--トータルケアとしての在宅医療の実践(静岡市・たんぽぽ診療所)--
●2006年1月に開院した「たんぽぽ診療所」(静岡市駿河区中吉田)。このクリニックの特徴は「在宅」と「スピリチュアルケア」である。同診療所の取り組みをリポートするとともに、「人をしあわせにする医療」を真剣に追求する遠藤博之院長の在宅診療にかける思いを聞いた。
スピリチュアルケアとの出会い
たんぽぽ診療所・遠藤博之医師(41)の往診に同行した。
さまざな理由から、医療機関へ行くことができない患者がいる。「自宅で死を迎えたい」という患者もいる。そして患者同様に、心身の危機に直面する患者の家族がいる。遠藤氏の往診は、こういった人たちに、微笑みという名の優しさを配り歩いているようだった。
遠藤氏の行動から、cliniclownを想起する人もいるかもしれないが、遠藤氏は芸達者ではないし、あくまでも「微笑」であって、爆笑につながる笑いではない。朴訥とした語り口からも、話術の巧みさは特に感じられない。何か特別な行動で笑いを取ることもない。存在自体が微笑みを誘う。まさに「たんぽぽ」の花のイメージだ。
「どんな人に対しても、陽性の気持ちで接したい。人が死ぬことは仕方がないが、人々をしあわせにする医療に携わりたい」と遠藤氏は語り、日々、それを実践している。
たんぽぽ診療所を開院する前の遠藤氏は、静岡済生会総合病院(静岡市駿河区小鹿)の緩和診療科科長だった。同病院では15年間、勤務した。
当初は、同病院の腎臓内科に籍を置いていた。専門は透析。そして、透析を受ける患者との交わりや看取りの経験から、病院内に「緩和ケア研究会」を立ち上げた。同研究会を始めた背景には、「苦しみを持つ医療従事者の助けになりたい」との思いがあった。研究会は月に1回のペース。参加者は有志で、病院内で行った。
遠藤氏はのちに緩和診療科に移り、緩和ケアチームを育てあげた。
「緩和ケアの対象になるのは、身体的・精神的・社会的、そしてスピリチュアルな痛みです。以前、これらの痛みは並列するものだと思っていましたが、身体的・精神的・社会的な痛みは、スピリチュアルな痛みに内包される存在だという説を聞いて、納得したことがあります」と遠藤氏。「スピリチュアル」という用語が意味する範囲は、実際のところ不確定である。遠藤氏は、窪寺俊之氏(関西学院大学神学部教授)の説を踏まえ、「もう頼るものが何もなく、弱り果てた危機的な状況のなかでも、生きる力や希望を見つけ出そうとする機能」と説明する。それは、人によっては霊的なものであったり、宗教的なものであったり、そうでなかったりする。パーソナリティーが十人十色であるように、スピリチュアリティーも人によって違う現れ方をする。
遠藤氏が目指したものは、スピリチュアリティー全般に対するトータルケアだった。当然、身体的・精神的・社会的な痛みに対するケアも含まれる。
「日本の緩和ケアというと、がんの終末期の疼痛コントロールを連想することが多いのですが、対象を終末期に限定せず、『人が人として過ごしてゆくこと全般』に寄り添いたいと思いました」と、遠藤氏は語る。
「緩和ケア研究会」も「スピリチュアルケア研究会」へと名称変更となったが、遠藤氏が同病院を退職する直前の2005年11月まで計118回、約10年間も続いた。
また、ある透析の患者を在宅で看取った経験などを通し、「開業するなら在宅医療を行いたい」と考えたという。在宅での素晴らしいスピリチュアルケアは、これまでも数多く報告されている通りである。
総合病院での15年間の勤務は、遠藤氏のベクトルを「在宅」と「スピリチュアルケア」へと決定的に方向付けたようだ。
もともと遠藤氏の医師としての出発点は、他の医師とは少し違っていた。国立山梨医科大学(現・山梨大学医学部)の医学生だった当時、哲学を担当するある教員に、非常にかわいがられたという。
「恩師には、『医学する心』や『人として生きていく心』を教えていただきました」
1989年に大学を卒業。ホスピスが注目されていた時代背景もあり、静岡県浜松市の聖隷三方原病院・ホスピス病棟でも研修を受けた。このほかにも多くの医療施設と診療科で研修を受けたが、そのなかで腎臓内科に出会った。そこでは、死のリスクに直面しながらも、黙々と病院へ通い、透析を受ける患者たちとの出会いが待っていた。
研修期間が終了すると、静岡済生会病院の腎臓内科へ入局。
済生会病院ではチーム医療体制をとっているので、主治医を特定しない。ところがどういうわけか、遠藤氏が当番のときに患者が死を迎えることが多かった。これを、遠藤氏は「縁」と呼ぶ。
さらに「遠藤先生に看取ってもらいたい」と名指しで希望する患者も少なくなかった。遠藤氏を取り巻く死の影は、陰性ではなく、陽性なのだ。そのことを誰よりも実感していたのは、まさに死にゆく患者たちだったのだろう。
年齢的なことや、周囲からの奨め、さまざまな「縁」などの要素が重なり、昨年12月に静岡済生会総合病院を退職。今年1月、たんぽぽ診療所を開院した。「たんぽぽ」という名称は、星野富弘氏の詩「花に寄せて」からインスパイアを受けた。
たんぽぽ診療所の開院後も、週に1回、遠藤氏は静岡済生会総合病院での診察を続けている。看護師の人的交流も続く。実際的な病診連携が展開されているのも、たんぽぽ診療所の特徴のひとつである。
たんぽぽ診療所の船出
スピリチュアルケアを標榜する在宅医療。そしてその「在宅」は、在宅ホスピスや終末期のペインコントロール等に限定せず、守備範囲はもっと広い。また、患者本人だけではなく、その家族をもケアの対象とする――。これが、開院にあたっての遠藤氏のヴィジョンだった。
「クリニック開院を専門にする会計士に相談したところ、ヴィジョンは100点満点の評価を頂いたのですが、『これでは経営が成り立たない。地域診療を担うクリニックとして、経営基盤を固めるように』とアドバイスを受けました」
経営方針は変更を余儀なくされたが、遠藤氏のヴィジョンは周囲へ波紋を広げた。たとえば、静岡市で調剤薬局のほか、グループホームやデイサービス施設、居宅介護支援事業所などの介護事業を幅広く手がける有限会社アイドラッグ(石川優子社長)が、たんぽぽ診療所の開院に合わせ、いわゆる門前薬局となる「すずらん薬局中吉田店」を開店。常勤の管理薬剤師は、介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格も持つ杉山優香氏を配属した。杉山氏は遠藤氏の往診に毎日同行し、患者や家族の同意を得てから、服薬指導を行う。
「まだ始めたばかりなので、中吉田店については経営的には大変ですが、遠藤先生の在宅医療の方針は正しい。『こんな先生が欲しかった!』という気持ちがあるので、遠藤先生と一緒に頑張っていきたい」(石川社長)。
また、たんぽぽ診療所の周辺には開業医が少なく、地域にとって「待望のクリニック」でもあった。近所の高齢者は、たんぽぽ診療所の開院を事前に知ると、その喜びを表現するため、診療所にグランドピアノを贈った。足腰の弱い高齢者にとっては、楽に歩いていける診療所は、それほどに嬉しい存在だった。ピアノは現在、待合室横の「たんぽぽルーム」に置かれ、時おり、誰かが弾いている。
開院を喜んだのは高齢者ばかりではない。同クリニックの診療科目は、内科・緩和ケア・腎臓内科・在宅診療。小児科は標榜科目ではないものの、子どもの患者も自然と訪れるようになった。優しさあふれる遠藤氏は、小児科医に「向いている」のかもしれない。本人も、子どもが好きとのこと。また、遠藤氏の人柄をそのまま体現したような診療所内部の雰囲気は、他の子どもクリニックと比較しても遜色はない。さらに、
「スピリチュアルケアを打ち出しているので、うつ病の患者さんも来ます」(遠藤氏)。まさにオールマイティな診療を行う、開業医の真骨頂といったところか。
「総合病院で働いていたときは、専門分野の文献を一生懸命読んで、最新の医療の提供を心がけていました。ところがいまは、そういうことはしていません。しかしこれはこれで、毎日が楽しい」と遠藤氏。
総合病院は、イレギュラーなことを排除する。外来受付も、時間が来れば問答無用で終了。待ち時間が長いのは当たり前。検査結果の数値が診療を決定し、服薬も、医師の処方に絶対服従。それを遵守できない患者(家族)にはネガティブな評価が下される。そして「最先端の医療」を提供しない開業医を見下す――。総合病院には、大なり小なり、こういった傾向があるのは否めないだろう。
「でも実際には、患者さんやご家族の都合だとか、治療内容に対する理解度だとか、いろいろなことがあって、完璧にはできないケースもあります。そういった(イレギュラーな)部分に、柔軟に対応するのが開業医です。私自身も、多少はルーズで、人情味があるほうが好きなので」と遠藤氏は語る。さらに、
「当院の看護師は、ある総合病院の出身なのですが、開業医の世界に飛び込んでみて、開業医が地域で果たす役割の大きさに驚いています」という。そして、
「最新の医療が必ずしも人をしあわせにするとは限りません。たとえば、総合病院では高価な新薬を処方しますが、効果がほとんど変わらないのであれば、新薬に比べれば遥かに薬価が低い薬でもいいわけです。国民の医療費を抑えるためにも、こういった選択肢は重要です」と、遠藤氏は考える。
また、知的障害ではないものの、理解度の低い患者や家族に対しては、間違った服薬をしても大きな問題が出ない処方を心がけているという。
前出の薬剤師・杉山氏も、「訪問することで、どのように薬を飲んでいるかを把握できます。服薬指導は、『きちんと薬を飲んでいないから、あなたは駄目だ』と批判するためのものではありません」
相手のテリトリーである家庭に伺い、相手の話をじっくりと聞く。そして、一緒に解決策を考える。杉山氏のスタンスは、遠藤氏のスタンスとズレがない。杉山氏を信頼する患者や家族が多いのも、首肯できる。杉山氏は、迎えられて臨終の場に立ち会うこともある。むろん、保険点数などは付かない行為だ。
患者の家族もケアする往診
たんぽぽ診療所の診療時間は、月・火・木・金が9:00~12:00/14:30~18:00。現在のところ、水曜日は済生会病院での外来診察のため終日休診。土曜日は9:00~13:00。
通常の往診は、遠藤氏と杉山氏、看護師の3人でチームを編成する。しかし往診に充てられる時間帯は12:00~14:30のみである。1日の往診軒数は約2~4軒。このほかに、グループホームも1軒往診する。正直なところ、昼食をゆっくり食べる時間はない。
「1軒に対し、平均で1週間に1~2回は往診します。亡くなりそうな患者さんの場合は、日曜日も含め、毎日伺います」と、遠藤氏の往診頻度は高い。
むろん、ある一線以上はボランティアになる。杉山氏の場合も同様で、在宅での服薬指導は、患者が要介護の場合は介護保険の適用になるが、そうではない場合、介護保険での点数は付かない。
通常は、たんぽぽ診療所と連絡を取り合って、処方箋は訪問前に書き、必要な薬を携行する。
「でも、実際にお宅へ伺うと『あれがない』とか『間違えて飲みすぎてしまった』など、いろいろなことが起こってるんです」(杉山氏)
そういう時は処方を追加したりして、その日の夕方、杉山氏かたんぽぽ診療所のスタッフが届けることもある。
なお遠藤氏は、診察代を払えない人からはお金をもらっていない。
往診範囲は特に決めていないが、診療所および遠藤氏の自宅から車で数分で行けるところが望ましいという。かなり遠方の患者が往診を依頼したこともあるが、「何かの緊急事態が起こったときには対処できない」と申し添えたところ、依頼は取り下げられた。
遠藤氏が担当する在宅の患者の疾病別の比率は、腹膜透析の患者が50%、がん終末期の患者が40%、脳卒中等で寝たきりとなった患者が10%。
記者が同行した日の往診では、3人(2軒)の患者を診察した。
【Aさん】大正生まれの女性。既往症は糖尿病、慢性腎不全、慢性心不全。2005年冬、心不全が悪化し総合病院へ入院。一時、人工呼吸器を装着。腹膜透析を始めることで危機的状況から脱却し、呼吸器もはずれ、病状の安定を待って自宅療養となった。現在は腹膜透析、インスリンの注射を自宅で継続中。
【往診風景】いわゆる寝たきりの状態だが、ユーモラスで非常にかくしゃくとしたおばあさんである。遠藤氏との会話も淀みない。診察を受けながら、家族のことや庭のサクラの木のことなどを遠藤氏等と談笑。往診について尋ねると、
「遠藤先生にはとてもよくしてもらっている」と、真顔で答えていた。
たんぽぽ診療所の往診時に、たまたま訪問看護ステーションの看護師が居合わせ、遠藤氏の診察をサポートする。業種や組織を超えて、自然とそういった協力体制が確立されているようだ。
往診時間は約30分。
【BさんとCさん】ともに昭和初期生まれの夫婦。Bさん(夫)は脳梗塞にて日常生活が不自由。また前立腺肥大にて排尿困難なため膀胱カテーテル留置中であるが抜管を検討中。総合病院よりの退院にあたり、遠藤氏が往診フォローをしている。往診中にCさん(夫人)の高血圧も見つかり、これも治療中。Cさんは弱視も疑われる。夫婦の服薬管理はCさんが担当しているが、Bさんのケアマネージャーが「飲み間違い」の可能性を指摘。
【往診風景】二人で合計約30分の往診だった。Bさんと同じくらいの時間をかけてCさんの診察をする。Cさんは血圧も高く、体調が悪い。また、前出のケアマネージャーによると、Bさんの在宅療養が始まってから、Cさんはほとんど外出ができないという。
遠藤氏は血圧を測りながら、Cさんから食事内容などを聞き出し、やんわりとしたアドバイスを送る。ふいにCさんが冗談をいう(普段は、遠藤氏に冗談など言わない人らしい)。そうやって打ち解けていくのが傍目にもよく分かった。杉山氏は、薬をどうやったら飲めるか、ということについてCさんとあれこれ打ち合わせた。
* * *
遠藤氏の念頭には「家族のケアを誰がするのか?」という問いが常にある。
「死期が迫っている患者さんの場合、往診で必要とされるエネルギーを100とするなら、50%はご家族のため、残り50%は患者さんのために使う」という。
また、患者が亡くなってからは、遺族のためのグリーフケアにも携わっている。
「終末期ではない患者さんの場合でも、10~20%のエネルギーは、ご家族のために使いたいのです」
開院から間がないためか、遠藤氏は精力的に活動している。静岡済生会総合病院で行ってきたスピリチュアルケア研究会も、「たんぽぽの会」という名称で継続中だ。今回は、一般にも門戸を開放し、第1回「たんぽぽの会」は他施設の医療スタッフをはじめ、大勢の参加を得て盛況だった。
また、居宅療養管理指導実施施設の指定を受けたため、24時間体制である。ところが、医師や看護師を増やすための財政的な余裕がない。
「僕にも突発的な事態が起こる可能性もあるし、家族との時間も大切にしたい。今後は、そのあたりをどうしていくかが課題」と遠藤氏。他の開業医との連携を視野に入れながら、遠藤氏をはじめとする「たんぽぽチーム」は、日々、往診を続けている。
[Home Care MEDICINE2006年夏号:Frontier Report ]
診療所の写真はこちら
●リンク先
たんぽぽ診療所 と すずらん薬局(別ウィンドウで開きます)
このページの先頭へ
記事の墓場HP
(メインページへ飛びます)