私は、1997年の1月1日から2000年4月までの3年間あまりを、ペルーの首都・リマ市の下町、通称「バリオス・アルトス」の「Editorial PERU SHIMPO S.A.」(ペルー新報株式会社)に通った。
以下の文章は、その3年間の思い出を、なるべく年代順にたどりながら記録してみたものである。一人の日本人が、異国で何を考え、どうやって溶け込んでいったかの記録として、読んでいただければ、幸いである。
そしてまた、勤務先だった「ペルー新報」への遺言のようなものである。
下町、といっても日本のそれとは大きく異なる。
いってみれば、貧民窟。スラムとはいかないまでも、低所得者が住むところで、普通、リマ市民でさえ行きたがらない地域である。
かつて、バリオス・アルトスは、リマの古き時代には一般市民の閑静な住宅地であった。
だが、人口の増加とテロによる国内難民のリマ流入で市街地は急激に膨張、住んでいる人々が汚してしまったけれど、バリオス・アルトスの建物は、だから、植民地様式と呼ばれる古いものが多い。日本人の感覚からすれば、「きちんと保護すべき文化遺産」におもえてくるのだが、地方出身者らが汚すだけ汚してしまった。そして、30年以上前の車が走っていて、その排気ガスが塵灰を撒き散らし、瀟洒なコロニア風建築の壁をドス黒く変えているのが現状である。
ところが、地方から人々がリマに集中するにつれ、…書くのやめた(気力減退)。
未掲載。つまり、ボツ原稿。
合掌×合掌×合掌×合掌。
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