2007年9月3日月曜日

(墓6)紛糾/存在する理由が消えた? 海外日系新聞協会

海外日系新聞協会(加盟十七社)の年次総会が10月12日から東京で始まった。初日、会場となった海外日系人協会の会議室では、海外日系新聞協会のあり方をめぐって議論が紛糾し、収拾が付かなくなった。協会は、存続の危機に瀕している。

海外日系新聞大会は、もともと日本政府の総理府の援助で26年前に始まったもの。海外移住者のための日本語新聞の経営トップや編集の責任者を招いて、会員各社の交流と親睦を深める会としてスタートした。
南北アメリカ大陸の経済格差や、報道の仕方に大きな差をかかえつつ、いろいろな企画を作り、「年に一回の親睦の場所」として緩やかに運営されてきた。ところが、第20回大会以降は日本政府からの援助がなくなり、協会自体での自主運営の努力が求められていた。

そのなかで打ち出されたのが会員社の拡大。しかし、世界の日本語報道機関は、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北米において「移住者」ではなく「新しい日本人」が対照となっている。また、新聞だけではなく雑誌、情報誌、さらには新聞の形をとっているものの無料配布紙(広告収入で運営)も多数表れ、かなり種類が多くなっているのが現状で、それらの新勢力と、移住地で100年近く前から発行されてきた「邦字紙」との折り合いをつけることがここ数年の課題だったが、古い会員らの暗黙の了解で結束をしてきた。

しかし各社は、かならずしも毎年同じ出席者を送り出さず、今年は事情を知らない見学会員らがこれまでの協会のあり方を一方的に批判、親睦の雰囲気もなくなった。また、準備を進めるはずだったポール・エンプクさん(ハワイ報知社長)が病気で動けず、準備が万端ではなかったことなどもあって、初日の話し合いは無気力な雰囲気が充満し、「こんな会は廃止しろ」「馬鹿にするな」「企画の意味が分からない」などの意見が噴出した。 また、会員各社の相互の利益拡大も会則に掲げられているが、これだけ立場が違うことと、年に1回しか会合をもたず、実務方を担当する者がいないこため、去年の決議が今年になっても進んでいないことなども、初めて出席した者には不快だったようで、ギクシャクとなった。

ペルー新報社の代表は、第一日目の会議をもって退席した。今大会は15日まで続くが、以降は欠席することに決定、今後、協会からの脱退も含めた検討に入っている。 その理由は、①会費200ドルが貧困国ペルーの我が社にとって負担であること。②今回、日本への旅費は、レアル旅行社と本紙の広告を交換することで捻出したが、滞在の経費が参加者個人の負担であること。③会社から支給される経緯費以上は出席者が自腹を切るのだが、会議への出席にそれだけの出費をかける魅力がないこと。 これらの理由を考慮し、残りの日程は日本で働く同胞の取材や営業活動にあてることに決定した。

1999年10月中旬
『ペルー新報』『サンパウロ新聞』掲載

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