2007年9月4日火曜日

(墓37)南米P国 不法脱出の記

この春(2002年)、南米P国へ取材に行ったら、不法滞在になってしまった。以前この国に住んだことがあり、その時の定住者ヴィザ(在留資格)の期限が切れたのだ。
このままでは、出国できない。といっても、査証更新に必要な書類と身元保証人の妻(日系P国人)は日本だ。いったん帰らないと手続きは不可能。しかし、出国できないのだ。
そこで、知り合いのA氏(入管元職員)を買収する。そして、Aさん経由で現役の女性職員Bさんに「特別な出国を」依頼してもらうことに。Bさんが空港の出国カウンターに配置される日を“決行の日”とし、航空券を予定より一日延ばす。
 ところが、その日の昼になって突如、Bさんが入国カウンターに配置されてしまった。Aさんが早々と敗北宣言。

「もうダメ。手の打ちようがない」
しかし、こっちも日本に帰らねばならない。
交渉を粘り、女性職員Bさんに「きょう出国カウンターで勤務するメンバー」を割り出してもらい、そのうちの誰かにワイロを渡し、出国させてもらう計画に変更する。F元大統領の政権以降、ワイロ摘発が増えて、以前のように“手数料”をもらう人が減っている、という。

一時間後、Bさんから連絡。「手伝ってくれる職員が見つかった」という。ところが、彼女たちが提示するギャラは五〇〇米ドル。この金額は、首都L市の高級住宅街なら5LDK新築マンションの月家賃に相当する。払えるか! そこで、一〇〇米ドルに値切る。値段なんて、あってないようなものだ。
段取りは、こうだ。まずBさんの家まで車で迎えに行き、空港へ送る。そのとき、移動中の車内で打ち合わせよう、と。

夜間勤務のBさんが家を出る時間に合わせ、午後四時に迎えに行くことにする。P国発着の国際便は夜間が多い。自分の飛行機も、深夜一時の便だ。

出発まで時間があるので、旧市街で買い物をした。その帰り、銃撃戦に巻き込まれた。
タクシーに乗り、交差点で信号待ちをしていたら突然、リボルバーを持ったオヤジが左から右へ、タクシーの眼前数メートルを駆けてゆく。そのとき、乾いた銃声。オヤジが目の前に倒れた。ふくらはぎを押さえて悶絶したのも一瞬。すぐに応射を始め、このタクシーの前方右側に回りこみつつ、尻餅をつきながら、逃げていく。

左前方からは、数人の警官が銃を水平撃ちしながら突っ込んできた。警官たちもタクシーを盾にがんがん発砲する。市街地なんか関係ない。交差点にはわれわれのタクシーだけ。このタクシーを挟んで双方が激しく撃ち合うのだからたまらない。
それ以上は、身を伏せたので見ていない。タクシーの窓は当然、木っ端微塵に砕け飛んだ。堅牢なヴィートルの斜体には弾がめり込んだ。撃ち合いは見たことはあるが、そのなかにいたのは初めてだった。

タクシーの運転手のオヤジはというと、すっかり呆然。とにかくエンジンをかけさせ(運悪く、切っていた)、交差点を渡るとクルマを飛び降りて、現場へ向かう。どうやら、何発もの弾を食らったであろう犯人のオヤジが担架に載せられ、RV車のパトカーに積み込まれるところだった。

生き延びた感動に浸る余裕もなく、Aさんと落ち合い、彼のクルマでBさんの家に向かった。クルマに乗り込むなり、Bさんは憤慨している。
「日本の態度は、いただけない」
いきなり、日本批判だ…。
「日本とわが国には査証相互免除協定があるのに、P国人の観光目的の入国でさえ、日本側はヴィザを要求する。多くのP国人が苦しんでいる(のに、なんであんたを助けなきゃなんないの?)」

とっさに、「さっき銃撃に巻き込まれたよ」と切り出すと、会話は一気にそのことで盛り上がった。Bさんも「とりあえず文句言いたかった」だけのようで、査証免除の協定を日本政府が無視していることには触れなくなった。

そして、空港着。駐車場に停車する。
Bさんが職場に向かう。彼女は、出国カウンターをチェックし、「協力者Cさん」のカウンター番号、Cさんの容貌の特徴を空港内部からAさんの携帯に電話するのだ。
待つことしばし。
一週間の取材やアクシデントによる疲れから、体が眠たくなる。意識だけは妙に冴えていたが。Aさんも、多くを語らない。
そして、Bさんからの電話。
「Cさんが何番のカウンターにいるか分からない。ただ、彼女だけが上着を着ていないって。白のブラウス。髪の毛は栗色のロング。私も入国カウンターに向かうので、これ以上は電話できない。さよなら」

 この情報だけが、頼りの綱だ。Aさんに例の一〇〇ドルを渡し、別れを告げる。
ところがまだハードルは残っていた。航空会社だ。フィックスのチケットの日付を変えたために、違約金一〇〇ドル少々を「払ってくれ」という。でも、旅行会社に立て替えを依頼しておいたのだが? 後日、日本から送金するから、と。すでに文無しだったのだ。しかし、「そんな連絡は受けていない」。
二秒ほど、放心する。懸命に意識を引き戻すと、そういえば財布に日本の消費者金融のカードが入っていることを思い出した。マスター・カード付きのヤツだ。結果は、意外なほどスムーズに払えた。国外でカードを使ったのは、初めてだった。

そして、空港税を払い、いざ出国カウンターへ。
するとそこには、栗色のロングで、上着を着ていない女性職員が二人!
 一人はベストを着ていて、ブラウスは白。もうひとりはベストなしでブラウスはクリーム色。髪の毛の色は二人とも同じ。考えていても仕方がないので、前者のカウンターに並ぶ。念のため、その女性に熱い視線を注ぐが、「衆人環境のなかで目が合った二人」程度のリアクション。あれ?

 クリーム色のほうを見つめると、視線を合わせようとしない。もしやと思い、彼女のほうに並ぶ。順番が来ると、
「あんた、間違えたわね?」
と無表情に、ボツリ。Cさんだ! ところが、彼女がパスポートを機械に通すと、すぐに上司と思しき男性職員がすっ飛んできた。
「この列からエラーが出たぞ!」
もう、今度こそおしまいか…。

Cさんは「知らぬ」「存ぜぬ」の一点張り。そんなんで言い逃れできるのか、と冷や汗が噴出する。が、上司はあっさり引き下がる。“雰囲気”を察したのかもしれない。要するに、彼も“同業者”なんだろう。Cさんは、
「怪しまれるから、ちょっと待って」と、ことさら作業を遅くする。そしてついに、彼女は出国スタンプに手を伸ばし、それをつかみ、力強く「ダーン」と、パスポートに叩きつけた。

 ところが、「まだ」あった。
 “ヒューマン・ミス”とかで、定時を過ぎても飛行機に搭乗すらできない。
もはや、なす術なし。もし、フライトが延期になれば、次の便は翌日だ。もう一回、入管職員の買収をしなければならない。まあ、それもいい。腹をくくって、飛行機が出るのを待った。

午前四時をまわり、定刻を三時間遅れた飛行機は、やっとP国を離れた。
「もうこれ以上のトラブルはご免だ」
そんな思いが、呪文のように頭の中でぐるぐる回っていた。

****
南米P国。人は「ここではどんなことでも起きるよ」という。
バスが事故を起こして乗客が死んでも、満足な保障などはない。殉職軍人の恩給さえ切り捨てられる。教会に飾られた宗教画や装飾品でさえ盗まれる。憲法も簡単に変わる。裁判もワイロ次第でどうにでもなる。国外へ亡命した元大統領が帰国して返り咲くことも珍しくない。この国で確かなことは、サッカーが国民スポーツだってことくらいだ。
多くの日本人にとって、きわめて異質な文化。でも、だからこそ、オモシロイ。


『実話GON!ナックルズ』Vol.8(2002年8月10日号)掲載

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