互恵という精神の素晴らしさ~日系ペルー人の場合~
太田宏人(ライター)
わたしは以前、ペルーで暮らしていました。
当時は、現地の日系社会の日刊紙(日本語とスペイン語のバイリンガル新聞)で記者をしていたのですが、日系社会には、日本に住む日本人がすでに失ったり、失いつつある、さまざまな習慣や言葉、心根、精神が、いまも息づいていることを知りました。
もっとも、ペルーを含めた南米、ハワイや北米、中米への日本人の移住は、100年以上の歴史を有しますし、各国ではすでに日系5世や6世が誕生しているので、戦後の移住者を除けば、日本語を話す人々は少なくなっています。しかし、彼らが話す言葉が英語やスペイン語、ポルトガル語といった現地のものに変化しても、彼らの習慣や行動の「本質的なところ」は、やはり日本人的なものなのかもしれません。
たとえば、ペルーの日系社会において現在も普通に行われている「ソブレ」という習慣。
ソブレというのは、スペイン語で「封筒」という意味です。
日本人やその子孫たちは昔から、同朋(どうほう)の結婚式や葬儀に際して、参列者が金一封を出し、経済的な面で支えあってきました。いってみれば、日本の祝儀袋や香典袋です。しかし、日本製のこうした慶弔封筒が手に入りにくいペルーでは、市販の封筒(ソブレ)に現金を入れて、新郎新婦や喪主(喪家)に渡したのです。そうしていつしか慶弔封筒はソブレと呼ばれ、この行為そのものもソブレと呼ばれるようになり、今日に至ったのです。
ソブレなどという代物(しろもの)は、(日系ではない)ペルー人にとって、非常に奇異なもののようです。彼らの冠婚葬祭では絶対に登場しません。だいいち、日系人の冠婚葬祭に出席する(日系ではない)ペルー人は、ソブレを出すことを嫌がります。
「なんでお金など出さなければならないのだ?」
という思いを抱くそうです。ペルーの人々に「支えあう気持ち」がないわけではないでしょうが、そういう気持ちが、金銭的なことに結びつかないのかもしれません。
つまり、ソブレという行為の背景にある互恵(ごけい)の精神、もしくは互助の精神は、日系人特有なのでしょう。実際、ソブレの恩恵があれば、どんなに貧しい家庭でも葬儀を出すことができるのです。これは非常に重要なことでした。海外に暮らす日本人は、日本に住む日本人以上に、葬儀を大切にしてきました。
■見返りを求めない互恵の心■
現在のソブレの額は、日本円にして数千円から1万円程度ですが、日本との経済格差を考えると、日本で言われているような香典の「相場」よりは若干、高額であると思います。しかし、日本の「香典」ともっとも異なるのは、香典返しのようなものがない、という点です。
結婚式の「お返し」は、多少手の込んだものが最近は見受けられますが、葬儀に際しては、故人の小さな写真をはめ込んだり、生没年月日や氏名を書き込んだ小さな置物や、参列への謝辞を書いたカードを会葬者に配ることが多いようです。しかし、これらは、さほど高額なものではありません。
ということは、ソブレは「もらいっぱなし」「あげっぱなし」になる可能性があるのです。それでも、同朋(この言葉は、1世たちが好んで使いました)のためなら、ソブレを出すのです。見返りを求めない、素晴らしい互恵の精神だと思います。
ソブレという相互扶助のシステムが今でも生きているのは、やはり、日系人が葬儀を大切にしているからだと思います。相互扶助は、金額だけの問題ではありません。ソブレは、連帯意識を形に表したものでもあります。「亡くなられた人を、みなで弔う」という気持ちを、ソブレという行為に託しているのだと思います。
香典とは本来、見返りなど求めない互恵の精神に基づく行為なのかもしれません。
おおた・ひろひと/「ペルー新報」元編集長。現在、雑誌「SOGI」等に執筆中
(2009年、埼玉県内の某葬儀社の会報に掲載)