2007年9月3日月曜日

(墓9)日本廃村列島/みちのく編

日本廃村列島/みちのく編
土崎英穂


東北の廃村を旅した。
最初の日は廃坑の町へ。到着してみると、旧・国鉄の駅舎が、なくなっていた。
実は7年前にいちど来ている。その時、駅の売店でお湯入りカップヌードルを150円で売ってくれた、あのおばさん。いったい、いまはどこで何をしているのだろう…。
ここは「近代製鉄発祥の地」、岩手県釜石市内のRO鉱山。
ホームから眺めると、廃屋群の取り壊しがいよいよ始まったようで、空き地が目立つ。
主が去った建物は、傷みが激しい。
人の姿がない。生活の気配が薄い。そんな集落の空気は、よそ者を不安にさせる。街から来たよそ者には、つらい。青二才だもん。
昭和40年代には、鉄の鉱山町としてにぎわった。国内最大規模の生産量だった。数千人が住み、学校や病院もあった。
「町」だった。でも、平成4年には銅の採掘が終了。翌5年には鉄の採掘も終了してしまう。鉄の山から産業の核がなくなった。
町には核があるから、人が集まる。「核」が消えると、きっと崩壊する。ちなみに、街の「核」は、実態を持たない。常に流される人間がいるだけだ。しかし、人がいるから、人間が吸いよせられる。都市は、空虚だ。
現在RO鉱山では鉱山を経営する会社によって、再生への努力が続いている。
総務の課長さんが説明する。
近年は、坑道から涌き出す水をボトリングした「仙人秘水」の成功で、鉱山の閉鎖までは至っていない。OA用紙の表面をコーティングする白色石灰石の採掘も行っている。学校や病院は閉鎖されたが、町には、いまも十数人が家族同然のつき合いを続け、寄り添うように住んでいる、ということだ。
廃屋の前で、おばあさんに話を聞く。
何が寂しいかって駅舎がなくなったことなのよ、という。駅舎は、町の玄関だった。
鉱山をあとに、北に山を越えた。遠野市に近いW地区に、廃村を見つけた。
それは、畜産農家が捨てた集落。ラジオも届かない山中に固まる数軒の廃墟だ。クルマ一台がやっと通れる林道。クルマは、通らない。ここに人々が生きていた、そんな雰囲気が強烈に残る、プレハブのような平屋建て。ガラスは割れ、生活道具が散らばる床板は、ところどころ腐り、穴が開いている。
廃屋の脇にクルマを止めて、遠野のスーパーで買ったメンチカツを頬ばりながら、常温のビールを飲む。今夜はここで野宿だ。
雨が降り出し、星明かりさえない闇夜。
夜もすがら、思う。どんな家族たちがこの山中で、どんな夢を見たのか。なぜ、人は去ったのか。牛乳に細菌が混入したのか。動物が病気になったのか。畜産という「核」をもがれたら、人里離れたこのような場所で生きていくことはかなわない。ともかく、人は集落を廃棄したのだ。この建物たちも、そのうち朽ち果て草に埋もれ、森にのみ込まれていくだろう。そして、ここに誰かが夢見たサクセス・ストーリーも、消え失せる。
それが、廃村だ。
翌朝、海へ出る。太平洋だ。岩手県から青森県へと海岸沿いに進む。途中、いくつかの廃村があった。
三陸沿岸は、明治29年と昭和8年に大規模な津波(三陸大海嘯)に襲われ、壊滅的な打撃を受けた部落が多い。
それでも、生き残った者は村を再建した。
それなのに「過疎」には勝てない。
たとえば、Y部落。近海漁船が数隻しか入れない小さな入り江に面した、もとは6軒の家があった小さな部落だ。
昔の交通は、船で入り江(村)と入り江を結んでいたが、現代はクルマ社会。山をひとつ越える最も近い集落へは、クルマだと20分はかかる。近くの集落のおじさんによるとY部落から人が去ったのは「とても不便」だからだという。買い物も移動もすべてが不便なのだという。これは、別の言いかたをすれば、消費型社会に生きているのに消費する場所がない=「不便」だってこと。
不便さは、大津波よりも強敵らしい。
先祖は何でこんなに小さな入り江にしがみついて生きていたのか。最初に住んだ人は、何でここを選んだのか。その答えは「便利」という物差しでは測れない。
確実なのは、日本人のカネとかファッションとか考え方などの「ベクトル」が、絶対的に都市に向かっているってこと。そして、このような[はじっこ]まで都市型のシステムが、はいり込んでるってこと。システムに乗れないと、滅ぼされるってこと。
都市の総人口が農漁村の総人口よりも多い日本。きっとこの先も、都市型文化が廃村を作り続けるに違いない。でも、村人が消滅するわけじゃない。人はどこかにいるはず。
もしかしたらその人たちこそ、空虚な都市に吸い寄せられ「ベクトル」の餌食にされているのかもしれない。
中心に核を持たない都市。内部からの崩壊を防ぐために、その周囲を二重にも三重にも固める人柱にされているのかもしれない。
下北半島。
国道を飛ばす。ふと国道からはずれて、林道に入る。車幅いっぱいに生い茂った藪をかき分けながら、でこぼこの砂利道を進む。小一時間もクルマを走らせると、林の中、不意に小さな広場で行き止まりになる。そこは、畑でもなく牧場でもない。古井戸があったりするそんな広場は、かつて人が生活を営んでいた土地だ。
霊場・恐山のすぐ近く。
夜の林道を進む。そんな時、道端の廃屋と出食わす。きっとここも…。
青森のさいはての村。
閉鎖された小・中学校を見た。子どもがいない村に、未来はない。子どもがいなくても未来があるのは、都心くらいか。
だが都市は、その中心から子どもを消している。もとから住んでいても、相続税や固定資産税を払えない家族を容赦なく追い出す。
そしてカネのある奴が取って代わる。もとからの町も人も廃棄され、カラッポになる。
廃村に立つ。
そうしたら都市の[未来]に不安を覚えてしまった。都市こそ、実は大規模なゴースト・タウンなのかもしれない。
旅は、終わらない。

「土崎英穂」はそのころ使っていた名前。
『GON!』(ミリオン出版)1996年秋頃掲載。
合掌…。
このページの先頭へ
記事の墓場HP
(メインページへ飛びます)