警視庁生活経済課と三重県警の合同捜査本部は今年九月、ペルーへの不正な海外送金を行っていたとして、銀行法違反(無免許営業)の疑いで海外送金の代行などを営むコペルニックス・ジャパン株式会社(東京都大田区)を家宅捜索した。
日本の新聞各紙は「ペルー地下銀行摘発」と報じた。ペルー日系人社会の大きな情報源である日刊紙「ペルー新報」でも取り上げた。しかし「地下銀行」とはまるで確信犯の集団のようではないか。こういう表現が、発展途上国からの出稼ぎ労働者に対する「疑い」や「さげすみ」を助長する恐れはないだろうか。
確かに、同社(出稼ぎの日系人はキョウダイ協同組合と愛称している)の送金には誤解を招きやすい部分があった。例えば、日本で送金依頼を受けると、早ければ翌日にペルーの信用貯蓄組合(キョウダイの現地法人)で引き出しに応じていた。時差の関係で、日本時間では送金依頼と引き出しが同日のケースもあった。銀行経由では無理な速さだ。
しかし裏を返せば、キョウダイは、送金をプールせず運用もしなかったということだ、いわゆる地下銀行ではなかったことを意味する。
キョウダイとはどんな組合なのか。そして三~五万にのぼる、ペルーからのデカセギの半数以上がなぜ利用してきたのか。
一九八九年のキョウダイ設立は、現駐日ペルー大使や当時の駐ペルー日本大使も強力に後援し、ペルー日系人協会の総意で決まった。当時は、暴力団や悪質な旅行会社による送金および出稼ぎのあっせんが横行、給料から四割も搾取されることもあった。同組合の設立はそれに対する日系人の防衛手段だった。キョウダイが業績を伸ばすことで、これらの地下銀行は駆逐された。
キョウダイは、デカセギのかかえる、文化摩擦に関係した問題にも独自に対応してきた。デカセギたちは概して日本語の能力が低く英語もできない(国語はスペイン語)。銀行の送金依頼書を読めない人のための代行業務でもあったわけだ。
キョウダイの手数料は、銀行に比べて圧倒的に安かった。デカセギの一回あたりの平均送金額は六万円。しかし、銀行の手数料は四千~六千五百円で、送金額の約一〇%にもなった。一方、キョウダイは毎日約四百件の送金依頼を受け、それをまとめて大手都市銀行経由で送金していた。各個人は銀行への手数料を払わず、キョウダイに送金額の一律二%を払っていた。
デカセギは時間給で働く。しかも常に弱い立場の被雇用者だ。銀行の受付時間に送金依頼をするために仕事を抜け出すことは困難である。キョウダイはこのため土日も営業し、現金書留での依頼も受け付けた。
また、いじめなどにより日本の小中学校になじめない在日の日系ペルー人の子どもたち八百人に対する通信教育を、ペルーの学校と提携して九四年から始めた。それまで、デカセギの子どもたちはある意味で教育から見放されていた。
このようにキョウダイのすべての業務が日系ペルー人の特質といわれる「相互扶助」の精神に基づく。そしてキョウダイは、送金での利益をペルーおよび日系人社会に還元することで日本とペルーの友好関係の強化に多大な貢献をしてきた。
そのため、ほとんどの日系ペルー人は今回の家宅捜索を「理解できない」という。なぜか。だれにも他意がないからである。しかも被害者がいない。ところが、犯罪だけが独り歩きをしている。そんな中、捜索から一ヶ月以上が過ぎたものの当局により送金は停止されたままで、ペルーで送金を待つ約三万人の人々は困窮している。高齢者の家庭では送金再開への渇望はさらに激しい。
キョウダイの送金代行が不可能になれば、運転資金は滞り、通信教育などは続行できなくなるだろう。しかも、かつての不法な地下銀行が息を吹き返すのは明らかだ。
そのため監督省庁である大蔵省・金融監督庁は、深慮をもって賢明な行政解釈を下してほしい。
終戦直後、「戦災に苦しむ同胞を救え」という大号令のもとに日系ペルー人は団結し、日本へと義援金と物資を送った。その相互扶助の精神は、キョウダイにも流れている。(ペルー新報日本語編集長、ペルー在住 =投稿)
朝日新聞 「論壇」1999年(平成11年)11月3日掲載
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