「人間性を持たない研究開発が、人間に益することはない」
~産総研35億円事件の取材メモ~
ライター・太田宏人
(2006年)9月22日発売の「週刊金曜日」に、産業技術総合研究所(産総研)のつくばセンター第6事業所を舞台にした35億円事件を告発する記事を書きました。勇気ある内部告発がなければ、この事件は表面化さえしませんでした。事件のあらましと、取材をしながら考えたことを書いてみたいと思います。
●児戯もしくは悪質な冗談?
記事の内容は、①第6事業所で35億円にものぼる公金が無駄遣いされていること。②実験動物の管理が、あまりにもずさんである―という2点です。
35億円とは、膨大な金額です。いったいどんな無駄遣いかというと、「実験施設(6-13棟)を作ったら、まったく使えないシロモノだったので、産総研ではなく、外部の施設を有料で借りた。外部だと何かと不都合なので、今度は、産総研内の使えない施設を改修して、使えるようにします」という顛末です。35億円のうち、幾ばくかでも私的に流用された証拠があれば刑事告発も可能でしょうが、誰も責任をとらず、このような児戯にも等しい愚行が、現在も続けられているのです。
②に関しては、産総研の第6事業所におけるカルタヘナ法(*)違反は、政府も認めています。
産総研35億事件を告発したのは、第6事業所で実験動物と施設のメンテナンスを行なっていたアニマルサポート社(岩崎啓吾社長)です。同社は2004年にも、東京理科大学の実験棟(千葉県野田市)の実態を内部告発しています。そのさい岩崎啓吾さんに取材し、原稿を書きました。以下、その一部を抜粋します。
理科大の実験施設の実態は「驚愕」そのもの。動物はマウスを使っていたが、普通は数匹しか入れてはいけないケージに、雄雌を入れっ放しにするので、勝手に繁殖し、それをさらに放置するため、最終的には何十匹にもなってスシヅメ状態で共食い。こうなると、岩崎さんらが、尻尾を引っ張って頚椎を脱臼させて殺したり、死に至る量の麻酔を投与したり、場合によっては首を鋏で切るなどの「処分」をする。もちろん、こうならないようにするのは研究者の義務だが、彼らはそんなことには関心がない。研究者が少し気をつけていれば、無駄な間引きを防げるはずなのに。
これが、普通の現場だ。生命倫理的にもおかしいが、もっと変なのは、「実験施設内で勝手に繁殖する」ということ。こうなると、個体を特定できない。遺伝系統は不明になってしまうのだ。そしてそんなマウスが、さも遺伝系統が分かっているかのようなIDをつけられて論文に書かれる実態に、岩崎さんたちは憤った。
さらに「可哀想だから」(可愛いから?)という理由で、若い研究者や学生が、遺伝子改変マウスを自宅に持ち帰ったりしていたそうだ。実験施設の外を徘徊するマウスを、近所の住民が目撃したこともある。バイオハザードという言葉を、この子たちは理解していないのだ。
「これで『科学』が成立するわけがない。なんのための実験なのか?」と岩崎さん。税金を、外部のチェックも受けずに湯水の如く使えるような環境にいると、感覚が麻痺して、小学生でも分かるような善悪の判断さえできなくなるのだろう。幼稚だ。日本の科学のベースにも「幼児性」がはびこっている。(漫画実話ナックルズ/2005年12月掲載原稿を一部修正)
●市民が検証できない科学行政
もしもあなたの住んでいる場所の自治体で、1000万円の無駄遣いが発覚したとします。「市役所の倉庫を作った。しかし、雨漏りが激しいので、民間倉庫を借りたものの、やはり不都合があるので、市役所の(使えない)倉庫の屋根を改修する」というようなケースを想定しましょう。1000万円というのは、産総研35億円事件に比較すれば、「わずか」350分の1の金額です。しかし、大問題になります。市長の対応の仕方によっては、リコール請求されることもあるでしょう。
1000万円といわず100万円でもいいでしょうが、とにかく、自治体ではここまで住民の監視ができます。しかし国が管轄する科学行政の内部は、本当にダークゾーンです。軍隊に対するシビリアン・コントロールという言葉がありますが、この言葉は、いまは自衛隊だけではなく、科学行政にも適応されるべきでしょう。
よく、「タダ酒(誰かのおごり)は何杯でも飲める」などと言います。自分の懐がダイレクトに痛まない出費に対して、財布の紐は緩みがちになるものでしょうか。産総研事件にも、どうも同じ臭いがします。科学の「先端」を担う学者たちこそ高潔な人間性を有して欲しいものですが、現実は理想とは反しています。
彼らの人間性の低さについて、岩崎さんもたびたび指摘しています。私も、取材にあたって痛感しました。たとえば取材に対して、やたらと専門用語を並べ立て、しかも回りくどい答え方をすることです。科学者とは思えない理路「不」整然です。公金を使っている以上、自分達の行動について国民に説明する義務が確実にあります。それをせずに「一般人を見下した物言い」(岩崎さん)をするのですから、何かが狂っています。
●科学者の危険な人間性
産総研35億円事件について、参議院の谷博之氏が国会の質問主意書で取り上げ、国が回答しています(AVA-netの120号参照)。これに基づき、文部科学省が今年9月8日に発表した報道資料があります。要点は、産総研ではカルタヘナ法違反があったが、不適切な措置は是正した、というものです。「不適切な措置」とは、
① 拡散防止措置をとらずに遺伝子組み換え(TG)マウスを飼育していた(ただし、動物は逃げなかった)。
② TG動物の飼育施設ではカルタヘナ法によって、その旨表示する義務があるが、されていなかった。
ここで大きな問題になるのは、「逃げていない」ことの信憑性の低さです。産総研でも理科大と同じようにずさんな飼育をしているため、まさにネズミ算式にマススが繁殖しています。ケージは小さいので、個体の上に乗ることによって、別の個体が簡単に脱走できます。アニマルサポート社の元スタッフの手記によれば、ケージの給水瓶を入れない研究者がいるため(つまり、マウスは水さえ与えられない)、その穴から脱走していたそうです。しかもアニマルサポート社のスタッフが、脱走したマウスを捕まえて研究者に抗議すると、「お前たちが管理しないからだ」と叱責されるのが常でした。挙句の果てに研究者の私用まで押し付けられる始末。
文科省のリリースにある「拡散防止措置」とは、実験室のドアの下部に、鉄板を立てることなどを言います。それが設置されていない部屋がいくつもあったわけです。アニマルサポート社がかろうじて捕まえた(つまり、逃げていた)マウスのほかに、建物外に逃げた個体がいても、おかしくはない状況です。「実際には逃げていない」と言いますが、ネズミ算式に増えてアニマルサポート社のスタッフが仕方なく処分していた状態で、逃げていないことを物理的に確認できるのでしょうか。敷地内の野外で白いネズミを見た、という情報もあるほどです。まったくの詭弁です。
このリリースの中に、驚くべき一文があります。「清掃等を行なう管理業者が遺伝子組換え生物等の使用者であるという認識が(研究者に)なかった」。
アニマルサポート社の吉村さんは「『掃除屋がそんなことを知る必要はない』という意味でしょう」と解説する。彼らには実験動物の情報を伝えなくてもいいというのが、少なくとも産総研での「常識」のようです。
今回のリリースでは、琉球大学でも「許可を受けずに遺伝子組換えHIVウイルスを使用した」と報じられています。清掃業者には、やはり教えられていなかったのでしょうか。実験施設や器具の清掃管理、実験の終わった動物の遺骸の処理も、“間引き”も清掃業者の手で行なわれます。しかも産総研の第6事業所では、規定数以上に動物がいるため、糞や床材、死骸が多すぎて、廃棄物が膨大な量になります。すると、冷凍式ゴミ箱に廃棄物が収まりきらず、ゴミ箱の上に、黒のポリ袋が山積みにされていたのです。むろん常温です。
清掃業者は、必要な情報も与えられず、リスクの高い生物汚染の最前線に立たされています。
人を人と思わない研究の現場。人間の尊厳さえ認めないこのような場所で動物実験の3R(数削減、苦痛軽減、代替)は期待できません。
彼らの高尚な研究開発は、本来は人間を幸福にするためのものです。だからこそ公金を使うことが許されるのです。しかし、その実態は公共の利益になど結びついていないのではないでしょうか。逆に、公金を無駄に浪費し、バイオハザードの危険さえ撒き散らしている。何よりも、現場には人間性が欠如しています。このような研究開発が、本当に人間を幸せにできるのでしょうか。
(*)カルタヘナ法…遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律。生物多様性の確保を目的とするカルタヘナ議定書の発効にともない、議定書の実施を目的として制定された法律(2004年2月19日施行)。
【写真]産総研第6事業所
【写真】冷凍ゴミ箱に入りきらず、その辺に置かれている実験動物の死骸その他の廃棄物(ビニール入り)
【写真】ギュウギュウ詰めのマウスたち(産総研@つくば)
AVA-net:121号(2006年11月号掲載)
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