2007年9月4日火曜日

(墓66)余所者の血祭り/アブシバライ

見知らぬ集落を自分の足で旅するとき、ふいに恐怖に襲われる。心霊関係じゃない。土地の人だ。この国には、訪問者を神にあがめるマレビト信仰があった反面、余所者をなぶり殺す風習もあった。貧困がそうさせた。ケガレを運ぶ者への忌避もあった。「村人に惨殺された落ち武者」、である。

旧暦4月中旬に行われたアブシバライでも、他郷の者が“犠牲”になっていたのかもしれない。
アブシとは沖縄や奄美、山口などでいう畦(あぜ)のこと。漢字は「畦祓」。祓え神事だ。沖縄ではかつて、この日に村中の男女全員が浜に出、一日遊んで暮らした。本来は害蟲駆除の呪法だった。畦で祓いをするわけだ。ところが後世、「磯遊び」と一体化していく。

磯遊びは、春先に全国で行われていた年中行事。原初は物見遊山ではなく、「家にいるのが危険な日」だったために、食料を持って浜に避難した。家にいるのが危険というのは、この日に神がやってくるから。いい神様だろうが悪い神様だろうが、神が移動するさい、人は息を殺して慎むというのが古来の姿だった。畏れであり、物忌み。信仰心が薄れると、集団で遊ぶ面白さが突出する。明治以前に禁止されたが、京都市左京区大原の産土江文(うぶすなえぶみ)神社で行われた「大原雑魚寝」のような行事になる。これは節分の夜に、村民が拝殿やその付近の暗闇の中で、男女の分かちなく夜を明かす風習で、実態は乱交の極地だったらしい。

アブシバライの凄いところは、害蟲を演じる者がいたことである。村では誰かひとりの男を洞窟などに閉じ込めて一日中、食事はもちろん、一滴の水も与えなかった。害蟲が餓死する様子を「予行」したわけだ。予行や予言、予祝は現実を引き寄せる。大昔は村の掟で誰かを指名したが、のちには金で雇った。通りすがりの旅人に“頼んだ”ことも想像に難くない。

かたや酒宴、かたや餓える男。一方では性、一方では暴力。日本の祭りは正邪が同居する。
〔ミリオン出版『漫画実話ナックルズ』2004年掲載〕
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