2007年9月4日火曜日

(墓50)ぼくとあなたのプチ修行

ぼくとあなたのプチ修行
構成・取材・文:太田宏人(ライター)

[リード]
宗教団体が一般人向けに開催する手軽な体験修行が昨今、注目を集めている。必ずしも布教・改宗が前面に出ないという意味で「プチ修行」とか、「カジュアル修行」といってもいいかもしれない。俗な言い方をすれば、はやりの「おケイコ・レッスン」に、プチ宗教体験がブレンドされたカルチャー・スクールの「ノリ」。とはいっても、そこには深い精神世界が展開されるらしい。というわけで、GOKUH版「初めての修行」マニュアル! リスキーなカルト教団が横行するご時世だから、安心(?)の修行のすすめ。これであなたも“解脱”へ。


布教・改宗とは無縁な一般人の「プチ修行」

『食う寝る坐る 永平寺修行記』(野々村馨・著、新潮社文庫)という“地味な本”が昨年、都内の大手書店で平積みになっていたのを見た。もともとは単行本で、新潮社によると現在までの売上は、単行本と文庫本の累計で12万部だという。
本の内容はふとしたことから生きることにつまづいた著者が出家を決意し、以前から興味のあった道元禅(曹洞宗)の両大本山のひとつ、福井県・永平寺に入山し、下山するまでの1年間の修行の記録だ。
この本に書かれているのは、形而上の精神世界もしくはストイックな禁欲生活への賛歌ではない。信仰に基づく厳しい修行を淡々と描写し、「人間が生きること」を炙り出す。修行内容は凄まじい限り。脱走や栄養失調での入院で脱落する者が毎年、必ず何人かいるそうだ。堅い信仰を持つ者か、親の職業=住職を継ぐしか未来がない境遇に生きる者以外、「おやま」の修行は貫徹できないのではないかと思えた。ちなみに、野々村さんはそのどちらのタイプでもない。とくに仏教への帰依が深いわけでもない、一般人だ。
このような本が売れている背景に、読者の「非日常に生きること」への憧れや、ほんの少しの時間であっても、俗社会と距離を取りたい気持ち、超越した存在を求める衝動、「修行」という行為によって、喪失感すら失ったような己の心と体を改めて実感し、自分自身を高めたい願望――などがあるのかもしれない。
彼のように1年も修行することは、普通は難しい。「でも、やりたい」。そんな人たちの想いを成就するのが、プチ修行。布教の一環として、各寺院や教団による一般人を対象にした「お手軽修行」というのは、これまでもたくさんあった。それらとプチ修行の違いは、参加する側に、布教や教化もしくは改宗される気が全然ないこと。気持ちの持ちようは変わるかもしれないが、自分の社会的なスタンスや信仰などをまったく変えるつもりがない、という点だ。主催側も、布教・改宗をあまり強要しない。だからこそ「プチ」なのだ。
『陰陽師』の影響もあって、一般女性による巫女人気が高くなった(巫女は神社神道における奉職者だから、陰陽道とは別)。それは「巫女になりた~い」でも「巫女で一生を終わりた~い」でもない。巫女装束への憧れは(言葉は悪いが)、まるでコスプレ。しかし、各地で行われる「巫女さん体験(修行)」に参加した人は、コスプレだけでは望めない「何か」を得て、そして日常の生活に戻っていくのだ。
東京自由大学という市民大学が主催する滝行(会員制)もある。一般人がただ滝に打たれているだけでは、たんなる物好きか宗教マニア。だが、参加者も指導者も「大いなる何か」を体感する点で、立派な宗教上の修行だ。プチ修行は、教義や教団から離れつつも、れっきとした宗教的経験なのだ。


小さな山寺で初めて禅を体験!

論より証拠。そこで、東京西部・西多摩郡日の出町の西徳寺(曹洞宗)という禅寺で、坐禅体験をさせていただくことにした。

それは3月のある土曜日。JR武蔵五日市駅で朝の8時に本誌編集M氏と落ち合い、タクシーに乗って寺へ向かう。地元のタクシー運転手もよく知らないというほど、こじんまりとした山寺である。寺では、婦人会の皆さんが掃除をしていた。おばあさん、お嫁さん、孫娘という三世代が、にこやかに、せっせと本堂の隅から隅までを清めていた。
満開をすこし過ぎた桜が、ひらひらと晴天に舞う。それはじつに和やかな風景だった。
住職の寺江規克師に坐禅作法を教わりながら、実際に坐ってみる。壁に向かうのだそうだ。パンヤの詰まった坐蒲(ざふ)に腰を降ろし足を組む。坐リ方は、左右の足を股の上に置く結跏趺坐(けっかふざ)が本式というが、はっきりいって肉体的に無理。「坐禅を続けていれば股関節が柔らかくなるので、結跏もできますよ」と寺江師はいう。この日は、左足を右のまたの下に入れ、右足を左のまたの上に載せる半跏趺坐(はんかふざ)にする。
これは目からうろこだったが、寺江師によると、坐禅は苦行ではないという。痛さを我慢するものではないので、半跏でも構わないのだそうだ。それよりも大切なのは、姿勢。背筋を伸ばし、胸を開く。眼は仏像と同じく半分開いた「半眼」。何かを見るともなく前方下に視線を這わす。
手は、股の上で法界定印(ほっかいじょういん)を結ぶ。これは、右の手を下にし、その上に左手を重ね、両手の親指を軽く合わせるもの。
「姿勢が崩れると、坐禅になりません。坐禅を始めるさいは、しかるべき僧侶に指導してもらって下さい」(寺江師)
いろいろな雑念が浮かぶが、それを否定しないのだそうだ。
当日、うかつにもGパンだった。これは坐禅には適さない。
坐禅が始まると、編集M氏が写真を撮り始める。本堂の外では、檀家さんの世間話。これが面白くて、笑ってしまいそうになる。また、M氏は法界定印や半跏趺坐などの「パーツ」にこだわって撮影しているようなので、素足の裏の水虫が写真に写りはしないか? などと、どきどきした。ワタクシゴトもあれこれ考えた。雑念のオンパレードだったが、不思議と寝不足の頭はすっきりとしていた。眠くはならなかったが、時間の感覚を忘れた。
たった一回の体験で坐禅を語るつもりはない。ただ体験談として言わせてもらうと、わずか1時間弱の坐禅だったようだが、日常の凡俗な時間が、坐禅のあいだは途切れた。解放されたような感じ。ご住職がぼくの肩に振り下ろした警策(きょうさく)という棒の一撃は痛かったが(修行僧への一打は、その数倍の力で行われるらしい)、特殊な神秘体験もなかった。黙祷での静寂とも違う。なにか、「これでいいんだよなー」というような、普段だったら無防備と感じられるような精神状態になった。


緩慢な自殺とプチ修行に共通する“自己実感”

以前、曹洞宗のビデオ映画『禅のいぶき』をスペイン語に翻訳する仕事をやったことがある。内容は、本山にこもって修行に専念する雲水たちの生活の紹介だ。修行の開始にあたって、オリジナルの日本語ナレーションが「命がけの修行が始まる!」と野太く言い放つのだが、訳しながら「まさかー」と思っていた。『食う寝る坐る――』を読むと、あながち嘘ではないようだ。
しかし命を懸けることが、修行の価値を高めるのだろうか? それなら、生活を守るという意味では、どんな職業だって命懸けだ。なにも山にこもって修行する必要もない。たとえば、ライターという腐れ稼業を続けるぼくでさえ、1年のうちに何回も地獄を経験する。何日も徹夜もしくはほぼ徹夜の状態が続き、目はかすむし、キーボードを叩く指はむくんで、体のあちこちが痛む。コーヒーの飲みすぎで腹はタプタプ&吐き気でゲロゲロ、脈も乱れて、動悸が激しくなり、起きているのに脳内麻薬のせいで幻聴と幻視のナチュラル・ハイとなってくるわけだが、こんなことはただの生命の消耗ですけどね。
「命懸け」で思いつくのは、いま話題の海外ボランティア、またはボランティア・ヒッピー(バックパッカーもしくはプー太郎を正当化するためのフリージャーナリストやライター含む)。
危険なところに行きたがるのは、自覚のあるなしに関わらず「緩慢な自殺衝動」なんだそうだ。危険に身をさらすことで、生きている感触をつかみ、体や心が自分の体と心であることを実感する、というわけだ。余談だが、飽食ニホン人のボランティアの目的や存在理由のために「世界の可哀相な人たち」が存在するわけではないので、目的や充実感のベクトルが“ボランティアする自分”“真実を伝えている自分”に向いている人は、やはりオカシイ。
お釈迦様は、肉体と精神を限界まで追い込む修行を、否定した。彼は出家後、6年のあいだ苦行を続けたが、悟れなかった。ところがあるとき、弦楽器の弦を見ながら、
「弦の張りが強すぎたら切れるし、弱すぎたら音にならない」と合点が行ったという。
頭ばっかりでも体ばっかりでもだめ。「中道」である。中道の修行は、各宗派では違った現れ方をする。坐禅したり、一心にお題目を唱えたり、滝行したり、掃除したり、現世と隔絶したり、論戦したり、加持祈祷を続けたり。しかし共通するものは、「自己とどう向き合うか、自己とは何なのか」を見つめること。
曹洞宗の開祖である道元禅師も「仏法をならうというは、自己をならうなり」と喝破する。
一部の国際ボランティアも、プチ修行の参加者も、自分に酔いやすいことと自己を実感することは似ていると思うが、はっきり違う点は、前者は最終的には「自分の納得のための行動」であるのに対し、後者は「自分を見極める」もの。プチ修行も自己満足かもしれない。しかし、宗教施設で行うことに意義がある。そこに広がる「聖なる世界、厳格な世界、折り目正しい世界、人智の及ばない世界を」に圧倒されるのだ。別世界に触れるだけでも、俗世間の垢にまみれた自分を再認識するきっかけになる。人間本来が持っている「生きる律動」が正常化する、そんな感触。
緩慢な自殺などをするくらいなら、プチ修行がお勧めだ。実際、坐禅を自殺防止のカウンセリングの援助法として採用する団体もある。


プチ修行は、ケイコとマナブと同類なのか?

村山省三師(曹洞宗、2005年死去)は、6年間のブラジルでの布教経験を持つ。サンパウロの禅寺に集まる日系人は、おもに先祖供養が目的だが、日系ではないブラジル人たちは坐禅志向だ。日本的なメンタリティーや習慣を若干継承する日系人より、仏教からは遠いブラジル人たちが坐禅会に参加する動機は、どんなものだろうか。
「のぞいてみようかな、という興味。ヨガや精神統一のように、カルチャー・スクールのひとつとして体験することが多い」という。これ、まさに日本のプチ修行と同じ次元だ。たとえば日本では、プチ修行を「教養講座」ならまだしも、「観光地のアトラクション」なみに紹介する媒体もあるくらいだから。
「ブラジル人参加者に継続性はないですね。9割以上の人が続かない」
これは、ほかの国でも当てはまることらしい。
しかしいかに“教養的な習いごと”とはいえ、指導する側は信仰に裏打ちされた本物の僧侶。坐禅も、教養を高めるために開発されたわけではない。だから、参加者が次第に違和感を覚えていくという。ただし肉親との死別や、職場でのトラブルなどを抱えているような参加者は、ハマることがあるようだ。
村山師に、プチ修行に参加するときの「心得」を聞いてみた。
「参加者お互いが尊重しあうことです。坐禅会なら、そのお寺に対しての感謝も必要。寺には寺のルールがありますから、それを守るマナー。私も永平寺で一般参禅(一般人向けの坐禅会)を指導したことがありますが『なんでここに来たの?』と思わざるを得ない礼儀のない人たちがいます」という。プチ修行は、プチはプチでも、やはり修行だ。たんなるお稽古事とは次元が違うということだろう。
ちなみに道元は、こうもいっている。
「人が悟りを得るのは、月が水に宿るようなものである。月は広大な光を放つが、一滴の水にさえ宿ることができる」
ある禅僧は、
「たった1秒の坐禅でも、本質的にはそこに無限の過去と未来が凝縮されるといっていい」と語る。プチ修行といっても、決してあなどれないのである。


「葬式仏教」は、プチ修行に対応できない

「巫女萌え~」でアレな男たちも含め、巫女に憧れる人たちのサイトをのぞくと、じつに綿密に調べ上げている。その情報量および情報を集める情熱たるや、圧巻だ。素人さんの知識が、本職の巫女さんの情報を圧倒的に凌駕している。この逆転現象は巫女に限らず、神職でも僧侶でもあてはまる傾向がある。僧侶でも、親が坊主だったから跡目を継いだ人よりも、出家を決心して仏門に入った元・一般人の僧侶のほうが、熱心といわれる。そして、宗教マニアの情報量に本職が太刀打ちできない。
仏教の伝統教団についていえば、日本中いたるところで体験修行が開催されているように思えなくもないが、実際には「プチ修行」なり檀家・信者もしくはマニア対象の催しを開いている寺院は、絶対的に少数だ。檀家の葬儀・法要といった檀務【ルビ:だんむ】だけで精一杯、というより、それだけで食べていけるそうで、わざわざ面倒くさい布教活動をしたがらない。「葬式仏教」と揶揄されるのは、このためだ。ぼくたちはいったい1年のうちに何回、旦那寺もしくは氏神の社に行くだろうか。聖職者の名前を知っているだろうか。そしてその人に親近感なりを持っているだろうか。卑近な例をあげさせてもらうと、ぼくは旦那寺にはよく行くほうだ。家の墓が寺の敷地のなかにあるためだ。だが、住職と話したことは一度もないし、わりと大きな寺なので、はっきりいって、働く僧侶は組織の人間。檀務は業務。組織に対して胸襟を開けるわけがない。仏教関係の翻訳で分からないことがあっても、聞きに行く気にもならない。墓に関していえば、永代供養料とは別に管理費まで取っているくせに、立てて間もない卒塔婆を処分される始末。抗議しても、顔の見えない組織の人間が、まるで役所のような対応をするだけ。
もちろん、檀務も立派な布教・教化活動の一環である。また、檀家以外の人間に対して住職がケアをすることを檀家が嫌う地域も、いまだにある。さらに、檀家が少ない寺院では、住職が普段は勤めに出ているケースも少なくない(現金収入の途がさらに少ない神社では、“兼業”の割合は高い。知り合いの神主で、会社のロッカーに装束を入れ、昼休みに地鎮祭を行う人もいる)。
こういう状況では、迷える現代人の宗教的ニーズに応えることは難しい。プチ修行といっても、まったくちゃらんぽらんな参加者もいるだろうが、解決したい何かを秘めている人もいる。そういう人たちに、伝統教団は対応できていない。だからこそ一時期、安直なまでに「答え」を示してくれるカルトが、とくに年齢の若い人たちに受け入れられた。
しかしカルトが危険なことは、ある程度は認知されるようになってきた。プチ修行ブームは、オカルト・ヒーローたちをもてはやした前世紀末の反動かもしれない。しかし今年4月には、自己啓発セミナーを装うカルト集団「ホームオブハート」(栃木県那須町)において常軌を逸した児童虐待が加えられていたことが発覚するなど、カルトは死んでいないし、これは氷山の一角だ。どんな宗教でも伝統教団が不活性化している限り、カルトの氷山は半分も溶けないだろう。
外国人が日本人をいろいろと不思議がるなかで、あの「無宗教」というのがある。たしかに、伝統教団とその教団を構成する聖職者の側から、社会と時代を貫く強く効果的な声があがってこない状況であれば、仕方のないことかもしれない。だが、初詣や祭礼、七五三参りの例を出すまでもなく、日本人は宗教儀礼は決して嫌いじゃない。むしろ、好きだ。プチ修行というカジュアルな修行体験も、宗教的体験なのだ。そしてそれが流行るのは、人々に求められているから。教団の側から「プチ修行でござい」と、需要が作り出されたわけではない。
坐禅体験のために、日の出町の西徳寺にいったとき、婦人会の皆さんが掃除をしていたことは前に書いた。地方の神社仏閣では、そんな情景は珍しくないはずだが、そういうコミュニティーが機能しているところでは、プチ修行の需要は少ないのかもしれない。プチ修行というのは、専門職をめざす人の登山口でもなく、教団や教義への帰依でもない。俗世間とは異なる空間と時間で、俗界には存在しない特別な所作を自らに課しながら、超越した世界を体感する。そして、俗界の膿のなかから自己を再確認する。肉体と精神の復権である。
人間は、山や巨木、滝や海のほか、神々しさを湛える宗教施設でもリフレッシュされるようだ。機会あるごとにお寺に行くことができない人には、プチ修行のような経験が必要なのだろう。
宗教宗派を超え、旦那寺や氏神、鎮守の神社という制約からも解放されたプチ修行こそ、現代的な信仰生活の王道なのかもしれない。
今後、伝統教団の聖職者は、この流れに対応できる少数派と、対応できない多数派にはっきりと二極化していくのだろう。

2004年、某「GOKUH」誌掲載

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