2007年9月3日月曜日

(墓35)ヴィクトル・アリトミ元駐日ペルー大使インタビュー(2004年)

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フジモリの帰国を決める要素は
国民の選択と本人の決断のみだ
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ICPO(国際刑事警察機構)により国際手配中のアルベルト・フジモリ元ペルー大統領。フジモリ氏の義弟で、同様に日本滞在中のヴィクトル・アリトミ元駐日ペルー大使はこのほどインタビューに応え、フジモリ氏の帰国問題などについて語った。おもな質問内容はパラグアイの『日系ジャーナル』高倉道男社主から寄せられたもの。インタビューは太田宏人(元ペルー新報日本語編集長)が五月上旬、東京都内で行った。

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「日系人への信用」は賄
賂より人の心を魅了する
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【質問】多くの南米諸国で、政治家や軍人として出世するには、賄賂を周囲にばらまく必要がある。正直でまじめな日系人は悪いことはなかなかできないが、日系人がトップになるためには、やはり賄賂に頼らなければならないのか?

【アリトミ氏】たしかに、日系人にとって賄賂を使うことは難しい。ただし、フジモリの登場以降、出世のために、贈賄は必ずしも求められなくなったと思う。たとえば、彼が政権から降りたあとも、買収や賄賂なしで地方の首長に当選した日系人が何人かいる。その背景には、「日系人への信用」がある。
買収には二通りの方法があると思う。まず、文字通り金を使って他人をなびかせることだ。そしてもうひとつは、厳密には買収とはいえないが、志を同じくする者を見つけ、協力を呼びかけること。フジモリが行ったのは、後者だ。金ではない。
彼の政党に、マルタ・ヒルデブラン(元国会議長)をはじめとする優秀な学識経験者などの人材が集まり、現在でもペルー国内でフジモリを擁護してくれることをみても、それはわかる。

ペルーには「家族からは必ず軍人と弁護士、医者もしくは聖職者を出せ」という俚言がある。つまり、これらの職業が伝統的に国を支配する中枢にいたからで、しかも、それは一〇%にも満たない白人層が占めてきた。
フジモリが登場することで、伝統的な支配階級や既成政党からの反発は非常に大きかったが、彼は都市部の新興住宅地や地方の農村地帯へみずから足繁く通った。いわゆる貧困層の人たちと食事をともにし、彼らとふれあい、彼らの本当の声を聞いていった。彼らこそ、民主主義の主役であるが、その恩恵に浴すことが決してなかった「国民」である。彼らの声を国政に直接反映させたはじめての大統領が、フジモリだ。彼の政治の出発点は、大統領官舎ではなかった。国民の生活する場所だったのだ。彼らからの支持があったからこそ、伝統的な支配者層からの反発に対抗できた。

トレド現大統領も地方や新興住宅地に出かけるようだが、頻度では到底およばない。しかも、フジモリが推進した学校建設などの社会インフラ整備は、トレド氏も盛んに実行を約束していた。だが、実際には進んでいない。貧困地帯に出かけて帰宅したら、即座にさっさと手を洗う連中だ。

【質問】しかし、国軍掌握にはモンテシーノス元大統領顧問のような影の実力者が必要だったのでは?

【アリトミ氏】フジモリ政権は成立当時からクーデター未遂の危機に何度もさらされてきた。生命の危険もあった。モンテシーノスのような存在の必要性はあったと思う。だが、彼の権力の増長を許してしまった。

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ペルーの日系メディアは
世論に影響力をもたない
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【質問】既存の支配層を突き抜けて大統領となり治世を行うためには、マスコミの理解と協力が不可欠。しかし南米では、マスコミはその支配層に抑えられている。そこで、日系大統領にとって日系メディア(現地語)の存在は心強いのではないか?

【アリトミ氏】そうは思わない。ほかの国はともかく、ペルーの日系メディアの読者数は日系コミュニティー内でさえ非常に少なく、世論への影響はほとんどない。また、フジモリが九〇年に初めて立候補したさい、日系世論に猛反対を受けた経緯もある。日系ペルー人は、「日系人が大統領選に出馬し、大統領になったら、かつて経験したような大規模な迫害を受ける」という思い込みを持っていた。フジモリは、きっぱりと「大統領になるのは、日系人のためではない。ペルーの置かれた状況を改善したい。ペルー人のために大統領になりたいのだ」と反論した。
ペルーの日系メディアの存在は、大統領に選ばれることや治世とは関係がない。

【質問】しかし、アリトミ元大使は在任中、「ペルー新報」を日本に対するペルーの宣伝に利用したのではないか? たとえば、日本でペルーの観光物産のPRを行い、そのニュースをペルー新報に掲載させ、掲載紙を日本の関係者に送ることで「現地でも報道されました」というようなスタイルで。日系メディアを利用し、その存在をペルーと日本の架け橋のように演出したのでは?

【アリトミ氏】たしかにそういうことはあった。しかし、効果は薄かった。

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フジモリ政権でなくても
日系閣僚はふたたび登場する
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【質問】いまや日系の閣僚は締め出された観があるが、今後、ペルーにおいて日系閣僚が復活する見通しはあるのか?

【アリトミ氏】現政権では無理だ。しかし、次期政権下では期待できると思う。

【質問】次期政権とは、フジモリの政権ということか?

【アリトミ氏】フジモリの政権でも、そうでなくてもだ。なぜなら、日系閣僚に寄せるペルー国民の信頼が、依然として高いからだ。残念ながら、なかには悪いことをした者がいることも認めるが…。
フジモリ政権が発足したさいに、政府が日系人のなかから信頼でき、かつ才能のある人材を登用できたのは、当時の日系人の学歴が、平均して高かったからだ。

ところが、この一〇年で日系人の学歴は相対的に低下した。日本への出稼ぎが盛んになったためだ(注:二〇〇一年末日現在の日本国内の登録ペルー人数は五万〇〇五二人。日系ペルー人の半数以上が出稼ぎ中という計算になる)。出稼ぎは仕方がないが、親御さんには「せめて子どもの進学の機会を確保して欲しい」と訴えたい。日系ペルー人の人的資源は、損失している。将来的に見れば、日系閣僚が出にくい状況にあると思う。

ほかの国、とくに南米の日系人についていえば、より積極的に政治の世界へ進む挑戦をすべきだ。自分の国を良くするために。そろそろ、そういう(多くの日系人が政治の中心に食い込む)時機に来ていると思う。

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亡命した大統領が、
大統領選挙に出る国
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【質問】フジモリ氏はペルーへの帰国をほのめかしているが、いったん「日本人」になったフジモリ氏がペルーに戻り、政治活動を再開することは可能なのか?

【アリトミ氏】それを決めるのは、ペルー国民だ。民主主義に従うなら、ペルー国民が決めることが尊重されるべきである。実際、先ごろ行われた世論調査でも、「評価できる過去の大統領」の第二位はフジモリだ。しかも、四一ポイントという高い支持だったと記憶している。フジモリの公式ホームページへのアクセスは、変動はあるが平均して一週間でも数千になっている。もっとも、現政権を担当する人たちが、頻繁にアクセスしているようだが。フジモリのホームページには影響力がある。だから現政権は、日本の関係当局にホームページの閉鎖を要請してきたくらいだ。

【質問】ペルーには独特の政治風土があり、国民もそれを受け入れている。たとえば、汚職と失政、さらにテロを蔓延させたとして悪名高いアラン・ガルシア元大統領は事実上の亡命生活を送っていたが、フジモリ失脚後に帰国し、罪に問われることなく二〇〇一年の大統領選に出馬、トレド現大統領と接戦を演じた。そういう国情もあるが、フジモリ氏はすでに「日本人」と標榜しているが?

【アリトミ氏】しかし、国民が選び、本人が帰国を決めれば、誰が反対できるのか? たとえば、誰かが日本の国籍を放棄(して他の国に帰化)するという決断をした場合はどうなるのだろうか? 個人的な考えであるが、その行為自体を止めることはできないだろう。

私(アリトミ)は、日本のペルー進出商社の団体である三水会の「ペルーでビジネスを行う上で抱える問題点」という今年三月のアンケート結果を入手したが、それによると「国会並びに政府に経済への理解がない」「民営化の中止」「朝令暮改の法律」「法整備に行政が追いついていない」「投資への税制優遇がない」「投資意欲が減退する」「法律が理不尽で当局者に力量がない」「治安が悪い」「経済人口が少ない」などの不満があふれている。これが現政権の現状だ。ペルーには、まだまだやることが残されている。[文責:太田]

【写真説明】ヴィクトル・アリトミ元駐日ペルー大使。2003年5月6日、都内で。

【2003年、いくつかの新聞に投稿、掲載される】

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