バスは、早朝のパン・アメリカン・ハイウェイを黙々と走っている。右の横の小さな座席に、少年が座っていて、私のひざに頭を乗せ、眠り込んでいる。
時刻は午前5時。車内はまだ薄暗い。
少年の寝顔は、ほとんど少女のようだ。だが、彼が目を覚ましたとたん、その顔は険しく変わる。生活の厳しさがしみ込んだ顔だ。
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バスの運賃を払う。同じ路線でも、時間帯や曜日によって値段が違う。東洋系と見るとふっかける車掌もいる。目先の利益にとらわれるばかり。教養がないのか、生活が「厳しい」のか。そのすべてなのか。「観光立国」の政府構想がなかなか進まないのは、こういうペルー式のやり方にも原因がある。
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検問で、バスが引っかかった。座席下の荷物入れの中の大きな袋が怪しい、というのだ。その袋の持ち主は左どなりに座るおばさんだ。彼女は、身分証明書に小銭を添えて、警官に手渡した。
おばさんは、とても口が臭い。車内はすごい人いきれ。リマの水道水は超硬水で、洗濯のとき良く洗い流さないと、マルセル石けんの石けんカスが服に残る。それと汗が混じるとこれまたすごい臭いになるのだ。
うしろで赤ん坊が突然、大泣き。朝の7時を過ぎると、車内のスピーカーから、かん高い声で歌う女性歌手のペルー民謡が脳みその中にぐわんぐわん響きだす。途中、休憩のため誰もいない砂漠に停車、女性もみんな野外でおしっこ。横行する強盗。頻発する事故…。
そういうすべてに同化すると、中・長距離のバスの旅は、苦にならなくなる。
念の為言うと、席を譲っても「ありがとう」の言葉などない。
いい感じの人はいるけれど、結構ぎすぎすした世界である。
それが、好きだ。
「ペルー新報」に書いたコラム。掲載年不明
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