治安が悪いけど安い!ペルーへ行こう!!
■人質事件を解決するために沖縄から神がペルーに来た!
ルポ&写真/土崎英穂(ペルー在住ライター)
1997年当時の記事です
今なら、ペルーは、安いよ。
乗り継ぎなら、往復13万円を切るってさ。
行くなら、観光客が激減している今に限る。ペルーの観光業のサービスは世界的にも低い部類だけど、今なら笑顔でお出迎え。
旅行するなら、今だ。
治安はね、人質事件とは関係なく、悪いよ。
いつものことだもん、ひったくりに強盗、レイプ、警察官の汚職は当然。あまり、事件の影響はない。でも、観光客が減った分、ペルー人が襲われているって。それと、中心街のゴミ溜めみたいな市場(どろぼう市)の撤去が始まって、道路に寝ていた少年犯罪者集団がまるでクソ暑い夏のスズメバチみたいに気が立っているのは事実。こいつらの強盗だけは、ちょっとひどすぎる。
公邸の周辺も、警官が多くて、みんな自動小銃持っているからちょっと物々しい。こっちの警官は自動小銃は当たり前で、バズーカも戦車も持っているから、これが日常なのだ。驚くことじゃない。
先日、イエス・キリストに会ったよ。日本人だった。自分で言うんだもん。「聖書に書かれているキリストは私だ」って。この人質事件を解決するために、沖縄県の宜野湾市から来たって。46歳。去年の暮れあたりからリマにいるらしい。
「私は、日本の沖縄県宜野湾市大字×××の又吉光雄という者です。去年(1996年)の4月以来、沖縄県において、私が再臨のイエス・キリストであることを表明しています。(中略)再臨の目的は人間の人格そして地球をその破綻・破滅から守るため、うんぬん。再臨の目的のひとつとして、今回の日本大使公邸人質事件を解決するためリマに来た、うんぬん」
--あの、神様ですよね?
「そうです(注=神とキリストは別物じゃないの? まあ、いいか)」
--全智全能ですよね、トーゼン。
「言うまでもない」
--だったら、今すぐこの事件を、その特殊なちからで解決して見せてくださいよ。
「それはできない。私がゲリア(注=テロリスト)とペルー政府の両者を納得させなければならない。そのためには、私の救済プランを保証人委員会(注=今回の事件での調停役)が採用するしかない。それしか人類が救われる道はないのだ! 私が保証人委員会に入るべきだ!! 時にあなた」
--はい?
「スペイン語が出来ますか?」
--ええ、まあ。
「通訳して頂けないでしょうか?」
--……。全知全能なんでしょう?
「そうです」
--いいや、あんたはニセモンだよ。
「うぬぬ。あなたの目は曇っている。いつか必ず、バチ被るぞ」
--ありがとう。
このカミサマ、日本の大使館やペルーの大統領府にまで足を運んだが門前払いにされた。話を聞いたのは、ボクが勤めるペルー新報(日刊紙)だけだった。他にも、日本のボランティアを職業とする若者が「ボクが、ペルーの貧困をなくすよう、犯人たちに働きかける。だから旅費を送って欲しい」というお願いの手紙がペルー新報に届いた。
政府はドス黒いけどさ、一応「国家」なわけで、個人がどうのこうの言って事態が変わるわけないだろうに…。
それから、この事件のどさくさに紛れて、統一教会がペルーの実業界(とくに、日系社会)に触手を伸ばしている。「世界平和女性連合」とかいう名前で日系人の家を回ってるんだけど、大脳新皮質を破壊された、あの神がかった独特の愛らしい眼差し。バレバレだよ。この「眼差し」って、匂うよね。世界のどこにいても。
だいたい貧困貧困いうけど、餓死者なんていないんだよ、この国には。道路で物乞いしている乞食は、新宿にだっているじゃないか。
バスに乗り込んで「僕は泥棒していました。娑婆に出ても仕事がありません。パパはアル中です。お兄ちゃんはラリッてます。ママは病気で弟のミルクにも困ってます。お助けを…」というやつがたくさんいて、聞くところによると、一日に70ソーレスくらい稼ぐ奴もいるとか。これを週休2日でやったら、一ヶ月に1400ソーレス(5万円強)。週休1日であくせく働いている僕の給料の2倍以上あるじゃないか。
これも、ペルーの「貧困」の現実の一部なんだ。
ペルーは、食べ物がおいしい。ジャガイモやトウモロコシの原産地。野菜がウマイ。トマト、ピーマン、紫タマネギ、カボチャにレタスなどなど。
肉も豊富だよん。若鶏(ぽーじょ)の丸焼きには首や脚がついてくるから、ワイルド派には応えられないよ。ジューシィ。うまい。
シーフード(まりすこす)もいいね。ピリッと辛いマリネ(せびちぇ)なんて、一皿50円ですぜ。もちろん、酒も飲んだら、一食数万円もするディナーだって食べられる。「貧富の差の激しい国」の典型というわけだ。
ぼったくりと強盗の多い国だけど、人情がある。日本人だけが狙われているわけじゃない。油断していれば、この国の人だって被害にあう。新聞社の同僚(おじいちゃん)なんか、この2年で18回も強盗にやられた。彼、現在も前人未到の記録を更新中だ。
スラムや泥棒、日本大使公邸の周辺なんて、観光客は行く必要ないよ。マチピチュやナスカ、そのほかのインカの遺跡、地方の村、アマゾンの国立公園、トラックの二台に憲男婚で、三日も四日もかかるアンデス越え、博物館、リマ郊外のリゾート地…。変なとこに行かなければ、いつものペルーを、今なら低料金で満喫できること、請け合いだ。
1997年、雑誌「GON!」(ミリオン出版)に掲載。一時期、ペンネームなどを偉そうに使っていた・・・。
※あまりにひどい事実誤認のほかは、当時のままです。書いたときは、大使公邸人質事件の解決前だったが、掲載時には終結していた。又吉光雄は、教会の牧師と名乗っていた。「沖縄に戻ったら、宜野湾市長になり、その後、沖縄知事になる」といっていた。当選しなかったが、市長選と知事選に出馬したことは、風の噂で聞いた。ネットでは「又吉イエス」とか言われていたとかなんとか。
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【写真】リマに光臨したキリスト(沖縄出身)、又吉光雄。
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