●発酵産業が支えるバイオテクノロジー
ヨーグルトや納豆、味噌、酒造りに欠かせない発酵技術は、いまやさまざまな産業に応用され、その市場規模は数十兆円にもなるという。これらが、高付加価値型の新産業群として注目される現代型のバイオ産業だ(このうち、発酵食品の占める割合は2割にも満たない)。日本のモバイル関連市場は2005年で約7兆円規模だから、発酵産業の規模の大きさは凄まじいの一言に尽きる。
2006年現在、首相官邸で「バイオテクノロジー戦略会議」が開かれていることからも分かるように、今後のバイオ産業のあり方次第で、日本の国際競争力は大きく左右される。しかし、バイオ産業の基礎には、従来型の発酵産業という「大いなる遺産」があった。麹菌のゲノム解析という快挙も、やはり長年培われてきた日本の発酵産業の伝統抜きには語れない。
2005年12月、独立行政法人産業技術総合研究所(つくば市/略称「産総研)の生命情報科学研究センター(数理モデルチーム)では、他研究機関や企業との協力によって、世界で初めて麹菌のゲノム塩基配列の解析に成功した。
これによって、日本古来の麹菌(学名:Aspergillus oryzae。カビの一種)の高い発酵能力と安全性が科学的に実証された。納豆、味噌、酒造りの主役である麹菌は「国菌」とも呼ばれ、長年、日本人の暮らしと密接にかかわってきた。
さて、産総研それによると、麹菌ゲノムは約3800万塩基対からなり、約1万2000の遺伝子をもつ。このゲノムサイズと遺伝子数は、微生物の中ではきわめて大きい。そして、加水分解酵素遺伝子などの分解などに関る遺伝子を、近縁のカビよりも30%程度多くもつことも明らかになった。
ゲノムが解析されたことによって、バイオ産業での麹菌の広範な利用が加速すると見られる。また、麹菌の近縁種には麹菌とは異なり、感染性や穀物汚染などの原因となるカビも存在する。今回の研究成果により、これら問題菌の抑制や問題の予防研究に拍車がかかるものとみられる。
●人類と自然界の媒介
発酵に関係するバイオ産業で、もっとも規模が大きいものが医薬品や化学製品の分野。このうち、ダイエットや美容関連での飛躍が目覚しいのがアミノ酸や核酸だ。抗生物質や抗がん剤、ステロイドなどのホルモン製剤なども発酵によって作られる。次に大きな市場が酵素産業。用途は医薬用、化学工業用、食糧工業用、研究用などと多岐にわたる。
じつは、発酵のもつ大いなるポテンシャルは、こういった既成産業からの脱却が図れる、という点にある。つまり、化石燃料を消費し、再利用しにくいゴミ(廃棄物)を生み出す消費社会から持続可能な社会への転換だ。
すでに実用化されているものとしては、発酵法による工場廃水の浄化が挙げられる。工場廃水に含まれる有機物を微生物によって分解(発酵)させることで、河川の汚染を防ぐというものだ。
生ゴミの堆肥化も、発酵の力による。全国の焼却施設は法律によってダイオキシンクリア焼却炉(高温度焼却炉)と定められているが、建設費は大型の施設では数百億円もかかる。ところが、生ゴミを堆肥化することで処理できれば、その費用は驚くほど少ない。家庭レベルではほとんど無料。プラントを作っても、建設費および使用エネルギー量は焼却炉とは比較にならない。なによりゴミ処理に化石燃料を使わず、ダイオキシンを生まず、焼却灰も出ない上、堆肥が次の収穫へとつながるというメリットは大きい。
発酵時に放出される熱を他の用途へと転用もできる。「酵素風呂」というアミューズメント施設の原理は、発酵と同じである。
現在では、電子部品や自動車のパーツとしても応用できるまでに高機能化された生分解性プラスチック(ポリ乳酸系生分解性プラスチックなど)は、澱粉を多く含む食物(トウモロコシやジャガイモなど)を乳酸発酵させて作る。さらに、食用植物の可食部を使わずに、農業廃棄物(稲や麦のワラなど)でも代用は可能とされる。
生物循環の輪から外れた人類を、よりよい形で元の輪のなかに戻す媒介が、発酵なのかもしれない。(太田宏人)
水の文化情報誌『FRONT』 2006年3月号掲載
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