2009年11月18日水曜日

(墓86)政権交代と我々のコミュニティーについて

●与党・民主党は外国人の味方なのか●
2009年8月の衆議院議員選挙の結果、民主党の鳩山由紀夫代表を首相とする現政権が発足した。政府が変わり、日本も大きく変わろうとしている(民主党は日本を変えることを選挙公約にしていた)。「中道左派」もしくは社会主義的とも称される民主党の政策を歓迎する人たちも多いが、否定する日本人も多い。民主党を嫌う人たちによると、民主党は「愛国心が薄い」「伝統的な価値観を軽視する」という。とくに、民主党の外国人参政権への容認姿勢は議論を呼んでいる。ただし、民主党の想定する「在日外国人」は、在日韓国・朝鮮人が主体である。とはいえ、与党・民主党の外国人政策は否応なく我々をも巻き込み、滞日外国人への日本人の視線は、今後も鋭敏化するだろう。
●我々は「かわいそう」なのか●
20年前、いや10年前を思い出してほしい。日本に住む外国人労働者とその家族に対する日本社会からの視線を。外国人を取り巻く様々な社会的な問題を。たとえば子供の教育問題を。これらの問題の解決のために関ってくれた日本人やNPOが少なかったことを。しかし今では、行政が主導し、これらの問題の解決にあたるということは決して珍しくはない。先日、ある県のある市が主催した「デカセギ児童の就学率を上げるためのセミナー」に出席したが、参加者(教員、役人、教育委員、大学の研究者)らの熱意と好意に満ちた議論に驚き、感謝の気持ちを持った。しかし同時に、強い違和感を抱いてしまった。なぜならパネラーの多くが、「デカセギの子供たちはかわいそうだ」「日本のデカセぎは、他の国での移民と比べると悲惨な状況にある」と発言していたからだ。たしかに、異文化の中での生活は大変だし、タフさも要求される。ときにはいわれのない差別を受けることもあるのだが、我々は「かわいそう」な存在なのか。
●生活保護はすべての納税者の当然の権利●
昨今の不況で職を失い、失業保険手当をもらったり、生活保護手当を受けている外国人もいるだろう。だが、私はあえて、外国人自身が必要以上に「かわいそうな外国人」を強調することに疑問を呈したい。日本人の多くが外国人を受け入れ、友愛に満ちた隣人となってくれるわけではないのだ。むろん、失業保険にしろ生活保護にしろ、そのための財源(税金)を日本人と等しく負担していれば、これらの社会保障の恩恵に浴する権利は外国人にもある。憲法も、外国人の基本的な人権を認める。しかし今、多くの日本人が「外国人には生活保護を受ける権利はない」と叫んでいるのだ。言うまでもなく、我々に関して言えば、彼らの主張は間違っているのだが。ただし、この国でもっとも多い外国人である在日韓国・朝鮮人に関しては別の論点から考える必要がある。彼らは歴史的にも特殊な事情を抱えているため、数々の特権が認められてきた。たとえば、たとえ金持ちであっても不当に住民税が減額されていたことが知られている。故意に働かずに生活保護を受ける者もいる。一方、我々には彼らのような特権などないし、まじめに働いている。しかし、外国人を嫌う日本人にとっては「外国人は皆一緒」らしい。このような状況で、我々自らが殊更に「私たちはかわいそうです。ご支援ください」と強調すれば、さらに多くの日本人に間違った観念を植え付けることになるのではないだろうか。
●我々は日本に貢献する存在である●
ダイバーシティ(多様性)の重要性が注目されている。生物(自然)の多様性だけではなく、エスニシティの多様性や、職場内の就労者の多様性(年令、性別、人生経験)を大事にしよう、という考え方だ。ダイバーシティと深く関係するのが、サステナビリティ(持続可能性)。環境や人間生活、雇用などを論じる際にサステナビリティは欠かせない用語である。そして、サステナビリティの要【かなめ】はダイバーシティである。当然、日本という国、社会の持続可能性を考える際にも、多様性は重要なポイントといえる。そして、我々のコミュニティーの持つ「タフさ」「柔軟さ」「国際感覚」「移住経験」は日本に多様性をもたらすことを強調したい。労働力の寄与は言うまでもないが、我々が日本に住むことは、日本にとってのメリットなのだ。「かわいそうな外国人」という主張をやめろとまでは言わないが、我々の存在価値が政治の世界に伝われば、我々に対する政府の政策も変わってくるだろう。これまで与党だった自民党の戦略は、橋や道路、ダムを造る代わりに「自民党に票をください」というものだった。だからこそ、選挙権のない外国人には何もしてくれなかったわけだ。だが現与党である民主党は、自民党の政治スタイルから脱却し、「国家のために」という観点から政策を決めるという。ならば、我々の声も政府へ届くはずだ。
●先人の教訓に学ぼう●
ここで思い出すべきことは、我々には先人が残した教訓があるということだ。そのうちの一つが、日本人移民と政治との接近である。100年以上前にペルーに渡った日本人たちにも選挙権などはなかったが、ペルー政府の要人との関係を深め、日本人のペルー社会での地位向上に努力している。ラテン・コミュニティーが日本で誕生してから20年。もはや一時的な出稼ぎ労働者ではなく、我々はこの国で生活を続ける定住者である。そろそろ我々の声を政治の中央へ届ける時期ではないか。
Convenio Kyodai 2009年10月会報掲載