもなるという。これらが、高付加価値型の新産業群として注目される現代型のバイオ産業だ（このうち、発酵食品の占める割合は２割にも満たない）。日本のモバイル関連市場は２００５年で約７兆円規模だから、発酵産業の規模の大きさは凄まじいの一言に尽きる。&lt;br /&gt;　2006年現在、首相官邸で「バイオテクノロジー戦略会議」が開かれていることからも分かるように、今後のバイオ産業のあり方次第で、日本の国際競争力は大きく左右される。しかし、バイオ産業の基礎には、従来型の発酵産業という「大いなる遺産」があった。麹菌のゲノム解析という快挙も、やはり長年培われてきた日本の発酵産業の伝統抜きには語れない。&lt;br /&gt;　2005年12月、独立行政法人産業技術総合研究所（つくば市／略称「産総研）の生命情報科学研究センター（数理モデルチーム）では、他研究機関や企業との協力によって、世界で初めて麹菌のゲノム塩基配列の解析に成功した。&lt;br /&gt;　これによって、日本古来の麹菌（学名：Aspergillus　oryzae。カビの一種）の高い発酵能力と安全性が科学的に実証された。納豆、味噌、酒造りの主役である麹菌は「国菌」とも呼ばれ、長年、日本人の暮らしと密接にかかわってきた。&lt;br /&gt;　さて、産総研それによると、麹菌ゲノムは約３８００万塩基対からなり、約１万２０００の遺伝子をもつ。このゲノムサイズと遺伝子数は、微生物の中ではきわめて大きい。そして、加水分解酵素遺伝子などの分解などに関る遺伝子を、近縁のカビよりも30％程度多くもつことも明らかになった。&lt;br /&gt;　ゲノムが解析されたことによって、バイオ産業での麹菌の広範な利用が加速すると見られる。また、麹菌の近縁種には麹菌とは異なり、感染性や穀物汚染などの原因となるカビも存在する。今回の研究成果により、これら問題菌の抑制や問題の予防研究に拍車がかかるものとみられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;●人類と自然界の媒介&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;　発酵に関係するバイオ産業で、もっとも規模が大きいものが医薬品や化学製品の分野。このうち、ダイエットや美容関連での飛躍が目覚しいのがアミノ酸や核酸だ。抗生物質や抗がん剤、ステロイドなどのホルモン製剤なども発酵によって作られる。次に大きな市場が酵素産業。用途は医薬用、化学工業用、食糧工業用、研究用などと多岐にわたる。&lt;br /&gt;　じつは、発酵のもつ大いなるポテンシャルは、こういった既成産業からの脱却が図れる、という点にある。つまり、化石燃料を消費し、再利用しにくいゴミ（廃棄物）を生み出す消費社会から持続可能な社会への転換だ。&lt;br /&gt;　すでに実用化されているものとしては、発酵法による工場廃水の浄化が挙げられる。工場廃水に含まれる有機物を微生物によって分解（発酵）させることで、河川の汚染を防ぐというものだ。&lt;br /&gt;　生ゴミの堆肥化も、発酵の力による。全国の焼却施設は法律によってダイオキシンクリア焼却炉（高温度焼却炉）と定められているが、建設費は大型の施設では数百億円もかかる。ところが、生ゴミを堆肥化することで処理できれば、その費用は驚くほど少ない。家庭レベルではほとんど無料。プラントを作っても、建設費および使用エネルギー量は焼却炉とは比較にならない。なによりゴミ処理に化石燃料を使わず、ダイオキシンを生まず、焼却灰も出ない上、堆肥が次の収穫へとつながるというメリットは大きい。&lt;br /&gt;　発酵時に放出される熱を他の用途へと転用もできる。「酵素風呂」というアミューズメント施設の原理は、発酵と同じである。&lt;br /&gt;　現在では、電子部品や自動車のパーツとしても応用できるまでに高機能化された生分解性プラスチック（ポリ乳酸系生分解性プラスチックなど）は、澱粉を多く含む食物（トウモロコシやジャガイモなど）を乳酸発酵させて作る。さらに、食用植物の可食部を使わずに、農業廃棄物（稲や麦のワラなど）でも代用は可能とされる。&lt;br /&gt;　生物循環の輪から外れた人類を、よりよい形で元の輪のなかに戻す媒介が、発酵なのかもしれない。（太田宏人）&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.rfc.or.jp/book/fro_f.html&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;b&gt;水の文化情報誌『FRONT』&lt;/a&gt;&lt;/b&gt; 2006年3月号掲載&lt;/font&gt; &lt;br /&gt;----------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-8610042259070245205?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8610042259070245205'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8610042259070245205'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/64.html' title='(墓64)日本の発酵技術が世界を救う'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-384149505261400434</id><published>2007-09-04T09:46:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:51:08.824+09:00</updated><title type='text'>(墓63)ペルーに散在する日本人慰霊塔～移民の聖地が語りかけるもの～</title><content type='html'>　先人を祀る想ひは、遠い異国にあっても変はらない。むしろ、本国での安穏とした日々を送る者にはない至誠が発露された。生者が死者を悼み、現在の生を感謝する純粋な心情である。&lt;br /&gt;　南米ペルー。この国にも、日本人移民の先没者を祀る慰霊塔や日本人墓地が散在する。&lt;br /&gt;　ペルー移民は、明治三二年（一八九九）に南米で初めて開始された。日本人は、大規模なプランテーション（耕地）での単純労働者として雇ひ入れられた。だが、過酷な労働と伝染病により、多くの移民が絶命した。医療機関の不備、言葉の問題、栄養不良などで、幼児の早世も珍しくなかった。だからどこの耕地でも、片隅には日本人の埋葬地が作られた。&lt;br /&gt;　もはや、これらの埋葬地は散逸し、あるものは農地や宅地に、あるものは砂に埋もれた。日本人が多かった地方では、埋葬地が整理され、「日本人墓地」や「慰霊塔」が建設された。その嚆矢が、太平洋岸のサン・ハシント耕地に昭和元年（一九二六）に完成した日本人慰霊塔だ（現在は台座だけ残存）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;移民の聖地&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ペルーには、神社はない。一世移民や二世以降の日系人が共有する唯一の宗教施設は、リマ州南部に存在する「泰平山慈恩寺」である。この寺院は、曹洞宗の上野泰庵師が明治四〇年（一九〇七）、もしくは翌年に開山した南米大陸で最古の日本仏教の寺院だ。&lt;br /&gt;　上野師以来、曹洞宗派遣の布教師が歴代住職を務めたが、在留邦人には宗旨や教義へのこだはりはまったくなく、まさに「超宗派」「超宗教」として、多くの人々に支へられてきた。宗教・宗派を超え、誰でも参詣できる慰霊施設であるが、「先没者を祀る」といふ強烈な宗教心に裏打ちされてゐる。&lt;br /&gt;　慈恩寺から数㌔離れたカサ・ブランカ日本人墓地（昭和七年完成）には、七メートルを超す「無縁塔」（納骨慰霊塔）がそびえる。慈恩寺とカサ・ブランカの慰霊塔は、戦前から「移民の聖地」と呼ばれ、現在でも日系人の墓参が絶えない。ほかの慰霊施設とは別格の扱ひを受けてきた。&lt;br /&gt;　“移民の聖地”には、全国の埋葬地から集められた人骨や土が合祀されてゐるが、参拝する日系人はそんな事実は知らないやうだ。だが彼等は、自らの血縁を超え、「先没者たち」といふべき大きな存在すべてに、生者として語りかけるのである。完全にカトリック化した日系人が焼香し、祈る姿に、一種独得の「先祖との交歓」が見える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;慰霊施設の未来&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　慈恩寺とカサ・ブランカなどの若干の例をのぞき、多くの慰霊施設は存続の危機にさらされてゐる。&lt;br /&gt;　日系人の日本への出稼ぎ、地方の日系社会の過疎化と崩壊、若い世代と旧世代の断絶、日本語が分からないスペイン語世代への情報提供の極端な欠如などのマイナス要因が重なり、ペルー全国の四つの日本人墓地、一四の慰霊塔、寺院および位牌堂への関心は、年々低下してゐるのが現状である。完全に見捨てられたものもある。&lt;br /&gt;　リマ州北部のサン・ニコラス日本人墓地（昭和一〇年完成）の墓碑銘は、かう結ぶ。&lt;br /&gt;「当国に生をうけ同じ血の流れる後続の諸氏よ、願くはこの霊地を永久に守られん事を」&lt;br /&gt;　このメッセージは、日本に生きる日本人にも、重要な何かを訴へる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（おほた・ひろひと／フリーライター。國學院大学神道学科卒。ペルーの日本語新聞『ペルー新報』元編集長）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/CasaBlanca.jpg target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;【写真1】&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;カサ・ブランカ無縁塔の序幕式（昭和7年8月15日）。その後倒壊したが、再建されてゐる&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/kagoshimakenjinkai.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;【写真2】&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;ペルー鹿児島県人会によるパラモンガ日本人墓地（リマ州北部）への墓参（平成12年）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;「神社新報」2003年9月掲載原稿に一部加筆&lt;br /&gt;神社新報は「歴史的仮名遣ひ」で表記してゐる &lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-384149505261400434?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/384149505261400434'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/384149505261400434'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/63.html' title='(墓63)ペルーに散在する日本人慰霊塔～移民の聖地が語りかけるもの～'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-1367138747470553536</id><published>2007-09-04T09:40:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:53:12.018+09:00</updated><title type='text'>(墓62)ペルーのオタク</title><content type='html'>&lt;strong&gt;世界　ＯＴＡＫＵ　拝見！～ペルー編～&lt;br /&gt;ＯＴＡＫＵは世界の共通語&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;OTAKU。それは、世界に勢力を伸ばす熱い人びと。そして、現象。たとえてみれば、グローバル化する国際社会を駆け抜ける粘っこい呪文。その勢力はすでに、インカの末裔が息づく南米・ペルーの大地にも上陸、多くの人々がオタクを名乗るようになったという。ナスカの地上絵に「あれ」な絵が加わる日も近いというのか？ コモエスタ、オタク？ ペルーのオタクをレポートしよう。&lt;br /&gt;---------&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtyqeNbspwI/AAAAAAAAABU/qWV4EwlWWfo/s1600-h/Disfrases5.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtyqeNbspwI/AAAAAAAAABU/qWV4EwlWWfo/s320/Disfrases5.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5106143513509930754" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;  そこには、セーラー●ーンの衣装を着けた女の子たちがいた。その短いスカートからプニッ！ と露出した脚は、むちむちで褐色だ。濃い顔。飛び交う言葉はスペイン語。でも、カラオケ（アニメソング）はニホンゴだったりする不思議な人たち。ここは、南米ペルー。“オタク大会”では見なれた光景だ。&lt;br /&gt;　彼らは、日本のアニメ・オタクと同じ「体臭」を持ち、本家と同様、社会的な「見え」など気にしない。純粋に日本のアニメを愛し尽くし、自分たちのコミュニティーのなかで盛り上がる。登場人物への感情移入こそリアルな生きがい！ だ。&lt;br /&gt;　彼らは、OTAKUと自称する。「オタク」なる日本語に相当するスペイン語（ペルーの国語）がないのだ。ちなみに「サッカー・オタク」なんていうのはいない。OTAKUはアニメの世界に限られるコトバなのだ。&lt;br /&gt;　ペルーにもアニメ・ファンはいる。テレビの地上波ではかつて、リボンの騎士、鉄人28号、ガッチャマンなんかが有名だった。古いこと＝過去のもの、ではないのが途上国。最近も、キャンディ・キャンディがブームになった。ご多聞にもれず、ポケモンは子どもたちにムーチョ（とっても）人気だ。&lt;br /&gt;　だが、「オタク」は「ファン」とは質が違う。日本から速攻でビデオを取り寄せ、当時、ペルーの地上波では放送されていなかったエヴァンゲリオンを同時進行で観る熱さと収集欲は、比類がない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;Sugoiクラブの「凄さ」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　オタク・ブレイクのきっかけは、97年に設立されたClub Sugoi（すごいクラブ）だった。会長のイヴァン・アンテサナ（37）さんによると、「潜在的なオタクはたくさんいたけど、素材が入ってこないし、ボクらが集まる場所もなかった」。濡れ手市場だった。そこに参入した。そして、火がついた。前世紀末、ペルーにもインターネットが普及したことで、素材入手も楽に。スキャナーとDTP＆編集ソフトを駆使して機関誌や同人誌、スペイン語字幕付ビデオが作られ出した。これ、ほとんどが確信犯的海賊行為。二次加工されたものばかり。ペルーにも著作権法はあるのだが…。&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtyqtNbspxI/AAAAAAAAABc/zCs9MadHYr8/s1600-h/Sugoi.jpg"&gt;&lt;img style="cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtyqtNbspxI/AAAAAAAAABc/zCs9MadHYr8/s200/Sugoi.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5106143771207968530" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;　Sugoiの会員は、首都圏のリマに3000人以上、地方に500人以上で、年齢は10代～30代。毎月２冊の有料機関誌『Sugoi』と『Masaka』を発行し、会員に郵送している。&lt;br /&gt;機関誌は市販もされている。アンテサナさんによると、リマだけで5000は軽く超える人たちがオタク雑誌の愛読者だ。リマの人口は700万人ほどだから、すごく多い数だ。&lt;br /&gt;　１年に数回、Sugoiでは映画館を借り切って集会を行う。コスプレはもちろん、アニメソングのカラオケ大会も人気だ。ただ、日本のオタクは水木一郎（マジンガーZの歌の人）を頂点（？）とする懐かし系を愛するようだが、ペルー人オタクの好みは最近の曲だ。日本から取り寄せたビデオにスペイン語字幕をつけ、上映会も開く。グッズや書籍を売るオフィシャル・ショップもある。Sugoiの幹部や店員は「これでご飯食べてます」。Sugoiは株式会社だ。&lt;br /&gt;　機関誌の内容は作品紹介や解説、声優ピックアップなど、まさにペルー版『アニメージュ』。「アニメを通して日本文化や日本語を学ぼう」というベタなページもある。実際、日本の不況によってデカセギ希望者が減ってからというもの、ガタッと受講生が減っていた多くの日本語学校にオタクが殺到している。日本の外務省がいまも外国で垂れ流す「芸者フジヤマ先進工業」なるプロパガンダのような「日本」ではなく、たしかにある意味、彼らはダイレクトに「日本」を感じ、「日本」とつながっている、みたいだ。&lt;br /&gt;　エロなオタクは、健全なグループからはHENTAI（変態）と賎称されているが、エロ系同人誌（ほとんどが海賊版）の需要も多い。もちろん、両方のグループに身を置く人も少なくない。じつにみなさん、オタクであることを健全に楽しんでいらっしゃる、としか言いようがない。「こんな腐れた国で生きていけるのか？」と心配してしまうほど純粋だ。&lt;br /&gt;　しかし、彼らと話をしていると、どこか違うところを見ているような態度、とか、じつは現実とあまり接点のない話題、とか、アニメのワン・シンーンのような空虚な話し方や対応、とか、仲間内でのヒソヒソ話的で濃厚な盛り上がり…といった特殊性が目に付く。&lt;br /&gt;　これって、世界各国のオタクに普遍的な挙動らしい。日本のアニメが、そんな“パーソナリティ”を造ったのだろうか。&lt;br /&gt;　月刊『Sugoi』は約US６ドル。ペルーでなら小さなフランスパンが200個も買える金額だから、決して安くはない。&lt;br /&gt;　このクラブの会員がみな裕福とは思わない。けれど、外の世界には貧困や治安の悪さといった発展途上国の凄まじさが嵐のように荒れ狂っている一方、彼らの世界のなかには、まったく別の空気が漂っているようだ。外界のリアルさが日本とは比べられないくらい劇的だからこそ、それと隣り合わせの壁で仕切られた小さな世界のなかで、能天気なジャパニメが愉しまれていることが、妙に現実感のないことのように思えるのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（1）「MASAKA」「SUGOI」に関するキャプション&lt;br /&gt;『Sugoi』と『Masaka』。雑誌タイトルの意味は、すんばらしい!!（スゴイ）、こりゃたまらん!!（マサカ）的なニュアンスらしい。&lt;br /&gt;（2） 同人誌「Tenkaichi」に関するキャプション&lt;br /&gt;正真正銘のペルー版まんが同人誌「Tenkaichi」は『Masaka』の付録。海賊作品は、少ない。&lt;br /&gt;（3）コスプレイヤーに関するキャプション&lt;br /&gt;感情移入が昂じれば、当然コスプレでしょう!! 人類に共通する衝動かも。99年、ペルーでNHKの「のど自慢」が開かれたとき、彼らは大挙して予選に出場。これらの衣装を着けて情感込めて熱唱したが、全員落選してしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;コラム（1）&lt;br /&gt;ペルーに現れたカリスマ作家！ サンドロ・アリアス氏&lt;br /&gt;この作品の作者はサンドロ・アリアス（31）氏。やはり、オタク。「描き始めたのは数年前だよ。こういうの好きだったからね。でも描きかたが見当つかなかったから、なぞったりした」というアリアスさんだが、ご覧のように腕前は上々。ペルーでマンガなどを描く人々のレベルは低い。Sugoiが設立されてから、まだ5年とちょっとだから仕方がない。そのなかでは、抜群のうまさだ。彼は、Sugoi株式会社のマーケティング部長という横顔も持ち、ふだんはSugoiショップで働く。愛想が悪く、高慢で「ふん。アニメに飢えた貴様らに俺らが売ってやってんだぞー」的な態度で嫌われ指数500％のスタッフたちのなかでは例外的な好青年だ。ボディビルで鍛えた強靭な肉体が魅力で、彼女もいる。彼女いわく「最初は、彼がこういう絵を描くことになじめなかったけど、もう慣れた」とのこと。しかし、彼女は、ひそかに登場人物のモデルにされていることを、知らない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;コラム（2）&lt;br /&gt;特撮マニアも、ひそやかに頑張ってます。&lt;br /&gt;ペルーには、日本製の特撮作品のマニアも、少数だが存在している。まさに「マニア」。じつにマニアックな嗜好をお持ちだ。代表挌が、弁護士のセサル・ウエヤマ博士（37）だろう。日系3世のこの人、ウルトラ・シリーズはたいがい好きだが、なかでもセブンにご執心。プラモもフィギュアもビデオも揃えているのは当たり前。ご覧のようなイラストも描き、自分のホームページまで立ち上げた。さらに、特撮関連グッズを扱うショップまで出してしまった。が、残念ながらSugoiのようなブレイクはまだ…。「子どものころにセブンを見てトリコになった。当時の水準からすれば、ストーリーや、話に出てくる施設についての科学的な考証がリアル過ぎる。ユリコ・ヒシミ（注：アンヌ隊員を演じた女優）も綺麗だし。ま、レオも捨てがたいね。あの孤独な…」と、話は尽きない。この人、大物国会議員の顧問をしていたこともある。愛読書は、日本から取り寄せる『ホビー・ジャパン』。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〆&lt;br /&gt;『ＧＯＫＵＨ』（バウハウス刊）2003年4月号掲載&lt;br /&gt;----------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-1367138747470553536?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1367138747470553536'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1367138747470553536'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/62.html' title='(墓62)ペルーのオタク'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtyqeNbspwI/AAAAAAAAABU/qWV4EwlWWfo/s72-c/Disfrases5.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-8250146624732530937</id><published>2007-09-04T09:36:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:53:39.547+09:00</updated><title type='text'>(墓61)海底から5台のクルマを発見</title><content type='html'>&lt;strong&gt;海底から5台のクルマを発見&lt;br /&gt;坂出港（香川）の奇妙な事件の真相&lt;br /&gt;太田宏人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　2003年8月、ちょっと理解しがたい奇怪な「事件」が、香川県坂出市の「林田（はやしだ）岸壁」で発生した。現場は坂出港の東部地区。なんと、岸壁近くの海底に車５台が沈んでいるのが見つかったのだ。民間の潜水作業会社「香川潜水」と坂出署、および坂出海上保安署が調べたところ、１台に１人ずつ計５人の水死体を発見した。遺体となって見つかったのはすべて香川県内の人。遺族らによると、それぞれの失踪の直前、自殺と判断されるような状況だったという。&lt;br /&gt;　現場は海流もなく、ほかから流されてきた可能性はまったくない。みな、この場でクルマごと海に突入したわけだ。&lt;br /&gt;　捜索のきっかけは、同年7月に「林田に行く」と書置きを残して行方不明になった坂出市内の男性。その親族が、香川潜水に捜索を依頼したためだ。潜水会社のダイバーが海中で車を発見。「香川潜水」が坂出署に届け出て、そして8月の大掛かりな引揚げ作業へとつながった、というもの。しかし、捜索依頼が出された男性は、まだ見つかっていない。&lt;br /&gt;　四国といえば、お遍路さん。林田岸壁の近くにも、怪談『雨月物語』で有名な崇徳上皇の怨霊が出現したという札所81番「白峰寺」があるし、幽霊スポットとして地元のワカモノをびびらせる五色台もある。たしかに、もともと霊界じみた土地柄ではある。&lt;br /&gt;　さて、当時かなりの耳目を集めた林田岸壁のできごとも、結局のところ「それぞれが自殺」「5人に接点なし」ということで、決着がついたのだった（とされている）。&lt;br /&gt;　だが、どうして「一度に大量の自殺体が発見された」のかは、数紙をくまなく読み比べてみたが、どうもいまひとつ不明だ。スポニチは「自殺の多い場所」と伝えていたが…。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;拍子抜け？ の真相&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　現場に行ってみた。&lt;br /&gt;　けっこう、人の多い場所だ。釣り人も多いし、大きな船が入港していて、荷おろしの際中とあって、船が接岸したところには、荷物を運ぶクルマが集まっていた。&lt;br /&gt;　釣り人に声をかけてみた。&lt;br /&gt;「自殺の名所？ ちがいますよ。今回は、偶然そうなったんとちがいますか」とは、フグを釣り上げたばかりの男性。余談だが、このフグ、食えないらしい。男性氏は、どうも怒っていた。&lt;br /&gt;――でもここ、ドザエモンが揚がった場所でしょう？ そういう所で釣りをしていて、薄気味悪くないですか？&lt;br /&gt;「……それを言われちゃ…」&lt;br /&gt;　別の釣り人（子ども）にアタック敢行。&lt;br /&gt;――気持ち悪くないの？&lt;br /&gt;「ふへへへ。釣りのほうが面白い」&lt;br /&gt;　この子のお父さんが証言する。&lt;br /&gt;「いやあ、あの事件の直後は、釣りする人もようけ減ったですけどね。あのあとも、海中から油が漂っている場所が2箇所ほど見つかったですよ。まだ『ある』って噂ですから」&lt;br /&gt;　自殺の名所ではない。しかし、やたらとクルマが海に落ちる場所ってことか？&lt;br /&gt;　JR坂出駅の近くで出会った地元のワカモノも語る。&lt;br /&gt;「あの岸壁のところ、休みの前日の夜中に、ゼロヨンとかやっているんですよね。直線が長いし。港に入れば、交差点もないし。ゲートがしまってないから、夜も入れますんでね。でも、クルマ止めが低いんで、よく落ちるって。来る奴ら？ 地元じゃないみたいですよ。わけ分からん連中」&lt;br /&gt;　ゼロヨンの人々が落ちているなら、それは自殺とはいえない。&lt;br /&gt;　そこで、捜索にあたった「香川潜水」の前川社長に電話をすると、&lt;br /&gt;「もう取材は勘弁してヨ」という嘆息交じりの声。&lt;br /&gt;「あれをやったおかげで、商売上がったりですワ」&lt;br /&gt;――なぜ？&lt;br /&gt;「じつはね、全国たいていの港の岸壁やら埠頭やら、よく探せば、何台ものクルマが沈んでるんだヨ。今回は、ウチのダイバーの知り合いからの捜索依頼、ということだったから引き受けたけど」&lt;br /&gt;　社長の親切心が、結果的には“寝た子”をわざわざ起こし、大騒動を招いたきっかけになったわけだ。実際、「余計なことしやがって！」と誹謗され、業務に悪影響も出た。&lt;br /&gt;――普通は、こういう捜索の仕事は受けないんですか？&lt;br /&gt;「受けないね。私ら、港湾作業が専門だからね。今回は大変だったよ。警察といっしょの捜索では、一体一体の検死が長くて、結局あの日は5台しか揚げられなかった。こっちも潜水士を数人雇っているし。その日当とか、クレーン車のレンタル代とか、クルマの処分費。これもね、普通のスクラップ業者じゃ引き受けてくれないんだよネ。仏さんが入ってたクルマでは。いったん、洗ってからだから。一台あたり、数十万円かかった」&lt;br /&gt;――（港を管理する）市は、費用を出さなかったんですか？&lt;br /&gt;「『遺族がいるんだから、遺族からもらえ』っていわれる始末だったヨ。遺族っていっても、死んだ人と関係が悪い遺族とかいたしね。『なんでいまさら、（あいつのために）金を出さなくちゃいけないんだ？』とかゴネられて。あるバアさんからは、年金崩してもらって、金を払ってもらった。市役所からは（坂出市の）イメージが悪くなったからか、転落防止用のガードレールを設置したから金がかかったか知らないけど、文句をいわれるし」&lt;br /&gt;――ゼロヨンで、よく海に落ちるとか？&lt;br /&gt;「朝、会社の前に走り屋が座っているんだよね。『クルマが海に落ちた。オッチャン、何とかしてくれェ!!』って。あのへん、海苔の養殖もやっていてね。ガソリンでも付着したら、えらい損害賠償になるから。ほら、クルマってすぐに持ち主わかるでしょ？ ナンバーとかなんかから。だから奴ら、顔を青くして頼むよネ」&lt;br /&gt;――ほかの港でも見つかる可能性はあるということですが、なぜ林田で５台も見つかったんですか？&lt;br /&gt;「さあね。でも、そのうちの一人は、知り合いだったヨ」&lt;br /&gt;―――ええ？&lt;br /&gt;「お金に困る人じゃなかったんだけどね。死んだとき、36か37歳だった。家族は、自殺だと思っていた。仕事のストレスかな？ こういう世の中だから、気の弱い人は、つられて海に入ってしまうんかのぉ」&lt;br /&gt;　前川社長によると、じつは坂出港の隣の丸亀港でも、林田の「事件」の前に、やっぱり海中から水死体がはいったクルマが発見されているそうである。&lt;br /&gt;　ニッカンスポーツは、発見された5遺体について「全員男性らしい。いずれも白骨化」と伝えているが、前川社長によると、&lt;br /&gt;「見つかったのは死後7年、6年、5年、5年、2か月の仏。2か月のものは白骨化していなかったヨ（つまり、腐乱死体）。（発見したときは）身体は膨らんで、（車内で浮いて）天井に張り付いていた」そうだ。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;　それでも残る不可解さ&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　今度は現場に、夜、行ってみる。&lt;br /&gt;　すると、海面に漂う発光体…。夢中でシャッターを切ったら、夜釣りの「浮き」だった。&lt;br /&gt;　夜の林田岸壁は、真っ暗だ。でも、釣り人がいる。ここって、メジャーな釣りスポットなのね!?&lt;br /&gt;　真っ暗な闇の中、うごめいている釣り人に接近。&lt;br /&gt;――ここ、水死体が…（本日、この質問に終始）&lt;br /&gt;「怖くないね。まあ、少し、怖いけど」&lt;br /&gt;――何が釣れます？&lt;br /&gt;「太刀魚だね。昼間は、カサゴとか」&lt;br /&gt;という釣り人のオジさんがいうには、じつはつい最近（2003年11月）も、坂出港で身投げがあったんだそうだ。これは、クルマごとのダイブではなかったが…。&lt;br /&gt;「ギャンブルで金を使い果たした主婦だってさ。なにも、死ぬまでのめりこむことないのに」&lt;br /&gt;　坂出港は自殺の名所なんかではなかった。ところが、「自殺」「自殺」と喧伝された結果、自殺を考える人たちの脳に、その名が刷り込まれてしまったのかもしれない。&lt;br /&gt;　自殺の名所は、こうして作られていくのかもしれない。&lt;br /&gt;「探せば、まだ出てく可能性はあるよ。誰も費用を負担しないから、私らはもうやらないけど…」（前川社長）&lt;br /&gt;　それにしても、今回見つかった5台のクルマ+α、夜間も釣り人やらゼロヨンの人たちや荷役の人がいるわけだが、入水の現場の目撃者がいないということが、少し腑に落ちないところではある。&lt;br /&gt;　夜の岸壁にクルマを止めるとき、たしかにクルマ止めが見えにくく、初めての者には、恐怖感がある。道が続き、その先に突然、この世ならぬ大きな“断絶”が、口をあけているようだ。&lt;br /&gt;　風が強い日だった。夜の海は、三角の黒い波が揺れていた。遠くに、瀬戸大橋の燈火が見えていた。&lt;br /&gt;　ちょっと、引き込まれそうだった。&lt;br /&gt;〆&lt;br /&gt;2004年1月ごろ『漫画ナックルズ』（ミリオン出版）に書いた原稿&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/sakaide.JPG target=_blank&gt;&lt;font color=blue&gt;【写真】林田岸壁（霊感体質の方は見ないことをお勧めします）&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;写真は別ウインドウで開きます&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;----------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-8250146624732530937?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8250146624732530937'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8250146624732530937'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/615.html' title='(墓61)海底から5台のクルマを発見'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-619264644626973006</id><published>2007-09-04T09:35:00.001+09:00</published><updated>2007-09-06T00:54:00.692+09:00</updated><title type='text'>(墓60)ペルーで「日本名」が復権</title><content type='html'>　いま、ペルーで日本語の名前（日本名）が復権している。&lt;br /&gt;　ニッケイの子どもたちの多くが、日本名を体外的にも通り名にしているのだ。ニッケイの集まる場所以外でも、である。&lt;br /&gt;　たとえば友人の三世、リカルド・コガ夫妻（ともに三十代後半）は、二人の娘（長女三歳、次女一歳）にそれぞれ日本名と、母国語であるスペイン語の名前を付けた。が、家庭の内外で日本名を通し、スペイン語の名前はまったく使っていない（ペルーでは、名前を二つまで届け出ることができる）。親が日本名でしか呼ばないものだから、娘たちもその名前で「自己認識」するわけだ。&lt;br /&gt;　これまで、ペルーでも一般的には他国の日系人同様、日本名がすたれていた。それは、家庭内か友人のあいだだけの「出生証にない名前」だった。&lt;br /&gt;　出生証に記載するとしても、対外的には使わず、もうひとつのスペイン語の名前を通称にすることが常識的だったようだ。&lt;br /&gt;　戦前の移民は、ペルーに定着する気はなく、子どもたちにも日本式の教育を受けさせていた。故郷に錦を飾るための「移民」。そのころは、スペイン語の名前は軽視されていた。ところが、日本の敗戦で状況が変わる。帰国の途を閉ざされ、日系人はペルー人として生きざるを得なくなる。とくに、思春期を迎えていた二世・三世の多くは、積極的にペルーの良き市民たろうと努力した。&lt;br /&gt;　スペイン語の名前を名乗ることは、彼らにとって当然の選択だったのだろう。以前、現地の邦字紙に勤務していたころ、当時の社長は執拗にスペイン語の名を僕につけたがった。&lt;br /&gt;　「ペルーで発行する新聞の編集責任者が日本名というのは、芳しくない」からだそうだ。たしかに、外国人は報道機関の社主・責任者になれない法律（ザル法）があるにはあるが、そのことへの配慮ではない。事実、ペルー国籍でも外国の名前（日本語に限らず）を使っている人もいるのだから。ちなみに、瞥見ではイタリア、東欧、アラビア、中国といった英語圏以外からの移民の子孫たちも、おおむね移民先国家（ペルー）の国語（スペイン語）に由来する名前を通り名にしているようだ。家庭内ではどうだろうか？ 興味あるところだ。&lt;br /&gt;　さて、根強い排日の空気のなか、ペルー国民として自己を作っていった日系人。彼らにしてみれば、対外的に日本名を通り名にするなど、アイデンティティーにそぐわないのだ。&lt;br /&gt;　ペルーの三大紙のひとつ「ラ・レプブリカ」の創刊にかかわり、のちに編集長をつとめたアレハンドロ・サクダさん（二世、六十二）は、&lt;br /&gt;　「日本人の血を引いていることを忘れはしないし、一世の父親のことも深く、大切に思う」が、&lt;br /&gt;　「私たちはペルー人。日系ということで（日本からの）便宜を求める気持ちになれない。だいたい、NIKKEIという言葉も使うべきではない」と語る。彼自身、少年時代に学級で一番の成績を取りながら、成績優秀者の表彰からはずされた経験をもつ。&lt;br /&gt;　「それで、はっきり自覚したんだよ。これからはずっとこういうこと（差別）に立ち向かってやろうとね」&lt;br /&gt;　彼も日本名を持っている。正確に漢字で書ける。でも、使いはしない。&lt;br /&gt;　ではなぜ、若い世代に変化が起きたのか？ 背景には、いろいろな理由がある。&lt;br /&gt;　まず第一に、ペルー側の事情。&lt;br /&gt;　ニッケイたちの社会的地位が向上し、先祖の出自国である日本も経済的大国になったことで、ペルー国内での人種差別がかなり下火になったこと。世界的に活躍する日本人も増え、「聞きなれないヘンテコな音」でしかなかった日本名が広く認知されたこと。ペルーでも、先のファースト・レディーは「ケイコ」と国民から親しまれていた。ペルー社会が、日本名に拒否反応を示さなくなっている事実を否定できない。&lt;br /&gt;　次に、ニッケイ側の事情。&lt;br /&gt;　日系ということの自覚も、確かに多少はあるかもしれない。&lt;br /&gt;　それよりももっと、西洋系とは違う「意味をともなう名前」への憧憬や親しみ。さらに、子弟が日本名をつことで、日本への就労査証（ヴィザ）が出やすいなどという思い込み。これらこそが大きな要因といえる。&lt;br /&gt;　ヴィザの件はともかく、出稼ぎというのは、発展途上国のニッケイたちにとてつもなく大きなインパクトを与えているのは間違いない。日本名の復権にしても、「民族の自覚」ということよりも、日本の学校で日本名を持たない子どもが受ける不便を、彼らは心配しているのである。&lt;br /&gt;　ここに、ニホンでニホンジンたろうとするデカセギの意識を見るような気がする。受け入れ先（日本と日本人）は、そうは思わないのだが。ここに大きな悲劇の種があるのだろう。&lt;br /&gt;　ところで、日本名の復権を裏付ける出来事として、2000年暮、リマで出版した『Nombres en Japon[es（日本語における名前）』という本が、好評だ。&lt;br /&gt;　これは、友人との共著。吹聴するわけではないが、売れている。【2006年現在も、まだ売れ続けている】&lt;br /&gt;　日本人の使う名前（日本名）を男女合わせて七百以上ピックアップし、ペルー的なスペイン語に翻訳しただけの手帖で、字画だとか占いめいた事柄は説明していない。&lt;br /&gt;　もともとこの本のアイデアは、くだんのリカルド・コガによる。彼と二人で書いた。&lt;br /&gt;　「いま、子どもに日本語の名前をつけたがるニッケイの若い親たちは多い。けれども、日本語の名前を考えてくれる一世はほとんど亡くなった。二～三世でも、自分の日本語の名前の意味を知らない人がたくさんいる。日本名前を翻訳した本を出せば、売れるに違いない――」。&lt;br /&gt;　非日系ペルー人（こういう表現をしていいものか迷うが）も、本を買っているそうだ。&lt;br /&gt;　現実に、ニッケイとは何の関係も持たない人たちが、子どもたちに日本名をつけ、それを通り名にしているケースもある。（不法）出稼ぎを想定しての場合だけではない。日本名へのシンパシーもあるわけで、まさに日本名の「復権」、百花繚乱といった風情だ。&lt;br /&gt;＊＊＊＊&lt;br /&gt;　ちなみにコガ夫妻は、僕が娘に「日本語の名前を付けなかったこと」をいまでも訝しがっている。妻がペルーの日系三世であるため、娘は二重国籍。父親としては、日本でもペルーでも使える名前をさがして、エマ（恵真）と付けただけで、日本名をつけなかったという意識はない。&lt;br /&gt;　むろん、エマくらいなら「許容範囲」と思ってのこと。僕には、絵美理ちゃんとか、富夢くんだとか、麻里亜ちゃんといった外国の名前をそのまま漢字にする勇気がなかったのだ。&lt;br /&gt;　現在この国でかなり普通に見られる知比呂（ちひろ）、愛海（なるみ）、彩花（さやか）、沙奈（さな）、萌香（もか）、裕凱（ゆうが）、琉花（るか）、英那（えな）、穂香（ほのか）、泰弘（たいぐ）ちゃんetcといった名前（すべて実在）は、コガ夫妻にとっては、「日本名じゃない。おかしい」そうだ。&lt;br /&gt;　なお、ペルーでは親族のだれそれから名前をもらうことが多い。それと同じ方法で、日本名を命名する親も、少なからずいる（意味はわからないので、音だけ）。&lt;br /&gt;　知り合いのなかにも、「ヨネコ」という少女がいる。きいてみると、「おばあちゃんの名前」ということだった。そこで、名前の本には古い名前も採用している。&lt;br /&gt;『季刊海外日系人』2001年8月号（第49号）掲載&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-619264644626973006?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/619264644626973006'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/619264644626973006'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/60.html' title='(墓60)ペルーで「日本名」が復権'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-1634222838812231253</id><published>2007-09-04T09:34:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:54:21.105+09:00</updated><title type='text'>(墓59)ペルーのテレビ番組</title><content type='html'>2004年11月末、ある日のペルーのテレビ番組&lt;br /&gt;*ペルーの地上波「ラテン周波数」局、「アメリカ・テレビジョン」局、「パナメリカナ・テレビジョン」局、「国営放送」局の各番組や、各局でやっていそうな番組を１局分として再構成しました&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;6：00 〔テレビドラマ〕メン・イン・ブラック（吹替）&lt;br /&gt;「とらわれの地球人」&lt;br /&gt;6：30 〔アニメ〕ポケモン【再】（吹替）&lt;br /&gt;「ピカチュー大好きっ」&lt;br /&gt;7：00 〔ニュース〕報道24時！&lt;br /&gt;「フジモリ独占インタビューに成功か？ どうなるトレド大統領？ 軍幹部激白!!ほか」&lt;br /&gt;8：30 〔テレビドラマ〕大草原の小さな家【再】（吹替）&lt;br /&gt;「お父さんの怪我」&lt;br /&gt;9：30 〔幼児バラエティー〕マリア・ピアちゃんとチモテオくん&lt;br /&gt;マリアちゃんと踊ろう！ スタジオから生放送だよ。&lt;br /&gt;ママに愛のプレゼント、叶えて！ あたいの夢&lt;br /&gt;電話でデート ほか&lt;br /&gt;12：00 〔音楽〕お昼のクリオーヨ音楽&lt;br /&gt;チチカカ湖収録編&lt;br /&gt;13：00 〔ガイド〕映画ガイド&lt;br /&gt;アジアから新しい風「カンフーハッスル」&lt;br /&gt;13：30 〔文化〕ペルーの文化&lt;br /&gt;14：00 〔映画〕サウンド・オブ・ミュージック【再】（吹替）&lt;br /&gt;16：00 〔ドラマ〕エル・チャボ&lt;br /&gt;「チャボの恋人出現？」ほか&lt;br /&gt;17：00 〔アニメ〕「キャンディ・キャンディ」「ドラゴンボールＺ」&lt;br /&gt;19：00 〔ドラマ〕ベソス・ロバードス（奪われたキス）&lt;br /&gt;ステファニー・カヨほか&lt;br /&gt;20：00 〔ニュース〕報道24時！&lt;br /&gt;21：00 〔スポーツ〕サッカー中継&lt;br /&gt;22：00 〔紀行〕「アレキパ／神秘の光と白い街」&lt;br /&gt;0：00 〔バラエティー〕ラ・パイサーナ・ハシンタ&lt;br /&gt;当局による「人種差別助長」の指摘を受け、放送中止の可能性あり&lt;br /&gt;1：00 〔映画〕ジョーズ2【再】（吹替）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〔今日のみどころ〕19：00～ 「ベソス・ロバードス」パロマちゃんの貞操の危機！ どう出る本命アレハンドロ――。授業が休みの午後、パロマ（ステファニー・カヨ）はバスに乗ってセントロ・コメルシアル（ショッピング・センター）へ買い物に行くことに。そこで強盗に襲われ、アレハンドロ（ファン・カルロス・ガルシア）にもらったブローチを盗まれる。一方、アレハンドロは例によって、ほかの女の子に鼻の下を伸ばしていた。&lt;br /&gt;〔今日のみどころ〕0：00～「ラ・パイサーナ・ハシンタ」当局からの弾圧に、我々は反論する!!―― ニャ！ ニャ！ ニャ！（こういう風にしゃべる）インディオ系田舎者おばさん「ハシンタ」がリマに出てきて巻き起こすドタバタのバラエティーとして、一世を風靡した「ラ・パイアサーナ・ハシンタ」が、政府人権擁護官より「人種差別を助長している」との指摘を受けた。わが局としては、人種差別が実在することへの認識はあるが、番組の目的は、この現実を茶化すというものだ。かかる干渉は言論と思想の弾圧であり、断固抗議する！ でも、もしかしたら、放送中止にするかも。最後の放送になるかもしれないので、見てね～。&lt;br /&gt;(2004年、ミリオン出版の某雑誌に書いた)…&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;----------------&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-1634222838812231253?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1634222838812231253'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1634222838812231253'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/59.html' title='(墓59)ペルーのテレビ番組'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7763236061490464993</id><published>2007-09-04T09:32:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:54:41.262+09:00</updated><title type='text'>（墓58）地方への旅2</title><content type='html'>　バスは、早朝のパン・アメリカン・ハイウェイを黙々と走っている。右の横の小さな座席に、少年が座っていて、私のひざに頭を乗せ、眠り込んでいる。&lt;br /&gt;　時刻は午前5時。車内はまだ薄暗い。&lt;br /&gt;　少年の寝顔は、ほとんど少女のようだ。だが、彼が目を覚ましたとたん、その顔は険しく変わる。生活の厳しさがしみ込んだ顔だ。&lt;br /&gt;　　 ※ ※&lt;br /&gt;　バスの運賃を払う。同じ路線でも、時間帯や曜日によって値段が違う。東洋系と見るとふっかける車掌もいる。目先の利益にとらわれるばかり。教養がないのか、生活が「厳しい」のか。そのすべてなのか。「観光立国」の政府構想がなかなか進まないのは、こういうペルー式のやり方にも原因がある。&lt;br /&gt;　　 ※ ※&lt;br /&gt;　検問で、バスが引っかかった。座席下の荷物入れの中の大きな袋が怪しい、というのだ。その袋の持ち主は左どなりに座るおばさんだ。彼女は、身分証明書に小銭を添えて、警官に手渡した。&lt;br /&gt;　おばさんは、とても口が臭い。車内はすごい人いきれ。リマの水道水は超硬水で、洗濯のとき良く洗い流さないと、マルセル石けんの石けんカスが服に残る。それと汗が混じるとこれまたすごい臭いになるのだ。&lt;br /&gt;　うしろで赤ん坊が突然、大泣き。朝の7時を過ぎると、車内のスピーカーから、かん高い声で歌う女性歌手のペルー民謡が脳みその中にぐわんぐわん響きだす。途中、休憩のため誰もいない砂漠に停車、女性もみんな野外でおしっこ。横行する強盗。頻発する事故…。&lt;br /&gt;　そういうすべてに同化すると、中・長距離のバスの旅は、苦にならなくなる。&lt;br /&gt;　念の為言うと、席を譲っても「ありがとう」の言葉などない。&lt;br /&gt;　いい感じの人はいるけれど、結構ぎすぎすした世界である。&lt;br /&gt;　それが、好きだ。&lt;br /&gt;「ペルー新報」に書いたコラム。掲載年不明&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-7763236061490464993?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7763236061490464993'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7763236061490464993'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/582.html' title='（墓58）地方への旅2'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-1814861466106286912</id><published>2007-09-04T09:29:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:54:54.591+09:00</updated><title type='text'>(墓57)観光立国？ ペルーがぁ？</title><content type='html'>&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;リマからの便り／その●&lt;br /&gt;太田宏人 - 00/01/18 22:37:49&lt;br /&gt;電子メールアドレス:hirota@mail.blockbuster.com.pe&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「またかよ・・・・」。&lt;br /&gt;いつものことだ。もう、さんざん慣れっこになっているのに、遭遇すると、やはり、怒りを禁じ得ない。&lt;br /&gt;そこは、PROMPERUという政府機関。ペルーのプロモーションをする組織だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なぜこんなところへ行ったかというと、ヴィクトル・アリトミ在日ペルー大使に依頼され、今後、ペルーのPRの日本語のWebページの立ち上げに参画することになったからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;じつはペルー新報（勤務先）という会社は、資金がないので、自社のＷＥＢサイトを持てないという。で、この状況を何とか打破したいという気持ちがあって、PROMPERUと組めば、便乗してペルーのニュースを日本語で発信するページを作れそうなどという口約束みたいなものがあり、しかもPROMPERUが著作権を持ている膨大な観光写真が無料で使える、というメリットがある（と聞かされて、のこのこ出かけた）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そこで当日、大統領府からの紹介で、PROMPERUに電話し、指定された３時３０分に、冷房の快適に効いたオフィスに出向く。&lt;br /&gt;すると、血色の悪そうな担当者が、「仕事を中断しやがって、なんだこのアジア人は、あれ、そういえば、約束してたよな」…という顔を一瞬のうちに、した。読み取ったぞ。と思っていると、「約束は、５時３０分じゃなかったっけ？ いま、他の仕事しているから、終るまで、待てよ。お前に声かけるからさ」と、のたまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;リマ市には、一般の場所で、クーラーがあるところなんてない。すごい一等地のオフィスなら、当たり前だろうが、私が勤める「バリオス・アルトス」のような小汚いところでは、あまりね。。。。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その場で引きつった笑いを浮かべ、帰った（１分考えた）。 &lt;br /&gt;その日の入稿時間もあったし、ほっとくと、１時間くらい平気で待たせるのが、この国の公務員。これは何度も経験しているし、本当は、そんなことで怒っては駄目なんだけど。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、なぜ、彼らのPRをやらなきゃならないのか（しかも勤務時間外のボランティアで）…？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;真っ平御免だね。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;この国に来た観光客のいちばんの不満は、時間のルーズさ。プロモーション局からしてこれである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もう、ばかばかしくって、怒りをこらえて、そのPROMPERUあたりの人種が行きたがらない、バリオス・アルトスの会社に帰った。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;途中、知り会いが社長をしているホテルに行って、カフェを飲まなかったら、もっとイライラしてしまっただろう。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;帰社後、例の担当者氏が慌てふためいて電話してきたと、電話の交換手がいう。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;知ったこっちゃねーよ。そんな対応で、人を利用できるか？ もっと、巧妙にやれ。こっちが楽しいくらいに…。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;とにかく、この国が観光立国できるまでの道のりは険しい。&lt;br /&gt;［00/01/18に「私的なペルー新報」というＷＥＢページに書いた一文］&lt;br /&gt;威張ってますな、おぬし。って、自分ね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-1814861466106286912?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1814861466106286912'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1814861466106286912'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/57.html' title='(墓57)観光立国？ ペルーがぁ？'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-6109152303174519108</id><published>2007-09-04T09:27:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:55:11.689+09:00</updated><title type='text'>(墓56)無駄で無意味な？日本の動物実験</title><content type='html'>&lt;strong&gt;これが《無意味な》日本の動物実験&lt;br /&gt;ムダな実験のかずかず&lt;br /&gt;実験動物の管理もずさん&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;太田宏人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●公権力による完璧なダークサイド&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;むき出しにされた脳に電極を埋め込み、電気を流し「神経の働きを調べる実験」。赤ちゃんの両目を縫い合わせ代理母（ぬいぐるみ）を与え「愛情を調べる実験」。1平方メートルの密閉器に閉じ込めて霧状の農薬を充満させ、どのくらいの量＆時間で死ぬのかを調べたり、体を器械で固定し、目が潰れるまで薬品を垂らす「毒性実験」……。&lt;br /&gt;こんな実験が「ヒト」で行われていたら、まるでナチス・ドイツだが【注１】、日本でもこういった動物実験が日夜ひそかに行われているのを、知っているだろうか？&lt;br /&gt;動物実験の「現場」に一般人が立ち入ることはない。実験の事態が明るみに出るのは、多くの場合、内部告発によるものだ。&lt;br /&gt;そもそも動物実験というものは、医薬品や化粧品、農薬、洗剤などを開発する際に、役所によって提出が義務付けられているものだ。製品化の前には何百何千という動物を使った（＝殺した）実験が行われている。しかも、多くの実験／研究者が公金の恩恵を受けている。&lt;br /&gt;動物実験の実態を解明するためのチェック機関なり、システムなりの法整備を、国は事実上、拒否している。ちなみに、製薬会社や化粧品会社はマスコミのスポンサーだから、マスコミが追及することは決してない。&lt;br /&gt;コンドームに塗られた殺精子剤の開発のためにだって、毒性実験は行われている。その実験は、マウスの毛を剃ってむき出しにした皮膚に、殺精子剤を塗り続ける。皮膚がただれるまで続ける、というものだ。殺精子剤は界面活性剤。別名は「洗剤」【注２】。洗剤を皮膚に塗り続ければ、それが有害だってことは誰だって理解できる。要するに、分かりきったことを追認して、「データを提出する」ためだけに、実験が行われているのだ。&lt;br /&gt;今回は、コンドームの毒性を書く記事ではないので、これでやめるが僕らの生活は、国の制度によって「動物実験で支えられている」構造になっているわけだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●無駄な研究のために「消費」される動物&lt;/strong&gt;ペットとして飼われていた犬や猫はかつて、全国で年間100万頭以上も、実験施設に払い下げられていた。それが現在では１０００頭を下回った（平成15年は犬＝６２３頭／猫＝１１１頭）【注３】。動物保護団体が、根気良く反対運動をしてきた成果だ。&lt;br /&gt;ただし、動物実験の廃止活動に20年近く取り組んできた野上ふさ子さん（ALIVE）によると、「調べてみると、近年はペット業界からも実験施設に動物が売られている」という。&lt;br /&gt;少し詳しく言うと、遺伝的に系統がはっきりしない飼い犬・猫での実験では、精確なデータが取れない。知人の研究者も「ペットとして飼われていた動物は、どういった感染症や寄生虫、遺伝的な病気を持っているか分からないので、実験の用途は限定される。人に馴れているから、『実験』しやすいのだろうが…」と証言する。医学部や獣医学部での、解剖や薬理（薬物によって起こる生理的な変化）の初歩など、ごく簡単な実験でしか使われない。国に提出したり、（業績を積むことを目的に）学者が学会で発表するような研究のための実験には、ビーグル犬などの実験用に「生産」された動物が使われる。ビーグル犬の場合、一頭15万円位するそうだ。ちなみに、払い下げの犬猫は無料～数千円。&lt;br /&gt;ビーグル犬は高価なので、徹底的に「使う」という。ありとあらゆる実験と解剖を行って、最後には原形はとどめない。冗談ではなく、最後は市販のビニールのゴミ袋に詰められたりしている。では、飼い犬・猫の場合は？ 施設によっては「どうせ払い下げの犬猫だから」という理由で、麻酔なしで切り刻むこともあるとか。&lt;br /&gt;医学部や獣医学の学生は、こういうことを繰り返して医者や獣医師になるわけだ。&lt;br /&gt;最近では、バイオテクノロジーの研究が「流行」で、工学系の大学や企業が遺伝子改変マウスを使って、盛んに実験を行う。生み出される遺伝子改変動物の数は、学会の“自己申告”によれば年間２００万匹（ほとんどがマウス）。&lt;br /&gt;日本ではいったい、年間何頭の動物が実験で「消費」されているのだろうか？ 野上さんは「正確な数字は分からない。『先進国』のなかで、動物実験の実態が把握されていないのは、日本だけです」と前置きしながらも、「年間２０００万頭くらいでは？」という【注４】。「日本では動物実験の実態が公表されないので、現在おこなわれている動物実験の是非や動物の数、代替法を検討したりするための議論のベースさえないわけです。役所の予算でも、市民による第三者評価が加えられるのに、同じ税金を使いながら、動物実験は密室。『科学の発展のために』という大義名分の下、文部科学省の予算はどんどん膨れ上がっているのが実情」（同）。&lt;br /&gt;病気を解明する、という理由で、モデル動物を作り出す研究も行われている。たとえば、人に感染するものの、他の動物には本来は感染しないウイルスのＤＮＡを操作し、感染可能なウイルスを人為的に作ってしまう。本末転倒だ。野上さんは「実験動物で得られたデータは、ヒトには適合しない」と断言する。&lt;br /&gt;密閉された実験施設のなかでは、その逆（動物→ヒトへの感染）の研究が行われていても、誰もわからないのだ【注５】。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●ついに、いのちがけの内部告発&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;実験施設の維持管理は、学者ではなく技術者が行う。株式会社アニマルサポートの岩崎啓吾さんは、東京理科大の実験施設のずさんな実態を告発した。その結果、仕事は減って社員は半減。業界から冷遇されている。正義の内部告発というのは自殺行為と同義語だ。&lt;br /&gt;理科大の実験施設の実態は「驚愕」そのもの。動物はマウスを使っていたが、普通は数匹しか入れてはいけないゲージに、雄雌を入れっ放しにするので、勝手に繁殖し、それをさらに放置するため、最終的には何十匹にもなってスシヅメ状態で共食い。こうなると、岩崎さんらが、尻尾を引っ張って頚椎を脱臼させて殺したり、死に至る量の麻酔を投与したり、場合によっては首を鋏で切るなどの「処分」をする。もちろん、こうならないようにするのは、研究者の義務だが、彼らはそんなことには関心がない。研究者が少し気をつけていれば、無駄な間引きを防げるはずだ。&lt;br /&gt;これが、普通の現場だ。生命倫理的にもおかしいが、もっと変なのは、「実験施設内で勝手に繁殖する」ということ。こうなると、「親」と「子」を特定できない。遺伝系統は不明になってしまうのだ。そして、そんなマウスが、さも遺伝系統が分かっているかのようなＩＤをつけられて論文に書かれている実態に、岩崎さんら同社スタッフは憤った。&lt;br /&gt;さらに、「可哀想だから」（可愛いから？）という理由で、若い研究者や学生が、遺伝子改変マウスを自宅に持ち帰ったりしていたそうだ。実験施設の外を徘徊するマウスを、近所の住民が目撃されたこともある。バイオハザードという言葉を、この子たちは理解していないのだろう。&lt;br /&gt;「これで『科学』が成立するわけがない。なんのための実験なのか？」と岩崎さん。税金を、外部のチェックも受けずに湯水の如く使えるような環境にいると、感覚が麻痺して、小学生でも分かるような善悪の判断さえできなくなるのだろう。幼稚だ。日本の科学のベースにも「幼児性」がはびこっている。&lt;br /&gt;＊ ＊ ＊&lt;br /&gt;科学の美名の下で、動物が「消費」される。だが、科学抜きでもヒトはヒトの生命を軽く扱う。たとえば戦後60年で、累計７１００万件（実際にはこの数倍）もの人口中絶が日本で行われたことは、一つの証拠だろう。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;【注１】日本の動物実験は７３１部隊の流れを汲む。そしてこれが、戦後の医薬界の根幹だ。&lt;br /&gt;【注２】殺精子剤の主な成分はアルキルフェノールで内分泌かく乱物質（環境ホルモン）。他の用途は、消毒薬、酸化防止剤、農薬、香料、界面活性剤（洗剤）など。&lt;br /&gt;【注３】保健所に持ち込まれて殺処分される犬や猫の数は、年間43万頭ほど（平成15年）。&lt;br /&gt;【注４】マウスの実験施設（とくに工学系の大学施設）では、「使った動物」「処分した動物」の数を把握していないことが普通。&lt;br /&gt;【注５】ＨＩＶは人為的に作られた可能性が指摘されている。&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（追記）&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;[研究]という名の濡れ手に粟！ これが「科学者」の実態だ&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;この原稿を印刷する寸前の10月4日、莫迦なニュースが報じられた。慶応大医学部のI教授が、実際には使っていない実験用マウスなどを購入したように偽装し、文科省と厚労省の科学研究費補助金を、判明しているだけで約４５００万円も不正受給していたのだ。一人の教授による不正受給額では過去最悪。手口は架空伝票を切るなど確信犯だった。この人、免疫学の第一人者なんだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●『漫画実話ナックルズ』（ミリオン出版）掲載&lt;br /&gt;2005年&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-6109152303174519108?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6109152303174519108'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6109152303174519108'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/56.html' title='(墓56)無駄で無意味な？日本の動物実験'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-1948822247202404136</id><published>2007-09-04T09:23:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:55:26.814+09:00</updated><title type='text'>(墓55)櫻井勝之進大人合同葬</title><content type='html'>旧臘二五日、神社界の重鎮・櫻井勝之進氏（皇學館元理事長、神社本庁長老）が長逝した。一月二六日には、学校法人皇學館、多賀大社、滋賀県神社庁の合同葬が伊勢市の三重県営サンアリーナでしめやかに営まれた。式には久邇那昭・神社本庁統理、北白川通久・神宮大宮司はじめ、神道関係者ら約七〇〇人が参列した。&lt;br /&gt;櫻井氏は戦後神道界の再興に尽くしたほか、伊勢神宮や多賀大社等での奉職、皇學館大學の興隆等、斯界の発展に尽力したことで知られる。&lt;br /&gt;（2006年、某週刊紙の記事）&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;※旧臘（きゅうろう）…&lt;/strong&gt;去年の12月。新年になってから用いる語。桜井先生の帰幽は2005年12月25日&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-1948822247202404136?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1948822247202404136'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1948822247202404136'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/55.html' title='(墓55)櫻井勝之進大人合同葬'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-8180662383650569031</id><published>2007-09-04T09:22:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:55:43.719+09:00</updated><title type='text'>(墓54)日系人対象のヘルパー講座がスタート</title><content type='html'>日本で初めて、ペルーやブラジルなどからの日系人を対象としたホームヘルパー2級養成研修講座がスタートすることになり、このほど開講レセプションが東京・五反田で開かれた。当日は、ペルーの代理大使や協力企業の代表者、受講生や講師らが出席し、賑わった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;講座の主催は株式会社アポーヨ。アポーヨとは英語の「ヘルプ」に相当するスペイン語。同社の田中均社長らは福岡県で20年以上、介護・福祉分野に携わってきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;講座の内容は、一般的なホームヘルパー２級講座と同じ。第1期講座は2005年11月～翌1月まで。施設実習の実習先は株式会社ライフコミューンの諸施設である。アポーヨ社は、講座の修了生のために派遣業務も行う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;家族愛や隣人愛で知られる南米の人たち。恒常的なヘルパー不足のなか、レセプション出席者からは彼らへの高い期待が寄せられていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;受講生のアンヘラ・ソネ（曽根）さんは沖縄系の日系ペルー人（2世、63歳）。ペルーでは看護師だった。「日本でもこういう仕事に就きたかったので、受講を決めました。がんばりたいです」と抱負を述べていた。&lt;br /&gt;【2005年、某誌に書いた記事に加筆修正】&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-8180662383650569031?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8180662383650569031'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8180662383650569031'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/54.html' title='(墓54)日系人対象のヘルパー講座がスタート'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-8409661038811982111</id><published>2007-09-04T09:19:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:22:10.482+09:00</updated><title type='text'>(墓53)少年の宗派は？ / カニエテ慈恩寺オヒガン騒動に言いたいこと</title><content type='html'>&lt;strong&gt;1999年3月 ペルー新報掲載コラム &lt;br /&gt;少年の宗派は？ / カニエテ慈恩寺オヒガン騒動に言いたいこと &lt;br /&gt;ペルー新報日本語編集長・太田宏人 &lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢とくに決まった時に、お線香を上げるわけじゃないけど、いつも手を合わせてるよ｣―。&lt;br /&gt;祖父母の位牌を祀った仏壇に手を合わせる日系三世の少年（母は米系ペルー人）。横で、母方の従兄弟たち(この子達は日本人の血を持たない)がおかしそうに笑っている。手を合わせたあとでこの男の子は、胸の前でカトリック式に十字を切る。&lt;br /&gt;男の子は、照れくさくなったのか、「チャオ！」（ばいばい）といって駆けていった。&lt;br /&gt;総体的に言うところの「日系」は、表面上は仏教の信仰を持っているように見え、仏教の用語を使う宗教の行事をいろいろ行なっている。オヒガンやオボン、オテラやブツダン、イハイなどがこれに相当する。だが、これらに無理矢理、ある特定の人たちが「日本の宗派」的な立場から、あれこれと講釈を垂れている。やれ、線香の置き方はどうだとか、戒名とは云々。これが、問題の根本のような気がする。現実を見ていない愚行である。&lt;br /&gt;「日系は古い日本を云々かんぬん」というステロタイプに流されがちな日本の報道の方にも注意を促したい。&lt;br /&gt;（慈恩寺のある）カニエテ町で行われた日系のオボン・オヒガンを取り上げ、「仏教が残っている」と伝えた報道陣へ、である。そういう表面的な視点がペルーに逆輸入された形で、日系人のなかに「ときどき仏教徒になることで、いい印象を(日本へ)与えられる。さらにプラス・アルファがあるかも」と、認識してしまっている日系人がたくさんいることも、日本の報道陣へ認識願いたいのである。 &lt;br /&gt;この世を去った親や祖父母を想う、日系ペルー人の心根は多様である。が、それは存在する。&lt;br /&gt;宗教が成立するためには、①信仰の対象、②教義、③信者、④集会する場所#8212;が不可欠という。信者の実情を前提としない（信者の現状から乖離している）議論は、いかさま問題を大きくし、騒乱を呼ぶだけではないだろうか。&lt;br /&gt;信仰を受け継ぐものは、誰か。信仰の対象となっているのは先祖か仏陀か。&lt;br /&gt;いま、カニエテ慈恩寺のことに関連して、蠢めいている方々にお願いがある。とくに、仏教の関係者に念を押したい。日系ペルー人の故人たちを｢あれらはほとんどうちの宗派でした｣というような欺瞞は、もう金輪際やめて欲しい。慈恩寺に収められている位牌をみれば、すぐに分かる。寺籍は曹洞宗であったが、沖縄系が多いし、形式や戒名などない位牌がどれだけあるかを。もちろん浄土真宗の形式のものも多い。&lt;br /&gt;「信者」といえるのか知らないが、日系ペルー人の現状に即して、筋を通しながら論じて欲しい。ペルー日系人協会も、カニエテ日系協会も浄土真宗も、曹洞宗もである。&lt;br /&gt;これを宗門の間の懸案にすべきではない。&lt;br /&gt;まずは、日系ペルー人の問題としたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-8409661038811982111?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8409661038811982111'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8409661038811982111'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/53.html' title='(墓53)少年の宗派は？ / カニエテ慈恩寺オヒガン騒動に言いたいこと'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7656741294157700902</id><published>2007-09-04T08:44:00.001+09:00</published><updated>2007-09-06T00:56:07.623+09:00</updated><title type='text'>(墓52)アンデス山中の一夜</title><content type='html'>&lt;strong&gt;しんぽう週末コラム&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前、アンデス山中の村にいた。&lt;br /&gt;ある祭の夜、少し酔った。そして、踊り疲&lt;br /&gt;れた。酔いをさまそうと、宴会場になってい&lt;br /&gt;るパン焼きの家（カサ・デ・オルノ）から、&lt;br /&gt;外に出た。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すると、満天の星空だった。無数の流れ星&lt;br /&gt;や、名前を知らない南半球の星座たち。海抜&lt;br /&gt;三〇〇〇メートルの夜の冷気が肌を刺し、ほ&lt;br /&gt;てった体を刺激する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そうやってしばらく上を向いていたら、男&lt;br /&gt;の子がやって来て、何を見てるの？ と、聞&lt;br /&gt;いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「お星様」&lt;br /&gt;「ふ～ん…」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;毎日、落ちてきそうなほどの星空を見飽き&lt;br /&gt;ている彼には、星のない街から来た人間の感&lt;br /&gt;動など、わかりにくいのかも知れない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※ ※&lt;br /&gt;人は、身の回りにある、ありふれたものの&lt;br /&gt;価値を忘れがちで、目新しいものばかりを求&lt;br /&gt;めてしまう時がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それを、星に教えられた気がする。ただし&lt;br /&gt;星は星。何かを言ってくれるわけではない。&lt;br /&gt;星は、悪意を持っていない。同情もしない。&lt;br /&gt;ただ冷たく、澄んだ光を発するのみである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;星の輝きは、客観的だ。だから、大切なも&lt;br /&gt;のをなくしたり、感情に流されそうな時、星&lt;br /&gt;を眺めに出かけたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;悪意でも、同情でもない、そんなありがた&lt;br /&gt;い批判にさらされた時こそ、星々のように、&lt;br /&gt;冷徹でありたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それでは皆さん、良い週末を。ちなみに、&lt;br /&gt;風邪の予防には、いつも手を石鹸で洗うこと&lt;br /&gt;だそうです。これだけで、風邪になる確率を&lt;br /&gt;三割も減らせるそうですよ。&lt;br /&gt;(8/2)&lt;br /&gt;『ペルー新報』掲載日時忘れた&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-7656741294157700902?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7656741294157700902'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7656741294157700902'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/19.html' title='(墓52)アンデス山中の一夜'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-5849602911157240050</id><published>2007-09-04T08:31:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:56:32.861+09:00</updated><title type='text'>(墓51)都会者と田舎者</title><content type='html'>&lt;FONT COLOR=green&gt;&lt;b&gt;●飛行機がアクシデントで、あしたまで飛ばないという。&lt;br /&gt;ラン・チリだ！&lt;br /&gt;ホテルを用意してくれるという。&lt;br /&gt;個人旅行らしい日本の女の子が、チェック・イン・カウンターで困ってた。&lt;br /&gt;スペイン語が分からないみたい。&lt;br /&gt;少し助けてあげた。ホテルでも一緒にご飯食べたり、いろいろ話した。&lt;br /&gt;OLだって。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;メールアドレス交換したし、こちらからも送ったけど、&lt;br /&gt;それ以来、音信不通。&lt;br /&gt;彼女、日本の会社社会に帰って行ったんだ。&lt;br /&gt;わたしは、かわらず、ここにいる。&lt;/font&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【ペルー在住時に『JARU』ハル誌に載せてもらったもの】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-5849602911157240050?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5849602911157240050'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5849602911157240050'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/52.html' title='(墓51)都会者と田舎者'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-5188113408157983014</id><published>2007-09-04T00:45:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:56:51.188+09:00</updated><title type='text'>(墓50)ぼくとあなたのプチ修行</title><content type='html'>&lt;strong&gt;ぼくとあなたのプチ修行&lt;br /&gt;構成・取材・文：太田宏人（ライター） &lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;［リード］&lt;br /&gt;宗教団体が一般人向けに開催する手軽な体験修行が昨今、注目を集めている。必ずしも布教・改宗が前面に出ないという意味で「プチ修行」とか、「カジュアル修行」といってもいいかもしれない。俗な言い方をすれば、はやりの「おケイコ・レッスン」に、プチ宗教体験がブレンドされたカルチャー・スクールの「ノリ」。とはいっても、そこには深い精神世界が展開されるらしい。というわけで、GOKUH版「初めての修行」マニュアル！ リスキーなカルト教団が横行するご時世だから、安心（？）の修行のすすめ。これであなたも“解脱”へ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;布教・改宗とは無縁な一般人の「プチ修行」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『食う寝る坐る 永平寺修行記』（野々村馨・著、新潮社文庫）という“地味な本”が昨年、都内の大手書店で平積みになっていたのを見た。もともとは単行本で、新潮社によると現在までの売上は、単行本と文庫本の累計で12万部だという。&lt;br /&gt;本の内容はふとしたことから生きることにつまづいた著者が出家を決意し、以前から興味のあった道元禅（曹洞宗）の両大本山のひとつ、福井県・永平寺に入山し、下山するまでの１年間の修行の記録だ。&lt;br /&gt;この本に書かれているのは、形而上の精神世界もしくはストイックな禁欲生活への賛歌ではない。信仰に基づく厳しい修行を淡々と描写し、「人間が生きること」を炙り出す。修行内容は凄まじい限り。脱走や栄養失調での入院で脱落する者が毎年、必ず何人かいるそうだ。堅い信仰を持つ者か、親の職業＝住職を継ぐしか未来がない境遇に生きる者以外、「おやま」の修行は貫徹できないのではないかと思えた。ちなみに、野々村さんはそのどちらのタイプでもない。とくに仏教への帰依が深いわけでもない、一般人だ。&lt;br /&gt;このような本が売れている背景に、読者の「非日常に生きること」への憧れや、ほんの少しの時間であっても、俗社会と距離を取りたい気持ち、超越した存在を求める衝動、「修行」という行為によって、喪失感すら失ったような己の心と体を改めて実感し、自分自身を高めたい願望――などがあるのかもしれない。&lt;br /&gt;彼のように１年も修行することは、普通は難しい。「でも、やりたい」。そんな人たちの想いを成就するのが、プチ修行。布教の一環として、各寺院や教団による一般人を対象にした「お手軽修行」というのは、これまでもたくさんあった。それらとプチ修行の違いは、参加する側に、布教や教化もしくは改宗される気が全然ないこと。気持ちの持ちようは変わるかもしれないが、自分の社会的なスタンスや信仰などをまったく変えるつもりがない、という点だ。主催側も、布教・改宗をあまり強要しない。だからこそ「プチ」なのだ。&lt;br /&gt;『陰陽師』の影響もあって、一般女性による巫女人気が高くなった（巫女は神社神道における奉職者だから、陰陽道とは別）。それは「巫女になりた～い」でも「巫女で一生を終わりた～い」でもない。巫女装束への憧れは（言葉は悪いが）、まるでコスプレ。しかし、各地で行われる「巫女さん体験（修行）」に参加した人は、コスプレだけでは望めない「何か」を得て、そして日常の生活に戻っていくのだ。&lt;br /&gt;東京自由大学という市民大学が主催する滝行（会員制）もある。一般人がただ滝に打たれているだけでは、たんなる物好きか宗教マニア。だが、参加者も指導者も「大いなる何か」を体感する点で、立派な宗教上の修行だ。プチ修行は、教義や教団から離れつつも、れっきとした宗教的経験なのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;小さな山寺で初めて禅を体験！&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;論より証拠。そこで、東京西部・西多摩郡日の出町の西徳寺（曹洞宗）という禅寺で、坐禅体験をさせていただくことにした。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtwuLtbspvI/AAAAAAAAABM/82qgE7GMk_I/s1600-h/2004XXXX.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtwuLtbspvI/AAAAAAAAABM/82qgE7GMk_I/s200/2004XXXX.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5106006856240506610" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;  それは３月のある土曜日。JR武蔵五日市駅で朝の８時に本誌編集M氏と落ち合い、タクシーに乗って寺へ向かう。地元のタクシー運転手もよく知らないというほど、こじんまりとした山寺である。寺では、婦人会の皆さんが掃除をしていた。おばあさん、お嫁さん、孫娘という三世代が、にこやかに、せっせと本堂の隅から隅までを清めていた。&lt;br /&gt;満開をすこし過ぎた桜が、ひらひらと晴天に舞う。それはじつに和やかな風景だった。&lt;br /&gt;住職の寺江規克師に坐禅作法を教わりながら、実際に坐ってみる。壁に向かうのだそうだ。パンヤの詰まった坐蒲（ざふ）に腰を降ろし足を組む。坐リ方は、左右の足を股の上に置く結跏趺坐（けっかふざ）が本式というが、はっきりいって肉体的に無理。「坐禅を続けていれば股関節が柔らかくなるので、結跏もできますよ」と寺江師はいう。この日は、左足を右のまたの下に入れ、右足を左のまたの上に載せる半跏趺坐（はんかふざ）にする。&lt;br /&gt;これは目からうろこだったが、寺江師によると、坐禅は苦行ではないという。痛さを我慢するものではないので、半跏でも構わないのだそうだ。それよりも大切なのは、姿勢。背筋を伸ばし、胸を開く。眼は仏像と同じく半分開いた「半眼」。何かを見るともなく前方下に視線を這わす。&lt;br /&gt;手は、股の上で法界定印（ほっかいじょういん）を結ぶ。これは、右の手を下にし、その上に左手を重ね、両手の親指を軽く合わせるもの。&lt;br /&gt;「姿勢が崩れると、坐禅になりません。坐禅を始めるさいは、しかるべき僧侶に指導してもらって下さい」（寺江師）&lt;br /&gt;いろいろな雑念が浮かぶが、それを否定しないのだそうだ。&lt;br /&gt;当日、うかつにもGパンだった。これは坐禅には適さない。&lt;br /&gt;坐禅が始まると、編集M氏が写真を撮り始める。本堂の外では、檀家さんの世間話。これが面白くて、笑ってしまいそうになる。また、M氏は法界定印や半跏趺坐などの「パーツ」にこだわって撮影しているようなので、素足の裏の水虫が写真に写りはしないか？ などと、どきどきした。ワタクシゴトもあれこれ考えた。雑念のオンパレードだったが、不思議と寝不足の頭はすっきりとしていた。眠くはならなかったが、時間の感覚を忘れた。&lt;br /&gt;たった一回の体験で坐禅を語るつもりはない。ただ体験談として言わせてもらうと、わずか１時間弱の坐禅だったようだが、日常の凡俗な時間が、坐禅のあいだは途切れた。解放されたような感じ。ご住職がぼくの肩に振り下ろした警策（きょうさく）という棒の一撃は痛かったが（修行僧への一打は、その数倍の力で行われるらしい）、特殊な神秘体験もなかった。黙祷での静寂とも違う。なにか、「これでいいんだよなー」というような、普段だったら無防備と感じられるような精神状態になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;緩慢な自殺とプチ修行に共通する“自己実感”&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前、曹洞宗のビデオ映画『禅のいぶき』をスペイン語に翻訳する仕事をやったことがある。内容は、本山にこもって修行に専念する雲水たちの生活の紹介だ。修行の開始にあたって、オリジナルの日本語ナレーションが「命がけの修行が始まる！」と野太く言い放つのだが、訳しながら「まさかー」と思っていた。『食う寝る坐る――』を読むと、あながち嘘ではないようだ。&lt;br /&gt;しかし命を懸けることが、修行の価値を高めるのだろうか？ それなら、生活を守るという意味では、どんな職業だって命懸けだ。なにも山にこもって修行する必要もない。たとえば、ライターという腐れ稼業を続けるぼくでさえ、１年のうちに何回も地獄を経験する。何日も徹夜もしくはほぼ徹夜の状態が続き、目はかすむし、キーボードを叩く指はむくんで、体のあちこちが痛む。コーヒーの飲みすぎで腹はタプタプ＆吐き気でゲロゲロ、脈も乱れて、動悸が激しくなり、起きているのに脳内麻薬のせいで幻聴と幻視のナチュラル・ハイとなってくるわけだが、こんなことはただの生命の消耗ですけどね。&lt;br /&gt;「命懸け」で思いつくのは、いま話題の海外ボランティア、またはボランティア・ヒッピー（バックパッカーもしくはプー太郎を正当化するためのフリージャーナリストやライター含む）。&lt;br /&gt;危険なところに行きたがるのは、自覚のあるなしに関わらず「緩慢な自殺衝動」なんだそうだ。危険に身をさらすことで、生きている感触をつかみ、体や心が自分の体と心であることを実感する、というわけだ。余談だが、飽食ニホン人のボランティアの目的や存在理由のために「世界の可哀相な人たち」が存在するわけではないので、目的や充実感のベクトルが“ボランティアする自分”“真実を伝えている自分”に向いている人は、やはりオカシイ。&lt;br /&gt;お釈迦様は、肉体と精神を限界まで追い込む修行を、否定した。彼は出家後、６年のあいだ苦行を続けたが、悟れなかった。ところがあるとき、弦楽器の弦を見ながら、&lt;br /&gt;「弦の張りが強すぎたら切れるし、弱すぎたら音にならない」と合点が行ったという。&lt;br /&gt;頭ばっかりでも体ばっかりでもだめ。「中道」である。中道の修行は、各宗派では違った現れ方をする。坐禅したり、一心にお題目を唱えたり、滝行したり、掃除したり、現世と隔絶したり、論戦したり、加持祈祷を続けたり。しかし共通するものは、「自己とどう向き合うか、自己とは何なのか」を見つめること。&lt;br /&gt;曹洞宗の開祖である道元禅師も「仏法をならうというは、自己をならうなり」と喝破する。&lt;br /&gt;一部の国際ボランティアも、プチ修行の参加者も、自分に酔いやすいことと自己を実感することは似ていると思うが、はっきり違う点は、前者は最終的には「自分の納得のための行動」であるのに対し、後者は「自分を見極める」もの。プチ修行も自己満足かもしれない。しかし、宗教施設で行うことに意義がある。そこに広がる「聖なる世界、厳格な世界、折り目正しい世界、人智の及ばない世界を」に圧倒されるのだ。別世界に触れるだけでも、俗世間の垢にまみれた自分を再認識するきっかけになる。人間本来が持っている「生きる律動」が正常化する、そんな感触。&lt;br /&gt;緩慢な自殺などをするくらいなら、プチ修行がお勧めだ。実際、坐禅を自殺防止のカウンセリングの援助法として採用する団体もある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;プチ修行は、ケイコとマナブと同類なのか？&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;村山省三師（曹洞宗、2005年死去）は、６年間のブラジルでの布教経験を持つ。サンパウロの禅寺に集まる日系人は、おもに先祖供養が目的だが、日系ではないブラジル人たちは坐禅志向だ。日本的なメンタリティーや習慣を若干継承する日系人より、仏教からは遠いブラジル人たちが坐禅会に参加する動機は、どんなものだろうか。&lt;br /&gt;「のぞいてみようかな、という興味。ヨガや精神統一のように、カルチャー・スクールのひとつとして体験することが多い」という。これ、まさに日本のプチ修行と同じ次元だ。たとえば日本では、プチ修行を「教養講座」ならまだしも、「観光地のアトラクション」なみに紹介する媒体もあるくらいだから。&lt;br /&gt;「ブラジル人参加者に継続性はないですね。9割以上の人が続かない」&lt;br /&gt;これは、ほかの国でも当てはまることらしい。&lt;br /&gt;しかしいかに“教養的な習いごと”とはいえ、指導する側は信仰に裏打ちされた本物の僧侶。坐禅も、教養を高めるために開発されたわけではない。だから、参加者が次第に違和感を覚えていくという。ただし肉親との死別や、職場でのトラブルなどを抱えているような参加者は、ハマることがあるようだ。&lt;br /&gt;村山師に、プチ修行に参加するときの「心得」を聞いてみた。&lt;br /&gt;「参加者お互いが尊重しあうことです。坐禅会なら、そのお寺に対しての感謝も必要。寺には寺のルールがありますから、それを守るマナー。私も永平寺で一般参禅（一般人向けの坐禅会）を指導したことがありますが『なんでここに来たの？』と思わざるを得ない礼儀のない人たちがいます」という。プチ修行は、プチはプチでも、やはり修行だ。たんなるお稽古事とは次元が違うということだろう。&lt;br /&gt;ちなみに道元は、こうもいっている。&lt;br /&gt;「人が悟りを得るのは、月が水に宿るようなものである。月は広大な光を放つが、一滴の水にさえ宿ることができる」&lt;br /&gt;ある禅僧は、&lt;br /&gt;「たった１秒の坐禅でも、本質的にはそこに無限の過去と未来が凝縮されるといっていい」と語る。プチ修行といっても、決してあなどれないのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;「葬式仏教」は、プチ修行に対応できない&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「巫女萌え～」でアレな男たちも含め、巫女に憧れる人たちのサイトをのぞくと、じつに綿密に調べ上げている。その情報量および情報を集める情熱たるや、圧巻だ。素人さんの知識が、本職の巫女さんの情報を圧倒的に凌駕している。この逆転現象は巫女に限らず、神職でも僧侶でもあてはまる傾向がある。僧侶でも、親が坊主だったから跡目を継いだ人よりも、出家を決心して仏門に入った元・一般人の僧侶のほうが、熱心といわれる。そして、宗教マニアの情報量に本職が太刀打ちできない。&lt;br /&gt;仏教の伝統教団についていえば、日本中いたるところで体験修行が開催されているように思えなくもないが、実際には「プチ修行」なり檀家・信者もしくはマニア対象の催しを開いている寺院は、絶対的に少数だ。檀家の葬儀・法要といった檀務【ルビ：だんむ】だけで精一杯、というより、それだけで食べていけるそうで、わざわざ面倒くさい布教活動をしたがらない。「葬式仏教」と揶揄されるのは、このためだ。ぼくたちはいったい１年のうちに何回、旦那寺もしくは氏神の社に行くだろうか。聖職者の名前を知っているだろうか。そしてその人に親近感なりを持っているだろうか。卑近な例をあげさせてもらうと、ぼくは旦那寺にはよく行くほうだ。家の墓が寺の敷地のなかにあるためだ。だが、住職と話したことは一度もないし、わりと大きな寺なので、はっきりいって、働く僧侶は組織の人間。檀務は業務。組織に対して胸襟を開けるわけがない。仏教関係の翻訳で分からないことがあっても、聞きに行く気にもならない。墓に関していえば、永代供養料とは別に管理費まで取っているくせに、立てて間もない卒塔婆を処分される始末。抗議しても、顔の見えない組織の人間が、まるで役所のような対応をするだけ。&lt;br /&gt;もちろん、檀務も立派な布教・教化活動の一環である。また、檀家以外の人間に対して住職がケアをすることを檀家が嫌う地域も、いまだにある。さらに、檀家が少ない寺院では、住職が普段は勤めに出ているケースも少なくない（現金収入の途がさらに少ない神社では、“兼業”の割合は高い。知り合いの神主で、会社のロッカーに装束を入れ、昼休みに地鎮祭を行う人もいる）。&lt;br /&gt;こういう状況では、迷える現代人の宗教的ニーズに応えることは難しい。プチ修行といっても、まったくちゃらんぽらんな参加者もいるだろうが、解決したい何かを秘めている人もいる。そういう人たちに、伝統教団は対応できていない。だからこそ一時期、安直なまでに「答え」を示してくれるカルトが、とくに年齢の若い人たちに受け入れられた。&lt;br /&gt;しかしカルトが危険なことは、ある程度は認知されるようになってきた。プチ修行ブームは、オカルト・ヒーローたちをもてはやした前世紀末の反動かもしれない。しかし今年４月には、自己啓発セミナーを装うカルト集団「ホームオブハート」（栃木県那須町）において常軌を逸した児童虐待が加えられていたことが発覚するなど、カルトは死んでいないし、これは氷山の一角だ。どんな宗教でも伝統教団が不活性化している限り、カルトの氷山は半分も溶けないだろう。&lt;br /&gt;外国人が日本人をいろいろと不思議がるなかで、あの「無宗教」というのがある。たしかに、伝統教団とその教団を構成する聖職者の側から、社会と時代を貫く強く効果的な声があがってこない状況であれば、仕方のないことかもしれない。だが、初詣や祭礼、七五三参りの例を出すまでもなく、日本人は宗教儀礼は決して嫌いじゃない。むしろ、好きだ。プチ修行というカジュアルな修行体験も、宗教的体験なのだ。そしてそれが流行るのは、人々に求められているから。教団の側から「プチ修行でござい」と、需要が作り出されたわけではない。&lt;br /&gt;坐禅体験のために、日の出町の西徳寺にいったとき、婦人会の皆さんが掃除をしていたことは前に書いた。地方の神社仏閣では、そんな情景は珍しくないはずだが、そういうコミュニティーが機能しているところでは、プチ修行の需要は少ないのかもしれない。プチ修行というのは、専門職をめざす人の登山口でもなく、教団や教義への帰依でもない。俗世間とは異なる空間と時間で、俗界には存在しない特別な所作を自らに課しながら、超越した世界を体感する。そして、俗界の膿のなかから自己を再確認する。肉体と精神の復権である。&lt;br /&gt;人間は、山や巨木、滝や海のほか、神々しさを湛える宗教施設でもリフレッシュされるようだ。機会あるごとにお寺に行くことができない人には、プチ修行のような経験が必要なのだろう。&lt;br /&gt;宗教宗派を超え、旦那寺や氏神、鎮守の神社という制約からも解放されたプチ修行こそ、現代的な信仰生活の王道なのかもしれない。&lt;br /&gt;今後、伝統教団の聖職者は、この流れに対応できる少数派と、対応できない多数派にはっきりと二極化していくのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2004年、某「GOKUH」誌掲載&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-5188113408157983014?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5188113408157983014'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5188113408157983014'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/50_04.html' title='(墓50)ぼくとあなたのプチ修行'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtwuLtbspvI/AAAAAAAAABM/82qgE7GMk_I/s72-c/2004XXXX.jpg' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7266248671822839463</id><published>2007-09-04T00:43:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:18:44.380+09:00</updated><title type='text'>(墓49)ペルー人の恋愛相談</title><content type='html'>リマ市ラ・ビクトリア区在住／レオネル氏（37歳）&lt;br /&gt;「ぼくの女房は、&lt;br /&gt;ぼくより、彼女のいとこのほうが好きなんだ…」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先生、ぼくは、女房との絶対に終らないケンカに、日夜悩んでます。うう。女房のやつは…、くそったれぇ！ もう我慢なんねぇ！ といった感じですよ。だって、8ヶ月前、凄い大金を要求したんです。なんでも、いとこ（ならず者っスよ）の心臓が悪いとかで。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ここだけの話ですがね、女房のヤツ、800ドル貸したとか何とか…。女房は、ロサってんですがね、あいつにばっか尽くして、べたべたしやがって、ぼくには何にもやっちゃくれないんです。うう。自分じゃ働かないくせに。あの金、全部、俺の金じゃないスか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;文句いうと物は投げるわ、脅迫するわのありさまっス。そのイトコのやろう、この間うちに来たとき、有難うとかいうのかとおもったら、自分の病気の自慢話たらたらしやがって、キー!!&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな調子じゃ、うちの女房、今度またアイツが病気したら、おんなじこと繰り返しますぜ。そんでもって、ご飯を持っていって、スプーンで「はい、あーん。うふ」なんてやりかねん。こんなこと、許されん!!! でしょ？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女、ヤツの病気の不幸に心動かされてるんだろうって、思いますよ。でも、こう思ったら不自然ですか？「アイツに惚れてるんじゃないか？」って…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;毎日、悶々として悩んでます。そうかもしれないって。自分はまったく金を使えないし、失業しているのに。&lt;br /&gt;せんせい、どうしたらいいのよ？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ペルーの大衆紙の連載を面白半分に翻訳して日本の雑誌に売り込むが、あえなくボツ。撃沈。&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-7266248671822839463?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7266248671822839463'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7266248671822839463'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/50.html' title='(墓49)ペルー人の恋愛相談'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-1619898744557116285</id><published>2007-09-04T00:39:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:57:50.991+09:00</updated><title type='text'>(墓48)米国の日系「碁」事情は？</title><content type='html'>&lt;strong&gt;米国の日系「碁」事情は？&lt;br /&gt;国際ペア囲碁選手権で来日したパンダネットの米国コーディネーター、マーク・オカダさんに聞く&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本ペア囲碁協会が主催する第一二回国際アマチュア・ペア囲碁選手権大会が(2001年)11月17日と18日に都内のホテルで開かれ、中国の范蔚菁（Weijing Fan／14）・黄晨（Chen Huang／13）組が優勝した。大会は日本の各地方ブロックの代表を含む21か国・地域から32組が参加して行われた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;大会期間中は、ネット上で囲碁の対局や観戦、指導碁も受けられる「パンダネット」（http://www.joy.ne.jp/panda/）の体験コーナーも設置され、同ネット合衆国のコーディネーター、マーク・オカダさん（63）も来日した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;オカダさんは、カリフォルニア州バークレー市在住の三世。祖父は兵庫県出身の故・平島音松氏。この祖父から、囲碁の手ほどきを受けたという。&lt;br /&gt;「私が、一四歳のときだった。仕事から引退してひまを持てあましていた祖父の相手をするうちに、囲碁を覚えました」&lt;br /&gt;と、オカダさんはいう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところが、北米の日系人のなかでは、オカダさんのように祖父や父親から囲碁を教わった人物は、多くないそうだ。&lt;br /&gt;「三世のなかで、囲碁を打つ人はほとんどいないと思う。私の囲碁仲間にもいない」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“日本の文化”が断絶し、継承していないのだろうか。その背景には、第二次世界大戦の戦時下に行われた米国政府による日系人の強制収容がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「あの戦争のときに、日本の文化の多くが次の世代に継承されなかった。日本の文化への関心も薄れてしまった。（囲碁を打つ日系三世という）私の存在は、かなり“奇特”なんです。それに、北米の日系人の囲碁人口は少ないですよ」と、オカダさんはいう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「私は、個人的には日本の文化に関心がある。裏千家の茶道も習っているしね」&lt;br /&gt;出自国（この場合は日本）の文化（囲碁）が、ホスト国（米国）に伝播するさいに、移民集団が媒介とはならない現象は、他の国でも起こっているようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今回、同大会に初参加したヴェネズエラのマリーア・プエルタさん（45）にもあてはまる。&lt;br /&gt;プエルタさんは一〇年目に二ヶ月ほど研修で日本を訪れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「そのとき、ＪＩＣＡのナガトミさんに囲碁を教わったの」&lt;br /&gt;その後、「ナガトミさん」がヴェネズエラに赴任した関係で、囲碁の愛好グループが現地で結成された。現在、会員は50人ほど。&lt;br /&gt;「日本人の子孫たちから碁を教わったことはありません。逆に、私たちが彼らに教えています」と、プエルタさん。&lt;br /&gt;大会の成績は？ と質問してみると、&lt;br /&gt;「う～ん。強豪ばかりだから。まあ、しょうがないわね」と、笑っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※ペア囲碁･･･男女二人の各一組が対局する囲碁。日本で考案された。ちなみに、対局中の相談は禁止されている。詳しくは日本ペア囲碁協会（http://www.nkb.co.jp/pairgo/）へ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『海外移住』KAIGAIIJU第603号2002年1月号掲載 &lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-1619898744557116285?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1619898744557116285'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1619898744557116285'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/49.html' title='(墓48)米国の日系「碁」事情は？'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-4069535565217988468</id><published>2007-09-04T00:38:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:21:14.298+09:00</updated><title type='text'>(墓47)おやすみなさい</title><content type='html'>&lt;strong&gt;しんぽう週末コラム&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;若い日系人のセニョリータに、一番好きな日本語の言葉を聞いてみたら、「おやすみなさい」とのこと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女の妹さんが、寝る時に言う、この言葉にとても優しい響きがあるから、という。そして、日本語を勉強しはじめて、その意味を理解し、ますます好きになった、という。&lt;br /&gt;どうぞ心安らかになさって下さい、つまりぐっすり寝て下さい、という意味だが、「ぐっすり寝て下さい」とはっきり言ってしまったら、言葉の響きも意味も気持ちも、すべて損なわれるような気がする。日本語は、優しさを遠回しに表現するのだから。そこに、心根の温かさや、思いやりが込められている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ちなみにこの姉は現在勉強中としても、以前は二人とも日本語はちんぷんかんぷんだった。祖父母の話していた日本語の断片が記憶に残っていて、それを日常の生活にも使っていたようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;我々はふだん何気なく日本語を話し、家族には面倒くさくなって「お休み」ともいわないこともあるが、かえって、この姉妹のように意味や気持ちをちゃんと伝えている人達がいるようだ。&lt;br /&gt;とても些細なことだけれど、大切なこと。そのことに気付かせてくれて、ありがとう。&lt;br /&gt;◇ ◇&lt;br /&gt;心が痛い時に欲しいもの。それは、ただ一言の「おやすみなさい」。それだけでいい。&lt;br /&gt;では皆様、どうぞ良い週末を…。&lt;br /&gt;『ペルー新報』掲載日不明、冬のいつか&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-4069535565217988468?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/4069535565217988468'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/4069535565217988468'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/48.html' title='(墓47)おやすみなさい'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-9165207325270892390</id><published>2007-09-04T00:37:00.000+09:00</published><updated>2007-09-06T00:58:13.185+09:00</updated><title type='text'>(墓46)リマ市電が営業を再開</title><content type='html'>2003年の営業開始の直後に「警備関係の予算がない」としてリマ市役所が休業した「リマ市街区鉄道線」がこのほど、営業を再開した。&lt;br /&gt;路線は、リマ市内南部のサン・ファン・デ・ミラフローレス区からヴィジャ・エル・サルバドール区までの約10キロを12分で結ぶ。始発は午前10時で終電は午後5時40分。運賃は50センターボス均一という。&lt;br /&gt;おもに利用するのは週末の買い物客と公園への行楽客で、月に2万4000人～3万2000人が見込まれている。&lt;br /&gt;[某団体の会報用に書いた]&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-9165207325270892390?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/9165207325270892390'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/9165207325270892390'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/47.html' title='(墓46)リマ市電が営業を再開'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-5170886575976211918</id><published>2007-09-04T00:35:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:17:39.210+09:00</updated><title type='text'>(墓45)フジモリ時代以降、就学率低下？</title><content type='html'>INEI(国立統計院)によると、フジモリ政権末期の2000年から2001年にかけて、小学校への就学率が低下している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;小学校への就学率は、98年～2000年まではそれぞれ90.9％、92.7％、93.5%と増加していたが、2001年には91.5％に落ち込んだ。フジモリ政権の末期以降からの経済低迷が影響しているのかは不明。ただし、全体的に、「より学費の安い学校」を選ぶ傾向が強く、日系諸校が位置する中堅クラスの教育校で、生徒数の減少が続いている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;国立校では建前は無料だが、さまざまな名目で、実質的には有料になっている。“学費”は校長や父兄会の自由裁量といわれ、学校によって差異がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方、中学校では就学率が年によって変化する。同じく98年～2000年の就学率は62.0％、59.3％、61.7％であり、2000年は65.6％となっている。文盲率は12.1％（2001年年次統計）。&lt;br /&gt;[某団体の会報用に書いた]&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-5170886575976211918?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5170886575976211918'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/5170886575976211918'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/46.html' title='(墓45)フジモリ時代以降、就学率低下？'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7405818877409452416</id><published>2007-09-04T00:34:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:15:07.625+09:00</updated><title type='text'>(墓44)「50年代家電」がペルーで活躍</title><content type='html'>　ひょんなことから戦後五〇年間の日本の産業デザインを調べていたら、南米のペルーでいまも普通に使われている炊飯器やミキサーが、五〇年代のデザインそのままってことを知った。&lt;br /&gt;　東芝が電気釜を世界ではじめて開発したのは、敗戦から十年後の一九五五（昭和三〇）年。スイッチひとつだけのシンプルな操作と、いかにも機能的な外観が印象的だった。外観（フォルム）が、プロダクトの機能を代弁するという意味での「機能性」と、人間工学的な視点を取り入れ、使い勝手のよさを追求した「機能性」がミックスされ、“機能主義デザインの逸品”ともいわれる。&lt;br /&gt;　この電気釜は、一九五八年のグッドデザイン（Gマーク）選定商品になっている。&lt;br /&gt;　それから、ミキサー。&lt;br /&gt;　戦後、アメリカのホームドラマが大量に輸入された。金髪美女のアメリカ人主婦が使いこなす電気製品は、まさに金ぴかだった。冷蔵庫や洗濯機とならんで、日本人主婦の睡涎の的だったのが「オスター社のミキサー」だ。これ、現在では日本市場から駆逐されたが、日本のメーカーがミキサーを売り出すまで、ダントツの人気を誇っていた。銀メッキで、アルミダクトを連想させる光り輝くモーター部が特徴。これもペルーで現役だ。&lt;br /&gt;　また、電気湯沸し器。単純にいうと、金属またはプラスチック製のポットの底部に電熱線を入れただけの仕組みで、五〇年代の日本でよく使われていた。ということも、調べ物をしていた段階で知ったことで、ぼくがペルーに住んでいた九六年から二〇〇〇年には「ペルー人って、いろいろ発明するなあ」と思った程度だった。&lt;br /&gt;　ペルーでは貧困地帯を中心に、ガスコンロを持たない家が多い。山登りする人にはおなじみの「ラジュース」という灯油コンロを家庭で使っているところもある。&lt;br /&gt;　ぼくがはじめに住んだ、六畳ていどの一間もそうだった。この部屋は、便所とシャワールームとの間仕切りもなく、ほとんど囚人の独房で、家賃は月一〇〇ドル。そのころ働いていた日系ペルー人の新聞社の給料が一八〇ドルだったから、夜はバイトをする始末だった。&lt;br /&gt;　ところで、外国で暮らしていると無性に銀シャリとみそ汁なんかが恋しくなってくる。ぼくも、そんな「発作」に襲われたことが何回かあった。&lt;br /&gt;何度も、電気釜を買おうと思った。が、最初の一年は本当にびんぼうで、買えなかった。メシといえば露天のハンバーガーか、貧民街の定食屋。しかも1ドルにも満たない定食からわざわざスープをはずしてもらって、無理やり値段を値切るという状態だった。普通は、スープを抜いても値段を下げない。&lt;br /&gt;　「たらふくコメの飯が食いたい！」&lt;br /&gt;　それは願望を通り越して、夢に近かった。&lt;br /&gt;　ペルーでは、コメをよく食べる。インディカ米というパサパサした長粒種と、多少もっちりとした大粒種のカリフォルニア米、またはこれらを交配した米が売られている。&lt;br /&gt;　肉や魚をスパイスたっぷりに調理するペルー料理は、コメとよく合う。コメは百五十年前に中国人移民が持ち込んだ。醤油もある。これも中国人によるといわれるが、旨い醤油は日系人が作ったものが有名。現在のトップメーカーは味の素。日本では見かけないが、ペルーでは味の素ブランドの醤油が作られている。そして、肉も安い。&lt;br /&gt;　ジャンク屋から電熱器とフライパンで、ためしに牛肉を醤油で炒めたところ、部屋が煙だらけに。しかも隣家（普通の民家）が中庭で若鶏を飼育しているため、そこのハエがいっせいに飛び込んできて、悲惨な状態になった。流しもないから、皿もまともに洗えない。もちろん、米なんて研げない。&lt;br /&gt;　電熱器での調理に見切りをつけたぼくにとって、安い電気湯沸し器だけが唯一の家電になった。&lt;br /&gt;　首都リマ市のセントロという低所得者層が占める旧市街で買ったもので、定食二回分くらいの値段だった。いちばん安い製品で、プラスチック製。それも強化プラスチックとかではないので、沸騰すると有害物質が溶け出しているんではないか？ と思われる品物だった。&lt;br /&gt;　この電気湯沸し器、一回使うと、錆が出た。電熱線に直に水が接触しているわけだ。一度、コンセントを差し込んでいるときに指を突っ込んだら、さすがにビリビリっときました･･･。&lt;br /&gt;　リマ市の冬は寒い。セーターは必需品だ。そんなわけで、この電熱器で湯を沸かし、コーヒーを何度も飲んだ。けっこう役立った。錆も相当飲んだような気もするが。&lt;br /&gt;　新聞社の広告係の二世のオバさんが、この電熱器の上級品を使っていた。胴体は金属製で、ニクロム線と水が直接接しないから錆も出ない。日本語があやふやな彼女の「オオタさん（ぼくのこと）、おちゃちゃしましょ」という言葉が、妙にいまでも印象に残っている。&lt;br /&gt;　そうこうするうち、日系人と結婚することになった。で、多少広い部屋へ。もちろん台所付きだ。そしてついに買ったのだ。電気炊飯器を。&lt;br /&gt;　その電気釜の操作はえらく単純で、ひとつしかないスイッチを押して「炊飯」。できあがったらスイッチがはねあがって「保温」。そのころはまったく気付かなかったが、形状は五〇年代の電気釜とそっくりだった。&lt;br /&gt;　それは、ともかく。&lt;br /&gt;　炊きましたよ。&lt;br /&gt;　そして、ほかほかのごはんを食べましたよ。おかずなしのストレートで。&lt;br /&gt;　その感動といったら･･･。&lt;br /&gt;　ミキサーも買うことにした。で、またしてもセントロへ（新聞社がここにあったため）。&lt;br /&gt;　五〇年代の日本でのエピソードなどは知らなかったが、オスター社というのはペルーでは知られたブランドだ。ちょうど新聞社の門を出てすぐ左隣の民家で、ミキサーを売り出していた。聞けばオスター社製という。値段も、相場の三分の一だ。中古ではないという。&lt;br /&gt;ところが、店のおばちゃんの挙動が変。陳列棚には、下半分のモーター部だけがあって、店の奥の工場らしき騒音のするところから、上半分のガラス製の撹拌（かくはん）部分を何個か持ち出してきて、それぞれをはめ込み、「うまく収まった」一組を差し出したわけだ。これってつまり、ペルーお得意の海賊製品？&lt;br /&gt;　一抹の不安を抱え、いざ使ってみると、モーター部と撹拌部の合わせ目から水が漏れるわ、モーターから突き出した軸棒からは黒い油が染み出るわの有様だった――。&lt;br /&gt;　なお、誤解を避けるために言うと、ペルーで昔のプロダクトが何十年も使われているわけではない。現在も「あのころ」のままのデザインで生産されているということ。&lt;br /&gt;　そして、新品を買うより修理したほうが安い。つまり、大量消費社会ではないのだ。大量消費社会では、消費をあおるためのモデルチェンジやデザインの複合／再生産がたびたび行われる。ペルーでは、まだそこまで行っていない。だから、古いものにマイナスの価値観が負荷されない。八三年に発売された初代のファミコンも「ニンテンドー」という名で、立派に流通している。&lt;br /&gt;　ところが、インターネットが普及し、ペルーもいやおうなくグローバル化の波に飲み込まれている。ゲームでいえばプレステも入っているし、アニメのオタクも増加して「エヴァンゲリオン」はリアルタイムで楽しまれていた。&lt;br /&gt;　「懐かしい家電」も、近い将来すがたを消すのかもしれない。&lt;br /&gt;〆&lt;br /&gt;ミリオン出版発行、「GON! special　ガタリ」Vo.01(創刊号で廃刊)掲載&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-7405818877409452416?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7405818877409452416'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7405818877409452416'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/4550.html' title='(墓44)「50年代家電」がペルーで活躍'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-8249057115834663838</id><published>2007-09-04T00:33:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:14:44.247+09:00</updated><title type='text'>(墓43)ペルーでは、どんな日本人（男）でもモテモテ</title><content type='html'>むかし、&lt;br /&gt;「あんたもね、女子校の先生になりなよ。そしたら、あんたみたいのでも、ぜったいモテる」と、女子校出身の友人が断言した。&lt;br /&gt;「ほんとう？」&lt;br /&gt;と、たぶん目を輝かせながら聞き返すと&lt;br /&gt;「当たり前よ。周りは女だけでしょ、どんな男でも『良く』見えるんだから。あんたの性根が腐ってても、分かりっこないわよ」。&lt;br /&gt;…そうだったのか。&lt;br /&gt;だが、学校から一歩外に出れば、いくらでも男なんているだろうに…、と素朴な疑問が頭をよぎったものの、思い当たる節もある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が通った高校は男子校だが、そこでも似た状況はあった。例えば、唯一の女性である図書室のオバチャン（一応、教諭）に異様な人気があったりしたものだ。&lt;br /&gt;みな、異性に対するまっすぐな憧れや妄想を持っていた。なお、ゆがんだ欲望のなせるわざか、部活の先輩（当然、男）に「想い」を打ち明ける人物もいたが、特殊なケースと言わざるを得ない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて、ペルーにいると、おおかたの予想通り「モテる」。以前、急に親しくなった女性に「日本に行くためにつき合いたいのか」と（失礼な）質問をしたら激怒されたが、彼女はその後すぐに日本に出稼ぎに行ってしまった。今思えば「俺を日本行きの切符にしたかったのか」と言えなくもないが、本当のことは良く分からない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;が、今なら言える。&lt;br /&gt;「いやあ、日本人なんて、日本に行けばいくらでもいますよ」。&lt;br /&gt;ペルーにいる日本人は、女子校（男子校）の男（女）の先生のようなもの…？&lt;br /&gt;ちゃんとした「姿」が見えているのかな、と、心配だ。&lt;br /&gt;それでは皆さん、どうぞ良い週末をおすごし下さい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『ペルー新報』1998年3月21日掲載&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-8249057115834663838?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8249057115834663838'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8249057115834663838'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/44.html' title='(墓43)ペルーでは、どんな日本人（男）でもモテモテ'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-3042522339685146896</id><published>2007-09-04T00:21:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:14:18.623+09:00</updated><title type='text'>(墓42)ペルーの女子バレーを育てた日本人/加藤明/彼の墓の変遷</title><content type='html'>　ペルーの女子バレーチームの大恩人として、いまでもペルー国民から親しまれている故・加藤明。その墓は日本とペルーに建てられたが、ペルーの墓はその後、有為転変の運命に翻弄されることになる。&lt;br /&gt;　加藤明は往年の名選手だ。生まれは昭和８年、神奈川県。慶應義塾大学のバレーボール部で活躍し、同30年卒業。実業団の八幡製鉄【ルビ：やわたせいてつ】（現・新日本製鉄）のバレーボール部に入り、５年間の選手時代には日本代表にも選ばれた。&lt;br /&gt;　35年に現役引退後、母校・慶応大バレーボール部の監督に就任。指導者として、さらに輝かしい戦績を積み重ねる。&lt;br /&gt;　請われて、ペルーの女子ナショナル･チームの監督に就任（昭和40年５月４日、リマ着）。まったくの無名チームを鍛え上げ、同43年の五輪メキシコ大会ではペルーの女子代表を３位に導いた。同54年に監督を引退。その後もリマ在住。&lt;br /&gt;　１９８２（昭和57）年３月20日、リマ市内の病院で死亡。享年48歳。彼の死後、ペルーで初めて行われた女子バレーボール世界選手権（１９８２年）で、ペルーは決勝において日本を下し、念願の初優勝を飾った。この瞬間をテレビで見た世代は「生涯忘れない」と口々に語る。ペルーではもはや伝説だ。&lt;br /&gt;　80年代は、ペルーの女子バレーの黄金時代であり、「アキラの時代」と讃えられている。ペルーでもっとも尊敬される日本人は、いまも野口英世博士と加藤明だ。けっして、勲章や名誉博士号を目当てに多額の寄付を送るどこかの宗教団体の代表ではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;90年代後半に崩れ、2000年に改修計画が持ち上がった加藤明の墓&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　加藤明の墓は、リマ市旧市街のエル･アンヘル（天使）墓地の正門をくぐり、数十メートル歩いた場所に「あった」。墓石は82年、ナショナル･チームのメンバーやOGたちが作ったものだ。&lt;br /&gt;　本来は、黒い御影石で作られた台座の上に、鉄の棒で支えられた大理石製の白いバレーボールが乗った姿だった。ところが歳月の経過とともに、鉄の棒の腐食（錆）が進む。２０００年初頭に取材したところ、この鉄棒は折れてしまっており、ボールは行方不明という無残な姿になっていた。そのとき、墓の管理人は「98年だったかな、ついに鉄棒が折れて、ボールが落下したんだよ」と証言した。「ボールはどこへ行ったか分からない」。&lt;br /&gt;　当時、大理石製のバレーボールは「盗まれた」といわれていた。ペルーでは墓石や墓碑銘が盗まれ、再研磨されて売られることは「普通」だからだ。鉄格子がはめられている墓があるのは、そのためだ。しかも、エル・アンヘル墓地は一時期、あまりに治安が悪く、墓参者が激減していたほどの場所である（現在は、かなり改善された）。&lt;br /&gt;　そうこうするうちに、ペルー日系人協会顧問のヘラルド・マルイ氏が「この際、新築する日本大使公邸内に、アキラ・カトウの墓を移転しよう」と仰天発言を始める。彼は、フジモリ氏が大統領に就任する10年も前に、日系人初の閣僚（スポーツ庁長官）になった人物で、日系社会の元老だ。&lt;br /&gt;　96年～97年の日本大使公邸占拠人質事件のあと、同公邸は移転・新築となったが、その庭に墓を移転しよう、というのだ。しかし、いくらペルーの英雄とはいえ、一邦人の墓を公邸内に建てるのは、日本人的な感覚からすれば想像を絶する発想だ。だが、現地側にとってみれば、加藤明はそれだけの人物であった。&lt;br /&gt;　結局、２０００年11月３日、エル・アンヘル墓地の墓はリマ市郊外の公園墓地に改葬する一方、一般の「参拝」用として、大使公邸の眼前の緑地帯に、加藤明の記念碑が建てられた。これは厳密にいえば記念碑（モニュメント）だが、元々のエル・アンヘル墓地の加藤明の墓も、遺骨の一部だけが納められたといわれ、モニュメント的な色彩が強かった。モニュメントに献花することは、世界各国で通常おこなわれることであり、その行為と墓参の境界線は、あいまいである。&lt;br /&gt;　一方、エル・アンヘル墓地の古い墓のほうは、「遺骨の一部」が掘り起こされた様子はないが、台座はさらに削り取られ、いまでは墓地の管理人や関係者しか、その石の塊が加藤明の墓であったということを知らない。&lt;br /&gt;　加藤明の名は、ペルーで永遠に語り継がれるべきだ、という人がいる一方、「いまの子どもたちは、アキラ・カトウの名前を聞いたことはあるかもしれませんが、どれだけの偉業を成したか、知っているとは言い切れません」（バレーボールの元選手）。&lt;br /&gt;　アキラ・カトウの名が、風化しようとしている。それは、ペルー側だけの現象ではない。新しい記念碑の建立について、現地の日系人向け新聞は報道しなかった。在ペルー日本大使館の要職にある人物でさえも、２００６年の段階で「加藤明の墓は、いまもエル・アンヘル墓地にあるんでしょ？」と公言していた。&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;雑誌「ＳＯＧＩ」2006年（94号）掲載&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtwpBdbspuI/AAAAAAAAABE/ss9I6FyiRzc/s1600-h/akira.JPG"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtwpBdbspuI/AAAAAAAAABE/ss9I6FyiRzc/s320/akira.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5106001182588708578" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;【写真】2000年11月に落成した加藤明記念碑（リマ市サン・イシドロ区ハビエル・プラド通り22番地）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-3042522339685146896?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3042522339685146896'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/3042522339685146896'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/43.html' title='(墓42)ペルーの女子バレーを育てた日本人/加藤明/彼の墓の変遷'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtwpBdbspuI/AAAAAAAAABE/ss9I6FyiRzc/s72-c/akira.JPG' height='72' width='72'/></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-8103537701768415025</id><published>2007-09-04T00:19:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:13:52.400+09:00</updated><title type='text'>(墓41)フジモリ派の実業家、ウィンテル兄弟出獄へ</title><content type='html'>カナル２（フレクエンシア・ラティーナ：2チャンネル）の元取締役で、フジモリ３選時にフジモリ側についたメンデル・ウィンテル氏が近く出獄されると、セサル・ナカサキ弁護士が発表(1月末の時点)。メンデル氏の兄弟のサムエル氏もおなじく出獄し、ともに自宅軟禁となる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼らはフジモリ失脚後、「フジモリに有利な情報操作を行った」などの理由で、モンテシーノス氏元大統領顧問と同様に、まったく裁判を受けることなく収監されていた。未決囚の収監は2年が通常であるが、彼らの収監期間は、すでに３年以上。このため、裁判所によって今回の措置となった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【エル・コメルシオ紙より抜粋】&lt;br /&gt;某団体の会報用に書いた。2004 03/02記&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-8103537701768415025?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8103537701768415025'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8103537701768415025'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/42.html' title='(墓41)フジモリ派の実業家、ウィンテル兄弟出獄へ'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-859967583130095253</id><published>2007-09-04T00:16:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:13:29.899+09:00</updated><title type='text'>(墓40)ペルーへの海外送金の代行業者に一審判決</title><content type='html'>&lt;strong&gt;ペルー・エクスプレスの日本側従業員に一審判決&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2003年11月、不正な海外送金を行ったとして、銀行法違反の疑いで神奈川県警に逮捕された「ペルー・インター・エクスプレス（旧ペルー・エクスプレス）」=神奈川県川崎市=の照喜名美和（28）、ネリー=アイダ・ヒガ=クワエ（56）、アキラ=マグノ・アラカキ=ピネド（28）の3容疑者に対する一審判決が13日、横浜地裁川崎支部であり、菱田泰信裁判長は「被告人らの犯行は悪質というほかない」としてそれぞれ懲役1年6か月（執行猶予3年）を言い渡した。被告3人は、「罪を反省している」という。控訴はしないという。&lt;br /&gt;判決では「本件の主犯格は、ペルー国内にいる関係者」とし、「被告人らは従属的な関係」にあったとして「本件地下銀行の経営者としての責任を負わせることはできない」としている。&lt;br /&gt;同社は、ペルーにおいてはペルー経財省の認可を受けた送金業者。銀行ではないが、ウエスタン・ユニオンと同様の存在だった。また、過去に摘発された一連のペルーの“地下銀行”と同様、罪とされた送金業務を幇助した日本の都市銀行の刑事責任はまったく追及されなかった。【太田】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-859967583130095253?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/859967583130095253'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/859967583130095253'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/41.html' title='(墓40)ペルーへの海外送金の代行業者に一審判決'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-6014061640977237340</id><published>2007-09-04T00:14:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T09:13:00.348+09:00</updated><title type='text'>(墓39)田毎の月（たごとのつき）</title><content type='html'>&lt;strong&gt;しんぽう週末コラム&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;色々な宗教や団体が世界をより良く変えようと様々な努力を続けている。&lt;br /&gt;で、どれが「正しい」といえるだろうか？ どれもが正しいように見える。懐疑的に観ればどれもが嘘や方便を使っている気もする。だいたい、なぜ、こんなにたくさん宗教が存在するのだろうか？ どれもが真理ではないから？ と意地悪く思うこともできる。&lt;br /&gt;時に、「カミ」の存在を感じ、感謝したくなる。でも、もしその時に「あなたの言うカミは、私たちの神だ」といわれたら、おそらくその人々のことばに対して、嫌悪するだろう。&lt;br /&gt;カミは真理かも知れないが人間が理解できる存在ではない。&lt;br /&gt;ましてや特定の人々の病気を治したり、奇跡を与えるなど神の知るところであろうか。そんな贔屓をする神は、私のカミではない。そんな神はなんとも不公平で偏狭だ。そういう神も、在るのか？ それも分からないことだ。&lt;br /&gt;◎…◎…◎&lt;br /&gt;ところで、月はひとつしかないということは常識であるが、「たった一つには見えない」ことも事実である。&lt;br /&gt;夜、水田のちかくを歩いたことがある人は、知っている。&lt;br /&gt;お月さまはひとつだが、そこに水田がたくさんあると、田んぼの数だけお月さまが出現する。それぞれの田にお月さまが写るからだ。これを田毎の月、という。&lt;br /&gt;田毎の月は複数だが、きっと同じ月を映し出す。&lt;br /&gt;真理も同じか。たったひとつの真理でも、映し出されるもの（媒体）の数だけ、姿を現わすのだろうか。&lt;br /&gt;田んぼの数だけ存在する無数の月のなかから本当の月を探し出そうとしても、答えはない。&lt;br /&gt;……それでは皆さん、よい週末を。（O）&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-6014061640977237340?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6014061640977237340'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6014061640977237340'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/40.html' title='(墓39)田毎の月（たごとのつき）'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-1550881300272095466</id><published>2007-09-04T00:11:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:55:48.718+09:00</updated><title type='text'>(墓38)女性刑務所で美人コンテスト!? ペルー</title><content type='html'>たぶん、この光景は「ラテンならではの明るさ」などと形容されるのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;9月30日、南米ペルーの首都リマ市で「春の女王」を選ぶミスコンが開かれた（リマは現在、夏）。会場が一風変わっていることと、候補者の肌の露出が控えめな点をのぞけば、まあ、普通のミスコンだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その会場とは「サンタ・モニカ女性刑務所」。候補者たちは、各房から選りすぐられた15人の女性受刑者だ。彼女たちの衣裳は、下はジーンズ。上は水着か下着みたいな服。その上から布裂れを胸に巻いて、おっぱいの形がはっきり見えないように工夫されていた。けれども、ペルーでは、女性のセックス・アピールは、腰まわりのムッチリさ（らしい）。腰で、勝負だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;受刑者といっても、なかには未決囚もいるのだが、こういうイベントがあって、そして写真つきで報道が許可されるほどオープンで、さらに優勝者の名前もスリーサイズも公表されるところが、なんというか「…スゴイ」。もし同じイベントが日本で行われたら？ 「受刑者にも人権があるのよ！」なんてロジックで、フェミニストとかの闘士が猛烈に抗議しそうだ。しかしこのミスコン、ペルーではきっちり「明るい」ニュースになっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ラテンアメリカの多くの国のニュースには「警察記事」という人気（？）ジャンルがある。逮捕された容疑者は、まだ起訴もされる前からフルネームと顔写真はもちろん、ときに家族のことまで報道される（というか、ほとんどさらし者状態になる）のだ。そういう「素地」があるし、意外にも、あまり女性が大事にされない国柄であったりする（女性の交通警官が、交通ルール無視のドライバーにひき殺される事件が絶えない）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●……●……●&lt;br /&gt;全受刑者810人の頂点“春の女王2003”に見事輝いたのは、ペルー中部ワヌコ地方出身のネイダ=マガリー・アコスタさん（21）。身長1m70cm、サイズは上から90、58、90の「ナイスバデー」だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当日の模様を、ペルーの日刊紙『ラ・レプブリカ』が熱く伝える。&lt;br /&gt;「最終選考の段階で、会場はビリビリするような興奮に包まれた。そして、彼女が選ばれた。審査にはまったく支障がなかった。なぜなら彼女は、他の候補者たちも含めた満場一致の大きな拍手によって、女王の座を認められたからだ」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ミスコンには、「女王」のほか、“がんばったで賞”みたいなマイナーなプレミアも用意されていたが、ネイダさんは「ミス友情」もゲット。二冠に輝いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;見学に来ていた彼女の母親は、号泣した。彼女も大粒の涙をぽろぽろこぼして、「いちどきに、こんなに幸せを感じたことはないわ!!」と泣いていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このコンテスト、じつはインターナショナル。今回の候補者の国籍は、ペルー、ブラジル、スペイン、トルコ、スリナム、アルゼンチンなどで、第二位にはスペイン人、第三位にはアルゼンチン人の受刑者が選ばれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;サンタ・モニカ女性刑務所には、いろんな国の受刑者がいる。去年はヴェネズエラ人が“春の女王”だった。じつに7年間、ペルー人女性は女王に選ばれなかったらしい。ちなみに日本人女性は現在のところ、服役していないという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●……●……●&lt;br /&gt;彼女たちの多くが「麻薬の運び屋」として、空港でパクられている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;運び屋の報酬は、日本円にすると60万円～120万円という。これは、町のパン屋で、掌サイズの小さなフランスパンが17万5000個～35万個買える金額だ。刑は重く、現行犯で捕まれば懲役が10年になることもある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今回“春の女王”に選ばれたネイダさん（21）も運び屋として逮捕された。去年の11月にブラジルへ旅行するとき、空港の検問で、彼女の旅行かばんから2kgの純正コカインが見つかったのだ。「私のものじゃない!! 『ある人』に、『ブラジルの親類へ持っていってくれ』と頼まれただけ」と、主体的な関与を否定している。だが、運び屋行為が処罰の対象なのだ。彼女ももしかしたら、これから10年近くのムショ暮らし。ミスコン優勝の涙は、あきらめの涙なのかもしれない。そういう涙に、一般人だって涙する。ラテンはこういうとき、思いっきり湿っぽい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;●……●……●&lt;br /&gt;ペルー国立刑務局が主催する華やかなイベントの裏側には、悲惨な状況もあるという。この刑務所内部でも、「病気になっても充分な治療が受けられない」とか「刑務所内でのドラッグ汚染」といった問題が渦巻くとか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“春の女王”になっても減刑はない。明日からは刑務所の現実に呑み込まれる、たんなるひとりの女服役囚にすぎない。&lt;br /&gt;やっぱりちょっと、残酷なイベントだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;取材協力：大植満（リマ）、川又千加子（リマ）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『漫画実話ナックルズ』（ミリオン出版）VOL12（1月売号掲載）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-1550881300272095466?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1550881300272095466'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1550881300272095466'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/39.html' title='(墓38)女性刑務所で美人コンテスト!? ペルー'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-4045650894653838668</id><published>2007-09-04T00:09:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:55:26.285+09:00</updated><title type='text'>(墓37)南米Ｐ国 不法脱出の記</title><content type='html'>この春（2002年）、南米Ｐ国へ取材に行ったら、不法滞在になってしまった。以前この国に住んだことがあり、その時の定住者ヴィザ（在留資格）の期限が切れたのだ。&lt;br /&gt;このままでは、出国できない。といっても、査証更新に必要な書類と身元保証人の妻（日系Ｐ国人）は日本だ。いったん帰らないと手続きは不可能。しかし、出国できないのだ。&lt;br /&gt;そこで、知り合いのＡ氏（入管元職員）を買収する。そして、Ａさん経由で現役の女性職員Ｂさんに「特別な出国を」依頼してもらうことに。Ｂさんが空港の出国カウンターに配置される日を“決行の日”とし、航空券を予定より一日延ばす。&lt;br /&gt;　ところが、その日の昼になって突如、Ｂさんが入国カウンターに配置されてしまった。Ａさんが早々と敗北宣言。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「もうダメ。手の打ちようがない」&lt;br /&gt;しかし、こっちも日本に帰らねばならない。&lt;br /&gt;交渉を粘り、女性職員Ｂさんに「きょう出国カウンターで勤務するメンバー」を割り出してもらい、そのうちの誰かにワイロを渡し、出国させてもらう計画に変更する。Ｆ元大統領の政権以降、ワイロ摘発が増えて、以前のように“手数料”をもらう人が減っている、という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一時間後、Ｂさんから連絡。「手伝ってくれる職員が見つかった」という。ところが、彼女たちが提示するギャラは五〇〇米ドル。この金額は、首都Ｌ市の高級住宅街なら５ＬＤＫ新築マンションの月家賃に相当する。払えるか！　そこで、一〇〇米ドルに値切る。値段なんて、あってないようなものだ。&lt;br /&gt;段取りは、こうだ。まずＢさんの家まで車で迎えに行き、空港へ送る。そのとき、移動中の車内で打ち合わせよう、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;夜間勤務のＢさんが家を出る時間に合わせ、午後四時に迎えに行くことにする。Ｐ国発着の国際便は夜間が多い。自分の飛行機も、深夜一時の便だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;出発まで時間があるので、旧市街で買い物をした。その帰り、銃撃戦に巻き込まれた。&lt;br /&gt;タクシーに乗り、交差点で信号待ちをしていたら突然、リボルバーを持ったオヤジが左から右へ、タクシーの眼前数メートルを駆けてゆく。そのとき、乾いた銃声。オヤジが目の前に倒れた。ふくらはぎを押さえて悶絶したのも一瞬。すぐに応射を始め、このタクシーの前方右側に回りこみつつ、尻餅をつきながら、逃げていく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;左前方からは、数人の警官が銃を水平撃ちしながら突っ込んできた。警官たちもタクシーを盾にがんがん発砲する。市街地なんか関係ない。交差点にはわれわれのタクシーだけ。このタクシーを挟んで双方が激しく撃ち合うのだからたまらない。&lt;br /&gt;それ以上は、身を伏せたので見ていない。タクシーの窓は当然、木っ端微塵に砕け飛んだ。堅牢なヴィートルの斜体には弾がめり込んだ。撃ち合いは見たことはあるが、そのなかにいたのは初めてだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;タクシーの運転手のオヤジはというと、すっかり呆然。とにかくエンジンをかけさせ（運悪く、切っていた）、交差点を渡るとクルマを飛び降りて、現場へ向かう。どうやら、何発もの弾を食らったであろう犯人のオヤジが担架に載せられ、RV車のパトカーに積み込まれるところだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;生き延びた感動に浸る余裕もなく、Ａさんと落ち合い、彼のクルマでＢさんの家に向かった。クルマに乗り込むなり、Ｂさんは憤慨している。&lt;br /&gt;「日本の態度は、いただけない」&lt;br /&gt;いきなり、日本批判だ…。&lt;br /&gt;「日本とわが国には査証相互免除協定があるのに、Ｐ国人の観光目的の入国でさえ、日本側はヴィザを要求する。多くのＰ国人が苦しんでいる（のに、なんであんたを助けなきゃなんないの？）」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;とっさに、「さっき銃撃に巻き込まれたよ」と切り出すと、会話は一気にそのことで盛り上がった。Ｂさんも「とりあえず文句言いたかった」だけのようで、査証免除の協定を日本政府が無視していることには触れなくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、空港着。駐車場に停車する。&lt;br /&gt;Ｂさんが職場に向かう。彼女は、出国カウンターをチェックし、「協力者Ｃさん」のカウンター番号、Ｃさんの容貌の特徴を空港内部からＡさんの携帯に電話するのだ。&lt;br /&gt;待つことしばし。&lt;br /&gt;一週間の取材やアクシデントによる疲れから、体が眠たくなる。意識だけは妙に冴えていたが。Ａさんも、多くを語らない。&lt;br /&gt;そして、Ｂさんからの電話。&lt;br /&gt;「Ｃさんが何番のカウンターにいるか分からない。ただ、彼女だけが上着を着ていないって。白のブラウス。髪の毛は栗色のロング。私も入国カウンターに向かうので、これ以上は電話できない。さよなら」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この情報だけが、頼りの綱だ。Ａさんに例の一〇〇ドルを渡し、別れを告げる。&lt;br /&gt;ところがまだハードルは残っていた。航空会社だ。フィックスのチケットの日付を変えたために、違約金一〇〇ドル少々を「払ってくれ」という。でも、旅行会社に立て替えを依頼しておいたのだが？　後日、日本から送金するから、と。すでに文無しだったのだ。しかし、「そんな連絡は受けていない」。&lt;br /&gt;二秒ほど、放心する。懸命に意識を引き戻すと、そういえば財布に日本の消費者金融のカードが入っていることを思い出した。マスター・カード付きのヤツだ。結果は、意外なほどスムーズに払えた。国外でカードを使ったのは、初めてだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、空港税を払い、いざ出国カウンターへ。&lt;br /&gt;するとそこには、栗色のロングで、上着を着ていない女性職員が二人！&lt;br /&gt;　一人はベストを着ていて、ブラウスは白。もうひとりはベストなしでブラウスはクリーム色。髪の毛の色は二人とも同じ。考えていても仕方がないので、前者のカウンターに並ぶ。念のため、その女性に熱い視線を注ぐが、「衆人環境のなかで目が合った二人」程度のリアクション。あれ？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　クリーム色のほうを見つめると、視線を合わせようとしない。もしやと思い、彼女のほうに並ぶ。順番が来ると、&lt;br /&gt;「あんた、間違えたわね？」&lt;br /&gt;と無表情に、ボツリ。Ｃさんだ！　ところが、彼女がパスポートを機械に通すと、すぐに上司と思しき男性職員がすっ飛んできた。&lt;br /&gt;「この列からエラーが出たぞ！」&lt;br /&gt;もう、今度こそおしまいか…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Ｃさんは「知らぬ」「存ぜぬ」の一点張り。そんなんで言い逃れできるのか、と冷や汗が噴出する。が、上司はあっさり引き下がる。“雰囲気”を察したのかもしれない。要するに、彼も“同業者”なんだろう。Ｃさんは、&lt;br /&gt;「怪しまれるから、ちょっと待って」と、ことさら作業を遅くする。そしてついに、彼女は出国スタンプに手を伸ばし、それをつかみ、力強く「ダーン」と、パスポートに叩きつけた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところが、「まだ」あった。&lt;br /&gt;　“ヒューマン・ミス”とかで、定時を過ぎても飛行機に搭乗すらできない。&lt;br /&gt;もはや、なす術なし。もし、フライトが延期になれば、次の便は翌日だ。もう一回、入管職員の買収をしなければならない。まあ、それもいい。腹をくくって、飛行機が出るのを待った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;午前四時をまわり、定刻を三時間遅れた飛行機は、やっとＰ国を離れた。&lt;br /&gt;「もうこれ以上のトラブルはご免だ」&lt;br /&gt;そんな思いが、呪文のように頭の中でぐるぐる回っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊＊＊＊&lt;br /&gt;南米Ｐ国。人は「ここではどんなことでも起きるよ」という。&lt;br /&gt;バスが事故を起こして乗客が死んでも、満足な保障などはない。殉職軍人の恩給さえ切り捨てられる。教会に飾られた宗教画や装飾品でさえ盗まれる。憲法も簡単に変わる。裁判もワイロ次第でどうにでもなる。国外へ亡命した元大統領が帰国して返り咲くことも珍しくない。この国で確かなことは、サッカーが国民スポーツだってことくらいだ。&lt;br /&gt;多くの日本人にとって、きわめて異質な文化。でも、だからこそ、オモシロイ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〆&lt;br /&gt;『実話GON!ナックルズ』Vol.8（2002年8月10日号）掲載&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-4045650894653838668?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/4045650894653838668'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/4045650894653838668'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/38.html' title='(墓37)南米Ｐ国 不法脱出の記'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-8985930795529845600</id><published>2007-09-04T00:04:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:54:55.526+09:00</updated><title type='text'>(墓36)割り箸や古着まで紙に！－無薬品・非木材パルプ化マシーン「紙造くん」</title><content type='html'>無薬品でパルプが生産できる――。そんな画期的なパルプ化マシーン「紙造くん」を開発したのは、埼玉県岩槻市の任意団体「さいたまケナフの会」および「優良パルプ普及協会」の代表・栄京子さんを中心とするメンバーだ。長年、環境に配慮した地域循環型産業の「新しいかたち」を追求してきた栄さんだが、彼女を&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「紙造くん」実用化に駆り立てたのは、「できる限り環境に配慮した方法で非木材紙を作る」という熱い思いだった。&lt;br /&gt;「繊維さえ含んでいれば、ケナフやバナナ、竹や藁など、どんな原料からもパルプができます」と、栄さんはいう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「紙造くん」の特徴は、無薬品ということのほか、ドラム缶ほどのコンパクトさと使い勝手のよさだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二〇〇一年、栄さんらはＪＩＣＡ（国際協力事業団）を通じてハイチやジャマイカなど中米諸国に「紙造くん」を設置した実績を持つ。現在も、日本を含む数か国の政府・団体・企業からオファーが続き、非木材原料によるグリーンパルプの新しい波が、日本から海外へと発振しているようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いったい、この「紙造くん」とはどんな構造をもつ機械なのだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;**********&lt;br /&gt;無薬品だから、環境負荷が軽減&lt;br /&gt;**********&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;従来のパルプ化では、①原料の破砕（カッティング）、②浸水、③蒸煮解繊（加熱・化学処理）、④漂白、⑤精選→パルプ、という工程が必要だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方、「紙造くん」では、①原料の破砕、②浸水、③繊維の磨砕＆抽出→パルプ、というシンプルさだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;前者では通常、苛性ソーダなどの薬品を使って蒸煮解繊が行われる。この段階で繊維を取り出すとともにリグニンといった付着物が除去され、蒸解廃液中に流される。リグニンが残留すると、紙の黄ばみや劣化の原因となるため、薬品による分解・加熱処理は必須なのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さらに、加熱処理にともなう繊維の褐色化対策のため、酸素系漂白剤の投入も欠かせない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところが後者は、日本古来の石臼の原理を応用することで、工程からの薬品を排除した。紙造くん内蔵の石臼グラインダー（砥石）は、埼玉県川口市の増幸産業㈱が世界一二か国で特許を取得したもので、食品や医薬品、香辛料などの磨砕用砥石としては全国有数のシェアを誇る逸品である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なぜノン・ケミカルなのか？&lt;br /&gt;「紙造くん」のパルプ化工程を詳しく見てみよう。まず、原料のカッティング。内部に水の流れるドラム状の「紙造くん」に投入された原料は、上下に噛み合わされた高速回転する砥石によって、一瞬のうちに超微粒粉砕される。同時に、リグニンなどの不要な成分と純粋な繊維質（セルロース）が分解・分離され、繊維だけが抽出される、という仕組みである。そこで、化学的な分解の必要がない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;砥石の表面には特殊な溝が彫り込んである。この溝によって、パルプに最適な繊維の「毛羽立ち」が起こるという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、消費水量も従来のパルプ化工程より少ない（表参照）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;漂白に関して栄さんは「繊維は本来白いのです。紙造くんでは加熱処理をしないので、繊維が黄変しません。だから、漂白剤は使いません」という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;むろん、従来のパルプ化工程における漂白作業だけを悪玉にするべきではなく、真っ白い紙を良しとしてきた消費者心理も指摘できる。デザイン関連は別として、社内用のＯＡ用紙が多少黄ばんでいても問題ないだろうが、「コピー用紙は純白」である。一部の例をのぞき、これがまるで無意識の社会原則のようになっているのは、考えてみれば不思議だ…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「紙造くん」でパルプ化したケナフやバナナ紙の色は、多少アイボリー的な風合いになるそうだ。これは、繊維に含まれる灰汁による色とのこと。また、リサイクル原料に色素が含まれている場合、漂白剤を使わなければ、その色素が反映された紙になる。豆絞りの手拭を「紙造くん」でパルプ化すると藍色の紙になるし、熊笹茶の残滓を使えば薄緑が目に鮮やかな美しい色合いの紙が作れる。このように、繊維に残る「色」を積極的に利用し、「味」のある紙を作ることも可能だ。原料としてはこのほか、割り箸、古着なども使え、リサイクル／ゴミの減量化・再資源化にも「紙造くん」は一役買うことができる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;**********&lt;br /&gt;非木材紙の未来を20年後に夢見て&lt;br /&gt;**********&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「完成までにいろいろと試して、大変だった」という日本初の無薬品パルプ化マシーン「紙造くん」の実用化は、二〇〇〇年の九月にさかのぼる。それ以前から一〇年以上にわたって、生ゴミを堆肥化するゴミの減量技術の普及・定着に尽力してきた栄さん。これまでの環境への取り組みが評価され、今年度の財団法人国際ソロプチミスト「環境貢献賞」に選ばれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「紙造くん」は、二〇〇一年からさまざまなメディアで紹介され、企業からの熱い視線も集まっている。先に述べたように、外国から多数の視察団もやってきた。なかでも、アフリカのマラウィ共和国は導入に前向きだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;国内の自治体では、埼玉県所沢市の公共施設をはじめとするいくつかの自治体が「紙造くん」導入を決定している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;製紙／リサイクル分野だけではない。この機械が作り出す無薬品の優良パルプ（繊維）を使って、テントのシート素材や特殊フィルム、育苗ポットも実用化されつつある。同会では、無薬品パルプのさまざまな可能性に注目し、同会工房のラボラトリー化も視野に入れている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;順風満帆といった「紙造くん」だが、じつは大きな困難に直面している。それは、「紙造くん」が作り出すパルプは一日に数十キロと少量で、「これでは割高」という声があるほか、国産の非木材紙が、外国からの割安な輸入原料に依存するマーケットに食い込めない、という現状があるためだ。国内における「紙造くん」の小規模稼動では、コスト競争には到底勝てない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、栄さんたちの地道な努力によって、地元岩槻市の「ごみ収集カレンダー」表紙に、地元で栽培され、「紙造くん」でパルプ化されたケナフが使われているほか（二〇〇二年度および二〇〇三年度）、横浜市で栽培されたケナフ五〇〇〇本を「紙造くん」でパルプ化し、横浜市内の公立学校の卒業証書に使用されるなど、グリーンパルプの普及は広がりを見せている。このほか同会では地元企業と提携し、「紙造くん」によるパルプを使った紙の手すき教室なども随時開催している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;栄さんは、「より多くの人が無薬品の非木材紙を使えば、単価は下がります。一〇年、二〇年の長いスパンでの普及を考えていきたい」と力強く語る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、同会の事務局長を務める吉田健吾さんは、「（環境に配慮した）機械の普及は大切ですが、消費者に『紙を大事に使う』といった意識を高めてもらう必要もあります。その部分への働きかけも行いたい」という。グリーンコンシュマー拡大への寄与は、同会が掲げる目標でもあるようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（注）世界各地でのケナフの自生化を例証に挙げ、外来植物であるケナフの日本での帰化に警鐘を発する立場から、ケナフの存在自体に懐疑的な意見もあるが、今回の内容とは次元が違うと思われるので、ここでは紹介しない。また、「紙造くん」は無薬品だが、稼動には電力が必要だ。そこで「所詮は環境に負担をかけている」と批判する人もいるという。しかし、矮小化した極論が許されるなら、この真っ白に漂白された紙を使った『ＦＲＯＮＴ』を読んでいる読者すべてが環境への負荷に加担している、ともいえる。リサイクルや環境保全は、立場を替えればいかようにも是非の転換が起きやすいテーマである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「さいたまケナフの会」「優良パルプ普及協会」Web→ http://www.kenaf.jp/&lt;br /&gt;〆&lt;br /&gt;リバーフロント整備センター『FRONT』2002年12月号掲載に一部加筆&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-8985930795529845600?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8985930795529845600'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/8985930795529845600'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/37.html' title='(墓36)割り箸や古着まで紙に！－無薬品・非木材パルプ化マシーン「紙造くん」'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-1701840817719359099</id><published>2007-09-03T23:36:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:54:19.326+09:00</updated><title type='text'>(墓35)ヴィクトル・アリトミ元駐日ペルー大使インタビュー（2004年）</title><content type='html'>&lt;strong&gt;＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊&lt;br /&gt;フジモリの帰国を決める要素は&lt;br /&gt;国民の選択と本人の決断のみだ&lt;br /&gt;＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ＩＣＰＯ（国際刑事警察機構）により国際手配中のアルベルト・フジモリ元ペルー大統領。フジモリ氏の義弟で、同様に日本滞在中のヴィクトル・アリトミ元駐日ペルー大使はこのほどインタビューに応え、フジモリ氏の帰国問題などについて語った。おもな質問内容はパラグアイの『日系ジャーナル』高倉道男社主から寄せられたもの。インタビューは太田宏人（元ペルー新報日本語編集長）が五月上旬、東京都内で行った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;--------------------&lt;br /&gt;「日系人への信用」は賄&lt;br /&gt;賂より人の心を魅了する&lt;br /&gt;--------------------&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【質問】多くの南米諸国で、政治家や軍人として出世するには、賄賂を周囲にばらまく必要がある。正直でまじめな日系人は悪いことはなかなかできないが、日系人がトップになるためには、やはり賄賂に頼らなければならないのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【アリトミ氏】たしかに、日系人にとって賄賂を使うことは難しい。ただし、フジモリの登場以降、出世のために、贈賄は必ずしも求められなくなったと思う。たとえば、彼が政権から降りたあとも、買収や賄賂なしで地方の首長に当選した日系人が何人かいる。その背景には、「日系人への信用」がある。&lt;br /&gt;買収には二通りの方法があると思う。まず、文字通り金を使って他人をなびかせることだ。そしてもうひとつは、厳密には買収とはいえないが、志を同じくする者を見つけ、協力を呼びかけること。フジモリが行ったのは、後者だ。金ではない。&lt;br /&gt;彼の政党に、マルタ・ヒルデブラン（元国会議長）をはじめとする優秀な学識経験者などの人材が集まり、現在でもペルー国内でフジモリを擁護してくれることをみても、それはわかる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ペルーには「家族からは必ず軍人と弁護士、医者もしくは聖職者を出せ」という俚言がある。つまり、これらの職業が伝統的に国を支配する中枢にいたからで、しかも、それは一〇％にも満たない白人層が占めてきた。&lt;br /&gt;フジモリが登場することで、伝統的な支配階級や既成政党からの反発は非常に大きかったが、彼は都市部の新興住宅地や地方の農村地帯へみずから足繁く通った。いわゆる貧困層の人たちと食事をともにし、彼らとふれあい、彼らの本当の声を聞いていった。彼らこそ、民主主義の主役であるが、その恩恵に浴すことが決してなかった「国民」である。彼らの声を国政に直接反映させたはじめての大統領が、フジモリだ。彼の政治の出発点は、大統領官舎ではなかった。国民の生活する場所だったのだ。彼らからの支持があったからこそ、伝統的な支配者層からの反発に対抗できた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;トレド現大統領も地方や新興住宅地に出かけるようだが、頻度では到底およばない。しかも、フジモリが推進した学校建設などの社会インフラ整備は、トレド氏も盛んに実行を約束していた。だが、実際には進んでいない。貧困地帯に出かけて帰宅したら、即座にさっさと手を洗う連中だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【質問】しかし、国軍掌握にはモンテシーノス元大統領顧問のような影の実力者が必要だったのでは？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【アリトミ氏】フジモリ政権は成立当時からクーデター未遂の危機に何度もさらされてきた。生命の危険もあった。モンテシーノスのような存在の必要性はあったと思う。だが、彼の権力の増長を許してしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;--------------------&lt;br /&gt;ペルーの日系メディアは&lt;br /&gt;世論に影響力をもたない&lt;br /&gt;--------------------&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【質問】既存の支配層を突き抜けて大統領となり治世を行うためには、マスコミの理解と協力が不可欠。しかし南米では、マスコミはその支配層に抑えられている。そこで、日系大統領にとって日系メディア（現地語）の存在は心強いのではないか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【アリトミ氏】そうは思わない。ほかの国はともかく、ペルーの日系メディアの読者数は日系コミュニティー内でさえ非常に少なく、世論への影響はほとんどない。また、フジモリが九〇年に初めて立候補したさい、日系世論に猛反対を受けた経緯もある。日系ペルー人は、「日系人が大統領選に出馬し、大統領になったら、かつて経験したような大規模な迫害を受ける」という思い込みを持っていた。フジモリは、きっぱりと「大統領になるのは、日系人のためではない。ペルーの置かれた状況を改善したい。ペルー人のために大統領になりたいのだ」と反論した。&lt;br /&gt;ペルーの日系メディアの存在は、大統領に選ばれることや治世とは関係がない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【質問】しかし、アリトミ元大使は在任中、「ペルー新報」を日本に対するペルーの宣伝に利用したのではないか？ たとえば、日本でペルーの観光物産のＰＲを行い、そのニュースをペルー新報に掲載させ、掲載紙を日本の関係者に送ることで「現地でも報道されました」というようなスタイルで。日系メディアを利用し、その存在をペルーと日本の架け橋のように演出したのでは？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【アリトミ氏】たしかにそういうことはあった。しかし、効果は薄かった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;----------------------&lt;br /&gt;フジモリ政権でなくても&lt;br /&gt;日系閣僚はふたたび登場する&lt;br /&gt;----------------------&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【質問】いまや日系の閣僚は締め出された観があるが、今後、ペルーにおいて日系閣僚が復活する見通しはあるのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【アリトミ氏】現政権では無理だ。しかし、次期政権下では期待できると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【質問】次期政権とは、フジモリの政権ということか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【アリトミ氏】フジモリの政権でも、そうでなくてもだ。なぜなら、日系閣僚に寄せるペルー国民の信頼が、依然として高いからだ。残念ながら、なかには悪いことをした者がいることも認めるが…。&lt;br /&gt;フジモリ政権が発足したさいに、政府が日系人のなかから信頼でき、かつ才能のある人材を登用できたのは、当時の日系人の学歴が、平均して高かったからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところが、この一〇年で日系人の学歴は相対的に低下した。日本への出稼ぎが盛んになったためだ（注：二〇〇一年末日現在の日本国内の登録ペルー人数は五万〇〇五二人。日系ペルー人の半数以上が出稼ぎ中という計算になる）。出稼ぎは仕方がないが、親御さんには「せめて子どもの進学の機会を確保して欲しい」と訴えたい。日系ペルー人の人的資源は、損失している。将来的に見れば、日系閣僚が出にくい状況にあると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ほかの国、とくに南米の日系人についていえば、より積極的に政治の世界へ進む挑戦をすべきだ。自分の国を良くするために。そろそろ、そういう（多くの日系人が政治の中心に食い込む）時機に来ていると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;----------------&lt;br /&gt;亡命した大統領が、&lt;br /&gt;大統領選挙に出る国&lt;br /&gt;----------------&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【質問】フジモリ氏はペルーへの帰国をほのめかしているが、いったん「日本人」になったフジモリ氏がペルーに戻り、政治活動を再開することは可能なのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【アリトミ氏】それを決めるのは、ペルー国民だ。民主主義に従うなら、ペルー国民が決めることが尊重されるべきである。実際、先ごろ行われた世論調査でも、「評価できる過去の大統領」の第二位はフジモリだ。しかも、四一ポイントという高い支持だったと記憶している。フジモリの公式ホームページへのアクセスは、変動はあるが平均して一週間でも数千になっている。もっとも、現政権を担当する人たちが、頻繁にアクセスしているようだが。フジモリのホームページには影響力がある。だから現政権は、日本の関係当局にホームページの閉鎖を要請してきたくらいだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【質問】ペルーには独特の政治風土があり、国民もそれを受け入れている。たとえば、汚職と失政、さらにテロを蔓延させたとして悪名高いアラン・ガルシア元大統領は事実上の亡命生活を送っていたが、フジモリ失脚後に帰国し、罪に問われることなく二〇〇一年の大統領選に出馬、トレド現大統領と接戦を演じた。そういう国情もあるが、フジモリ氏はすでに「日本人」と標榜しているが？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【アリトミ氏】しかし、国民が選び、本人が帰国を決めれば、誰が反対できるのか？ たとえば、誰かが日本の国籍を放棄（して他の国に帰化）するという決断をした場合はどうなるのだろうか？ 個人的な考えであるが、その行為自体を止めることはできないだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私（アリトミ）は、日本のペルー進出商社の団体である三水会の「ペルーでビジネスを行う上で抱える問題点」という今年三月のアンケート結果を入手したが、それによると「国会並びに政府に経済への理解がない」「民営化の中止」「朝令暮改の法律」「法整備に行政が追いついていない」「投資への税制優遇がない」「投資意欲が減退する」「法律が理不尽で当局者に力量がない」「治安が悪い」「経済人口が少ない」などの不満があふれている。これが現政権の現状だ。ペルーには、まだまだやることが残されている。[文責：太田]&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【写真説明】ヴィクトル・アリトミ元駐日ペルー大使。2003年5月6日、都内で。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【2003年、いくつかの新聞に投稿、掲載される】&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-1701840817719359099?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1701840817719359099'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/1701840817719359099'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/362004.html' title='(墓35)ヴィクトル・アリトミ元駐日ペルー大使インタビュー（2004年）'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-6473697011570022900</id><published>2007-09-03T23:34:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:53:52.921+09:00</updated><title type='text'>(墓34)人は、故郷をめざす</title><content type='html'>&lt;strong&gt;しんぽう週末コラム&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;雪国は、詩人を生む。&lt;br /&gt;青森の伊奈かっぺいさんは「地吹雪のなかで祭囃子が聞こえたら、青森を故郷だと思っていい」と語る。&lt;br /&gt;続けて語る。&lt;br /&gt;「人は、故郷を捨てるが、故郷は決して人を見捨てない」。&lt;br /&gt;そうだよなあ、と思う。&lt;br /&gt;いつか、人は故郷をめざす。&lt;br /&gt;異郷に死すとも、魂は千里の海路を越えるものと、かつて、考えていた人が多い。&lt;br /&gt;＊＊＊&lt;br /&gt;それでは皆さん、良い週末を―。&lt;br /&gt;また来週もがんばりましょう。&lt;br /&gt;『ペルー新報掲載』日時不明&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-6473697011570022900?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6473697011570022900'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6473697011570022900'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/35.html' title='(墓34)人は、故郷をめざす'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-158066820286748621</id><published>2007-09-03T23:31:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:53:27.603+09:00</updated><title type='text'>(墓33)Nさんの話</title><content type='html'>　Nさん（80代後半）は自分の写真を見つめて黙っている。そして突然、「おれもこんなに年寄りになったかぁ！」といって大笑いをはじめた。近いうちに、孫娘がカナダ旅行をプレゼントする。そのため、パスポート用の写真を写したのだ。&lt;br /&gt;＊＊＊&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 1913年、今の沖縄市字古謝（こざ）に生まれた。沖縄の旧制那覇二中の３年在学中に、ペルーで働く父が帰郷、Nさんは父親とともにペルーへ渡った。&lt;br /&gt;　 「恋愛問題とか色々ありましたが、戦争が嫌だった」。&lt;br /&gt;　 船の名は「墨洋丸」。1931年のことだった。&lt;br /&gt;　 この年には満州事変が勃発している。日本が対中侵略を本格化した頃、ペルーでは日本人の移民が開始されて32年。農園労働者から身を起こした移民たちが都市部に集まり、商売や理髪業にいそしんだ。多くが成功を収め、日本人のリマ首都圏での活躍が華と輝いていた。なお、1929年には秘露日々新聞、アンデス時報、日秘新報が合併し、リマ日報が創刊される。同年、秘露時報も新創刊となった。ペルーの現況もさることながら、「大陸に躍進する」祖国事情への渇望もあいまって、ペルーの日本人社会では邦字紙が林立した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 ところが1930年に、日本人移民の最大の擁護者だったレギア大統領がサンチェス･セロ中佐の軍事クーデターで失脚。その混乱に乗じてリマやカヤオの邦人商店が掠奪されている。排日的空気は、実は着着と醸造されていたさなか、Nさんはカヤオの港に降り立った。ときに17歳。&lt;br /&gt;　 「兄が働いていた」という印刷所で長年働く。&lt;br /&gt;　 「麦を煮て作る糊が臭かった。そりゃもう、臭かったですよ」と顔をしかめる。&lt;br /&gt;　 「ムーチョ・トラバホ（重労働）。カレンダーとかクワデルノ（ノート）をたくさん作ったものです」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 それから独立。&lt;br /&gt;　 「メルカード・セントラル(中央市場)で野菜を買い込んで、リヤカーで引っ張って店へ運びました。毎日、休みなしです。体は、頑丈でした」。中学では陸上の選手だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 1940年の排日大暴動では、自警団に加わる。時習寮（現サンタ・ベアトリス幼稚園）の保護者会のことは、古き良き思い出だ。歴史を見てきた。&lt;br /&gt;　 その後、「店をやめて、新聞社に入りました」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 1963年、50歳の再出発だった。以来40年近く勤続している。&lt;br /&gt;　 「昔の経験を活かして、植字工ですよ。１ページ組むのに、そりゃ、２～３時間はかかりました。なかなか大変な仕事です」。&lt;br /&gt;　 これまで「病気らしい病気をしたことがない」という。&lt;br /&gt;　 毎日、お湯に溶かして飲む粉末の牛乳を２袋とパンを食べるだけ。嗜好品は一切遠ざけた。&lt;br /&gt;　 「金がないから始めた習慣ですが、実際、体にもいいんですよ」と胸を張る。90歳近い高齢者とは思えない達者ぶりだ。&lt;br /&gt;　 ……と書くと、まるで好々爺(こうこうや)のような人物に思われるかもしれないが、Nさんが丸くなったのは、知人らによると「ここ数年」という。手におえない頑固オヤジだった。友人も、もともと少なかったうえ、今は「みんな死んでしまったです」。&lt;br /&gt;　 男尊女卑を主張し、職場の同僚の女性にも手を挙げそうになったこともあるとか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊＊＊&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 その新聞社にも時代の波は訪れる。1990年、日本の篤志家がワープロを寄贈した。ワープロ印字した紙を切って貼りつけ、その全体を一枚の写真に撮って、写真製版できる機械とオフセット印刷機もセットで贈った。&lt;br /&gt;　 そして、活字はなくなった。&lt;br /&gt;　 Nさんは活字を組むのを止め、切り貼りの作業をするようになった。当時、67歳。この年齢で新しいことを覚えた。&lt;br /&gt;　 「誰も何も教えてくれなかった。組み方も、貼り方もです。知っている人はいたのかもしれませんがね、教えてもらえなかった」。Nさんは回想する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 その５年前に妻を亡くしている。子どもたちは、「皆出ていった」というが、はたから見ていると、近寄らせないようなところがある。それからは、「一人暮らし。気軽でいいんです」。&lt;br /&gt;　 ただし、寄る年波にはかなわない。耳が遠くなり、仕事での指示が聞こえない。目もかすむ。手も、以前のように緻密な作業はできなくなっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 90年代の後半、新聞社は転換期に来ていた。&lt;br /&gt;　 寄贈されたワープロの寿命が尽きようとしていた。それは、一つの時代の終わりを告げていたかのようだった。誰もが予想しなかったグローバル化という波が、このミニコミ紙にも襲い掛かろうとしていたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 また、ＮＨＫの衛星放送が始まった。新聞に載る日本発の日本のニュースの、価値はなくなったに等しいといわれるようになった(それまでは、１ヶ月遅れの記事を使うことが作り手・受け手ともに疑問に思われなかった)。しかも、日本の事情が掲載された日本語新聞をありがたがる世代はほとんどいなくなった。日本語が分かる人々も少ない。いても、戦後移民や「最近来た人たち」のように読者が多様化し、興味の対象が広がった。同時に、ペルー国内でもコンピュータが普及した。印刷媒体の質が急激に上がり、いつまでも旧態依然の内容と体裁のままでは、いくら｢日系社会の共有財産｣として出発した新聞といえども、許される範囲を超えて来ていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 これらの変化が、急速に起った。そのため、「今までの新聞でいい」というグループが、コンピュータを駆使する｢新世代｣と社内で激しく対立した。&lt;br /&gt;　 Nさんも、｢新聞を新しくする必要はない｣という一人だった。ところが、仕事を増やしたくない、もしくは自分の居場所をいつまでも誇示したい理由から、変革を嫌った人たちとは一線を画していた。&lt;br /&gt;　 彼は、切り貼りの係を下ろされたら、「人生の終わり」とまで考えていたからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 「ヨ(私)は、一人暮らし。ここを辞めさせられたら、他にやることがない。会社は、ミ、ヴィダ（私の人生）」と公言していた。だから、“自分の居場所のないような、合理化された新しいシステム(コンピュータによるすべて)”への改革を推し進めようとする動きには、猛烈に反対した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊＊＊&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 しかし、体は動かない。でも、他の仕事は絶対にしたくない。&lt;br /&gt;　 編集室での新聞の整理を勧められた時も、&lt;br /&gt;　 「ノ、メグスタ（嫌だよ）。ヨ（わたし）の仕事じゃないから」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 その会社には、それまで「（日本人の）職員は絶対に辞めさせない」という「決まり」があった。これは、ワープロや印刷機を寄贈した篤志家との約束だった。「日系は年輩を大切にする」、という世間体もあったろう。 &lt;br /&gt;　 Nさんは、その約束に保護された。しかしその反面、限界以上の仕事を自分に課すことにもなっていた。辛そうだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 新聞社の奥まった一室にある貼りつけ台から離れようとしなかったNさん。貼りつけていたのは記事ではなく、彼の人生だったのかもしれない。&lt;br /&gt;　 ある日、Nさんはついに大きな間違いをした。それは、致命的なミスだった。会社は、決断を下した…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊＊＊&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 いまでは週に１回、Nさんは日系高齢者の娯楽施設である「神内先駆者センター」に通っている。それ以外の日には、編集室で古い新聞から面白い記事を探す。&lt;br /&gt;　 最近、30年も前の旅行記の連載が再録されたが、それを探したのはNさんだ。&lt;br /&gt;　 しかも後日談がある。旅行記を書いた人が感動した。その人は、日本大使大使公邸人質事件で最後まで人質にされていた人だった。そして、人質事件の体験談を寄稿することになった。紙面に活気が出たのである。これは、Nさんの功績だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 Nさんは、表情が穏やかになった。（日系人の高齢者のディケア施設）神内先駆者センターで、知らない人とも会話をする。遠ざかっていた家族との絆も、ぼちぼち回復してきたようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 そのころ、例の孫娘から会社にＦＡＸが届いた。&lt;br /&gt;「おじいちゃんは、明るくなりました。私たちと食事をしてくれるようになりました。本当にありがとうございます」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 Nさんは、貼りつけ台から人生を引っぱがした。齢(よわい)87。きょうも働く。&lt;br /&gt;「働かないと、気持ち悪くて、スエルド(給料)、頂けませんよ。働けるなんて、本当に幸せです」&lt;br /&gt;　 “働く福祉”というのも、あるようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊＊＊&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 孫娘は、Nさんと彼の妹（ハワイ在住）を、カナダで引き合わそうと考えている。妹は、Nさんが故郷を発ってから生まれたため、これまで一度も会っていない。&lt;br /&gt;Nさんの出無精にも、変化が表われたようだ。 [文責･太田宏人]&lt;br /&gt;「ペルー新報」2000年3月25日号掲載（そこに残る日系の影＊最終回）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;追記：2001年にペルー新報に電話をかけたとき、Nさんは退社していた。&lt;br /&gt;2007年現在、リマ市郊外の日系高齢者のための養老院で暮らしている。&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-158066820286748621?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/158066820286748621'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/158066820286748621'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/34n.html' title='(墓33)Nさんの話'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-6587406533949189546</id><published>2007-09-03T23:28:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:53:09.713+09:00</updated><title type='text'>(墓32)物乞いの指</title><content type='html'>クスコ県のピサックという村には、週に何回か観光客向けの市が立ち、国の内外から多くの人が訪れる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一人の歳取った男の乞食がいる。ボロボロの服を着て、やぶれた靴を引きずるようにして歩きまわり、観光客の顔つきや服装を品定めしては、黒ずんだ顔を遠慮なく近付け、「物ごい」の手を、ぬっと差し出す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;尊大である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;オ前タチハ、金持チダ、ダカラ、俺ニ恵マナケレバ、イケナイ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は、何回となくその手を差し出す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「５センターボスたりとも渡さない」、という意志を見せると、すぐに通り過ぎるが、ふたたび現れて、あごをしゃくり上げるようにして、手を差し出す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なにも恵んでもらえないのが分かっていて嫌がらせをしているのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;かまわずに、無視をして歩き過ぎようとしたところ、乞食は脂と土で黒々と光る人差し指を伸ばし、私の腕に押しつけた。そして、またあごをしゃくる。何も言わない。目だけが光っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;怒りと怖気が込み上げた。彼は、心の中まで、いやらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※ ※&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;早朝のプーノ通り。ペルー新報に出社するため、もくもくと歩いていると、向こうから、公立の小学校の制服を着た子どもがやって来た。彼は、こちらの顔と服装をじろじろ見ている。通り過ぎる時、一瞬下を向いたが「セニョール…」と呼びかけた。「50センターボス貸してくれよ」。堂々と言い切った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※ ※&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;心を、乞食にしてはいけない。&lt;br /&gt;それでは皆さん、どうぞ良い連休をお過ごし下さい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『ペルー新報』97年の日時不明&lt;br /&gt;「しんぽう週末コラム」&lt;br /&gt;合掌 &lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-6587406533949189546?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6587406533949189546'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6587406533949189546'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/33.html' title='(墓32)物乞いの指'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-9014473588808383881</id><published>2007-09-03T23:26:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:52:48.450+09:00</updated><title type='text'>(墓31)暴走車、民家に突っ込む</title><content type='html'>ペルー国家警察の発表によると、（2004年）1月4日未明、エリセオ・アバッ=アルデロン（30）の運転するRV車がスピードの出しすぎでコントロールを失い、リマ市ラ・モリーナ区のハビエル・プラード（エステ）通り5095番の高級住宅の壁に激突した。運転手の怪我はたいしたことはない模様。おちおち寝ていられないのがリマ？（『オホ！』紙より）&lt;br /&gt;某団体の会報用に書いたもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-9014473588808383881?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/9014473588808383881'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/9014473588808383881'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/32.html' title='(墓31)暴走車、民家に突っ込む'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-2708255284198177565</id><published>2007-09-03T23:24:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:52:25.410+09:00</updated><title type='text'>(墓30)在日外国人の故郷への送金代行、“地下銀行”と決めつけた『毎日新聞』</title><content type='html'>毎日新聞は五月二五日、「不正送金一〇年で四二二二億円　外国人犯罪組織」という記事を掲載し、地下銀行への警鐘を鳴らした。&lt;br /&gt;あなたは「地下銀行」と聞くと、どんなイメージを持つだろうか。汚れた金をプールし、資金洗浄を行う悪の集団――。そんな感じではないだろうか。同記事は「テロ対策として四月に成立した改正外為法の網をもすり抜ける海外送金が横行する実態が浮かんだ」という。しかし、取り上げる具体例はすべて今年四月以前のもので、資金洗浄への言及もない。テロとは無縁の在日“デカセギ”外国人（注）による故郷への送金代行にすぎず、「地下銀行」は不当な呼称である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;＊＊＊＊&lt;br /&gt;「不法滞在＝悪」と言い切れるのか&lt;br /&gt;＊＊＊＊&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「地下銀行」として摘発を受けるのは、送金代行業者（および個人）が多い。代行業者は、在日外国人から送金依頼を受け、日本の銀行経由で本国に送金、現地での払出しを行う。これがなぜ、“地下”銀行なのだろうか。過去の起訴状によると、代行行為および現地での払出し行為は「為替取引」として判断され、「為替取引を営業として行うことのみをもって、銀行業の免許を受けなければならない」と規定した銀行法に違反する――、という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;銀行法に反するから、地下銀行。こじつけだ。そして、当局の意図は別にある。警察庁は『来日外国人犯罪の現状』（平成一三年上半期）という報告書のなかで、「地下銀行とは、銀行法等に基づく免許を得ずに送金依頼された金を不正に海外に送金するものをいう」と定義している。『毎日新聞』社会部に取材を申し入れたところ、「（警察当局と）同様の認識のもとに（地下銀行と）表記しています」（小川一・統括副部長）とファックスで回答した。ところが、前述の報告書の該当箇所の直前には、「不法就労で得た収益や薬物密売等による犯罪収益を本国へ不正に送金している者がいる」という一文がある。当局は、地下銀行と不法滞在、麻薬密売をひとくくりでとらえているのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;断っておくが、筆者は麻薬密売に関わる存在をも「地下銀行ではない」と強弁するつもりはない。不法滞在も奨励しない。だが、「不法滞在となっている人＝悪」という論理には単純には賛成できない。たしかに、不法滞在者による重要犯罪は起きているが、それは一部であって全員ではない。不法滞在という行為の善悪を判断する前に、彼らの本国の経済状態、世界的な出稼ぎ現象、日系人を優遇し、合法とする人種差別的な日本の査証行政、低賃金に甘んじる不法滞在者に支えられる国内の中小工場――といったさまざまな要素を考慮すべきだ。「法を犯せば犯罪者だ。悪法でも法は法だ」という意見もあるだろう。しかしそれでは、思考停止である。悪法を市民が検討も批判もできない国家体制づくりに荷担するようなものだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;故郷へ仕送りをする「在日デカセギ外国人」という定義には、「まじめに働く不法滞在者」も含めたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;＊＊＊＊＊&lt;br /&gt;送金代行は銀行法に違反しない&lt;br /&gt;＊＊＊＊＊&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「送金代行が銀行法違反というのは、法的におかしい」というのは、経済法に詳しい小島秀樹弁護士だ。小島氏によると、為替取引を定義する法律は、じつは存在しない。「小山嘉昭氏の書いた『銀行法』では、『遠隔地者間において（中略）、直接に現金の送金をなすことなく、資金授受の目的を達成すること』とされている」という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;銀行法の立法理由となっているのは、第五二回帝国議会（衆院）における旧銀行法の「銀行法案外四件委員會議録」（昭和二年）だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このなかで、「為替取引のみを行う業務を銀行業に含めるのは不当ではないか」というある委員の質疑に応え、当時の大蔵省銀行局長は、「爲替業務ト申シマスモノハ（中略）、一方ニ於テハ與信（与信）――信用ヲ與ヘルコトヲ爲ス（中略）、一方ニ於テハ又受信業務ト致シマシテ、爲替資金ノ受入ヲ致ス、詰リ與信業務ト受信業務ヲ併セ爲スモノデ（中略）、（銀行業務である）預金ト貸付ヲ爲スト同一ノ作業ヲ爲ス」としている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;資金を預かり（上記では「受信」）、遠隔地で払う（同「与信」）という為替行為が、銀行による預金（同「受信」）および貸付（同「与信」）と同じだから「外國爲替ハ勿論ノコト（中略）、内國爲替デモ（中略）、銀行デナケレバ出来ナイ」。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;だが、小島氏は「送金目的で資金を受取ることは預金ではない。預金とは、元本の返還が約束されており、利息を目的とするもの」と矛盾を指摘する。「受信と与信が為替というなら、信販会社のカード取引も為替だ。カード会社は銀行業の免許を持っていない。一般企業でも、前受金は受信、前払金は与信に該当し、為替と見なされる。送金代行のみを銀行法違反で摘発すると、法の執行の平等に反してしまう。外国人に対する役人の弱い者イジメです。何の目的で、このような摘発を行うのか分からない」と、訝しがる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『毎日新聞』が具体例として紹介する「八年間にわたってペルーに計六八七億円を送金した送金業務代行会社」とは、日系ペルー人らによる組合組織で、「キョウダイ」という。会員から委託された故郷への送金を、当時のさくら銀行を通じ、一本化して本国へ送っていた。ペルーでの払出しは、上部団体であるパシフィコ信用貯蓄組合が行った。パシフィコはペルー共和国の免許を得た金融機関である。金融機関が行う与信（この場合の送金払出し）は合法なのだが、そのことは問題にもされなかったようだ。裁判は行われず、略式起訴による罰金（法人と代表者らに五〇～三〇万円）で決着している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;摘発当時、やはりマスコミによって地下銀行と断罪されたキョウダイだが、その後、送金に関わる営業を再開している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;＊＊＊＊＊&lt;br /&gt;外国人差別助長する『毎日』の報道&lt;br /&gt;＊＊＊＊＊&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;前出の『毎日新聞』小川副部長は、&lt;br /&gt;「今回の記事では、地下銀行利用者への取材はしていません」という。「記事は、違法送金の現状を主に統計的側面から記事化したもの」で、「外国人労働者へのマイナス感情はまったくありません」という。しかし、当局による「地下銀行」なる用語や摘発事例を充分に検証せず、このような記事を掲載することで、在日デカセギ外国人に対するマイナス世論を醸成することにはならないだろうか。偏見と誤解に基づく外国人差別を助長していないだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;資金洗浄にもくわしい弁護士の海渡雄一氏は、「この記事はひどい」と呆れる。そして、送金代行のみでの検挙については、「銀行法のたんなる形式違反に過ぎない。地下銀行とは別のもの。いってみれば“ふるさと送金”だ」という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;デカセギ外国人が送金代行を使うのは、日本の銀行での送金が困難だからだ。手数料も高い。言葉の問題もある。彼らの多くは時間給で働き、しかも間接雇用という弱い立場にあり、窓口時間内に銀行を訪れるために仕事を抜けるのも難しい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、日本の銀行も、一六八万六〇〇〇人いる在日外国人（法務省統計・二〇〇〇年末現在の登録者）に、窓口に殺到して欲しいとは思わないだろう。海外送金は煩雑で、日本人でも二〇分くらいかかるからだ。小川副部長は回答のなかで「日本の金融機関が不正送金に悪用されたことは知っております」という。しかしキョウダイの場合は、旧さくら銀がキョウダイのためにわざわざ開発した送金プログラムをキョウダイに使わせ、旧さくら銀の職員が集金のために日参した。悪用どころではない。共犯かもしれない。だが、同銀行は摘発されなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;マスコミは最近、“狂牛病“という用語を牛海綿状脳症（ＢＳＥ）に変えた。「狂牛」という言葉が不正確で、誤解を招くからだ。ウシに配慮するヒューマニズム（？）があるならば、この「地下銀行」という用語も考え直せないものか。無自覚な差別的用語によって日本の人々に白い目を向けられるのは、労働力として日本を支え、家族とともに日本での暮らしを営み、その上で本国の家族に送金まで行う、在日デカセギ外国人とその家族だからだ。いうまでもないことだが、彼らは、人間である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（注）「デカセギ」は出稼ぎ者および日本での就労行為を意味する現地語化した言葉。&lt;br /&gt;----------------------------------&lt;br /&gt;おおた ひろひと ライター。&lt;br /&gt;〆&lt;br /&gt;【『週刊金曜日』2002年8月23日号掲載原稿に一部加筆】&lt;br /&gt;合掌&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-2708255284198177565?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2708255284198177565'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/2708255284198177565'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/31_03.html' title='(墓30)在日外国人の故郷への送金代行、“地下銀行”と決めつけた『毎日新聞』'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7800669194851124667</id><published>2007-09-03T23:21:00.001+09:00</published><updated>2008-06-13T21:25:27.498+09:00</updated><title type='text'>(墓29)在日「デカセギ」外国人の葬儀事情</title><content type='html'>&lt;strong&gt;在日「デカセギ」外国人の葬儀事情&lt;br /&gt;そこから垣間見える日本の国柄、「日本人」気質&lt;br /&gt;太田宏人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本人の葬儀（セレモニー）そのものが変わってきている。日本ではふつう、葬儀と火葬、埋葬はワン・セットで考えられるわけで、火葬後の埋葬も、流行にあわせて「散骨」やら「宇宙葬」なども宣伝されている。とくに、海や山などへの「自然界」への散骨希望はあとを絶たない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな日本人の葬儀への要求の変化には、それぞれに事情と理由があるが、日本人の身近な隣人＝在日外国人＝も、もちろん、日本で亡くなっている。たとえば、在日ペルー人約5万人のうち、死産をあわせると毎年、約70人が日本で死んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼らは、日本での葬儀を、どのように行っているのだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●タイ人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;東京都荒川区、ＪＲ三河島駅から数分で到着する「タイ国タンマガーイ寺院」は一見、普通の雑居ビルだが、在日タイ人の精神的支柱となっている宗教施設だ。ここには、タイ仏教界から派遣された8人のお坊さんが詰めている。日本には、タンマガーイ寺院のほか、大阪と成田にもタイ寺院がある。全国では二〇人くらいのタイ人僧侶がいる。同寺のプランポンテープ師によると、タンマガーイ寺院は、&lt;br /&gt;「日本におけるタイ寺院ではもっとも古い」という。七年前に東京都北区赤羽に建立され、三年前、現在地に移転した。&lt;br /&gt;「こちらにいるタイ人は日本語が分からず、日本の寺院に（冠婚葬祭を）頼めない。そこで、私たちが必要とされました」（同師）。一方、在日タイ人の本音によると、「日本のお寺では受け入れてもらえないからね」とのこと。&lt;br /&gt;「日本でタイ人の誰かが亡くなると、まず私たちタイの僧侶が呼ばれ、読経をします。その後、日本の火葬場を利用して火葬を行い、遺骨（灰）を本国に持ち帰って、川に流します」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;タイの人たちは、日本にお墓を作らないのだろうか？&lt;br /&gt;「日本人配偶者のいる人は分かりませんが、ほとんどの方が持っていない。必要ないから」と同師。&lt;br /&gt;「タイでも火葬が普通。死亡直後ではなく、一週間後や一か月後など、時間が過ぎてから行います」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;タイは上座部仏教が盛んな国だ。取材中も、何人ものタイ人がタンマガーイ寺院を訪れ、タンブン（徳を積むこと＝布施）を行っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●イスラム&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;ムスリム（イスラム教徒）は火葬できない。火葬は、「地獄における火あぶり」と考えられているからだ。そこで、土葬が求められる。だが、土葬可能の墓地は、現在の日本にはほとんどない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして、日本では墓地以外の場所への埋葬は、原則的に禁止されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;宗教法人日本ムスリム協会によると、「私たちは山梨県内に土葬用の墓地を購入しました」。ただし、これは日本人のイスラム教徒向けのもので、「外国の方は、できるだけ本国へ遺体を運ぶように勧めています」という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イスラムの葬儀を一手に引き受けるＹという業者がいる。この業者が、遺体を本国へ運ぶエキスパートだ。外国人の遺体を運び出すためには、その人の母国の在日大使館（または領事館など）に申請し、許可を受けなければならない。しかしこの業者であれば、煩雑な在日大使館への申請や、飛行機への搭乗手続なども、「顔パス」で可能らしい。顔見知りなのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;遺体を運ぶにあたっては、エンバーミング（防腐処理）を行なう必要があるが、それができる医師は、日本では、ほとんどいない。この業者には「詳しくは言えないが特別な知り合い」がいて、エンバーミングも、問題なく請け負っている。遺体を本国に運ぶには、最低でも数十万円かかるそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「最盛期には月に五件のイスラム葬儀を行った。最近は少ない。不況で彼らがいなくなった。ひと昔前はバングラデシュの人が多かったね。お墓？ 日本人の奥さんがいると買うかもしれない」（Ｙさん）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●フィリピン人&lt;/strong&gt;ローマ・カトリックは火葬を禁止しているわけではないが、フィリピンのカトリック信者は、火葬を嫌うそうだ。やはりイスラムの場合と同様、エンバーミングして遺体を送りたいというのが本音。ところが、お金がない人は送れない。そこで、火葬してから遺骨（灰）を家に保管し、何かの折に本国に運ぶ人もいるそうだ。宗教行事に関しては、日本のカトリック教会に多くの外国人神父がいるので、安心だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●朝鮮人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;北（北朝鮮）は儒教系、南（韓国）はカトリック系が多いという。儒教では、たとえば東京・小平市の国平寺に在日朝鮮人僧侶がおり、このお寺が関東圏の同胞の面倒を見る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;葬儀には、日本の葬儀業者が入ることが多い。読経の部分が朝鮮語になる。昔に比べ、簡略化されているそうだ。通常は、火葬にする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一般（日本人向け）の霊園に墓地を買う人もいるが、朝鮮寺院の納骨堂などもよく利用されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●ブラジル人、ペルー人などラテンアメリカ人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;日系、非日系を問わず、ポルトガル語（ブラジル）、スペイン語（ペルーなど）を話すカトリックの神父にミサを依頼するのが標準的だ。葬儀は、教会からの紹介で葬儀屋を紹介してもらうことも。最終的には遺骨を本国に持ち帰る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、パーフェクトリバティー教団（PL）などのように、南米での布教が盛んな教団が、南米メンバーが出稼ぎで日本に来ると、宗教的サポートを行うことも珍しくない。しかし、二重国籍や日本人配偶者がいる場合はのぞき、日本に墓地を買う人は少ない。日本は移民を認めないからだ。あくまでも一時的な出稼ぎ。合法的なデカセギ（日系、日系配偶者、日本人配偶者または子、研修）でも、原則としては、いまのところ四世までしか住めない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;南米では、日本の仏教教団も布教をしてきた。当然、現地において獲得した信者たちもデカセギとなっているが、日本の寺院は、彼らをほとんど受け入れていない。&lt;br /&gt;「檀家以外の人たちの加入は、旧来の檀家さんたちが認めないのです」（ある日本人僧侶）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●中国人&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;中国語メールマガジンの編集長・姚遠さんは「一般的なことですが」と前置きし、&lt;br /&gt;「基本的には、『郷に入っては郷に従え』。日本式の法事ですね。葬儀も日本の僧侶に頼むことが多いですが、不法滞在者などはキリスト教の教会に頼むこともあります。費用が安いから」という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本の永住者や定住者の場合は、日本で墓を買うことはめずらしくないことだそうで、中国人専用の業者もいるという（日本が移民を認めていようといなくとも、ＶＩＳＡがあってもなくても、まさに「根を張る」。このあたりの生命力の強さは、他の国の“デカセギ”には見られない。華人が全世界に根を張るのも納得）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;●「ペルー系日本人」は出現するか？&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;外国における日本人移民・移住者の子孫たちを、「日系●●人」と呼ぶ。彼らは、外国で亡くなると、その土地に墓を建てた。もちろん、爪や髪、墓土を故郷へ送り、できる限り日本でも墓を立てたのであるが、多くの人が移住先の土になっていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;かたや、日本にいるデカセギの外国人。中国人などをのぞくと、彼らの大多数は、決して日本の土になろうとは思わない。彼らが、自分たちの習慣を守り、できるだけ遺体を本国へ運ぼうとするのは、日本が、行政や法律のレベルで移民を認めていないということも、背景にあると思う。そして、日本人の社会や伝統教団が、外国人を「市民」扱いしないためでもあろう。現在のところ、外国人が「市民になる」には、帰化しか方法がないのだ。永住者でも、住民票をもてないのが、この国。デカセギの子ども達が、将来も住めるかどうか、不確実なのだから、この国に「骨を埋める」には、整合性がないのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼らの滞在の目的が「金を稼ぐためだけ」だから、「日本に骨を埋めようと思わなくて当然」という指摘もあるだろうが、それは間違っている。多くの調査によって明らかにされているように、デカセギ外国人の多くが「いい職があれば、永続的に日本に住みたい」と考えている。在日ペルーの場合でも、定住（停住）者が圧倒的多数になっている。いまや、デカセギを親に持つ子どもたち（デカセギ二世）が、日本の大学へ進むようになっている。デカセギ三世も生まれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、日本は、彼らをペルー系の日本人とはみなさないのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方、ペルーなどの移民受入先の多くの国で、紆余曲折はあったものの、日系移民二世に国籍を与え、市民とした。ペルーでは、二世から大統領も生まれた。では、日本にいるデカセギ二世から、首相が生まれる可能性はあるだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二世に国籍が与えられた（その国の人間になれた）からこそ、ペルーのリマ州北部に昭和初期に作られた「サン・ニコラス日本人墓地」の慰霊塔は、「当国に生をうけ同じ血の流れる後続の諸氏よ、願くはこの霊地を永久に守られん事を」と訴えることができた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし現在の日本では、デカセギの子どもたちの未来が不確定すぎて、「後続の諸氏」に自分達の墓のことを頼むことはできないのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;【参考までに】日本消費者協会が行ったアンケート調査によると、（日本人の）葬儀費用の一式の全国平均は、二三六万六〇〇〇万円。その内訳は、葬儀一式費用が一五〇万四〇〇〇円、寺院にかかる費用が四八万六〇〇〇円、飲食接待費用が三八万六〇〇〇円。&lt;br /&gt;〆&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;バウハウス刊『ＧＯＫＵＨ』2004年2月号に書いた「死の値段」の一部を抜粋し、&lt;br /&gt;ペルーの邦字紙『ペルー新報』用に加筆したもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-7800669194851124667?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7800669194851124667'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/7800669194851124667'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/30.html' title='(墓29)在日「デカセギ」外国人の葬儀事情'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-2897074623380448836</id><published>2007-09-03T23:19:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:51:30.473+09:00</updated><title type='text'>(墓28)ペルーの人口</title><content type='html'>&lt;strong&gt;●ペルーの人口&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;国立統計情報院（INEI）によると、2004年現在のペルーの人口は2794万7000人。昨年比で約8万人の増加で、2800万人は目前。乳幼児死亡率も改善されている、とのこと。&lt;br /&gt;「某団体の原稿用に書いたものを抜粋」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a 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rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-6288649489806838202</id><published>2007-09-03T23:15:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:51:01.778+09:00</updated><title type='text'>(墓27)焦り</title><content type='html'>しんぽう週末コラム&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;取材に行くため、セントロ・リマで&lt;br /&gt;タクシーに乗った。&lt;br /&gt;午後一時。車内でガジェータ（ビスケッ&lt;br /&gt;ト）を食べた。タクシスタ（タクシー運転&lt;br /&gt;手）にもあげた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「親切に、どうも」&lt;br /&gt;彼は、応えた。&lt;br /&gt;自分も食べる。一袋に六枚入って五〇セン&lt;br /&gt;ターボス。チョコラテ付きの美味しいやつだ。&lt;br /&gt;私は、一枚まるごと口の中に放り込んで、&lt;br /&gt;バリバリとかみ砕き、チョコの味を少しだけ&lt;br /&gt;感じ取ってから、ゴクッと飲み込んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;運転手さんは、左手の中指、薬指、小指&lt;br /&gt;そして手の平でハンドルをにぎり、親指と人&lt;br /&gt;差指で、例のガジェータをつまんでいる。食&lt;br /&gt;べる時は、ハンドルを右手に持ち替えて、ガ&lt;br /&gt;ジェータを口に運ぶ。そしてひとくちひとく&lt;br /&gt;ち、少しづつ食べる。この一連の動作をして&lt;br /&gt;いる時も、前を見つめたまま運転する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その日に灼けた武骨な横顔を見て、ハッと&lt;br /&gt;なった。「バカだな、おれ」と、思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;おれ、何をあわてて食べているんだろう？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あせっていたのは、取材の約束の時間に間&lt;br /&gt;に合いそうになかったからかもしれない。し&lt;br /&gt;かし、タクシーの客が慌てたところで車が早&lt;br /&gt;く進むわけでもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;本人は一生懸命やっているつもりでも、あ&lt;br /&gt;んがい、このような「無駄なあがき」とい&lt;br /&gt;うものが多いようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それに気付いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;タクシーは、昼下がりのリマを走り抜け、&lt;br /&gt;目的地に着いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「有り難う」「こちらこそ、有り難う」&lt;br /&gt;タクシーは、静かに走り去った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それでは皆さま、どうぞ良い週末を ―。&lt;/strong&gt;(11/1)&lt;br /&gt;「ペルー新報」掲載&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-6288649489806838202?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6288649489806838202'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/6288649489806838202'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/28.html' title='(墓27)焦り'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-403501232038478400</id><published>2007-09-03T23:11:00.001+09:00</published><updated>2008-06-13T21:23:16.800+09:00</updated><title type='text'>(墓26)景気低迷で岐路に立つ 在日ペルー人就労者</title><content type='html'>［リード］&lt;br /&gt;日本の景気低迷が、在日の外国人就労者を直撃している――。なかでも、在日ペルー人の置かれた雇用不安は深刻な状況だ。労働力として、納税者として、少子高齢化した日本を支える一員でもある彼らの現状をルポする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;［本文］&lt;br /&gt;「四月までに仕事がみつからなかったら、ペルーに帰るしかない」&lt;br /&gt;愛知県名古屋市のルイス・サキハラさん（四六歳）はいう。自動車部品の下請け工場で10年間働いていたが、昨年（2001年）11月に解雇されて以来、再雇用の見込みはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日系人およびその配偶者らの“デカセギ”（注１）が正式に認められたのは、一九九〇年の出入国管理及び難民認定法の一部改正による。この年のペルーのインフレは七六五〇％で、国民所得は六〇年の水準まで低下していた。その後、フジモリ政権下で国内経済はかなり回復したが、いまだに国民の半数以上が失業か半雇用状態だ。最低賃金は月一〇〇米ドル（約一万一〇〇〇円）少々で、とても食べていけない額だ。サキハラさんが国へ帰っても、生活が安定する保証はない。&lt;br /&gt;「工場の受注が減ると、真っ先にクビになるのは外国人だ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;外国人、という一言は重い。彼ら日系人は、デカセギに来る前に、「父母・祖父母の国、自分のルーツの国」という親しい感情を日本に持つ。だが、日本人の多くが自分たちを「ガイジン」（注２）としか見なさないことに、来日後、ほどなく気付く。特別な思いは、屈曲した感情に変わる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;＊＊＊＊&lt;br /&gt;日本人以上にかかる生活費&lt;br /&gt;＊＊＊＊&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神奈川県藤沢市に住むエクトル・ニシムラさん（三六歳）は、「あと数年で、相当数のペルー人が日本から去る」と予測する。本国では心理カウンセラーだったが仕事がなく、九〇年に来日。各種の工場で働き、実家に仕送りをしてきたが、昨年九月からはじめて仕事が途切れる。貯金を崩して生活し、年が明けてから短期のバイトをやっと見つけた。&lt;br /&gt;「日本の景気のせいだよ。工場はどんどん中国に移転しているし、マレーシアやフィリピン、中国からの不法滞在者が増えたから」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;オーバースティや密入国といった不法滞在者の時給は平均五〇〇円くらいで、高くても八〇〇円ほどという。単純作業は、彼らアジアからのデカセギに取られてしまった。&lt;br /&gt;「男には、仕事がなくなったしね」とも。その表情は暗く、口数も少ない。&lt;br /&gt;「前にいた工場の時給は、男は一三〇〇円、女は九〇〇円で、作業内容は一緒。この不景気な時代にどっちを使うと思う？ だから男で仕事を見つけようと思ったら、高い日本語能力と経験は絶対に必要だ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;長野県丸子町に住むマヌエル・ロハスさん（四七歳）も男の雇用が少なくなったと指摘する。&lt;br /&gt;「このあいだはついに、工場のえらい人に『月給三五万円以下だったら、俺たちは暮らしていけない』って、訴えたんだよね」という。&lt;br /&gt;九〇年に来日した彼は、日系人の妻と小学生の長女、保育園に通う長男の四人で暮らしている。ペルーで暮らす自分と妻の両親への仕送りは、毎月一〇万～一二万円。高収入のため、子どもの保育料も住民税も国民健康保険の保険料も高くなる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「地方は、物価が高いよ」ともいう。日本語能力が低く、地域社会と密接に交流をしていない彼らは、何年住んでも日本の事情に疎く、日本人から見たら、買い物が下手だ。商品の値段の「大体の基準」が分からないから、高いものでも買ってしまう。郷愁、もしくは日本の食材への嫌悪からか、ペルーから輸入されたかなり割高な食材を好むなど、外国人の生活には必要以上の出費が伴うのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;＊＊＊＊&lt;br /&gt;日本語能力の低さがさらに職から遠ざける&lt;br /&gt;＊＊＊＊&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ロハスさんは最近、マイクロチップを生産する工場に夫妻で雇用されたのだが、ほどなく妻は解雇された。理由は、「妻のグループの製品から不良品が出たから」だ。&lt;br /&gt;「容赦ないよ。検査に引っかかると、すぐにクビだし、時給を下げられることもある。でも、ほかに仕事があるわけではないから、がまんする」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「でもね」とロハスさんは続ける。&lt;br /&gt;「クビになるのは外国人だけでなく、日本人も大量に解雇されている。まあ、日本人は必死に働かないよね。だから経験と能力次第では、俺たちのほうが重宝されるんだ」という。日本人は総じて「残業や休日出勤を嫌がる」と、多くのデカセギはいう。本国の家族への送金や将来帰国して「事業をはじめるかもしれない」という目的のための貯金、同居する家族の養育費のために働く彼らからすれば、現代日本人は怠け者と映るのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ロハスさんの話にもある工場側の突然の解雇は、不当解雇の疑いがある。ところが、多くの工場はデカセギを直接雇用していない。「コントラティスタ」（請負業者）と呼ばれる業者に業務を“委託”するのだ。そのため、生産変動に合わせたデカセギの解雇が容易に可能になる。&lt;br /&gt;デカセギの作業の管理・指導は工場側で行うのだから、コントラティスタの実態は人材派遣業だ。しかし、営業に必要な厚生労働大臣の許可を受けていないものがほとんどだ。また、デカセギの給料はコントラティスタ経由で支払われるため、直接雇用より多少安いという。国別統計はないが、日系人以外のデカセギも調査対象に含めている「日系人本邦就労実態調査報告書」（国際協力事業団、九二年）によれば、南米出身のデカセギでコントラティスタを利用する人は、全体の六三％。ただし同報告は、デカセギはコントラティスタを経由しても、会社と直接契約したと誤解している人が多いため、実際は「もっと多い」と分析する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また同報告によると、子どものころから家庭で日本語を話していた割合は、ブラジル五三・四％、アルゼンチン四一・五％、ボリビア六九・六％、パラグアイ八七・九％に対してペルーでは一一・〇％。ペルー以外の国は戦後移住も行われ、日本人コミュニティーが存在するため、生活圏内で日本語を話す人が多い。一方、ペルーへの移住開始は一八九九（明治三二）年と古く、現地への同化も進み、日系人集住地も存在しない。ブラジルの移民史はペルーと同じく長いが、日本人コロニアも存在し、戦後移民が続いていたため、彼らの日本語能力は相対的に高い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;言葉がわからなければ、会社と直接雇用を結ぶことは困難だ。まず、求人情報の入手ができず、たとえ入手したとしても字を読めないため、雇用条件の話し合いもできない。雇用契約書も読めないし書けない。日本語能力が大幅に低い在日ペルー人は、他の中南米出身のデカセギより、コントラティスタへの依存度が高くならざるを得ない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;言葉の問題以外にも、コントラティスタが日本への旅費を立て替える“サービス”を行っていることも原因のひとつだ。サトミ＝マリア-デル-ピラール・タマシロらの報告（九九年、注３）によると、在日ペルー人のうち、三二・三三％がコントラティスタからの旅費の貸し出しを受けていた。しかし本質的な問題は、ペルー人デカセギの日本語能力の低さにあるといえる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;＊＊＊＊&lt;br /&gt;生産と雇用の「調節弁」&lt;br /&gt;＊＊＊＊&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;コントラティスタは、自社に“登録”したペルー人デカセギを工場などに派遣するほか、日本的常識や感覚の欠如によってアパートを借りられない、もしくは不動産業者に忌避されるデカセギに、“寮”という形で住居を提供する。さらに、勤務先への送迎も行う。デカセギは、日本語がまったく分からなくても、コントラティスタに頼ることで、住むことと働くことができるわけだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;解雇しやすいだけではなく、企業にはコントラティスタを歓迎する素地がある。日本語能力が低いペルー人を直接雇用した場合、生活面での煩雑な相談が予想外に持ち上がる。コントラティスタを介せば、文化の違いや言葉の壁による摩擦も回避できる。日本人にとっての日本の職場は「異文化理解の実験場」でも「日本について教える教室」でもないのだろう。&lt;br /&gt;そして、在日ペルー人にも、コントラティスタは歓迎されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前、静岡県浜松市のある工場と直接契約を結ぼうとしたペルーの友人一家を成田から送っていったことがある。その工場の社長とは「顔見知り。ペルーから電話した」という。ところが、工場が提示した時給は夫婦ともに九〇〇円。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「とてもじゃないが、生活できない」と彼らはスペイン語で密談。それでも、社長と話をまとめ（筆者が通訳した）、部屋探しに。社長が一緒に探してくれたが、いい物件がなかった。「後日また来ます」と、彼らは東京の筆者の住まいに戻った。結局、彼らはその工場への就職を見合わせる。社長は半日、棒に振ったわけだ。この一家のゼロに等しい日本語能力からすれば、もし彼らがその工場に就職していたら、社長は、彼らの子どもの保育園入園、小学校入学など、すべて面倒を見なければならなかっただろう。この一家は、「コントラティスタだけは嫌だ」といって、一週間ほど無気力にすごしていたが、最後は栃木に住む親戚のデカセギに迎えに来てもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本語がわからず、ペルーから単身で来日した友人は、当初からコントラティスタを経由し、静岡県焼津市の魚肉加工工場で働くことになった。時給一一〇〇円で残業もあるので、収入はかなりの金額になる。住居もコントラティスタの紹介で即日入居。コントラティスタが多くの同国人を雇うので、先輩デカセギから生活情報を入手できるなどメリットもあった。このように、コントラティスタがデカセギと企業双方に必要とされていることも事実だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただし、前述のようにデメリットも大きい。コントラティスタの利益は、デカセギにどれだけ仕事を斡旋したかで決まるため、どうしても工場などの大口の募集に流れやすい。しかし、大きな工場の仕事は、生産変動による突然の解雇という危険性をはらむ。ペルー人が生産と雇用の「調節弁」にされないためには、安定した仕事を自力で探す必要があるが、実際は無理に近い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;＊＊＊＊&lt;br /&gt;子どもへの負担&lt;br /&gt;＊＊＊＊&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;デカセギにとって労災が受けにくいこともデメリットのひとつだ。デカセギが就業中にけがをした場合、雇用主であるコントラティスタは労働基準監督署に労災申請を行わなければならない。しかし、労基署の調査が入り、必然的に無許可営業が発覚するため、「労災隠し」が横行。デカセギは正規の労災を適用してもらえないのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さらに、日本での家族との同居もペルー人を苦境に立たせる一因となっている。アジアからの（不法な）デカセギは単身が多い。生活コストが低く、安い給料でも働ける。両者ともに日本語は不得手だが、要求する給料に開きがありすぎる。&lt;br /&gt;前出のサトミ=マリア-デル-ピラール・タマシロらの報告によると、日本に居住するペルー人のうち、来日前に子どもがいなかった人は六二・二〇％だが、来日後はその割合が三三・一〇％に減っている。九二年以前に日本へやってきた人の割合も全体の七八％（ペルーへの一時帰国含む）という。「出稼ぎ」ではなく「定住」（停住）または家族移住といってもいい。そのため、本国への送金や扶養費が重くのしかかる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なぜ家族と住むのか。生活費の安いペルーに家族を残し、日本から送金したほうが効率的だ。神奈川県の愛川町に住むギジェルモ・ミヤハラさん（五八歳）も一家で同居する。&lt;br /&gt;「これまで家族が離れて暮らしたことはなかったからだよ」&lt;br /&gt;妻のスサナさん（五三歳）も、「家族の愛は、お金では計れない」という。日本人からすれば、こんな考え方は大甘かもしれないが、成人男子の多くが「いちばん好きな女性は自分の母」と公言するくらいの国である。カトリックを国教にしている他の国と同じ、もしくはそれ以上に家族を大事にする傾向が基本的に強いのだ。そういう文化、としか言いようがない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;親の雇用の不安定さや日本語能力の低さは、子どもに負担を強いる。乳児死亡率を見てみよう。厚生労働省の人口動態統計によると、二〇〇〇年、七四四人のペルー国籍を持つ新生児が日本で生まれた。だが、同年の乳児死亡者は一〇人。出産一〇〇〇件に対して一三・四人の死亡率だ。ブラジル人では出産三〇五一件のうち死亡は九人で、出産一〇〇〇件での死亡率は二・九人。同年の日本人の乳児死亡率（一〇〇〇件のうち三・二人）より低い。両者の違いは、日本語能力と、緊急医療制度の利用度の差と思われる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、親が転職を繰り返すため、子どもが学校でスポイルされる事例も絶えない。外国人の子どもは、それでなくてもいじめの対象にされやすいのに、つねに転入生として学校を転々としていたらその傾向が強くなるのは当然だろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;群馬県伊勢崎市には、さまざまな理由から日本の学校に行かない在日ペルー人の子ども（幼稚園～中学生）が学ぶフリースクール「スペイン系アメリカン文化学院」がある（二〇〇〇年設立）。代表のルイス・ガージョ=シマブクロさん（三六歳）によると、「親の転職によって、子どもの出入りが激しい」という。また、景気が悪くなったため、学費の滞納もかさんでいる。経営は困難だが、「誰かがやらないと」と熱っぽく語る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;たしかに、不況で苦しむのはデカセギだけではない。日本人の失業率も好転していない。しかしそのことは、デカセギを切り捨てる理由にはならない。彼らも、労働力として、または納税者として、さらには地域社会のマンパワーとして、少子高齢化した日本を支える一員にほかならないからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（注１）「デカセギ」は、出稼ぎ者および日本での就労行為を意味する現地語化した言葉。法務省統計によれば、平成一二年一二月末日でブラジル人が二五万四〇〇〇人、ペルー人は四万六〇〇〇人が居住している。ほかにアルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、メキシコ、ドミニカなどの出身者もいるが、少数。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（注２）この表記は穏当ではないが、実際問題として在日外国人の多くが日本人からそう呼ばれている。ペルーのある友人も「Soy un Gaijin」（私はガイジン）といっていた。&lt;br /&gt;（注３）&lt;em&gt;Realidades de un Sueño&lt;/em&gt;, Convenio Cooperación Kyodai Comisión Conmemorativa del Centenario de la Inmigración Japonesa al Perú; 2000 Lima-Perú.&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『週刊金曜日』02年3月ごろ掲載されたものに加筆&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;a href=#tag&gt;&lt;b&gt;このページの先頭へ&lt;/b&gt;&lt;/a&gt;&lt;/font&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href=http://www.geocities.jp/tontocamata/&gt;&lt;B&gt;記事の墓場HP&lt;/B&gt;&lt;font color=blue size=2&gt;&lt;br /&gt;(メインページへ飛びます)&lt;/font&gt;&lt;/a&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/7447284482713639725-403501232038478400?l=huaquero.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/403501232038478400'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/7447284482713639725/posts/default/403501232038478400'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://huaquero.blogspot.com/2007/09/27.html' title='(墓26)景気低迷で岐路に立つ 在日ペルー人就労者'/><author><name>huaquero</name><uri>http://www.blogger.com/profile/03335460691448969301</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-7447284482713639725.post-7247252759164670663</id><published>2007-09-03T23:03:00.000+09:00</published><updated>2007-09-04T08:49:26.407+09:00</updated><title type='text'>(墓25)太平洋を葦船で横断する男/石川仁</title><content type='html'>〔リード〕&lt;br /&gt;西洋人のいわゆる “大航海時代”のはるかな以前、木造船を作る技術を持たなくとも、太平洋をとりまく海洋民族は、「葦船」で外洋を自由に航海し、彼らの航路である「海の道」は、島と島を結ぶだけではなく、南北アメリカやユーラシア、そして日本にも達していたはずだ――。葦船による環太平洋の民族と文明の交流を証明するため、葦船に身を任せ、風と潮流と星をたよりに日本から北米へ、太平洋横断に挑む一大計画「カムナ・プロジェクト」が始動した。ＧＯＫＵＨでは、あらゆるメディアに先駆け、葦船カムナの代表である石川仁さんに独占インタビューを敢行！ 葦船の魅力を存分に語ってもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〔本文〕&lt;br /&gt;冒険家は、自分が冒険家だということを自覚しないらしい。「やりたいことをやっていたら、いつのまにか、そう呼ばれる」&lt;br /&gt;石川仁、35歳。彼も、都会で暮らす違和感を覚えたとき、ふと気がついたら、インドやアフリカにいた。そして、サハラ砂漠を横断し、イヌイットと衣食住をともにし、カヌーでアマゾンを下っていた。南米のチチカカ湖を手製の葦舟で巡ったこともある。&lt;br /&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtwVNNbsptI/AAAAAAAAAA8/TA56JYTcwYU/s1600-h/JIN_2.JPG"&gt;&lt;img style="cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_sxrgnn7WzUU/RtwVNNbsptI/AAAAAAAAAA8/TA56JYTcwYU/s320/JIN_2.JPG" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5105979394219615954" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして今度は、葦で編み上げた太い束を何本も縛り合わせただけの「葦船」に乗って、日本からサン・フランシスコまで、１万キロの太平洋横断に挑む。&lt;br /&gt;けれどもそれは、古代海洋民族の「海の道」を実証するためだけの冒険じゃない。彼は心から、葦船やその航海が好きなのだ。&lt;br /&gt;チチカカ湖やペルー
