〔リード〕
西洋人のいわゆる “大航海時代”のはるかな以前、木造船を作る技術を持たなくとも、太平洋をとりまく海洋民族は、「葦船」で外洋を自由に航海し、彼らの航路である「海の道」は、島と島を結ぶだけではなく、南北アメリカやユーラシア、そして日本にも達していたはずだ――。葦船による環太平洋の民族と文明の交流を証明するため、葦船に身を任せ、風と潮流と星をたよりに日本から北米へ、太平洋横断に挑む一大計画「カムナ・プロジェクト」が始動した。GOKUHでは、あらゆるメディアに先駆け、葦船カムナの代表である石川仁さんに独占インタビューを敢行! 葦船の魅力を存分に語ってもらった。
〔本文〕
冒険家は、自分が冒険家だということを自覚しないらしい。「やりたいことをやっていたら、いつのまにか、そう呼ばれる」
石川仁、35歳。彼も、都会で暮らす違和感を覚えたとき、ふと気がついたら、インドやアフリカにいた。そして、サハラ砂漠を横断し、イヌイットと衣食住をともにし、カヌーでアマゾンを下っていた。南米のチチカカ湖を手製の葦舟で巡ったこともある。
そして今度は、葦で編み上げた太い束を何本も縛り合わせただけの「葦船」に乗って、日本からサン・フランシスコまで、1万キロの太平洋横断に挑む。
けれどもそれは、古代海洋民族の「海の道」を実証するためだけの冒険じゃない。彼は心から、葦船やその航海が好きなのだ。
チチカカ湖やペルーの太平洋岸で、太古の昔から使われてきた葦舟。石川さんが作るのは、あの舟をそのまま大きくしたもの。
動力は帆に受ける風、そして、潮流だけ。しかも古代人と同じ「スター・ナビゲーション」で航海する。船の名は「カムラ」。
アメリカへの出航は2005年の予定で、本格的な準備は今年(2003年)から。1月19日には、日本での試作第1号(小型船)を高知で完成させた。今後はワークショップ「葦船学校」やイベントを各地で開くほか、来年には、PRと処女航海をかねて、カムラ号で日本の沿岸各地を巡航する。
だけど葦船は、言ってみればただの「葦の束」。水に濡れて分解するリスクはないのだろうか? 石川さんは、
「古代人の智慧が結集したのが葦船。太平洋横断は可能ですよ」と断言する。
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自然と人間を結ぶ航海
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じつは石川さんはこれまでも、スペイン人のキティン・ムニョス氏をリーダーとする葦船「マタランギ」に2回参加した。「マタランギⅡ」号では約3か月、続く「マタランギⅢ」号では約1か月、「風を感じ、自然のコトバを聞きながら、自然と一体化できる」洋上生活を送った。
出航して2週間くらいは「彼女のこととか、『ラーメン食いたいな~』とか考える」が、それを過ぎると「陸(おか)のことを懐かしくならない。というか、古代の葦船で航海を続け、甲板に寝転がって空を眺めたりしていると、まるで自分が大昔の人間になったような気がしてくる」という。
葦船の周りは、多くの小魚が不思議に集まる。大きな魚も集まる。だから食事は魚中心。刺身にしたり、焼いたり、スープにしたり。クジラやイルカも姿を見せる。単純なことが、ひどく楽しい。
「海が荒れたり、船体が傷んだり、船の周りを泳いでいたらサメが襲ってきたりと、ほどよい刺激はあるんですが、あとは『風が運んでくれる』って感じになりますね」
そのうちに、
「僕らが船に『動かされている』ような気持ちになってくる」
乗っている人間が『行きたい場所に向かう船』ではなく、“自然の意思”によって『行くべき場所に運ばれる船』。ありのままの自然に身を任せる。自分が自然の一部だということを理屈抜きで体感する。
といっても、石川さんは最新のテクノロジーを否定しない。カムナ号の航海では衛星電話とネットを使って、ライブ中継を行う計画もある。
「ありのままを“自然”とするなら、地球に生きる人間が生み出した物質文明もやはり、“自然”の一部だと思うんです」
太古の智慧と現在の科学技術が融合すれば、新しい世界が作れる――。
「僕たちの葦船そのものが、未来へのメッセージでもあるんです。しかも、葦には水質を浄化する性質もあります。いろいろな意味で、“葦”はすごいと思う」
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驚異の葦船テクノロジー
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現在、南米では大きな葦船は作られていないが、インカ帝国末期の16世紀には、外洋を航海する巨大な葦船が、スペイン人によって目撃、報告されている。
さらに、ペルー北部から出土した紀元前500年頃の遺物にも、外洋を航海する“蛇のような大型船”が描かれている。
古代ペルー人は、南太平洋を自由に航海していたのだようだ。実際、1947年にノルウェーのトール・へイエルダール博士が筏(いかだ)の「コン・ティキ」号でペルーからポリネシアまで横断し、古代人の高度な航海技術を証明した。しかし、ヘイエルダール博士も指摘するように、古代船は筏だけではなかった。むしろ葦船こそ“主役”だった可能性が高い。
その葦船。実際に乗ってみると、予想通り(?)、船体は柔らかいそうだ。
「波を乗り越えるときは、船体が波に沿って『ヘ』の字に曲がる」という。まさに、「蛇のような船」だ。
99年、チリを出発した「マタランギⅡ」号は、途中で船体が真っ二つに折れた。船が長すぎた。「船体が曲がるとき、中央部分への負荷が強烈になった」
船は分断された。でも、沈まなかった。もともと船内に空洞がないからだ。
「マストが残ったのでなんとか航海を続けたけど、かえって船足が速くなった」
そして出航から88日後、みごとポリネシアのマルケサス諸島に到着! そして船を浜に引き上げてみると、船体の内部の葦は乾いていたのである。さらに、葦束には、種をつけた無数の穂も含まれていた。
「古代人は行く先々でこうやって葦の種を落としていったんだと思います」
船が着いた浜には、次の年に葦の群生ができ上がる。その葦を使って、もう一度、船を製作できるわけだ。
「木造船を作る技術は非常に高度だと思います。でも葦船は、葦とナイフがあれば誰にでも作れる。船が壊れても、材料の再生産が速い。理にかなった船です」
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環太平洋は同じ文化圏
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南米やイースター島、そして日本にも遺伝的に同じ「葦」が自生している。種子が太平洋を泳いで渡るわけはない。人の手を介した伝播と考えるのが自然だろう。
日本から東へ――。前人未到の葦船での東回りの太平洋横断が成功すれば、「海の道」が実証される。つまり、先史時代における環太平洋の文化・民族交流が疑いのない「事実」になるのだ。
石川さんによれば、北米のネイティヴ・アメリカンも葦船文化を持つという。南太平洋の島々やヴェトナム、また、高知県でも以前は葦舟を作っていた。そういえば、日本の古い名前は、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)だ。
さらに、ペルー北部の太平洋岸で葦舟漁を続ける人たちは、正座をする。正座は、イースター島の先住民の習慣でもある。
ペルー・南太平洋・日本に共通するいくつかの符牒。それは、葦・莞、葦舟、正座だけではない。アイマラ語やケチュア語を話す南米のネイティヴの子どもには、蒙古斑がある。彼らは、遺伝学的にはアイヌや沖縄系とかなり近縁なのだ。
インカ人が信仰したビラコチャ神は、インカの支配が始まる前、人々に学問や法律や技芸を教えたという。そしてのちに、大きな船で「西の海上へ」去っていった――。ビラコチャの古い名はコン・ティキだ。
一方、南米大陸の西の海上に位置するポリネシア一帯には、白い肌をした古い部族がいた。一八世紀に西洋人がはじめてイースター島に上陸したさいに、少数だが、肌の白い長耳族を目撃している。彼らは、文化を教えてくれた神として「ティキ神」を信仰していた。ティキも長耳族も「東の海上から」やってきたといわれている。
ビラコチャ神の日本版(?)が少名毘古那神(すくなびこなのかみ)だ。この神は大国主神とともに国土経営に携ったのち、海上の彼方に去っていった。『日本書紀』のある伝承によれば、東の海上の理想郷へ渡ったという。「東の海上へ」である。
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プロジェクト、始動
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刺激的な情報に絶えずさらされ、イマジネーションを久しく忘れてしまうと、「現実」を測る尺度までマヒしてしまう。
太平洋のど真ん中で、水にふやけて分解するかもしれない葦船にいのちを預け、大海原に乗り出す石川さんや彼の仲間たちの旅を、いったい僕たちはどこまで、皮膚感覚をともないながら感じることができるのだろうか?
彼らが体感する風の意思をカラダに感じ、そしてまた、疾走する潮流に運ばれ、太平洋を渡る自分自身を想像するためには、子どもの頃、誰もがかつては持っていたイマジネーションの翼を広げ、自然との一体感を取り戻せばいい。ただ、それはけっこう、カンタンではなかったりする。
だから石川さんのまわりには、「無謀、大胆、非現実的、命知らず」etc…といった否定的な形容詞が飛び交うのだろう。
だが、夢にかける人間のパワーは、ときに無限だ。
遥かなるロマンを載せて…。「カムナ・プロジェクト」がいま、胎動をはじめた。
〔コラム〕
石川さんへの応援メッセージ:office@kamuna.net
カムナ・プロジェクトのWebサイト:http://www.kamuna.net/
〔頭注:キャッチ〕
葦船をめぐる11のキーワード
〔頭注:本文〕
●太い束を何本も縛り合わせただけの「葦船」/葦船の作業工程はシンプルだ。まず、刈り取った葦を麻縄で縛り「葦束」を作る。これを葦の筵(むしろ)で包み、「円筒」を作る。この円筒を数本縛り合わせて、船体とする。
●スター・ナビゲーション/太陽や星を利用する航海術。ミクロネシアやポリネシアに伝承される。
●カムラ/“永遠の神”や“神の眼”を意味する古代日本語という。「インスピレーションをマンガから受けた。とくに意味は考えなかった」。
●マタランギ/南米先住民の言葉で「天空の瞳」を意味する。97年から02年まで計3回の航海を行った。マタランギⅠ号はイースター島を出航直後にトラブルのため中止。Ⅱ号はチリから日本へ向けて出航、途中で船体が切断するものの、出航から約3か月後にポリネシアのマルケサス諸島へみごと到着。Ⅲ号はモロッコからコロンビアに向けて出航するが、1か月後に船体が曲がり、大西洋横断を断念した。石川さんはⅠ号では葦船作りに参加。ⅡおよびⅢ号に乗船。
●食事/マタランギ号にはコンロを備えたキッチンがあった。缶詰も積み込んだが、ほとんど食べなかった。水は7人の乗組員で1日約20リットル、という計算で積んだ。しょう油は必需品だったとか。ビタミン補給のため、石川さんは魚の腸も食べたが、他の西洋人クルーは腸を食べず、ビタミン剤を飲んでいた。
●外洋を航海する巨大な葦船/インカ帝国が征服された当時、クスコには、ペルーの太平洋岸からイースター島までの航路を正確に把握しているインカ人が多数いたと、征服者たちは記録している。クスコの標高は3000mを超えている。
●葦/正確には葦ではなく莞(ふとい)という植物。ペルーやボリビアではトトラと呼ばれる。日本の葦は葭とも書き、「よし」ともいう。葦(葭)はイネ科の多年生草本。莞(トトラ)は、カヤツリソウ科の多年生草本。世界的に有名な植物学者が、トトラ舟を「葦舟」と和訳し、定着した。トトラは、現地では広く使われる用材で、チチカカ湖にはトトラの浮島がある。
●豊葦原瑞穂国/葦が繁り、稲穂が実る豊饒の国。葦原中国(あしはらのなかつくに)など、その他の日本の美称にも「葦」が使われる。なお『古事記』では、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が水蛭子命(ひるこのみこと)を海に流した舟は「葦舟」である。
●葦・莞、葦船、正座だけではない/【土器】南米のエクアドルでは、縄文土器とそっくりな土器が出土した。【料理】ペルーの地元料理・パチャマンカ(焼石を使った土中での調理)は、縄文人の調理法。【鳥居、注連縄】神社の鳥居は、南洋諸島の固有の文化でもあった。日本の神社の注連縄(しめなわ)には、南米の葦舟と酷似したものがある。【石の文明】インカ時代以前からの城塞やピラミッドなどの巨石建築や、イースター島のモアイ、沖縄の海中遺跡、日本各地に存在し、神社の原初の姿とされる磐境(いわさか)、もしくは環状列石に、ある種の共通性が指摘できる。「君が代」に歌われる「さざれ石」は、霊力を持つ石。日本にも、石の信仰が存在していた。
●ビラコチャ神/ビラコチャ、コン・ティキ、ティキ、長耳族については、『太陽と風の航海誌』(キティン・ムニョス著、翔泳社)を参考にした。この本によると、スペイン人がインカ帝国を滅ぼした当時、インカの貴族にも「大耳族」と呼ばれ、ビラコチャの末裔と名乗る白い肌の人々が実際に生きていたという。
●長耳族/イースター島のモアイ像の耳は長い。そこでモアイは、長耳族が作ったとされている。
〔石川仁Profile〕
1967年、千葉県生まれ。本場・南米チチカカ湖で葦船作りを学んだ数少ない日本人のひとり。葦船カムナの航海は、学術的にも注目を集めている。
〔2ページ目:キャッチ〕
葦船は未来へのメッセンジャー。そして、太古へ旅するタイムマシン。
〆
バウハウス刊『GOKUH』03年3月号掲載
合掌しません。
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