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日本の景気低迷が、在日の外国人就労者を直撃している――。なかでも、在日ペルー人の置かれた雇用不安は深刻な状況だ。労働力として、納税者として、少子高齢化した日本を支える一員でもある彼らの現状をルポする。
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「四月までに仕事がみつからなかったら、ペルーに帰るしかない」
愛知県名古屋市のルイス・サキハラさん(四六歳)はいう。自動車部品の下請け工場で10年間働いていたが、昨年(2001年)11月に解雇されて以来、再雇用の見込みはない。
日系人およびその配偶者らの“デカセギ”(注1)が正式に認められたのは、一九九〇年の出入国管理及び難民認定法の一部改正による。この年のペルーのインフレは七六五〇%で、国民所得は六〇年の水準まで低下していた。その後、フジモリ政権下で国内経済はかなり回復したが、いまだに国民の半数以上が失業か半雇用状態だ。最低賃金は月一〇〇米ドル(約一万一〇〇〇円)少々で、とても食べていけない額だ。サキハラさんが国へ帰っても、生活が安定する保証はない。
「工場の受注が減ると、真っ先にクビになるのは外国人だ」
外国人、という一言は重い。彼ら日系人は、デカセギに来る前に、「父母・祖父母の国、自分のルーツの国」という親しい感情を日本に持つ。だが、日本人の多くが自分たちを「ガイジン」(注2)としか見なさないことに、来日後、ほどなく気付く。特別な思いは、屈曲した感情に変わる。
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日本人以上にかかる生活費
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神奈川県藤沢市に住むエクトル・ニシムラさん(三六歳)は、「あと数年で、相当数のペルー人が日本から去る」と予測する。本国では心理カウンセラーだったが仕事がなく、九〇年に来日。各種の工場で働き、実家に仕送りをしてきたが、昨年九月からはじめて仕事が途切れる。貯金を崩して生活し、年が明けてから短期のバイトをやっと見つけた。
「日本の景気のせいだよ。工場はどんどん中国に移転しているし、マレーシアやフィリピン、中国からの不法滞在者が増えたから」
オーバースティや密入国といった不法滞在者の時給は平均五〇〇円くらいで、高くても八〇〇円ほどという。単純作業は、彼らアジアからのデカセギに取られてしまった。
「男には、仕事がなくなったしね」とも。その表情は暗く、口数も少ない。
「前にいた工場の時給は、男は一三〇〇円、女は九〇〇円で、作業内容は一緒。この不景気な時代にどっちを使うと思う? だから男で仕事を見つけようと思ったら、高い日本語能力と経験は絶対に必要だ」
長野県丸子町に住むマヌエル・ロハスさん(四七歳)も男の雇用が少なくなったと指摘する。
「このあいだはついに、工場のえらい人に『月給三五万円以下だったら、俺たちは暮らしていけない』って、訴えたんだよね」という。
九〇年に来日した彼は、日系人の妻と小学生の長女、保育園に通う長男の四人で暮らしている。ペルーで暮らす自分と妻の両親への仕送りは、毎月一〇万~一二万円。高収入のため、子どもの保育料も住民税も国民健康保険の保険料も高くなる。
「地方は、物価が高いよ」ともいう。日本語能力が低く、地域社会と密接に交流をしていない彼らは、何年住んでも日本の事情に疎く、日本人から見たら、買い物が下手だ。商品の値段の「大体の基準」が分からないから、高いものでも買ってしまう。郷愁、もしくは日本の食材への嫌悪からか、ペルーから輸入されたかなり割高な食材を好むなど、外国人の生活には必要以上の出費が伴うのだ。
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日本語能力の低さがさらに職から遠ざける
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ロハスさんは最近、マイクロチップを生産する工場に夫妻で雇用されたのだが、ほどなく妻は解雇された。理由は、「妻のグループの製品から不良品が出たから」だ。
「容赦ないよ。検査に引っかかると、すぐにクビだし、時給を下げられることもある。でも、ほかに仕事があるわけではないから、がまんする」
「でもね」とロハスさんは続ける。
「クビになるのは外国人だけでなく、日本人も大量に解雇されている。まあ、日本人は必死に働かないよね。だから経験と能力次第では、俺たちのほうが重宝されるんだ」という。日本人は総じて「残業や休日出勤を嫌がる」と、多くのデカセギはいう。本国の家族への送金や将来帰国して「事業をはじめるかもしれない」という目的のための貯金、同居する家族の養育費のために働く彼らからすれば、現代日本人は怠け者と映るのだろう。
ロハスさんの話にもある工場側の突然の解雇は、不当解雇の疑いがある。ところが、多くの工場はデカセギを直接雇用していない。「コントラティスタ」(請負業者)と呼ばれる業者に業務を“委託”するのだ。そのため、生産変動に合わせたデカセギの解雇が容易に可能になる。
デカセギの作業の管理・指導は工場側で行うのだから、コントラティスタの実態は人材派遣業だ。しかし、営業に必要な厚生労働大臣の許可を受けていないものがほとんどだ。また、デカセギの給料はコントラティスタ経由で支払われるため、直接雇用より多少安いという。国別統計はないが、日系人以外のデカセギも調査対象に含めている「日系人本邦就労実態調査報告書」(国際協力事業団、九二年)によれば、南米出身のデカセギでコントラティスタを利用する人は、全体の六三%。ただし同報告は、デカセギはコントラティスタを経由しても、会社と直接契約したと誤解している人が多いため、実際は「もっと多い」と分析する。
また同報告によると、子どものころから家庭で日本語を話していた割合は、ブラジル五三・四%、アルゼンチン四一・五%、ボリビア六九・六%、パラグアイ八七・九%に対してペルーでは一一・〇%。ペルー以外の国は戦後移住も行われ、日本人コミュニティーが存在するため、生活圏内で日本語を話す人が多い。一方、ペルーへの移住開始は一八九九(明治三二)年と古く、現地への同化も進み、日系人集住地も存在しない。ブラジルの移民史はペルーと同じく長いが、日本人コロニアも存在し、戦後移民が続いていたため、彼らの日本語能力は相対的に高い。
言葉がわからなければ、会社と直接雇用を結ぶことは困難だ。まず、求人情報の入手ができず、たとえ入手したとしても字を読めないため、雇用条件の話し合いもできない。雇用契約書も読めないし書けない。日本語能力が大幅に低い在日ペルー人は、他の中南米出身のデカセギより、コントラティスタへの依存度が高くならざるを得ない。
言葉の問題以外にも、コントラティスタが日本への旅費を立て替える“サービス”を行っていることも原因のひとつだ。サトミ=マリア-デル-ピラール・タマシロらの報告(九九年、注3)によると、在日ペルー人のうち、三二・三三%がコントラティスタからの旅費の貸し出しを受けていた。しかし本質的な問題は、ペルー人デカセギの日本語能力の低さにあるといえる。
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生産と雇用の「調節弁」
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コントラティスタは、自社に“登録”したペルー人デカセギを工場などに派遣するほか、日本的常識や感覚の欠如によってアパートを借りられない、もしくは不動産業者に忌避されるデカセギに、“寮”という形で住居を提供する。さらに、勤務先への送迎も行う。デカセギは、日本語がまったく分からなくても、コントラティスタに頼ることで、住むことと働くことができるわけだ。
解雇しやすいだけではなく、企業にはコントラティスタを歓迎する素地がある。日本語能力が低いペルー人を直接雇用した場合、生活面での煩雑な相談が予想外に持ち上がる。コントラティスタを介せば、文化の違いや言葉の壁による摩擦も回避できる。日本人にとっての日本の職場は「異文化理解の実験場」でも「日本について教える教室」でもないのだろう。
そして、在日ペルー人にも、コントラティスタは歓迎されている。
以前、静岡県浜松市のある工場と直接契約を結ぼうとしたペルーの友人一家を成田から送っていったことがある。その工場の社長とは「顔見知り。ペルーから電話した」という。ところが、工場が提示した時給は夫婦ともに九〇〇円。
「とてもじゃないが、生活できない」と彼らはスペイン語で密談。それでも、社長と話をまとめ(筆者が通訳した)、部屋探しに。社長が一緒に探してくれたが、いい物件がなかった。「後日また来ます」と、彼らは東京の筆者の住まいに戻った。結局、彼らはその工場への就職を見合わせる。社長は半日、棒に振ったわけだ。この一家のゼロに等しい日本語能力からすれば、もし彼らがその工場に就職していたら、社長は、彼らの子どもの保育園入園、小学校入学など、すべて面倒を見なければならなかっただろう。この一家は、「コントラティスタだけは嫌だ」といって、一週間ほど無気力にすごしていたが、最後は栃木に住む親戚のデカセギに迎えに来てもらった。
日本語がわからず、ペルーから単身で来日した友人は、当初からコントラティスタを経由し、静岡県焼津市の魚肉加工工場で働くことになった。時給一一〇〇円で残業もあるので、収入はかなりの金額になる。住居もコントラティスタの紹介で即日入居。コントラティスタが多くの同国人を雇うので、先輩デカセギから生活情報を入手できるなどメリットもあった。このように、コントラティスタがデカセギと企業双方に必要とされていることも事実だ。
ただし、前述のようにデメリットも大きい。コントラティスタの利益は、デカセギにどれだけ仕事を斡旋したかで決まるため、どうしても工場などの大口の募集に流れやすい。しかし、大きな工場の仕事は、生産変動による突然の解雇という危険性をはらむ。ペルー人が生産と雇用の「調節弁」にされないためには、安定した仕事を自力で探す必要があるが、実際は無理に近い。
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子どもへの負担
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デカセギにとって労災が受けにくいこともデメリットのひとつだ。デカセギが就業中にけがをした場合、雇用主であるコントラティスタは労働基準監督署に労災申請を行わなければならない。しかし、労基署の調査が入り、必然的に無許可営業が発覚するため、「労災隠し」が横行。デカセギは正規の労災を適用してもらえないのだ。
さらに、日本での家族との同居もペルー人を苦境に立たせる一因となっている。アジアからの(不法な)デカセギは単身が多い。生活コストが低く、安い給料でも働ける。両者ともに日本語は不得手だが、要求する給料に開きがありすぎる。
前出のサトミ=マリア-デル-ピラール・タマシロらの報告によると、日本に居住するペルー人のうち、来日前に子どもがいなかった人は六二・二〇%だが、来日後はその割合が三三・一〇%に減っている。九二年以前に日本へやってきた人の割合も全体の七八%(ペルーへの一時帰国含む)という。「出稼ぎ」ではなく「定住」(停住)または家族移住といってもいい。そのため、本国への送金や扶養費が重くのしかかる。
なぜ家族と住むのか。生活費の安いペルーに家族を残し、日本から送金したほうが効率的だ。神奈川県の愛川町に住むギジェルモ・ミヤハラさん(五八歳)も一家で同居する。
「これまで家族が離れて暮らしたことはなかったからだよ」
妻のスサナさん(五三歳)も、「家族の愛は、お金では計れない」という。日本人からすれば、こんな考え方は大甘かもしれないが、成人男子の多くが「いちばん好きな女性は自分の母」と公言するくらいの国である。カトリックを国教にしている他の国と同じ、もしくはそれ以上に家族を大事にする傾向が基本的に強いのだ。そういう文化、としか言いようがない。
親の雇用の不安定さや日本語能力の低さは、子どもに負担を強いる。乳児死亡率を見てみよう。厚生労働省の人口動態統計によると、二〇〇〇年、七四四人のペルー国籍を持つ新生児が日本で生まれた。だが、同年の乳児死亡者は一〇人。出産一〇〇〇件に対して一三・四人の死亡率だ。ブラジル人では出産三〇五一件のうち死亡は九人で、出産一〇〇〇件での死亡率は二・九人。同年の日本人の乳児死亡率(一〇〇〇件のうち三・二人)より低い。両者の違いは、日本語能力と、緊急医療制度の利用度の差と思われる。
また、親が転職を繰り返すため、子どもが学校でスポイルされる事例も絶えない。外国人の子どもは、それでなくてもいじめの対象にされやすいのに、つねに転入生として学校を転々としていたらその傾向が強くなるのは当然だろう。
群馬県伊勢崎市には、さまざまな理由から日本の学校に行かない在日ペルー人の子ども(幼稚園~中学生)が学ぶフリースクール「スペイン系アメリカン文化学院」がある(二〇〇〇年設立)。代表のルイス・ガージョ=シマブクロさん(三六歳)によると、「親の転職によって、子どもの出入りが激しい」という。また、景気が悪くなったため、学費の滞納もかさんでいる。経営は困難だが、「誰かがやらないと」と熱っぽく語る。
たしかに、不況で苦しむのはデカセギだけではない。日本人の失業率も好転していない。しかしそのことは、デカセギを切り捨てる理由にはならない。彼らも、労働力として、または納税者として、さらには地域社会のマンパワーとして、少子高齢化した日本を支える一員にほかならないからだ。
(注1)「デカセギ」は、出稼ぎ者および日本での就労行為を意味する現地語化した言葉。法務省統計によれば、平成一二年一二月末日でブラジル人が二五万四〇〇〇人、ペルー人は四万六〇〇〇人が居住している。ほかにアルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、メキシコ、ドミニカなどの出身者もいるが、少数。
(注2)この表記は穏当ではないが、実際問題として在日外国人の多くが日本人からそう呼ばれている。ペルーのある友人も「Soy un Gaijin」(私はガイジン)といっていた。
(注3)Realidades de un Sueño, Convenio Cooperación Kyodai Comisión Conmemorativa del Centenario de la Inmigración Japonesa al Perú; 2000 Lima-Perú.
『週刊金曜日』02年3月ごろ掲載されたものに加筆
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