バブル経済の底辺の一角を支えたのは、イラン人やタイ人、バングラデシュ人、中国人などの外国からの労働者だった。だが、日本政府は彼らに正規の労働ヴィザ(入国査証)を与えなかったが、不法滞在は黙認した。
しかし、バブルが弾けた。
とたんに、出稼ぎガイジンへの締め付けは強くなった。
じつは多くのガイジンは、まじめに働いていた。故郷の家族に仕送りをするためだ。
なかには粗食に耐えながら3重労働に出かける人もいた。過労死もまれではなかった。ここで、大きな問題が発生する。
たとえば、イスラムは火葬を禁止しているけれど、土葬OKの墓地というのは、田舎に少しあるだけ。だが、そんな墓地に不法滞在のガイジンが埋葬されることはないし、皆、故郷での埋葬を望んだ。
イスラムの葬儀を一手に引き受ける葬儀屋が誕生した。仮にA氏とする。
A氏は、日本で死亡した外国人の遺体を本国へ運ぶ熟練のエージェントだった。
遺体を外国へ運び出すためには、その死人の国の在日公館(大使館や領事館)に遺体移送の許可証を発行してもらい、骨の状態でないならば、遺体は「エンバーミング」と呼ばれる防腐処理をしなければ、飛行機には乗せてもらえない。乗せるといっても、コンテナに入れて空輸するのだ。
今でこそ、日本人のエンバーマーは何人もいるのだが、当時は、ほとんどいなかった。
A氏は在日の某国軍隊に特別のコネがあり、基地内などで特別にエンバーミングをやってもらえた、という。
「最も多いときは月に5件のイスラム葬儀を行ったが、最近は少ない」というA氏。
料金は、一件に付き数百万円だった。この料金に含まれるのは、エンバーミングと本国への遺体移送、在日公館や航空会社に対するコーディネート料。葬儀のセレモニー代は含まれないし、日本で葬儀をあげる人自体が少なかった。
現在、A氏がどんな仕事をメインにしているかは分からない。ある意味、彼もバブルに踊らされたのだ。そしてA氏によって本国へ送られていった死者たち。彼らを死に追いやったのもまた、バブルだった。
[漫画実話ナックルズ2006年8月号]
<注>もとは「死の値段」という記事を『GOKUH』に書いた。その後、『SOGI』誌に関わるようになり、まっとうな葬儀社への取材がメインになった。しかし、A氏のような人物(葬儀社)は、いまもたくさん、存在する。
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