2011年4月9日土曜日

(墓92) 広島ペルー協会/ペルー慈恩寺で記念法要


日系校児童ら、先祖供養に感銘

 民間の国際交流団体である広島ペルー協会(小林正典会長)では設立20周年を記念し、2月後半にペルーを訪問した。訪問団の参加者は11人だった。
 19日(現地時間)には、南米最古の仏教寺院・泰平山慈恩寺(曹洞宗/リマ県カニエテ郡、無住)において、協会が施主となってペルー日系先没移民追悼法要が厳修された。導師は岩垣正道師(曹洞宗/岡山県真庭市毎来寺住職)、脇導師は清涼晃輝師(曹洞宗/同県津山市少林寺住職)が勤めた。
 岩垣師は広島ペルー協会と縁があり、平成11年にも協会の訪問団とともにペルーを訪れ、慈恩寺で法要を営んでいる。
 今回は、リマ市の瑞鳳寺(ペルー曹洞禅グループ)の僧侶らは不参加だったが、広島ペルー協会がチャーターしたバスにリマ市のペルー広島県人会(フェルナンド・カワグチ会長)、ペルー岡山クラブ(エレナ・ニシイ会長)の会員多数が乗り込み、随喜した。また、リマ市の日系校であるヒデヨ・ノグチ校(フアナ・ミヤシロ校長)の初等部、中等部(日本の中学、高校に相当)の児童生徒のほか教員、リマ市に在住する日本人有志はじめ、地元カニエテの日系人も参加。慰霊の心と温かい雰囲気に満ちた法要となった。
 法要はヒデヨ・ノグチ校の児童生徒による内陣への献灯式から始まった。続いて導師・脇導師の入堂、追悼文、散華の後に般若心経の誦経があった。日本語が読めない参加者のためにローマ字の振り仮名がついた経文が配られた。参加者は、たどたどしい口調ながらも僧侶の読経に声を合わせた。
 焼香ののち、岩垣師は「先駆者が築いた慈恩寺を皆さんは護ってきた。先駆者たちが残した『先祖を敬う』という種を皆さんが咲かせているのは素晴らしいこと。これからも、慈恩寺を護ってください」と法話を述べた。
 各県人会の参加者からは「散華の意味は?」「なぜ焼香をするの?」などの質問が相次いだ。ヒデヨ・ノグチ校の生徒は、「日本人は、死後も子孫と交流するということを実感しました」と興味深そうだった。ミヤシロ校長によると、その後数日、慈恩寺法要の話題で子供たちは盛り上がっていたという。
 法要に先立ち、同郡内のカサ・ブランカ日本人墓地およびサン・ヴィセンテ公営墓地内の日本人慰霊塔で岩垣師を導師とする法要が営まれた。南米の灼熱の日差しの下、先駆者を弔う経文が朗朗と読上げられ、参列者の焼香の列が続いた。
 慈恩寺が位置するカニエテは、首都のリマ市から南へ約150キロの距離にある。

開山堂が完成

 平成22年8月22日、本堂に隣接する事務所を改装し、開山および歴住を祀る開山堂が完成した。費用は曹洞宗宗務庁が負担した。
 堂内には開山の上野泰庵師(在籍1907~17帰国)、第二世・斎藤仙峰師(1917~19遷化)、第三世・押尾道雄師(1919~27帰国)、第四世・佐藤賢隆師(1926~35遷化)、第五世・新開至賾師(1951~53遷化)、第六世・清広亮光師(1961~92遷化)の遺影および位牌のほか、第四世の佐藤師の後任として赴任するも、カニエテを去ってリマ市に宗門公認の中央寺を開いた中尾證道師(在任1935~41帰国)の位牌も祀られている。遺影は、2007年の慈恩寺創立100周年に際し、慈恩寺有志の会が寄贈したものである。【報告=太田宏人】


写真説明
法要後の記念撮影(慈恩寺本堂)